日日是好日のレビュー・感想・評価
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教えることで教わることがいっぱいあります
映画「日日是好日」(大森立嗣監督)から。
原作「日日是好日 『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」
(森下典子著・新潮文庫刊・252頁)を9年前に読み、
その後、映画館で本作を鑑賞し、そしてまたDVDで観直した。
これが私流の映画の楽しみ方の1つとも言える。
そして、そのかすかな違いに気付き、自己満足の世界だけど、
心が豊かになった、と1人でほくそ笑むが、この作品には、
そんなちょっとした気付きが散りばめられていた。
「梅雨の雨音だわね」と、樹木希林ささん演じるお茶の先生が
呟いたのを受けて、黒木華さん演じる主人公、典子は心の中で、
「秋雨の音とは違うと思った」と反応する。
また「ある日かすかな違いに気づいた。お湯の音と水の音、違う。
お湯はトロトロって。水はキラキラって聞こえる。
私の中で何かが変わっていった」
この違いを感じることができた自分を褒めてやりたくなるくらい、
嬉しい発見が、お茶の世界にはある。
そして最後に、お茶の先生が主人公たちに、こう助言する。
「雪野さん、典子さん。あなたたちも教えてごらんなさい。
教えることで教わることがいっぱいあります」と。
これが、他界した「樹木希林さん」からのメッセージと心に刻み、
教えることで教わる経験を楽しみたいと思う。
静かで、ゆっくりした映画だったなぁ。
エッセイそのまま映画化
主人公:典子がひょんな事からいとこの美智子と茶道を習い行った事から始まる話。
体験談ぽく淡々と語る。
典子(黒木華)と美智子(多部未華子)の初めての作法習いの際は、まるで2人が脚本無しで演じている様で新鮮味を感じたのだが、それは徐々に無くなり、典子の人生話と化していた。
典子のナレーションも多くなり、「別にそんなに語らんでも」状態に。
茶道って、語らんでも感じ取れる部分が良いのでは?
語るのは武田先生役の樹木希林だけでいい。
人生話も少しはしっかり描きなさいよ。あっさりし過ぎ。
また、エッセイを単純に映画化らしく、
師匠:武田先生の御言葉→次に捻りがない典子のその言葉に纏わる出来事をすぐ持ってくる展開も好きになれない。映画なら伏線でも貼れば?状態。
工夫が無い映画としての作りにう〜ん。
綺麗で華麗な茶道作品だろうが、樹木希林他界寸前の作品だろうが、1映画としてはベタ褒めは致しません。
大切なことは目には見えないのだと
この世界には、すぐに分かることとすぐには分かりえないことの2つがある、という。
それが、主人公ののりこがお茶を教わる中で気づいたこと。
お茶の所作になんの意味があるのかを考えてしまうが、そうではないと樹木希林(演じる先生)。
お茶はそういうものなのよ、意味なんて作法を知るうちに自分で感じればいいじゃないという言葉が、無責任な印象をちらっと受けたが、そうではなかった。
お茶が人を成長させるとか、そういう恩着せがましいものではなく、
のりこの人生に寄り添って、心の安らぎや日常のきらめきみたいなものを表していたので、とても美しいものに思えた。
黒木華(のりこ)の所作もとてもきれいだった。
日日是好日の意味は言葉の通りだが、その受け取り方は人によって千差万別。
きっと、四季や天候、その日の気分を噛み締めながらいただくお茶に、人生の甘みや苦みが凝縮されているのだ。
移りゆく季節をしっかり感じる世界観
樹木希林が観られるので、レンタル開始を心待ちにしていました。
期待通り、自然体でいて、ちゃんと茶道の先生の姿で、心が温まりました。
時が移る演出として
二十四節気や、干支にも触れていて
季節が変わると作法も変わる そんな茶道の風流な世界観に心を奪われました。
数々の失敗例も、自分がやってみたら絶対にこっちだなっていう場面にただただ共感しました。
一畳を歩く歩数も、何歩かわからなくなっちゃったシーンも笑いました。
洗練ももちろん大事なコトだとおもいます。
形だけではなく、心も磨いてこそ、ホンモノになるなと感じました。
頭で考えず、五感でとらえる。
体が勝手にーという言葉も、希林さんが発するから、深みが増しているなと感じるセリフでした。
日々全てが、良き日
エッセイストである原作者の実体験に基づく、お茶の世界。
そんな地味な題材、映画になるんかい!…と思うなかれ。
しみじみと味わい深い、結構な…いや、素晴らしいお手前で。
これぞ、日本映画の良き心。
魅了された点は多々あるが、本作を格別なものにした今は亡き名女優について真っ先に触れたい。
樹木希林。
お茶の先生、武田先生を演じる。
お茶の作法や所作には細かく厳しいが、性格自体は朗らかで茶目っ気たっぷりでユーモラス。
名言もたくさん。
いつもながら、演技なのか素なのか、区別が付かないほど。
希林さんの為のような、ハマり役と絶品の名演。
死去してから今年、2本の出演作が公開されるが、本作こそ最後の作品に相応しいとさえ感じた。
希林さんは女優だ。だから、お茶の事に関しては素人に等しい。
なのに、劇中披露するお茶の作法や所作は、本当にその道云十年の先生のよう。
おそらく、相当稽古し、勉強したのだろう。
その陰ながらの努力を一切見せず、感じさせず、飄々と自分のものに。役作りを必死にアピールするハリウッド俳優とは正反対。
思えば、希林さんはいつだってそうだった。
本当のプロフェッショナル。
代わるべき存在が居ない、唯一無二の名優。
改めて突然の死を悼むと共に、数々の名演で魅せてくれた敬意と感謝を捧げたい。
お茶の世界は覚える事、やる事がいっぱい。
いちいち細かい作法と所作は勿論、それぞれの道具の名称、それぞれの意味…こんなに大変なのか!
自分だったら細かすぎて疲れてしまうだろう。
頭で考えるから、出来ない/分からない。身に付けば、自然と手が動く。
それが出来た時、作法や所作の何と美しい事!
お茶の世界って、深い。
本作は和の美を嗜む作品だ。
畳の茶室。
部屋から覗く庭。
掛け軸などの装飾。
和菓子は見た目も美味しそう。(自分、和菓子好きなので)
映像は美しく、音楽も美しい調べであったり軽快であったり。
何度も何度も“美しい”という言葉を用いて恐縮だが、本当にその美しさに心奪われる。
どちらかと言うとシリアスやハード系が多かった大森立嗣監督にとっても新境地。
もう一つ印象に残ったのは、“音”。
大臨場・大迫力の音とは全く逆の静かな音ながら、
水を汲む音、水が沸く音、お茶を点てる音、庭の水の流れる音、飲みすする音、水とお湯の音の違いに至るまで、全ての音が心地よい。
目を閉じ、聞き浸りたいくらい。
黒木華、多部未華子にもほっこり。
よく女優なのに美人じゃないと言われる二人だが、個人的にこの二人、個性的で魅力的で、女優としても非常に好きなんだなぁ…。
黒木は、自分の人生にさ迷い中のヒロイン・典子。
多部は、サバサバして自律性のある従姉妹の美智子。
本作は、典子の20数年に及ぶ物語である。
大学生時代、親に薦められて始めたお茶。
全然身に付かず、いちいち細かすぎて、正直うんざり。
続けられるのかなぁ…? と言うか、お茶をやってて何か得になるの…?
就職に苦労。やっと見つけたバイト。
悩み、面接や試験など大事な前日、途端にお茶を嗜みたくなる。不思議な事に。
典子の性格上、何事も長続きしないタイプだろう。
が、お茶だけは長く続いている。
自分の人生に多大な影響を与えた…などという、大それた事ではあるまい。
自然とスッと、自分でも知らぬ内に、お茶が身に染み渡っていたのだ。
時の移ろい、典子の悲喜こもごもの歩み。
仕事、失恋、出会い、そして別れ…。
お茶と絡めながら。
20何年も続けているお茶。
いつもと同じ、変わる事の無い。
しかし、決してそうではない。
その都度その都度点てるお茶に、二度と同じお茶は無い。
人生とて同じ。
よく変わらぬ同じ日常の繰り返しと言うが、全く同じ日など無い。
必ず毎日、何か新しい事、新しい日がやって来る。
それは、一期一会。
だからこそ、一日一日を、嗜みたい。
辛い事も、悲しい事も、
嬉しい事も、幸せな事も、
お茶を楽しく頂くように。
一生に一度きりの日々。
その日々に感謝。
その日々全てが、良き日。
「日常の愛おしさ」を認識させてくれる映画
映画を見終わった後、「日日是好日」の意味を検索しました。
それによると、日々是好日は雲門禅師の悟りの境地を表した、最高の言葉とのことです。
一般に「好い・好くない」の判断の基準は、お金が儲かった・損をした、よいことがあった、嫌なことがあったなど、優劣・得・是非にとらわれたものさしで考えがちですが、日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地なのだそう。
今が、悲しみの中にあろうと、喜びの中にあろうと、一瞬・一瞬を大切に生きること。と書かれていました。
この世界観を黒木華と樹木希林がとても丁寧に演じていて、共感しました。
季節の移ろい、花、雨、着物、感情が程よい距離感で語りかけてきます。激しく感情をゆすぶられることはないですが、気持ちの中の中に届くような、映画をみたあと、所作を美しくしたくなるような、そんな大人な映画でした。
書籍を読んだことがあったので、あの世界をどう映像化したのかと興味が...
書籍を読んだことがあったので、あの世界をどう映像化したのかと興味があったが、難しかったようだ。哲学的なことがもっともらしく話されるが共感できないまますすんでいく感じ。ゲド戦記を思い出した。映像化する必要があったのか?映像を作る時のルールを無視してるけど、もしかして新しい挑戦をしているのか?名作映画「道」は子供の頃分からなかったけど、大人になったら良さが分かるようになったと主人公が言っているが、この映画もそういう事なのか?評価が高かったし、名画座でやってたので期待してたのに、ハズレだった。時間を無駄にした。制作者がどういうモチベーションで作り始めたが知らないが、上手くいかなかったのでは?
日々是好日
日々是好日。
このことばの持つ意味がこころにじんわり
温かく沁み渡りました。
世の中には すぐわかるもの と
すぐわからないもの の二種類がある。
すぐわからないものは
長い時間をかけて、少しずつ気づいて、わかってくる。
とてもとても心が救われました。
お茶を習ってる方はもちろん、習っていない方も
きっとお茶の世界やこころに心が癒される
そんな映画。
お茶を習うということから
たくさんのことを学べる。
千利休から始まった一期一会の言葉も
茶道の持つ奥深さも。
樹木希林さん演じる先生や
黒木華さん演じる生徒さんを通して
季節を感じながら
雨の音、夏の音を聴き、お茶を点てる時間。
水やお湯の音。。。
すべてが愛おしくて
本当にしあわせな気持ちになりました。
春や冬の作法も学べて
とてもためにもなりました。
これは表千家の作法なので、裏を習っていると
少し混乱してしまうところもあったのですが
袱紗のさばきかたから、お茶道具の扱い方
作法、お軸の意味など
本当に勉強になります。
わたしもまだ茶道は習い始めたばかりで
畳の歩きかたもぎこちなく
なんだか被る部分もあり
笑ってしまったり、、
華ちゃん演じる典子さんのおとうさまとのお別れは
涙が止まらなくなり、、
でも、その中でお茶に通い続けることで
受け入れていくことを学んでいき、、
映像や音、こころに本当に癒されました。
見終わったあとの清々しいしあわせな気持ち。
この気持ちを持続できるように
茶道を習い続けようと思いました。
最後に茶道具が本当に素晴らしくて
お茶事のお料理も素晴らしくて、、
感動しました。
樹木希林さんも黒木華さんも
大好きな女優さん。
ふたりだから出来た映画、感動作。
人生のバイブルと言われるエッセーも
読んでみようと思います。
また、来週も観にいきたいです。
遠仁者疎道、不苦者有智
地味で年配者から可愛がられるような良い子、普通だから目立たない事も多くて口下手だけれど、曲がったことはしない真面目で誠実な人柄。容姿も普通。こういう子こそ、日本人特有の美徳を秘める素質に満ちているのではないか。そして、こういう子、私の周りにわんさかいると思ったら、原作者と同じ学校卒だったので非常に身近に感じた作品。
竹を割ったような性格で要領よくテキパキ人生を切り開いているいとこの美智子は、常に今その瞬間よりも先を見て行動している。評価を得るための器用さも持ち合わせ、見た目の作り方も心得ている。
一方、主人公の典子は、今を誠実に歩むタイプ。一見不器用に見えてもそこに、その瞬間を五感を研ぎ澄ませて味わう茶道から得た感性が加われば、人生にも影響をもたらしていく。
まず就職。収入やききごこえの良いポジションを巡り百戦錬磨する周りを尻目に、ぶれずに自身のやりたいことを突き詰めた。
そして結婚。彼女は婚期よりも条件よりも、自身の心の声を聞き、気持ちの曇りを無視しない道を選んだ。流されずに、善悪の判断を下した。
最後に、家族との関係性。父の死の前日に父と会うのは叶わなかったが、予定があっても父のお酒に少し付き合うなど、同じお茶は2度とないという師の教えを聞く前からそう生きている。それでも、いざ失うともっと同じ時を過ごせば良かったという後悔は尽きないのだが。
様々乗り越えて、お茶の経験がフリーランスの物書きの仕事にも活きている。
まさに、遠仁者疎道、不苦者有智を体現しているのだ。
もともと茶道の才能や素質に満ちていたわけではないが、口を慎み言葉を選ぶ事を知っている平凡な学生だった主人公が、お茶のお稽古を通して所作を学び、不器用ながら人生を進めていく。主人公自身が大胆な発言や性格の変化を通して切り拓いていくのではなく、お茶を習いながらの月日の中で徐々に変化していくのが面白い。
毎週土曜のお稽古の中で、日本の暦で季節が巡り、その他の曜日での主人公の生活は一切描写されていないが、両親から精神的に自立していく様子やキャリアを積んでいる様子、行き詰っていたりイキイキしている様子が自然に伝わってくる。黒木華の演じ分けが素敵だった。
やっぱ樹木希林いいね
全体的に落ち着いたトーンで淡々と
物語は進行する。
樹木希林演じるお茶の先生は、人生の機敏を知り尽くした達観者。まさにハマり役。
和風テイスト満載で美しい映画だ。
ラストも良かった。教える側、伝承する側になって初めて見えてくるものがある。
そんなことを改めて教えられる映画だ。
和風が好き
黒木華さんはイイです。和風テイストには憧れます。庭と茶室のある住まい、雨、緑、花、四季を感じ、本物の茶器や掛軸、お湯の音と水の音、茶道を女だけの世界に誰がしたんだ。音と映像だけでいいのにナレーション要らない。日日是好日はそういう穏やかな日が続くことが良いということなのか。主人公の生活の虚しさや悲しさを侘び寂びに繋ぎたいんだろうけど繋がりがちょっと薄い。クラシックな選曲が良いのにライナーに出て来なかった。樹木希林さんの追悼でお客さんはいっぱい。
映画化してくれて良かった
原作を読んでから鑑賞しました☺︎
原作での先生の序盤のイメージと樹木希林の年齢がかけ離れているような?違和感は多少あるものの、歳を重ねるにつれて合わさっていきました( ΦωΦ )
日日是好日、という言葉自体をどのように自分の中に落としていくか考える。。味わい深い作品です\( ¨̮ )/
樹木希林に尽きる
樹木希林が好きというだけで観た映画。
8割ぐらいお茶のシーンで、お茶が好きな人は好きな映画だと思う。四季ごとに変わるお茶、お茶菓子、掛軸、所作などなど、一つ一つが美しくてお茶が分からない人でも見とれるものでした。
茶道の教えを教えてくれるような映画でしたが、さすがの樹木希林であって、とても素晴らしい作品に仕上がっていました。
でもお茶好きじゃないとつまらないかも?
2018.10.27鑑賞
黒木華ってこんな大根役者だっけ?
主演の黒木華は、若手でも指折りの演技のしっかりした俳優だと認識していたのだが、この作品における彼女は、時折高校生の演劇部かと思わせるほどに拙い芝居をしている。
それとも、これは相対的な印象に過ぎず、樹木希林の演技の前には彼女のそれが小手先のものに見えてしまうだけなのか。
いずれにしても、大学生から中年までを黒木がどう演じるのかを楽しみにしていた観客にとっては、少し物足りない味わいとなっている。
そして、フェリーニの「道」についての言及が、それほどまでに必要だったのか。正直、映画のどの場面よりも、黒木が「道」について語る部分で、ジェルソミーナとザンパノの哀しい物語を思い出し涙腺が緩んでしまった。
確かに、ものごとを「すぐに理解できること」と「時間をかけて理解すること」に分けて考えるという、現代に失われつつある弁えの具体例を提示する意図は分かる。
しかし、映画を観ている者に、映画を具体例として提示することは、あまり賛同できない。他の映画を引き合いに出していることが成功している作品もあるが、それはもっと他愛ないことを語っているものである。「道」はあまりにも重い。
遺作となってしまった樹木についてはもちろんのことなのだが、父親役の鶴見辰吾もとても良かった。
茶道のお稽古をサボって中華街へ行こうかと迷う黒木に、「自分で決めなさい」と言える父親がこの世に何人いるだろう。自分自身も同じ年頃の娘を信頼して、同じことを言えるだろうか。
恋愛で躓いた娘が、久しぶりにお稽古へ出掛ける。立ち直りの兆しを感じた父親が、「お母さん、お酒飲もうか?」と、真昼間から一升瓶を取り出す。隠しきれない嬉しさ。
この二つのシーンの鶴見が素晴らしい。歳を重ねるにつれて、素敵な俳優になってきた。
そして、最後に樹木の演技(なのか、地なのかもはや誰にも分かりはしない。)である。映画の中での彼女のセリフに「頭で考えずに、体で覚えなさい。」「手が知っている。」という、茶道の指導者としての言葉ある。
これは、彼女の演技そのものについても当てはまるのではないだろうか。
頭で考えた人物造形ではなく、その人物としてものを考え、感じると、その必然的な結果としてある言葉や表情が勝手に出てくる。彼女の演技がそんなところから生まれてくるような気がする。
少なくとも、この俳優がその人物のことを、誰よりもよく知っている人なのだということが、スクリーンを見つめている側には感じられるのだ。
わからないことは時間をかけてゆっくりと
こんな映画を見たかった。茶道からしか見えてこないものがある。それは、頭で考えるのじゃなくて、積まれた価値で物事を判断するのでもなくて、ただ、決められた動きを繰り返すことで、日頃の価値とは違うものが見えてくる。その中で自分を見つめ直す空間を感じる。また、季節ごとの風景は、世俗的なことに追われている自分を見つめ直してくれる。茶道を求めるとそんなことが見えてきそう。何が大切か、今の優先順位は何か、今会ってるこの人とはもう二度と会えないかもしれない。そんな空気がたくさん詰まっている「日日是好日」には、樹木希林さんがよく似合う
何事もないことの豊かさ
シンプルな映画です。一人の女性が、20歳から20数年間にわたりお茶の師匠の元に通う、ただそれだけの話。たまに、従姉妹と一緒に戸外に出たり、お茶会に出かけたりするぐらいで、主人公はほとんどの時間を茶室か自宅で過ごします。カメラも、ただそんな彼女のお茶のお稽古と、時折の人生の折ふしをじっくりと追いかけていくだけ。
それなのに、とても豊かさを感じさせる映画です。場面はほとんど狭い茶室と庭だけですが、その狭い空間には四季折々の自然の移ろいがあり、雪や雨や刻々と変わっていく陽射しがあります。風のささやき、水のせせらぎ、季節の花々や木々。お稽古の度に変えられる掛け軸、茶器、そして微妙な色彩と形で目を楽しませてくれる和菓子。何よりも、茶道の所作の切り詰めた美しさと、時にふっと挿入される唐突なアクション(それは見てのお楽しみです)が画面を活性化させます。
でも、もしかしたら、この映画の真の魅力は、茶室という閉じられた簡素な場所にあるかもしれません。映画を見ていると、ポッカリと広がる何もない空間に、世界が引き寄せられてくるような、不思議な感覚にとらわれます。実際、主人公は、掛け軸の書を通じて瀧を召喚し、さらに死者との交感すらも行います。それは、茶室という閉ざされた空間の神秘であり、同時に映画という世界の神秘でもあります。そう、映画はスクリーンという閉ざされた空間の中で、自然や歴史や人生や社会を自由に操ることができる素敵なアートなのです。
大森監督は、まほろ駅前シリーズからセトウツミへと連なる一連の作品を通じて、淡々と続く日常の中に生まれる豊かなドラマを描いてきました。この映画は、その延長上にありながら、さらに四季の推移や人生という時の流れを組み込むことで、新たな境地を開拓したようです。もちろん、その背景には、男たちの物語から女たちの物語へと移行したということもあるでしょう。それ以上に、樹木希林と黒木華という素晴らしい女優たちを迎えたことでこのような世界が可能になったと言ってもいいかもしれません。
樹木希林の暖かく包み込むような穏やか声と柔らかな物腰。それでいて、少し声のトーンを変えるだけで部屋の空気が凛と引き締まる緊張感。黒木華のすっくりとした姿勢の美しさ。何より、お茶のお稽古を通じて、女性として、人間としての魅力を増していくその佇まいの深さには目を奪われます。物語の終わり近く、樹木希林が初めて黒木華の身体に触れて言葉をかける時、この二人の間に何かが確実に伝えられたことを観客は感じます。それは、茶道の精神かもしれませんし、あるいはある特権的な女優のみにしか許されないオーラのようなものかもしれません。それに応えるように、黒木華は新たな一歩を踏み出します。
樹木希林の遺作となったこの作品は、同時に黒木華という稀有な女優の新たな旅立ちを告げる映画ともなりました。樹木希林という稀有な女優に感謝と黙祷を捧げつつ、最後にこのような美しい出会いの場を用意してくれた大森監督に賞賛のエールを送りたいと思います。
樹木希林。
もちろん、黒木華もすごくよかったと思うけど、やっぱり樹木希林。
お茶の先生って、観る前はどうかなぁって感じだったんだけど、やはり樹木希林の味で先生にいい色がついた気がした。
逆に、他の人が演じてるのが想像できない。
五感で楽しむ映画。
四季の音と映像、そこから感じる暑さ寒さ。美味しそうな和菓子。
登場人物の背景はあまり映し出さず、とにかく茶の世界にこだわる、人生に茶があるのではなく、茶の道に人生を絡めるという描き方は大いに賛成できた。
それにしても、樹木希林。
今となっては、樹木希林がいたから成立した映画なんじゃないかと思う。
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