カツベン! : 映画評論・批評
2019年12月10日更新
2019年12月13日より丸の内TOEIほかにてロードショー
“活動弁士”という日本独自の伝統芸の語り手たちへの遥かなるオマージュ
周防正行監督といえば「Shall we ダンス?」では社交ダンス、「それでもボクはやってない」では痴漢冤罪、「終の信託」では尊厳死と、従来、映画が回避してきたテーマを徹底して掘り下げ、入念なアプローチによって傑出した映画的な作品に昇華させてきた実績を誇る。
その彼が新作で挑むテーマはカツベン=活動弁士である。明治から大正時代にかけて、無声映画の上映の際、楽士の演奏する音楽とともに独特の語りで内容を説明し、身振り手振りの派手なパフォーマンスで観客を熱狂させた活動弁士は、時には映画スターよりも人気を博した。そんな活動弁士たちにスポットを当て、併せて日本映画の黎明期が放つ青春の残り香を掬い取ろうという手の込んだ企みが、垣間見えるのだ。
主人公の染谷俊太郎(成田凌)は、幼少時から憧れた活動弁士に憧れるも、ニセ弁士として泥棒一味の片割れとなり果て、悪事にいそしむ日々。これではならんと一念発起、辿り着いた小さな町の活動小屋、青木館に雑用係として潜り込む。折も折、ライバルのタチバナ館が人気弁士の引き抜きを画策していた。
「カツベン!」は、たんにノスタルジックに日本映画の青春を回顧するのではなく、むしろ、当時の猥雑でいかがわしくもやくざな興行界をカリカチュアライズして描いているのが印象的だ。箪笥の押し引き、床の踏み破りなど、しつこいほどに繰り返されるベタなギャグもサイレント時代の古典的な笑いの意図的な再現に見える。「火車お千」「南方のロマンス」といった架空のサイレント映画を上映しながら、曲者ぞろいの弁士たちが朗々と語り芸を披歴するシーンが、もっとも精彩を放っていうのは言うまでもない。とくに酒浸りとなっている、破滅型の無頼派文士を思わせる山岡秋聲(永瀬正敏)は、明らかに徳川夢声がモデルであろう。前説の廃止という画期的な試みを行った徳川夢声は、トーキー以後も役者、そして元祖マルチタレントとして生き延びたが、「カツベン!」は、来るべきトーキーの脅威には一切触れずに、あくまで日本独自の発達を遂げたこの特異な伝統芸の語り手たちへ遥かなるオマージュを捧げているのだ。
(高崎俊夫)