荒野の誓い
劇場公開日:2019年9月6日
解説
「ファーナス 訣別の朝」でもタッグを組んだクリスチャン・ベールとスコット・クーパー監督による、産業革命後の開拓地を舞台にした西部劇。1892年、産業革命によって急速に開拓地や街へと変貌を遂げつつあるアメリカ・ニューメキシコ州。インディアン戦争の英雄で、現在は看守を務めるジョー・ブロッカーは、かつて宿敵関係にあったシャイアン族の酋長イエロー・ホークとその家族をモンタナ州へ護送する任務に就く。その道中でコマンチ族の虐殺によって家族を失った過去を持つロザリーと出会い、彼女も旅に加わることとなる。一行はなんとか厳しい辺境地を乗り越えたが、ある地点で互いの協力なしでは生きていけない危機的な状況に陥ってしまう。ブロッカー役をベール、ロザリー役を「ゴーン・ガール」のロザムンド・パイク、イエロー・ホーク役を「ジェロニモ」「アバター」のウェス・ステューディがそれぞれ演じる。
2017年製作/135分/G/アメリカ
原題:Hostiles
配給:クロックワークス、STAR CHANNEL MOVIES
スタッフ・キャスト
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2019年9月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
元来、クリスチャン・ベイルの主演作を観るにあたっては、かなり精神的な体力を要するのが常だ。それは内容そのものがハードであるというよりも、むしろ彼演じる主人公の歩む道のりがあまりに長くて険しいもので、彼と共に我々もまた大きな心の距離移動を余儀なくされるからだろう。
本作でベイルの演じる役柄もまさにそのような類いのものだった。かつてネイティブ・アメリカンと壮絶な戦いを繰り広げ、多くを殺め、また多くの仲間を殺された兵士がいる。彼が辿るべきなのは懺悔か、復讐か、それともまた別の道なのか。静かな存在感ながら、その体内には言いようのない葛藤と苦しみ、そして凄みが潜み。これが危険な任務を遂行する中で、少しずつ少しずつ、昇華されていき、その果てに到達する境地、表情にはとても胸迫るものを感じずにいられない。また、脇を固める俳優陣もそれぞれが素晴らしく、極めて味わい深いヒューマン・ドラマに仕上がっている。
30分で映画が終わってしまってる感じがした。30分ぐらいのところが一番感動した。あとは長~い蛇足みたいな感じがしたがラストシーンが良かったので良かった。フイルムで撮られているので写真がとても綺麗だった。 同じテーマのダンスウィズウルブス(1990)の方が良かった。
以下、映画が退屈だったのでうんちくを垂れてみることにした。
こういうタイプの映画は長い間作られなかったわけだが実はジョン・フォードが一本作っている。それは捜索者(1956)という映画だ。捜索者は一見すると一種の牧歌的な映画に見えるが実は違う。猟奇的にインディアンを殺す男の話だ。当時はそういう映画を作ることはタブーだったのだろう・・上手にミステリーチックに隠されていて分かる人にだけ分かるようにできていた。私がそこのところを解説しているのでよろしかったらどうぞ。
ちなみにこの映画の背景は1892年。歴史に詳しいわけではないが多分、南北戦争の20年後だ。1881年には OK 牧場でワイアットアープが悪党どもと戦った。それは「いとしのクレメンタイン(1946)」という素晴らしい映画になっている。その映画が撮られた頃はまだワイアットアープが生きていてジョン・フォードは直接取材したことがあるそうだ。ワイアットアープが決闘した頃、大草原の小さな家のローラインガルスは中学を卒業する年だった。彼女は3年ぐらい飛び級で学校の先生の資格を得た。あの一家がインディアンの襲撃を受けたかったのはただ運が良かっただけかもしれない・・多分そうなんだろう・・・
ほとんどのインディアンが死んだのは白人に鉄砲で撃たれたからではなくインフルエンザに感染したからだという情報がある。コロナで騒いでいる今の状況を見ると多分本当だったんじゃないかと思われる。
それにしてもコロンブスのアメリカ大陸発見は1500年頃のことだ。この映画の背景となった時代まで400年間も白人はインディアンを殺し続けてきたということになる・・・なんてこった・・・馬くらいくれてやらんかい。
2021年11月26日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
2021年2月1日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
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背景は侵略と抵抗と風化というアメリカ開拓史であるが、いわば人類史の縮図に過ぎず古今東西、人間の営みには血の臭いが付きまとっている。
冒頭から牧場一家の襲撃が描かれる、子供ばかりか赤ん坊まで殺される非道の描写、何の因果でこんな残虐な事件の目撃者にさせられるのか、本作を選んだ自身を悔やまずにはいられない。
クリント・イーストウッドの「アウトロー (1976)」も似たようなティストだったが本作よりは単純、目の前で家族を惨殺されれば復讐の鬼と化しても不思議はない、宿敵は北軍ゲリラの犯罪者だし銃が掟だったからまだ観ていられた。確かに復讐も戦闘も遂げてみれば訪れるのは虚無の闇、本作は先住民と侵略者の軋轢、勝者の視点、理屈で懺悔交じりに描いているが永い言い訳を聞かされているようで興醒めする。
邪鬼が人間に戻れるとしたら為すべきは償いの善行なのか、犠牲者の寛容や慈悲でもなく、ただ風化しかないのだろう。
確かに演者は熱演だし、タブー視されるテーマに挑んだことは評価を受けて当然だが生理的に合わない映画でした。