止められるか、俺たちをのレビュー・感想・評価
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「止められるか、俺たちを」という科白を聞いたのは誰か
若松孝二でも足立正生でもなく、謎の死を遂げた吉積めぐみを中心にしたことで、「映画に命を賭けた男たちの群像劇」とは違う深さが加わった。エネルギーの塊のような若松孝二、観念世界を構築する足立正夫。対して、作りたいものがわからない吉積めぐみ。悩みを打ち明けた彼女に、秋山道男(オバケ)は「目の前の課題をこなすだけだ」と答える。しかし、吉積はそれだけでは生きられなかった。
子どもを身籠ったことと、自分の方向性のジレンマに陥った吉積。ここに男性性とは異なった女性性の問題が立ち現われる。また、彼女は政治に興味が持てない、と言う。しかし、その「政治」とは、男たちが語る大文字の「政治」のことだったのではないか。実生活とはどこか遊離した「政治」の議論に違和感を感じていたのではないだろうか。
若松は「男に生まれた以上、女は拝むものだ」と語っていた。「止められるか、俺たちを」とは、若松や足立たちを含む映画に賭けた男たちからの、吉積への問いであり愛だったのではないか。
若松孝二監督を思うと胸がいっぱいになる
若松孝二監督が2012年に事故で死去した際、筆者は李相日監督作「許されざる者」のロケで北海道・大雪山におり、山から下りた翌日に知らされた時の衝撃は今も忘れることができない。いち取材者がこれだけショックを受けたのだから、若松組の悲しみは計り知れない。
監督の死から6年後、若松プロダクションが再始動した。それが、「止められるか、俺たちを」。
1969年を時代背景に、若松プロダクションの門を叩いた少女・吉積めぐみの目を通し、若松孝二ら映画人たちが駆け抜けた時代や彼らの生き様を描いた。門脇麦が主人公となる助監督の吉積を演じ、若松組の常連だった井浦新が、若き日の若松監督役を務めた。監督は若松プロ出身で、「孤狼の血」の白石和彌。若松組のエッセンスが満載を見るにつけ、若松監督に思いを巡らせてしまう。
「俺たち」の輪の中
この映画の主人公は女性だが、タイトルには「俺たちを」とある。この「俺たち」の中に主人公は含まれているのだろうか、というのが鑑賞前に気になるポイントだった。結果的には、この物語は「俺たち」の輪の中に入りたかったが、入ることのできなかった女性の物語だった。若松孝二の伝記映画であるが、彼自身を主人公にしなかったことで別の側面を産んでいた。彼女は若松孝二と赤塚不二夫が並んで立ちションをする姿を羨ましそうに見つめる。女にはできない友情の形だ。そんな彼女に千載一遇の並んで立ちションする機会が訪れる。しかし、彼女は立ちションすることを止められてしまうのだ。あの時、彼女が立ちションできていれば、その後の悲劇は起きなかっただろうか。むしろ、より深い絶望に陥っただろうか。そんなことを考えながら観ていると、ただ熱いだけの映画だけではなかった。さらに深い、重要な問いかけがあったのかもしれないと感じた。
「緊張しろ!」
1969年。自分にもピンク映画の助監督はできるかな、と若松プロに入った吉積めぐみ。若松孝二を中心に、新進気鋭の若者たちの熱気に包まれ、映画作りを学んでいくが。
若松孝二監督作品は、後年のいくつかを観ただけ。その人柄や初期の作品は全然知りませんでした。元やくざで、刑務所で尻の穴まで調べられ、映画を何も知らずに監督となった、とのこと。その情熱と行動力に目を見張りました。サングラスをかけて監督の動きや口癖をまねて、井浦新は他の作品のイメージとまるで違ってました。そういう感じの人だったんだ、と分かりやすくてよかった。
太陽にほえろ!な撮影現場で、マカロニな門脇。
今更初見。
愉しんだ。
太陽にほえろ的擬似家族な映画の現場で、
下っ端らしく戸惑い果敢に挑むマカロニジーパンな門脇。
怖いけど頼れるボスやゴリさんに可愛がられる甘美。
日本の青春期に青春期を過ごした人達。
嫌な事もあった時代だろうけども。
荒井晴彦の地味さも良し。
面白かった!井浦新の演技が見事
配信(Unext)で視聴。
門脇麦が演じた若松プロダクションに入った助監督の吉積めぐみの視点で
若松プロダクションの歴史を描いた作品。若松プロは映画の本や新聞記事で
見たことがある。若松プロダクションのすべてがこの作品で知ることができて
良かったし、しっかりドラマとしてもよくできている。何より、若松考二を
演じた井浦新の演技が素晴らしかった。
若松自身の特徴をそのまま掴んでいたし、ドラマよりも楽しそうに
演じているように見えた。
門脇麦がまさかこの作品に出演しているとは本当に驚いた。
白石監督もあるシーンで演技していることを知りびっくり。
面白かった!観て良かった。
映画に理屈は映らない
若松監督は存じ上げないが、映画製作映画には惹かれてしまう。
とりあえず芝居がすごい。
日常の自然な演技と、劇中劇での昭和的な演技がしっかり使い分けられている。
穏やかないい人が多い井浦新が口元をひん曲げ、口調から声の出し方、口の開け方まで変えていて見事。
門脇麦の細やかさと分かり易さの両立も異次元で、酔っぱらいのシーンは特に魅力的だった。
映画製作の舞台裏が描かれ、勿論いいことばかりではないのだが、みんな楽しそう。
議論を戦わせたり、放尿したり、プールに忍び込んだり、学生がそのまま大人になったようで、正に青春。
口は悪くも面倒見はよく、何より映画が大好きな若松監督の元には、そりゃこんな面子が集まるわ。
吉積を中心に苦悩もしっかり描かれており、青春群像として纏まっている。
撮りたい作品のために不本意な作品も撮る。
ここは、シングルでは一般受けする曲を出しつつもライヴではカップリングを中心に演った黒夢を思い出した。
生きるためには開き直りも大事だよね。(満島真之介はピュア過ぎた)
撮りたいものも見つからず、初監督の短編も認められず、妊娠の相談も出来ず亡くなった吉積が不憫。
そのためスッキリとはしないが、望んでのことではなかったと信じたい。
飾られた写真が、彼女がいかに愛されていたかを物語る。
それでも彼らは止まらないし、止められない。自分自身にすらも。
”給料は払えないけど3年で監督にしてやる”
今年3月に公開となった「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」の第1弾がキネカ大森でリバイバル上映となったので、早速観に行きました。「青春ジャック」については、個人的に今年観た新作の中でナンバー1の面白さだったので、その第1弾である本作をずっと観たかったのですが、ようやくお目に掛かることが出来て非常に満足しました。
若松孝二監督率いる若松プロダクションを舞台にした青春群像劇という点で共通している両作品ですが、井上淳一が監督を務め、かつ主役が若き日の井上本人だった「青春ジャック」は、井上同様に若松孝二にガッツリとスポットが当たっていました。一方本作は、白石和彌が監督で、主役は門脇麦演ずる吉積めぐみだったこともあり、完全に吉積めぐみの物語でした。井上にしても吉積にしても、二十歳前後で映画監督を目指して若松プロに飛び込んで、映画の世界にどっぷりと浸かる訳ですが、周囲と協力したり喧嘩したり、時には恋をしたりと、まさに青春そのもの。映画の道の追求だけでなく、若者が自分の目指すべき道を模索する様子が伝わって来るからこそ、映画業界の人間でない私のような観客の心も揺さぶる作品になっているのだと感じました。
「青春ジャック」から観たため、吉積めぐみが若くして亡くなってしまうことは端から分かっていました。そのため、序盤でウイスキーの小瓶を先輩から貰い、瓶に口を付けてそのままウイスキーをあおるめぐみの姿を観て、ああこの人はお酒で亡くなるんだと直感。案の定その後も酒を浴びるように飲むめぐみは、直感通りお酒と睡眠薬で亡くなってしまう。
そんな悲しいお話でもありながら、若松監督が今まさに戦火にあるパレスチナを訪問し、何とあの重信房子にインタビューする話が出て来たり、三島由紀夫の自衛隊市谷駐屯地への乱入事件のシーンが出て来たりと、当時の時代状況が生々しく再現されており、私自身がその現場にいたかのような錯覚すら覚えました。因みに市谷駐屯地で自衛官に檄を飛ばす三島を演じたのは白石監督本人ということで、この辺りはニヤリとさせられました(実際の三島はもっとスリムだけど)。
俳優陣も素晴らしく、主役のめぐみを演じた門脇麦は、悩みながらも全力で生きる姿に共感を覚えました。そして何と言っても若松監督を演じた井浦新は、まさにはまり役。「うちはな、給料は払えないけど3年で監督でしてやる」という名台詞も聞けて、ここでも満足でした。是非第3弾を創っていただき、そこでも若松節を披露して貰いたいと思った次第です。
そんな訳で、待望の作品を劇場で観られたこともあり、また内容的にも満足の行くものだった本作の評価は★4.5とします。
門脇麦…
若松プロを舞台にした青春群像劇。
なによりも演者の皆さんの存在感が素晴らしい。
若松監督役の井浦新、足立正生役の山本浩司などなど…
特に門脇麦の佇まいはめぐみそのものとしか思えないものだった。役者ってスゴい…
映画を好きになれそうな映画 「青春ジャック 止められるか俺たちを2」
# 映画館で観た感想
「青春ジャック 止められるか俺たちを」といういかにもマイナー感が漂うタイトルなのだが、なかなか楽しめたし、自分も今までよりも映画を好きになれるような気がした。
役者たちの演技もなかなか光っていた。
# 井上陽水× 田中邦衛
見かけは井上陽水みたいで話し方は田中邦衛みたいな映画監督が出てくる。
とにかく話し方の癖が強い。訛りが強いし田舎大将みたいな感じ。めちゃくちゃ昭和感がある。
皮肉ではなく現代の劇でよくここまで昭和感を出せたなと思った。この監督に限らず劇全体にちゃんと昭和感が出ている。
だが後半になるにつれ、癖のある話し方にも耳が慣れてきて、キャラクターの良さが分かってくるのだった。
# 名画座
監督は支配人をお膳立てして「シネマ スコーレ」という小さな映画館を開く。名画座というのは昔の映画を上映する映画館のことをそう呼ぶらしい。
今で言うとミニシアターかな。
# 映画がテーマの映画
「映画が大好き」という気持ちには自分はまだ分からない。確かに映画館にはよく行くが、過度な熱中をしているわけではない。
映画の中で映画愛について語られるというのは、なんだか自己言及的で、くさい感じがする。だがこの映画の「映画」は良かった気がする。
# 映画監督になりたい少年
映画監督を目指す少年。友達にも映画のウンチクをよく語る。口から出てくるのは数々の映画監督たちの名前。
なんだか映画が好きというよりは「映画が好きな自分が好き」というか、映画知識をコミュニケーションのマウントに使っているような感じがする。
虚勢だけでまだ中身は空っぽの少年。
# 塾講師
やけに格好良い塾講師。ナイス。こんな先生がいたら誰だってファンになる。
全共闘時代を生き抜いてきた人なので、芯があるのだ。(たぶん)
# 映画を撮りたい女
ほぼ紅一点で彼女には昭和感がない。男臭いこの映画の中でほぼ唯一の癒し要素。
彼女も映画を撮りたかったのだが自分には才能がないと諦めてしまい、映画館の受付のバイトを始める。
少年との掛け合いもあるのだが、なんかとても良かった。
# 映画監督を任される少年
色々あって若くしていきなり映画監督を任される少年。
だがもちろんうまく出来るわけがなく、だんだんとプロデューサー役であったはずの若松監督に座を奪われて行き、立場もプライドもボロボロになる。
だがそれがコメディともなっており、会場には笑いが起こっていたし、僕も笑った。
# 井浦新
エンドロールで俳優名を見ると監督役は井浦新だった。
調べると前に映画「つんドル!」のささポン役もしていた人だ。すごいキャラクターの変わりようだ。カメレオン俳優だ。
# 監督は少年だった
この映画の監督は作品に出てきた少年「井上淳一」だった。そういうことか。
「人は人生で少なくとも1本は作品を書ける。それは自分の人生を書くことだ」的な名言が作中にも出てきたが、監督はこれを体現したことになる。
# 青春ジャック1はあるのか?
「止められるか俺たちを」という第一作が公開されていた。
昭和の映画好き
2作目が公開されるということでレンタル観賞です。
若松 孝二監督は知らない世代です。
昭和の学生運動とか映画とか煙草とか、古き良き時代という感じです。
恐らく、岩松監督に寄せるためだと思いますが、何を喋っているか分かりにくい。ファンはたまらないのだろうと思います。
井浦新や門脇麦など、さすがという感じです。
2作目、監督変わるのですね。
吉積めぐみ助監督と若松孝二監督
1970年代の映画監督と女性助監督
映画はこの女性助監督“めぐみさん”を中心に話が進んでいく。
映画を制作していくにあたり、この年代の現場は実に熱い。
映画の中で『映画の中で何をやったっていいんだ』というセリフが実に面白くて、いままで考えつかなかった思いが溢れてきた。
例えば「全裸監督」の村西とおるさんもそうなんだけど、作りたいものや出したいものに必ず制限がかかり、皆それに苦しむ姿や映画を取るために必死になってる姿が印象的だった。
それにしても、めぐみさんの最期は悲しかった…。
あの時代だと、人の死を知るのってあとになってからが多かったんだろうなぁ。
子供を育てながら監督をしてる方々っていまの時代にはいるだろうけど、あの時代は難しかっただろうし、背負いきれなかったのか…
父親のように可愛がってくださってた、若松監督に相談をすれば厳しくも受け入れてくれた予感がするが、映画の方向転換の時期だったから、誰にも相談出来なかったかったし…
堕ろすのも育てるのもどちらも選択できなかった結末だったのかな。
動き出したら止まらない姿や恐らくラストシーンは「あさま山荘への道程」の撮影へと繋がっていくのかと想像してしまう。
そして、タイムリーなのを見てしまったと思う
【若松孝二監督】についても調べたら、とあるニュースに繋がってしまった。
ニュースを読むと、足立正生さんが監督だ。
そしてもう1つ、この映画の音楽が曽我部恵一さん
革命とか政治とかが関係する「ビリーバーズ」でも音楽担当だった。
数々の偶然に驚いた。
映画界のつながりを感じた。
ちなみに私は藤原季節さんが出演していたので、観たのであって、そちら方面には興味はございません。
若松監督!
映画が好きで、でも、難しいことは分からないし、映画制作の技術や論理やその他諸々知らないことは多すぎる私が、若松監督の作品を初めて見たときものすごい衝撃をそ受けたのを今でも覚えている。(初めて鑑賞した作品はキャタピラーです)
本作品の主人公はめぐみ(門脇麦)。彼女が何者かになりたいと自問自答する中で、若松プロに入ることになり、その中でたった2年と数ヶ月の間過ごしたお話。
男だらけの映画製作チームの中でひたすらもがきながら、どやされてもひくことなく必死で食らいついているめぐみの姿は印象的だった。
それから、男性がビルの上からタッションするシーン。2度でてくるけれど、その2度ともめぐみは一緒にタッションするのを女性にとめられる。その時のなんとも残念がる表情がとても良い。
門脇麦の演技も存在感も醸し出す雰囲気、空気。どれもこれもがこの映画で輝いていて。彼女の魅力を十分味わえる。白石監督さすがですな。
めぐみの最期が自死というのはとても悲しい最期だった。死を選ばないといけなかったのかなー、、、赤ちゃんと一緒に生きる道を選んでほしかったなと思う。
この映画にレビューを残すなんて難しくて何を書けば良いのやら状態だが、とにかく若松プロダクションという場所で映画を作りたくて集まった人たちの情熱と映画愛にひたすらついていく鑑賞だった。
当時の社会情勢、世界情勢は今現在と違う部分もあるけれど、世界では恐ろしい戦争や紛争が未だ続いていたり、始まったり。若松監督がもしまだ生きていたら、今どんな映画を作りたいと思うだろうなぁ。
若松プロで映画づくりを学び経験した人たちのほんの一摘みをこの映画で拝見しただけだけれど、もっともっと若松プロの映画を観てみたくなった。(正直、そんなんばっかりみてたら心が病みそうやからほどほどにしたいけど)
点数は付けづらいなぁ…
白石和彌監督作品「止められるか、俺たちを」、監督と井浦新、タモト清嵐の舞台挨拶があるので行ってきました。
監督が二十歳のころ門を叩いたという「若松プロダクション」。故・若松孝二監督の元に集まった若き才能らの群像劇です。ちなみに、若き日の若松監督を演じる井浦新も若松プロの俳優部出身だそうで。いつもの流れでwikipediaで知ったと言いたいところですが、今回は舞台挨拶で聞いた内容でした。
主演は門脇麦。監督にはなりたい。でも、どんな映画をつくりたいのか分からない。そんな、現代の若者にも通じるような「ふわり」と懸命な助監督を演じます。どの時代も大多数の人はそんなもんなんでしょう、同じ人間ですから。あの時代は輝いていた!なんて言うのは、大抵が老人の戯れですよ。いつだって、悩んで怒って歳をとる。
エンターテイメント性はほぼ無し(ただし三島由紀夫のシーンは最高)。面白いかって言われると微妙。ただ、若松監督およびその周りの面々、そしてその時代への愛が溢れてます。かと言って、ただ美化するのではなく、格好悪い部分もしっかりと描いているあたりは、さすが白石監督と言ったところでしょうか。あと若松作品処女なので、貫通した後に観たらまた印象が変わるのでしょうね。
それよりもですよ。若松プロはどうだか知らないけど、手塚プロといい藤子プロといい、故人の功績をもって飯を食ってるプロダクションって気に入らなくないですか?ん、石原プロもか。
版権管理とかなら理解できるが、その名を拝借して新作を出したりするのが腑に落ちない。才能は一代キリ。クリエイティブに跡取りはいないのだから。自分の名前で勝負しやがれ。
あ、取り乱しました。
60-70年にあった熱量が青春に乗る、今に通ずる若者の痛み
ずーっと温めていた作品。ネトフリでライン落ちする前に駆け込み鑑賞。エンドロールでブワッと涙が溢れた。嗚呼、青春の日々よ。
吉住めぐみは人生を"駆け抜けた"と言えば爽やかだが、死を迎えた彼女を形容するには、"全うした"と言うのが正しい気がする。時代は全共闘の真っ只中、かといって彼女は興味がなく、映画の熱狂に引きずりこまれるようにして若松プロダクションの門を叩いた。
有り余る程の情熱が映画づくりに精を出す。その青春はあまりにも大胆で敏感で儚い。プカプカと浮かぶタバコの煙に浴びるように交される酒。しかし、そこでかく汗が経験として素直に開くとは限らない。何者でもなれない、自分との葛藤が心を蝕んでいく。増してピンク映画から社会に問いかける立場のプロダクション。「女性を捨てた」と自らを例える程、生きにくい場に身を投じたが故の苦悩かと思うと苦しい。
そんな姿をありありと演じる門脇麦はやはり魅力的な女優さん。プールに身を投じたり、まっすぐに恋をする女性らしさもありつつ、不器用ながらに若松プロダクションの一端を担う姿が勇ましく思える。また、若松孝二を演じる井浦新も風格があってカッコいい。当時の姿を知らない自分でもその熱量に刺激され、夢中で何かを成し遂げたいと思った。
白石和彌監督が三島由紀夫を演じたり、藤原季節が『火口のふたり』を撮った荒井晴彦を演じたりと、実在する人を演じるリアリティも面白かった。これから定期的に観たい作品。
いろんな青春があってもいいじゃない
1969年春、若松孝二を中心とした若松プロダクションに一人の女性が入った。
吉積めぐみ。ピンク映画の助監督として若松プロで仲間たちと映画を撮り続けた。
そんな彼女と仲間たちのはなし。
お恥ずかしながら、若松孝二監督の映画は全く観たことがなく、寧ろちょっと主張強すぎるかな?と避けていた面がある。
こんな自分が観ていいのかは分からないが、若松孝二の為人と、自分には想像もつかない当時のエネルギッシュな若者たちの姿を知る上でとても勉強になった。
男だらけの世界で、女を捨て自分を見つけきれないめぐみ。
結末はあまりに呆気なく、周りが出世していく中で一人だけ取り残された悲壮感がなんとも切ない。
政治に興味はないけれど、共に立ちションを望み仲間と一緒に映画という武器で戦ったものの、妊娠で自分を女性だと自覚する。
学生運動が激化する中でこういったなりきれなかった女性は大勢いただろう。
若松孝二の伝記というよりは、そんな彼女たちへの鎮魂歌のように感じた。
若松孝二ってすごい人だったんだな。
だんだん活動家の拠点と化していった若松プロだけど、そこには確かに良い映画を撮りたい熱があった。
どんな映画も映画なんだよ。
でも、若松孝二にはただヤりまくるだけのコマーシャルな映画は撮って欲しくない。
エロ目的のおじさんにもウケるものを作らないといけない。
様々な映画論がある。
愛やセックスは暴力だ。
映画の中では警官殺そうが誰殺そうが悪くない。
彼の映画を少し、いやかなり観てみたいと思った(特に『ゆけゆけ二度目の処女』が気になる)。
鑑賞前は復習映画だと思っていたが、予習として観れたのは良かったと今は思う。
若い世代には理解していただけないかも
映画の好きな人が作った映画だと思います。ですからヒットしません(多分)。
この映画を見てぐっと来る(共感するか否かは別です)のは私と同じ60代か、これ以上ではないかと思いました。その意味では青春映画ではありません。
門脇麦さん演じる助監督には、実際のモデルがいるのではないでしょうか(映画のエンドロールの中でちらっと写る人かな)。だとしたら救いようのない悲しさを感じます。
ついでに、重信房子さん役は感じがよく似ていましたが、三島由紀夫さん役はちょっと太めでは。
私は内容には共感はしません。世の中を変えたいと思うのであれば、政治家(革命家でも良い)や実業家を目指すべきであり、映画では世の中は変えられません。
この映画の中でも「ぶち壊してやる」と、みんなイラついています。イラついて、空回りしているのが良く描かれています。共感しませんが良い演出です。
もう一度見たくなる映画であることには間違いありません。とにかく門脇麦さんが秀逸です。
ただひとつ、映像にはケチを付けます。撮影が非常に難しいことは分かりますが、1969~1971年にはなかったものが映像に映ってしまっています。
【追記】
モデルとなるような実在の方がいたようです。
誰しもが闘い、夢追い人であったあの時代
個人評価:4.0
70年代の熱やカオス感などがしっかりと伝わってくる。誰もが何かと闘う時代。そして自分に対しても闘う精神は向けられ、悩み葛藤する当時の若者の生き様がよくわかる。
また若松監督役の井浦新の演技には脱帽だ。
誰しもが夢追い人だった70年代。2度は巡ってこない特殊な熱い風が吹いてた時代と感じる。
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