ビューティフル・デイ : 映画評論・批評
2018年5月29日更新
2018年6月1日より新宿バルト9ほかにてロードショー
映画と共振する、台詞でなく物語るフェニックスの雄弁な肉体
幸福に輝く人は素敵だ。見ているだけでこちらも妙にうれしくなる。「いい日ですね(ビューティフル・デイ)」と思わず声をかけたくなるような――そんな顔をつい最近もカンヌで大賞を射とめた「万引き家族」の是枝監督に見出したばかりだが、そういえば去年の授賞式ではタキシードにバスケットシューズで主演男優賞を受けたホアキン・フェニックスがまさに曇りない晴天みたいな顔をしていて、思わずこちらも幸福な気分に満たされた。その彼と、その受賞作「ビューティフル・デイ」を書いて撮った(脚本賞受賞)リン・ラムジーとが、互いを必死に励まし合うはにかみ屋の姉弟然と臨んだ記者会見での、いかにも不器用に世渡りを持て余している様子、それでも真摯に答えようと言葉を探す様もまた微笑ましく、そんなふたりの映画を早く見たいと中継画面に惹き込まれた。
それから一年。漸く目にした「ビューティフル・デイ」は撮りたい世界を頑固に掴み取る監督ラムジーと、その熱意と妥協のなさに心底、共鳴し、迷いなく伴走するフェニックスの覚悟をきりりと結晶させ、期待に違わぬ快作となっていた。前作「少年は残酷な弓を射る」から7年、長編デビューからは20年を経てまだ4作目という監督の寡作の理由を裏打ちして、ヒット作のレシピとみごとに無縁の新作は、行方不明の少女救出を請け負った元兵士の仕事人ジョーの頭の中(打ち上げ花火の爆音が絶え間なく鳴り響き、砕けたガラスの破片がざくざくと突き刺さっているようなと監督は述懐している)の景色を軸に、垣間見える虐待や戦場の記憶、その傷み、そうして募る自殺の願望をどこまでも親切すぎる説明ぬきでみつめ切る。
その断固とした歩調の貫き方。贅肉のない語り口。時にそれは不可解さを呼びもするけれど、寡黙な映画は例えば父の暴力を共に耐えた母との暮らしの今、TVで彼女が見たという「サイコ」の殺しの効果音を現実で踏襲してしまうもう若くはない息子のうんざりと倦んだ心に染みついた拭いきれないやさしさを確実に、鮮やかに、観客に手渡してゆく。そこで“死に至る病”絶望をひげ面の巨体、鬱蒼と降り積もった肉の重みの悲しさでこそ象るフェニックスの怪/快演! 前作のエズラ・ミラー、そして今回のエカテリーナ・サムソノフと美形発掘能力も見逃せない監督リムジーだが新作で探り当てた最大の美は、どす黒い闇の向こうにふと浮かぶ微かな希望に至るまで台詞でなく物語るフェニックスの雄弁な肉体、映画とのフィジカルな共振に他ならないだろう。
(川口敦子)