万引き家族のレビュー・感想・評価
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パンデミック
何にせよ、人聞や人気には臨界点があって、そいつを超えれば爆発的に拡がり、超えなければフェイドアウトの憂目に会う。
過大評価と過小評価が生まれる構図は単純なれど、制御不能であることはみんなよく知っている。
ちょっと拡がり過ぎかなぁ。
アットホームの判りやすさではダメだったのに、パルムドールの意味も知らない人たちが受賞作品に群がる。決して批判しているのではない。とにかく劇場に人を集めるコンテンツは貴重だから。
パルムドールと聞いて、どんなに素晴らしい映画かと思っていたのに期待ハズレだった、と言う人も多いでしょう。終わった後の顔を見れば分かるが、これは良い映画だよ。
松岡茉優を見直した一品でもありました。手脚の動きで心象、痛みまで伝わるもんなんだ。時間で性を切り売りしている時。時間を惜しみ痛みを共有しているとき。その違いは、素振りだけで、高い浸透圧で胸に染み入って来ます。見直しました。良かったです、凄く。
ほんものとは何か
本物とは何だろう、正しさとは何だろうと思う。薄い板切れの上で、細い糸を皆で握り締めながら穏やかな海を漂っているような時間が流れていく序盤。正しいとは言えない家族の形が、ひたすら優しくて、けれどそれが周囲から孤立して成立しているものだと思うほど哀しかった。中盤以降はずっと涙が止まらない。切なくて苦しいのに、主要人物たちの優しい温度が残っているままラストへ向かっていく。語っていることは少ないのに、多くの感情が散りばめられていた。心のどこかで「救われた」と思うのはなぜだろう。
貧困 家族 親子
東京下町の家族。
是枝監督作品は「そして父になる」のみ鑑賞済。それに比べると、単調にも思えた。上映時間の大半が彼等家族の日常を描いたものと考えれば、当然かもしれない。
現代日本における貧困を描いた作品。貧しさ故の家族の繋がり。そこには金銭等の打算的目的だけではなく、寂しさや愛情も含まれていたと思いたい。
後半の正論、そして終幕が胸に響く。その論理は確かにほとんどの家族に当てはまるだろうが、例外をどう補うのか。あぶれた方達を、どうケアするのか。
単純な「面白い」ではなかった、問題提起的作品。
『教えられることは◯◯◯くらいしかなかった』という寂しさの衝撃
難解なイメージもありますが、問題提起と回答は明確な作品だと感じました。「万引き家族」というキーワードの前半「万引き」が目立つので貧困や犯罪や日本社会にも思いを巡らせましたが、メインの問題提起は「家族」の方かなと思いました。この家族の大人は収入がありますので、本当の貧困だから万引きをするわけではないのだと思います。コロッケは普通に買っているし。
これは万引き(もしくは他にも明らかになる犯罪)によってつながっていた家族の物語です。
【問題提起】
家族の絆とは何か?何によって人と人はつながるのか?
【回答】
お互いが家族であることを確認しあうことで家族はつながれる、というメッセージなのだと私は読み取りました。
この映画を見ていると様々なパターンのつながりが示されています。
血のつながり、
金のつながり、
身体のつながり(男女関係だけでなく子供をぎゅっと抱きしめるスキンシップも含まれる)、
一緒に食事したり海に出かけたりという時間を共有するつながり、
助け合うことによるつながり、
教える/教えられるのつながり
そして犯罪を共有するというつながり。
「万引き家族」というタイトルそのものかもしれないけど、万引き以外にも過去に犯罪を共有しているという衝撃、そんなつながりもあるのか、と、驚いた。
しかし、血以外では全てつながっている治(リリー・フランキー)と祥太は、最後まで家族になりきれなかった、と、私は読み取りました。でも、その理由は血がつながっていなかったからではありません。
「お父さん」と呼んでほしい治も、わざと見つかるように万引きをして警察から家に連絡させる祥太も、お互いが家族であることを確認しあいたいのだと思うのです。
駄菓子屋(柄本明)の言葉に動揺する祥太は、悪いことだから万引きを辞めたいのではなく、治に父親として世の中のことを教えてほしいのだと思います。「お店に売っているものは、まだ誰のものでもないから万引きしても良い」という理屈と同じように、車上荒らしをやっても良い理屈を治から教えてもらうことで、祥太は安心したかったはずです。ですが、きちんと祥太と向き合わない治。
治は寂しい人だな。取調室での「教えられることは万引きくらいしかなかった」と発言するシーンで、私は最も寂しさを感じました。祥太を置いての夜逃げも、最後に「お父さんからおじさんに戻る」という告白も、バスに乗る前に引き止めるのでなく発車した後に追いかけるところも、寂し過ぎる。苦しい。辛い。
こうしてお互いを確認しあえなくて崩壊した家族は、この家族だけではなさそうです。貧困ではなく血もつながっているであろう、ゆりの家族も、亜紀(松岡茉優)の家族も、きっと同じ。どうやら、お互いが家族であることを確認しあえない原因は、貧困とは別のところにありそうです。
原因は、「教えられることは万引きくらいしかなかった」という言葉の奥にある治の自信の無さなのでしょうね。寒い日に外で凍えているゆりに気付いて手を差し伸べる温かさもある、遅くまで帰ってこない祥太を探しに行く優しさもある、しかも怪我をすれば(善悪は別として)高額なルアー万引きのような新しい稼ぎを思いついたり遺体を床下に埋めたりといった行動力もある頼れるおじさんだとも思いますが、きっと自分に自信が無い。
『でも、他にも教えられることはいくらでもあったでしょう?』って、治に言いたくなりました。そして、『祥太の不安を受け止めてやってよ!』とも。
いや、でも、あれだけ自分自身が寂し過ぎる治には受け止めきれないか。。。この自信の無さや寂しさを解消するには、やはり家族のつながりは必要なんだろうか。これでは理屈は堂々巡りだけど、そうなんだろうな。自信が無いから家族であることを確認しあえない、家族であることを確認しあえないから自信が無い。いつまでも寂しさのループから抜け出せない。そして、お互いが家族であることを確認しあえなければ、血がつながっていても、裕福であっても、家族は崩壊する。辛いな。
寂しさのループを抜け出したいのならば、まずは、お互いが家族であることを確認するところから始めていくのだろうな。
決して後味が良い映画とは思いませんが、いろいろ考えさせてくれる良い映画ですね。松岡茉優さんは、いつも通りカワイイです。
是枝さんの誠実さ、心で演じた俳優陣
主人公は擬制の家族。ただ、今流行りのシェアハウス的な気の合う者どうしで作る家族とは違い、治と信代以外は、なりゆき上一緒に暮らすようになった家族。
仲むつまじく暮らしているように見えながら、実はほとんどカネに関する会話しかしていない。いや、カネの話を明け透けにして、自らの釣果を誇りながらも、それを分け合う必要性を恋慕や慈しみによって認め合うことで、かろうじてギスギスしない。この関係こそ、仲むつまじさの正体なのだ。
そのことをさりげなく炙り出していく、是枝さんの細やかな作劇、俳優陣の心のこもった、それでいて自然な演技が、素晴らしすぎた。
星4つなのは、警察の聴取が家族の秘密を露わにしていくラストの展開。治の怪我や信代の解雇で露わになる綻び、祥太のスイミーの話を聞こうとしない治、治の手品の仕掛けを一人で知ってしまう祥太と、伏線はばっちりだったのに、なぜ最後の種明かしは公権力によってなされたのだろう。
確かに、あるべき家族像を押しつけてくる「常識」の象徴として、警察はぴったりだったかもしれないし、個々の共同性を公権力が壊しにかかっている現代の暗喩としては優れているのかもしれない。しかし、今の時代もっと怖いのは、ギリギリで生きている人びとの共同性が、目に見えない微細な力で内部崩壊を起こしてしまうことだ。この家族は、逮捕をもってしなくても、お互い疑心暗鬼になって離れてしまう爆弾を抱えていたのだから、より徹底した内面的な離反があってからの再生を描いた方が、観る者の心をより強く揺さぶり、明日を生きる糧にもなったのではないかと思う。
いろいろと考えさせられる作品です。
・今日の社会問題についていろいろと提議されている作品
・決して褒めることは出来ないけど、温かい人達のストーリー
・演者さん達の熱演が光ります
・音声の無いセリフのシーンは、熱くなった
家族共同体が崩壊した人達の築く家族共同体
序盤から中盤は万引きを日課としている下層の家族の日常が描かれる。しかしながら、翔太が父親であるはずの人をお父さんと呼ばなかったり、ゆりが誘拐報道されているなど、普通の家族ではない伏線がところどころにある。
終盤になると、それまで家族だと思われていた人達は血のつながった家族ではなく、それぞれの家族共同体が崩壊した人達の集まりであるということが分かる。万引き家族は疑似家族だったのだ。
疑似家族でありながら、一家団欒の食事シーン、海水浴のシーン、散髪のシーンなどの偽家族はとても幸福そうに見えた。家族共同体が崩壊した人達が家族共同体に飢え、そして欲しているようにも思えた。
期待通り
最終日直前、やっと見れた。話も知ってたし、名シーンも知ってたけど、やっぱり凄かった。ちょい役に名優たちを使うところも粋。安藤サクラの取り調べの泣くシーン、秀逸。寄せ集まった血の繋がらない家族、絆が強いとか言ってるけど、ボロが出てからは結局他人。でもそんなもん。りんちゃんやしょうた、あきの本当の家族よりはよっぽどマシ。一緒に住んでた時の幸せは本物だったのだろう。りんちゃん、大丈夫かな。これが日本の現実なのかな。
家族を作りたくなった
孤独に生きて行く自分の将来を想像してしまい怖くなった。
恋愛や結婚ではない新しい型の家族が話題になっている昨今、こんな家族も楽しそうだなと思わされて私も家族を作りたくなった。
松岡茉優ちゃんと樹木希林さんのシーン良かったなぁ。
家族とは居場所
違い例え繋がっていなくても、
そこに居場所があることが、家族なんじゃないかと、気付かせてくれる作品。
ストーリーは淡々と進んでいき、驚きの展開やオチを求めて見てしまうと、ちょっと物足りなく感じるかもしれないです。どういうことだろう?と疑問をいだきながら、最期までちょっとしたモヤモヤが残ります。笑
途中の描写は、家族そのものでした。
映像の中では、季節が何回か回っていて、確実にそこにいる人が変化しながら、元には戻らない時を過ごしている寂しさや、やるせなさを感じます。
特になんてことのない映画なんらケロ、オモシロイお(っ´ω`c)もう...
特になんてことのない映画なんらケロ、オモシロイお(っ´ω`c)もう思い出せないくらい淡々としたストーリーらケロ、見ている間、家族のひとりになったような幸せを味わえる映画れすよ(∩´∀`∩)
スイミーの強度、儚い個の集まり
スイミーは何故、仲間と集まったか、知ってる?
この祥太の言葉が、この作品の本質を表す。
スイミーを読み返してみると、スイミーは、外界の脅威に怯え小さな洞穴にじっと身を潜めて暮らしていた仲間に、自らが外の世界で見てきた美しく、雄大な光景を見せてあげたい、その思いで集まって大きな魚となる事を提案していることがわかる。
繋がっていないからこそ繋がろうとするのである。
血の繋がりはない。だが、似たような境遇で、1人では世の中から掻き消されてしまうような儚い存在...そんな彼らだからこそ、互いに繋がろうとし、自分だけでは知り得なかった世界を経験する(させる)のである。そのつながりである「悪」によって、彼らの「善」が明るみになるのである。
個では何とも儚い存在である彼らが、集まって擬態することで、実際以上の強度(繋がり)を持つ...これがスイミーの主題であり、『万引き家族』の主題である。
家族より家族らしいなら異常だっていいじゃないか。
幸せすぎては見えない、明るすぎては見えない。異世界における豊かさ、陰の中にポツンと煌めく幸福こそ、平和すぎて盲目となっている現代に響く普遍的主題だ。
想像通りかな
鑑賞して、数年前尼崎であった、他人同士暮らしてて最後にはリンチや多数の殺人になってた事件がネタなのかな?とか思った。
あれを日本の事件といえるのかは、犯人のほんとの国籍とかも日本だかわからないのでどうかなと思うけど、
要するに昨今の日本素晴らしいという風潮に対しての日本ディスりたいのかな?と思いながら観た。
感動するだとかそんな映画では当然なくて、ひたすら暗い背景だとか見せつけてるみたいなね。そりゃまあ安倍さんも何も言わないわけだ。
まあ、ある意味一面かもしれないけど。
情緒とかテーマもない気がする、単に暗い閉塞感のある住みにくい日本なんですよ〜と、言ってるような映画では?
大体「万引き家族」なんて美しさも身もふたもないタイトルな訳だし。
なんかの意図があるのかな〜とか、癖というかつい思っちゃって、
マスコミさんは作りたいし、賞も与えたいんだよね、こういうの。
個人的には、安藤サクラさん、好きだから残念。演技いいのに、勿体無いなって思います。
この映画を観て感動しなかった自分にホッとした(長文)
題名から嫌な予感がしつつ色々と話題になっていたので鑑賞・・・でもやはり見なけりゃよかったかな
(注)以下、鑑賞後に感じたモヤモヤをありのまま書かせてもらいます。長文で辛辣な内容も含むので
この映画が大好きで「最高!泣けた!」って方はどうぞスルーして下さい(意見には個人差があるので)
まず、万引き家族(リリーさん達、以下カゾク)が文字通り人の物を平気で盗む人達でドン引きしました。
映画とはいえ普通の人が平気で盗みをするシーンは見て余り気持ちよいものでないけど、この映画は更に、
親代わりの大人達が子供にノリノリで盗みをやらせてます。本作は「家族とは何か」がテーマだそうですが
反社会的なことを家族(特に子供達)に絶対やらせない、それが問答無用の家族の基本じゃないですかね。
それがデタラメな時点でこのカゾクの大人達に対する共感、感情移入の余地がほぼ完全に失せました。
そもそも子供への犯罪教唆って相当悪質な虐待行為でしょう、それをさも、この人達がなにか特別で、
問題を抱えながらも実親の虐待から子供を救った、愛ある優しい人達のように描かれていることに
最後までものすごい違和感を感じました。ぶっちゃけ、虐待から別の虐待に子供たちが流されていく話が
そんなに感動するような話なんですかね(みんなよく平気で、しかも感動して観ていられるなぁ笑)
普通、あの少年ぐらいの歳なら周囲の大人に隠れてやる行為(見つかれば厳しく罰せられること)が
反社会的行為であることぐらい肌感覚で「すぐに」わかるはずなんですよ。小さい子供にだって良心は
あります。ゆえに万引きをすること、させられることに対しての心の痛みはあるはずで、だけどそれを
最初から描いてしまうとドラマにならないし、犯罪をさせてる、黙認しているカゾクの面々がまさに
虐待者そのものであることが観客にバレてしまう、なので原作、脚本、演出をされているカントクさんは
その様な「現実味のある話」にはしないで、盗みを教え「犯罪行為を暖かく見守り黙認しているカゾク」に
少年達がなついている風な、ご自分のカゾクファンタジーに都合の良い話に仕立てているだけでしょう。
本作の評価の分岐点は多分、この倒錯した「カゾクファンタジー」に乗れるかどうか
つまり、よそんちの小さい子に犯罪をやらせてる大人達が、あろうことか自分達を父ちゃん母ちゃんと
呼んで欲しいとその子に求める、実際そんな大人がいたら世間が許さない様な全くふざけた話なんですが、
これで泣けますか?って事です。自分は全然ダメでした。なので後半のサクラさん達の熱演も
こいつら何自分勝手なこといって自分に酔ってやがるんだって冷ややかにみてましたね。
又、この映画の売りは現実問題を直視させるという事らしいですが、それならば実際にこのカゾクが自分の
近隣に住んでいたらと想像してみたらいいと思います。人の物をノリノリで笑いながら盗るような人達が
いろんなところから集まってきて一軒家で共同生活をしている、田舎などによくある無人販売の売り物など
余裕で盗まれるでしょう。いざとなれば老女(希林さん)の顛末も含め、法を破る行為も仕方がないな、
これも自分達の生きる権利だとばかりに開き直って平気でやる、そんな人達が自分の近隣に住んでいて、
本当にこの映画のレビューのように親近感を込め、泣けるとか、切ないとか感情移入して言えるんですか?
ということです(周りの迷惑、苦しみに無頓着な人への感情移入は自分には無理です)
実社会では平気で嘘をつく人、平気で人のものを盗る人は疎まれます。これは避けられない現実でしょう。
ゆえに、そうならないよう大人は子供達に「嘘はつかない」「人のものは盗まない」という最低限の
社会ルールを教えねばなりません。家族というのは単に一緒に遊んでワイガヤする面だけでなく、きちんと
社会で共存し、疎まれずに生きていくための最低限のルールを教える場という役割もあるはずなんです。
実社会にでたらすぐにわかりますが、わざわざ他人に社会的ルールを教えてくれる人などめったにいません。
だからこそ家族(あるいは学校)で教わる事が大事なんですよ。なのに、少年を学校に行かせさせないわ、
盗みを教えるわの虐待だらけ、そのくせ映画はタイトル含め「家族」「家族」って連呼する、この異様さ。
そもそもこのカゾクの面々、盗まれる側の事を全然何も考えてないですね。そんな、他人が悲しみ怒る事を
平気でやり、子供にやらせる自分勝手で最低な大人達のどこに愛情ややさしさがあるのでしょうか。
その盗んできた品々を使って子供達と海に川に遊びにいってワイガヤの楽しい思い出作り?これって良い話?
子役をはさんでみんなで笑顔で遊んでるシーンをみせとけば家族に見えるってか(笑)、みえねえよ(笑)
家族って多分、お金にせよ時間にせよ限られたものを互いに分かち合い、譲り合う事で愛情が芽生えて絆が
高まるものでしょう。例えば「これ父ちゃんの好物だけどおまえにやるから食べろよ」とか、子供が限られた
小遣いをためて親にプレゼントするとか、そんなところにドラマがあって泣けるんじゃないですかね。でも
本作の場合、欲しいもの?そんなの盗めばいいじゃん、誕生日プレゼント? 言えば盗ってくるよ、って
そんなゲスなノリでしょう。つまり限りあるものをわかちあう家族としての「器の底」がぬけているんです。
その、いざとなれば盗めばいいじゃん、子供だって見捨てればいいし法律?何それってノリからくる無責任な
明るさ、そしてその余裕からくる別に一人増えても二人増えても同じじゃん、助けてやろうや的軽薄なノリを
「優しさ」とか「思いやり」とかの別の何か良いものにカントクさんのファンタジー演出で見せているだけ。
そして多くの「心やさしき」観客がその「是枝マジック」に酔っ払っているだけの映画、っていうのが自分の
正直な感想です。自分には全然この映画は響きませんでしたし、万引きカゾクは家族には全然見えなかった。
(カンヌという権威、是枝マジックという映像力、多数の好意的レビューに負けなかった自分の感性に感謝)
まとめ
既述の理由で子供達にはまず見せたくないし、これから家庭を作ろうという人達(特に若い人)にもあまり
みせたくない映画です。家族はタイトルだけでどこにも家族なんか描かれてません。カントクさんの個人的
カゾクファンタジー映画って感じ。役者さんの演技力とカントクさんの映像力(洗脳力)は満点に近い
ですが、その内容はといえば陰鬱かつアナーキーで、虐待から救った様に演出されているカゾクもまた
虐待者というシュールな話ゆえに大幅減点。差し引き1点台の自分にとっては二度と見たくない映画です。
追記
万引きには嫌な思い出があります。子どもの頃、近所に優しいおばちゃんがやってる小さな小間物屋があって、
自分は買うものが特になくても立ち寄って可愛がってもらっていた。ある日、同級の奴が何も言わずに一緒に
ついてきて店に入ったと思うや否や万引きを始めた。子供の自分にも丸わかりだったのでおばちゃんもすぐに
気づいたと思う、だけどおばちゃんは何もいわなかった。自分も頭が真っ白になって何もできなかった、ただ、
こいつに万引きの手引きをしたと思われてないかとか、自分も普段から万引きをしていると思われないかとか、
それよりもおわびに何か買わなきゃとか、そんな事が頭をぐるぐる回っておばちゃんとその後なにを話したか、
どうやって帰ってきたか、その後のことはよく覚えていない。でもあの時のおばちゃんのものすごく何かを
いいたそうな寂しげで悲しい顔は今でも思い出すことがある(その後つらくて二度と店には行けなかった)
万引きってイジメに似ている。やってる本人はノリノリで楽しげだけどやられた方はきつい。そして小さな
イジメがきっかけで暴力がエスカレートするように、万引きがシビアな犯罪の入り口になる事もある。更には
むかし小売の店員のバイトをして感じたことだけど、お客さんを「盗むかもしれない人」の様に疑うのって
とてもつらい。万引きってそんな具合にお金や物を盗む以上の何か大切なものを壊しているような気がする。
その万引きを、家族と結びつけて得意になっているこのカントクさんの感性に自分はそもそも共感できない。
以上、普段はマイナスレビューを書かない主義ですが、このカントクさんが「同調圧力の強い国(日本)の
中で、多様性の大事さを訴えていくのはすごく難しい」と仰せなので、絶賛意見が大多数の本作のレビューに
こんなマイナスの感想をもつ観客もいるという多様性を訴える意味を込め、あえて批評を書いてみました。
そして何よりも、このレビューをあの小間物屋のおばちゃんへの懺悔の気持ちと共に、目の前で起こった
万引きを止められなかった子供の頃の自分に捧げます(ここまでの長文をお読みくださった方に感謝です)
注)
意見には個人差があります。このレビューは一意見にすぎません。それぞれがそれぞれの感想をもって当然
ですので、本レビューに関する議論は差し控えさせていただきます。異論、反論のある方は、ご自身の映画
の感想として個々にレビューされることをお勧めします。
置き忘れてきたもの
ヒトが人たる所以は、社会をつくること。その最小単位が、家族。その家庭に問題があると、社会性に問題がある人になる確率が高まるとか。負の連鎖の始まりです。
常識という単語が機能しない時代。家庭とか、親子関係の土台になる何かを、私たちはどこかに置き忘れてきたようです。
映画は、男の子の成長が、家族(本作を観てると、家族の定義が分からなくなります)を、次のステージに連れてゆくことになりましたけど、やはり、気がかりなのが、ラスト。どうしても、映画より暗い、現実の事件と結びつけてしまいます。
断罪と断絶では、何も解決しない…。監督さん、テレビで、現実の事件について、コメントしてました。本作にその答えがあるかどうかは、ともかく、制度としての家族より、ヒトがヒトを、大切に想う共同体が、あって欲しいものです。合法的にね。
海外でも、受けたそうですね。やはり、地球規模で砂漠化しているんですかね。ヒトの心。
追記 よその方の感想文を、少し拝読。本作は、ご見物の、これまでに見てきたもの、体験したことで、大きく印象が変わるようです。リトマス試験紙みたい。そして、実体験として、負の連鎖を乗り越えた方のコメント。己の無知を恥じるばかりです。
語れる映画
ヒェ〜、こんな家よく探して来たよね、と思ったが、こういう家はある。ただし大抵は一人暮らしで社会とあんまり接点がない人が住んでいる。
あぁ、このばあちゃんは始め、一人暮らしだった、そこに得体の知れない人たちが家族のように集まって来てたんだ。
だから子供を育てている筈なのに、家の中の乱雑さは気にならないのか、ばあちゃんに遠慮してそのままの状態で生活している。
ある意味、ばあちゃんは、もちろんのこと、母役、父親役の人たちも多分
まともな生育歴を得られなかったんだろう。
生きて行くために、ちょっとだけ何かをくすねるなんて事は、罪だとは思っていない。在るものを、在るところからもらうだけという意識。
同じように、ちょっとだけ気の毒な子どもを居心地の悪い場所から移動させてあげただけの家族ごっこ。
この映画の中でうまいなぁと思ったのは、安藤サクラとリリーフランキー、そして、ちょっとだけ出る池松。
安藤のスリップ姿は艶めかしくて、2人の絡みシーンは、全般にドヨドヨ している映画の中で"生"を感じた。なんでこの二人が夫婦⁈って感じなのに、何かありそうと思わせた場面だった。
でもそれ以上なのが、リリーフランキーだ。道徳心の無い有様を漂わせる佇まいや、小狡そうな目つき、スケベな感じ。あー居るよねー、こんな感じの人!それを演じているリリーフランキーは凄いし、ピッタシの配役。池松は何か哀しみを秘めた目が印象的だった。
この映画は後からあとから色々な場面が蘇り、自分の中で熟成され色々語りたくなる映画である。
よくぞ作った、監督。
賞をくれた人たちは、見る目があるなと思う。
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