ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン

劇場公開日:

ジョン・コルトレーン チェイシング・トレーン

解説

ジャズ界史上最大のカリスマと称されるサックス奏者ジョン・コルトレーンの、短くも求道的な人生を描いたドキュメンタリー。わずか40年の生涯でありながら、ジャズのみならずアメリカ・ポピュラー音楽の歴史に多大な影響を与えたコルトレーン。レコーディングの機会に恵まれなかった不遇なキャリア初期、恩師マイルス・デイビスのバンドへの抜てき、薬物とアルコール依存症を乗り越え才能を開花させた1957年、そこから約10年間で数々の名盤を生み出していく姿を、コルトレーンに影響を受けたアーティストたちの証言や貴重な映像の数々を元に振り返る。さらに、これまであまり語られてこなかった彼の家族やプライベートについても描く。オスカー俳優デンゼル・ワシントンがコルトレーンの声を担当。Netflixでは「コルトレーンを追いかけて」のタイトルで配信。

2016年製作/99分/G/アメリカ
原題または英題:Chasing Trane: The John Coltrane Documentary
配給:EASTWORLD ENTERTAINMENT
劇場公開日:2021年12月3日

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映画レビュー

3.5☆☆☆★★★ コルトレーンのアルバムは、傑作と言われている『至上の...

2024年3月20日
iPhoneアプリから投稿

☆☆☆★★★

コルトレーンのアルバムは、傑作と言われている『至上の愛」を含めて3枚ほど所有してはいるものの、あまり熱心に聴きこんではこなかった。
イメージとしては麻薬中毒にかかり、、、と言った、ちょっと根暗で《魂の叫び》等と宣伝で使われている様に。気軽に聴くと言うよりも、因数分解を解くように考え込んで聴くイメージが強かった。

それだけに、作品全体でコルトレーンの全体像を説明しながら。ごく普通のミュージシャンだった彼が、どの様に音楽と関わって行き。多くのミュージシャンとの関わり合いの中から、最終的に彼独自の音楽が出来上がって行ったのか?…を、懇切丁寧に説明して貰える作品でした。
特に人種差別から〝 愛と平和 〟へと繋がる彼の音楽との関わり方には、少しばかりですが感銘を受けた。

アドリブに関する定義で、やめ時が分からなくなった時…

「何故演奏をやめないんだ」

「簡単なことだ、楽器を口から離せばいい」

コルトレーンの演奏を後ろから見ながら、タバコを吹かすマイルス・ディヴィスが最高にカッコいいぜ!

あまり詳しくはないのですが、かなり貴重な映像も多かったのではないでしょうか。
それにしても、彼にとって最後のツアーになった日本公演。
17日での16公演は、当時の交通事情等を考えてみてもかなり無謀なスケジュールな気がしますね〜。

コルトレーンのマニアのFUGI-SAN
大好きなコルトレーン映画に出演し、名前までクレジットされてしまい、ある意味では羨ましい。

2021年12月10日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター1

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松井の天井直撃ホームラン

5.0人間が違うわ!!

2023年7月5日
PCから投稿

John Coltrane というと、まず、思いだす曲はジャズバージョンのMy Favorite thingsで、物静かなイメージが強い。

彼のファンかというとそうではないが、このドキュメンタリーでわかったことがある。それは、なぜ知り合いの人が息子の名前をコルトレーンにしたかということだ。コルトレーンの生き方は自分の道を踏み外して(ドラッグ)も、それから復活し、努力をして自分のやりたい音楽に没頭する力を持っている。それに、過去のジャズにとどまらず、クリエイティブなジャズの世界を構築していくことができる。ましてや40歳という短い一生の中で、『平和』の使者を自らかってでている。こういう理由で新しい生命にコルトレーンとつけたのだと思う。それに、知り合いの息子もコルトレーンに似てハンサムである。このドキュメンタリーを見て意味がわかった。

コルトレーンがマイルスのKind of Blue(1959)に参加した功績は大きい。それに、マイルスがコルトレーンを首にした功績も大きい。私はマイルスを聞いて、コルトレーンのことを知ったと思う。記憶に自信がないが、当時、私の学生時代のジャズ気狂いというのはジャズの全てを知り尽くしていて、マイルスやハービーハンコック、マッコイターナー、ソニーロリンズ,ウェイン・ショータなど昼夜聞いている人たちのようだ。ジャズ研があって、一歩でも足を入れたら、その世界にハマるから敬遠していた。このドキュメンタリーにもそんなような日本の方が出演していたようだ。

ドアーズのドラム:ジョン・デンズモアもここで『Kind of Blue』とコルトレーンを絶賛していたね。クリントンもジャズの世界にハマった人のようだ。

Giant Steps:
John Coltrane - Giant Steps の中で、Naima は最初の奥さんの名前で、彼が作曲している。これ以降、彼は数多く作曲を手がけてようだ。

アラバマ:
Alabama (Live At Birdland Jazzclub, New York City, NY, 10/18/1963) · John Coltrane
Producer, Associated Performer, Soprano Saxophone, Tenor Saxophone: John ColtranePiano: McCoy Tyner Drums: Elvin JonesDouble Bass: Jimmy GarrisonComposer Lyricist: John Coltrane
を聞いてほしい。このアラバマは鎮護歌だね。バーミンガムの16番バプティスト教会で、爆破事件の余波で製作されたもの。四人の子供が死んで、多くの人が負傷した。これが当時の公民権運動に結びついた。

至上の愛:
John Coltrane - A Love Supreme (1965) Bass – Jimmy GarrisonComposed By, Tenor Saxophone – John ColtraneDrums – Elvin JonesPiano – McCoy Tyner
これなしでコルトレーンは語れないね。

蛇足メモ:
経歴を自分のためにまとめておく。1945年ハワイ到着したが、海軍の規模が縮小され、彼はバンドで演奏するようになる。ミュージシャンの評価は与えられず、海兵隊の一員となる。コルトレーンは憧れのチャーリーパーカーと一緒に演奏するようになるコルトレーンは1949年ごろからディジー・ガレスピー、アール・ボスティック、ジョニー・ホッジスのバンドで演奏。1955年に、マイルス・デイヴィスのバンドに入るが、コルトレーンの演奏はイマイチで、ウィントン・マルサリスは褒めていなかった。1957年に、マイルス・バンドを首になり、セロニアス・モンクのバンドに参加。さすがモンクで、音楽とはを伝授してるね。これが一番彼にとって生産的であったようだ。アルバム『コルトレーン』を出していると。
1957年『ブルー・トレイン』を吹き込んでいる1958年、マイルス・バンドに再加入する。
1959年、マイルスの『カインド・オブ・ブルー』
『ジャイアント・ステップス』を録音。
1960年春、マイルス・バンドを脱退。『マイ・フェイヴァリット・シングス』
1964年『至上の愛』を録音。1965年同年12月にマッコイ・タイナーがバンドを離れ、アリス・マクレオド(アリス・コルトレーン、1966年にジョンと結婚)が加入。1966年3月にはエルヴィン・ジョーンズも退団し、ラシッド・アリがドラマーに。1966年7月に来日。長崎をはじめ9都市を廻る公演を行う。彼の長崎の原爆に対するあつい思いには感激した。

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Socialjustice

1.5Zzz...

2022年4月29日
スマートフォンから投稿

インタビュー形式のドキュメンタリーはやっぱり眠たくなる。しかも、申し訳ないが日本人のコレクターのおじさんの自慢話などはどうでもいいので、素晴らしいライブ映像とかをもっとたくさん見せて欲しかった。でもやっぱコルトレーンはカッコいいな。未だ唯一無二の存在感。

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maru21

4.0ジョン・コルトレーンの「至上の愛」の意味を知る。

2022年2月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

自分は何のために生まれてきたのか。
教会の家庭で育ち、ミュージシャンとなり、マイルス・デイビスのグループに入るもドラッグに苛まれ退団。その後、立ち直り、復帰。『至上の愛』 - A Love Supremeは、最も優れた作品であるが、その背景となる彼の聖なる魂からの高み、そして限りなく広がる世界、宇宙。そこに至るまでの後半の彼のサックスプレイヤーとしてだけでなく、作曲家として、さらに神のような存在としての歩みを知って驚いた。
戦争を否定し、平和を希求する。日本に世界的ジョン・コルトレーン研究家がいて、1966年夏、日本ツアーを行い、新たな曲を演奏する。

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M.Joe