日日是好日のレビュー・感想・評価
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出会ったものを大切にする心
何度も読んでる原作の映画化なので、ドキドキでしたが。
すこーしバランスの悪さはあるものの、原作にあまり余計なものが足されていなくて良かったように思います。
もっとそっとそーっとなが〜く感じていたかったなぁ。出会ったからには時につまらなくても楽しみながら長くお付き合いできる関係でいたいものです。
お茶を通して感じる人生
先を急ぎ何かに焦っている日常に疲れた時、心を穏やかにしてくれるような映画でした。
人はいつも理由や結果を求めがちですが、ただそこにあるものを感じて味わう事の奥深さを感じました。
抹茶の香りや舌触り、菓子の甘みや美しさ、水の音
五感を整え、体で感じる茶の湯
その空間を通して研ぎ澄まされていく心
流れゆく時の中でじんわりと噛みしめる人生の機微
ゆっくりと繰り返す中でわかってくるものを味わう事が出来れば、何気ない日々が美しさと幸せで溢れている事に気付けるのでは?そんな心の持ち主でありたいと思いました。
一つ一つの所作の意味は何だろう?
お茶にかかわってみたくなった。
茶道における、この所作は何のためにあるのだろう?
一つ一つの所作の意味は何だろう?
黒木華の台詞と同じ事を思っていた。
多分、答えは無いのだろう。所作を無条件に受け入れるプロセスを通じて得るものがある。
樹木希林も言うまでも無いが、黒木華の存在が際立つ。
他の女優とは一線画して、黒木華のこれからの活躍が楽しみ。
ありそうでなかなかなかった現代劇の茶道映画
映画館では2018年10月15日イオンシネマ石巻で鑑賞
原作未読
「にちにちこれこうじつ」と読むらしい
日日是抗日ではない
都会的で文化的で知的な映画
美しい日本を味あう作品
樹木希林がお茶の先生役
黒木華と多部未華子は従兄弟同士でお茶の生徒役
美人とは云い難い3人がメイン
黒木華の自然な笑顔が可愛くて大好きだ
本当の邦画ファンなら茶道に興味がなくても樹木希林黒木華多部未華子3人のポスターを映画館のロビーで見かけたら観たくなるのが当然でそうじゃないならもぐりだ
色とりどりで艶やかな着物姿の数々に自分の目がハッキリと喜んだ
派手な多部未華子より純和風な黒木華の方が着物がよく似合う
茶道の知識が得られるが自分にとっては実用的じゃない無駄知識だ
自分が通っていた高校にも茶道部があったが当時はお茶とお菓子を食べるだけのお気楽な部活だと羨ましかったが入部する気にはなれなかった
いま思えば少なくとも帰宅部よりはちょいブスたちとワイワイやってた方が楽しかっただろうなと少し後悔している
やりたい仕事がないなら結婚という選択肢がある人は良いよなあ
懐かしい所作
お茶は習ったことはなかったけど
親戚に連れられて何度かお茶会に行った
全てが懐かしい所作であった….美しいね
他のお稽古事で着物は日常的に着ていたけど
もうここ15年、そんな習慣もなくなり
着物を着るなんて大ごとになってしまった
着て帰ってからの始末も面倒だしなー
毎週土曜日24年
独身女性のなせる技
良縁を求めて御朱印集めする30代女子のイメージ
でも、ひとつことを続けてきたのは良かったのじゃないかな…
大森立嗣、もうちょっと面白く出来たんじゃない?
私も道が大好きです
私のような多部未華子ファンにとっては、彼女の出番が少なく不満である。それに、彼女がいてもいなくても、あまりこの映画では重要でない。ということは、多部未華子は客寄せのため出演させられたのかな?それでも、多部未華子の茶道に対する真剣な眼差し、凛々しい着物姿を堪能できただけでも満足ではあったが。まだまだ女子大生役も違和感ないですね。というか、「お茶って変」とか、セリフを含めこの映画の役としては多部未華子そのままと言う感じで、ファンとしては貴重な映画の1つになった。
話は中盤まで、茶道のノウハウを教える映画か?と思えるほど茶道のことがばかりで、物語はないのかと心配してしまった。中盤からようやく物語らしきものが展開してくるが、それでも特に山場というものがなく、相変わらず淡々と茶道を中心に進行して、結局そのまま終わってしまう。ただ、茶道の奥深さ、和菓子の美しさ、茶室の素晴らしさは伝わってくる。また、虫の音、雨音、水(お湯)の音等、自然の音にすごく拘っていて、耳を研ぎ澄まして聞いているのも心地よかった。
強いて山場というものがあるとすれば、父親の死であろう。せっかくフェリーニの「道」について言及していたので、父親の死に際して、自分も非情なザンパノ(「道」の主人公)だったんだと重ねても良かったと思う。例えば、父に冷たくした後に死んでしまったとか。この映画では、父親が彼女のマンションに立ち寄ろうとしたのを用事があるため断っただけなので、ちょっとそれだけではザンパノと同類にするにはゆる過ぎる。いずれにしても、冒頭の10歳の時に両親に連れられて「道」を見に行ったという話は、何らかの伏線になっていたのではないかとある種の期待をしていたのが、単に大人になって見たらその良さがわかったという単純な話だった。それにしては、「道」は両親が10歳の子に見せるような映画ではないと思うのだが。時代設定から、ロードショーではなく、リバイバル公開で見たということになるが、この映画を見ている人で、「道」を見た人が果たして何人いるのだろうか。「道」という映画を引き合いに出すのはちょっと不自然な気がしてしまう。
最初から最後まで心地よかった
まずタイトルの入りが実に美しく、とても印象的でした。
冒頭のフェリーニの「道」と、「道(どう)」を引っ掛けてるのも面白い。良い作品の予感がしました。
茶道の美しさと厳しさに触れる、現代の女の子の話。
メインとなる三人の役者で回っているのですが、何だかんだと樹木希林が持っていってます。そして今回は実に可愛らしい。
厳かなイメージの茶道ですがイベント事は別なようで、皆バーゲンに群がる女性達のように賑やか。
それがまたみんな、少女の様な顔をしているんですね。
最初はパッとしなかった黒木華も終盤では実に堂々とした着物姿で、柔らかながらに凛とした佇まいは流石の演技力だった。
私は武道しかちゃんと触れていないのですが、「道」とは生涯を通じ寄り添い修める事と思います。
そしてまさにそれを地でいくよう描いた作品でした。
最初から最後まで、とても心地よかったです。
茶道を習った人なら
楽しく観れました!所作が似ているから本当に楽しく、そして懐かしく・・しかし後ろにひっくり返る人なんていませんよね。茶道を通して成長していく主人公。かけがえのない人との突然の別れ。しっとりとした良い映画でした。主役の黒木華さんは紀宮さまによく似ていますね。特に目とか、上品な口元とか。
本を読んでから観ました。
私は原田マハさんの本を読んでから最近映画を観ました。
このお話は大好きで、「一期一会」の大切さをとてもよく教えてくれるお話です。
お茶の一つ一つの入れ方に主人公は「なぜ?」と意味を聞くシーンがあります、映画ではその一つ一つの細かいお茶の入れ方や作法を細かく話す樹木希林演じる先生が
見ている私も思わず「なぜこんな面倒な淹れ方なのかな」と問いたくなるようなシーンになっており、とっても良かったです。
まるで主人公と一緒に、お茶を習っている気分になります。
ネタバレになりますが、私がこちらのお話を読んで観て思ったのは
考えるより感じろ、ということかと思いました。
日日是好日という言葉はその日をありのままに。
という意味がありますが、まさにその時その日を感じ、ありのままにいること
それがとても大事なことなんだと思わせてれるお話です。
自粛期間中、「やることがない」「つまらない」と思いがちですが
そんなことはなく日々の些細なことに楽しみやその時の幸せがあるということ
とても深くて素敵なお話でした。
樹木希林さんの演技は本当に素晴らしいです。
引き込まれます、本当にお茶をやっている先生みたい。
黒木華ちゃんの演技も、原作の主人公とピッタリだと思います。
後半がいい
疲れたとき、困ったときは、
メリル・ストリープ(米)
ヘレン・ミレン(英)
樹木希林(日)。
頭でばっかり考えてはいけない。
五感を使って感じることも大切。
沁みた。
そして、話には聞いていたお茶の四季を垣間見られたのも楽しかった。
やめたくなったらやめればいい。
美味しいお茶を飲みにくればいい。
あんな言葉をかけられる人になりたい。
綺麗になる黒木華。
こういうことの良さを見い出せる黒木華、だから長い年月をかけて少しずつだが確実に綺麗になる。
この伸びを愛でる一本。
樹木希林の分かってる感の盤石は「モリのいる場所」と併せて見ると楽しい。
この喧騒の令和、静かに落ち着いて暮らしたいものだ。
モチベーションを感じない
お茶事の稽古を通して二十四節気の巡りと主人公の人生を淡々と描いた映画。
こう書くと綾鷹かおーいお茶の映画のようだが、果たしてそういう想像を上回れたかどうか。結論から言えばそれは叶わなかったようだ。
ありふれた街並み。畳に座って悟達の域に達してるいつもの樹木希林。和の季節感と人生・日常生活。こんなお題が並ぶと是枝監督を否応なく想起するし彼はそういうのを非常に上手く撮るが、この監督はちょっと狙いすぎて失敗したように感じる。
茶器やお菓子はとりあえず正面からアップのインサート。庭や自然はハイビジョンテレビやビールのCMのような綺麗なだけの撮り方。風景も小道具もセリフも全て深みがありそうでない。一言で言えば記号的だ。あえてそうしたというよりは、監督があんまり茶道や日本の芸道を通して感得する世界観や美意識を汲み取れていないと感じた。
主人公の32まで独身実家暮らしのアルバイターの身分でのほほんと毎度新しい着物着て茶道教室に通い続けているというのはかなり特殊な事だと思うが、そんな彼女の私生活については全然掘り下げずモノローグでぶつ切りに挿入されるだけ。完全に観客置いてきぼりで、今どういう状況・心情なのかも年月ごとの心情の変化もさっぱり分からない。共感どころか彼女についてほとんど何も知ることが出来ない。最低限そこはしっかり描かないと人生の「道」感が全く伝わらないと思うのだが。それは原作エッセイで補完してねという事だろうか?だとしたらこの主役のいる意味とは何なのか。
フェリーニフェリーニ言ってるが時が経たないと分からないものの象徴みたいに扱うのは失礼だ。彼の代表作『道』とこの映画を重ね合わせようとするのも本当に失礼だ。
最後にモジって締め
「この映画で起きることはいつも突然。心の準備なんか出来ない。後はその悲しみに2時間をかけて慣れていくしかない。」
お茶の時間
週に一度
掃き清められた玄関アプローチを過ぎ
拭き清められた明るい廊下を通り
お稽古の部屋へ。
庭、花、掛け軸、お茶の道具、和菓子などから
いまの季節や先生のおもてなしの心を味わい、
お茶をいただきながら
先生と何気ないおしゃべりを楽しむ。
通わなくなって久しいけれど
お稽古の続く映画を観ていたら
あれはかけがえのない幸せな一時だったなあ、
先生との出会いも大切な一期一会だったなあと
お茶の時間の良さを思い起こした。
まさに、お茶のような映画
派手さはないが、観た後色々考えてじんわりしみてくる映画。
これはエッセイが原作なんですね。まさか、こんな長いスパンを描いているとは思わず観たので「20年も時が経ったの?!」と驚きましたがなるほど。
人生山あり谷ありの中で、いつでもブレない習慣があるのって良いなと思いました。
お茶は、一期一会をかみしめたり(映画の中でも言われていた「この人とはもう会えないかもしれない」ということ)、季節を味わったり、昔の人には色々意味があったのでしょうね。
最後は世代交代を思わせる終わり方で、樹木希林さんが亡くなったこととリンクして深い余韻をかんじました。
茶道つええ
この映画を見ると、厳格な作法の指導者たる人物は、意外におおらかな性格を持っているものだ──という仮説を容易に信じることができる。
それは、むろん、お茶のことだけではない。
たとえば、わたしたちが、かつて出会ったことのある、柔/剣/弓道の師範だとか、あるいは禅僧だとか、あるいは、商業でも農業でも工業でも、その仕事の技術を極めた達人は、もはや厳しさを通り過ぎて、まるで樹木希林のように朗らかで鷹揚なことが、往往にしてある──ものではないだろうか。
その道のプロや、本物なひとほど、その外観や、性情に、丸みを持っているものではないだろうか。どんな分野でもいいが、そんな古豪に出会ったことはないだろうか?
もちろん性格も教え方も厳しい教官もいるが、あんがい、すごいひとほど爪を隠すことを、わたしたちはけっこう知っている。
本作の樹木希林は、そのことを、思い起こさせる。
ところが、樹木希林は女優であって、お茶の先生ではない。
それを、忘れて見ていた──わけである。
それは演技力ではない。と思う。
樹木希林は「演技」をしているだろうか?
じっさいはどうなのか知らないが、演技をして、それをもって、役に寄せている──とは、思えない。
晩年、印象的だったのは駆込み女~や母の記や万引き家族の樹木希林だが、あれらが演技によるものとは思えない。
なんていうか、それを演技だと言ってしまうなら、あまりにも泰然自若すぎる。
そもそも「そうでない方はそれなりに」で大流行したフジカラーのテレビコマーシャルの岸本加世子とのやりとりでも樹木希林が演技していた──とは思わなかった。
雰囲気に「絶対的な日常」を持っていて、カメラの前で演技しても、それが演技に見えない人だと思う。
その凄みが、この亡くなったのと同年の映画にも余すところなくあらわれていた。
ところで、わたしはお茶のことはぜんぜん知らないが、本作を見ると、お茶の作法を習得することによって、お茶の作法が習得できる──だけではないことがわかる。
つまり典子(黒木華:演)が、そうしたように、人生の岐路で何かの決断をするにあたって、なんの関係もないはずの茶道が、彼女に雄弁な助言を与えていることが、わかる。
また、大切な人の死にたいする悲しみを茶道が癒やすことも、わかる。
だからこそ、それが道と呼ばれるゆえんも納得できる。
20代30代にお茶を習いはじめ、そのことと自分の人生の出来事を、強引に重ね合わせている──わけではない。
ほとんど必然的に、茶道の精神が、人生を扶け、活性化させてきた──と、この原作者は言っているのである。
それが「日日是好日」につながっている。
ただし、父が倒れた──に至る描写はかなりフラグ立たせて、感傷におとしている。
原作未読なので比較できないが、監督のカラーも入っている(と思われる)。
しかし本作にあらわれる、大森立嗣監督のカラー(個人的に大森立嗣監督のカラーだと思われる描出)は、他の同監督の映画よりも、はるかに少なかった。
──のでよかった。
茶の湯を催して、静寂閑雅の境地にはいる・・・。
わたしには風雅のかけらもないが、千利休にいたって大成したその道が武家時代の必修作法だったのは、まぎれもない事実である。
たとえば戦(いくさ)のような場面でさえ、雌雄を決するのに、それ(茶道)が作用したかもしれない。
もっと単純に解釈するなら、作法が乱れるならば、平常心をうしなっていると、自分を顧みるバロメーターになり得る。のが茶道だと思った。
原作は未読で、原作者についても、よく知らないが、映画中「それでもやがて、私みたいな人をフリーライターと呼ぶようになって、あせることはなくなった」というナレーションがあったので、おそらくフリーライターの草創のような人物なのだろう、と思う。原作も読んでみようと思った
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