日日是好日のレビュー・感想・評価
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希林ラストを飾る。すぐわからないもの~まず形。後から心が入る~
「日日是好日」96点。
邦画にも素晴らしい作品があった。
「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」である。
「ボヘミアン・ラプソディー」とは180度違ういかにも「This is Japan」的作品。
音がないのに音が聴こえる。
「幽玄の美」とはこういうものかを実感。
「樹木希林」のラストを飾るにふさわしい名作。
じっくりと耳を澄ませば名言ばかり。
「人生のバイブル」に足りえる。
「世の中にはすぐわかるものとすぐわからないものがある。すぐにわからないものは長い時間をかけて、少しずつ気づいてわかってくる」。
「まず形から。先に形を作っておいて、後から心が入る」。
「雨の日は雨を聴く。雪の日は雪を見る。夏には暑さを、冬には身の切れるような寒さを、五感を使って全身でその瞬間を味わう」。
「一期一会」の驚くべき精神の大冒険。
静寂のお茶室で味わう今を生きる歓び。本当の自由。
「ボー」とでも時間を生きていない者にはわからない?
すぐわからなくてもいい。
「EVERYDAY A GOOD DAY」。
季節のように生きる。自然にあるがままに🍀
茶道の入門用映像
茶道と人生、みたいなテーマの、道徳の授業映像くさく、説教じみた作品。
茶道ってなんだろう? と少しでも興味がある人には、多少愉しめるような内容かもしれないが、それはたとえば、「マンガでわかるプラトンの哲学!」みたいなハウツー本の体裁をとるがゆえに、人類の大哲学が、単なる実用書に成り下がる実態のような、あまりにもファストフード的消化に終始している。
映画だから仕方ないか。
映画の限界か。
日本の季節感である、二十四節を実感させつつトントン進むリズムは、小気味好かったし、映画の力だなあ、映画館で観て良かった、と思えた。
しかし、黒木華が、やけに、でぶ。
多部未華子、やけに、肌汚い。
また、大森監督ジルシ、例の、劇画チックな演出とセリフが随所に悪目立ちしたが、
樹木希林にはそれが見当たらなかった。
畏れ多くてさせなかったのか?
それが功を奏したか、樹木希林の居るシーンは際立って良かった。
あまりに単純だが、こんな凄い人が呆気なくも死んだのだな、と思い出して、落涙した。
他にも愚痴を。
弟役は要らなかった。全く要らなかった。
父の死に際しての感情表現が、クドい。ゆえに、冷めた。
鶴田真由の、どこも素敵ではない、むしろ不気味な感じは、何とかならなかったのか。
日本人で良かった
樹木希林さんの遺作ということで、気になっていたが、ようやく観ることが出来た。希林さんのことは、別として、予想外に心穏やかにしてくれる作品だった。
美しい四季を切り取りながら、女性の人生の喜怒哀楽を、茶道の稽古を通して描いていく物語。茶道の先生は樹木希林。庭のある日本家屋にひとり暮らしている。
この日本家屋という小さな世界で、まるで世界が変わったように四季がうつろい、静かだが圧倒的な情景を映し出す。茶器の色や暖かさ、座敷の静けさの中で聞く風や雨の音が、ほんの些細な違いだが、次第にそれを見つけて、大きく感じられるようになり、さらに自分の心象に広げられるようになる。間抜けな例えだが、ジェダイの騎士がフォースに目覚めていくような物語がある。
こうした「機微」が主役で、黒木華が演じる主人公の人生は、この物語の脇役のように感じた。裏を返せば、それだけ自然と調和した演技だったのだろう。
映っているものは、京都の素晴らしい庭園や神社仏閣ではなく、古い日本の家の、たいしたことのない庭の草木や造作だが、何故か見事な紅葉や絶景と言われる風景などより、心に迫るものがあった。
画面の変化のテンポが素晴らしい。芸術的な「間」がこの映画には、あったと思う。カメラの移動、色彩の置きかた、それと演者の何気ない会話など、どれも溶け込むように綺麗に納まっていたと思う。
こうした心象も、古い家やそこでの暮らしを体験する事が少なくなり、薄れてきているのかもしれない。家で耳を澄ませて、ひとときのぼーっとした時間を取りたくなる良作だ。
染み入りました
感覚でしかないけれどスッと入ってきたのはこの国に生まれ育ったからだろうか
お茶の作法や考え方は知らないだけで至る所にある
先生の一言一言が心に響き、時に叱咤され、時に励まされ、なんとなく始めたお茶がいつしか生きる道となっていく典子に共感している自分がいた
うつろいゆく日々に気付ける幸せ
エッセイスト森下典子の自伝的エッセイを映画化。
大学生・典子が、なんとなく始めた茶道の魅力に少しずつ
惹かれ、やがてそれを人生の一部としてゆく様子を綴る。
...
まずは、主人公を演じた黒木華がすごく良い。
1993年から2018年までの25年間を演じているが、
キャッキャッと笑う大学生の頃から物腰が
少しずつ落ち着いていく感じがリアル。
些細な失敗や劣等感が積み重なり、自分が誰より無価値
に思える場面の感覚には、思わず胸が苦しくなった。
そして今年9月に亡くなった樹木希林は……
僕はいつも彼女の演技をどう説明したものか
と困るのだが、彼女はそれそのまま銀幕の裏側で
実際に呼吸している人物にしか見えないのである。
いつもユーモラスなのに、茶道の時の
ピンと張り詰めたような厳かな空気が凄い。
従姉を演じた多部多華子も良かった。
快活で楽しいが、ピシッとする所はピシッとしていて、
なるほど生き方にも悩みにも典子が憧れる素敵なキャラ。
あとは鶴見辰吾……いつも柔和な表情で、愛する娘を
優しく見守るお父さん、メチャクチャ良かったです。
...
さて、ここらで早めに不満点を書いてしまおうか。
まず、主人公にとって最も大きな挫折として描かれた
恋人との別れを、モノローグのみで説明した点。
恋人との様子をわずかでも映像で見せてくれて
いればよかったのだが、かなり唐突に映画の
トーンが変わったように感じてしまった。
もう1点は、終盤の梅雨音のシーン。
あの心象風景はややエモーショナル過ぎたと思う。
主人公の胸中と現実の所作とのコントラストが
激しすぎて、不整合を起こしていたように感じた。
...
しかしどちらの不満点も、繊細な映画だからこそ
感じられる微妙な匙加減の部分だと思う。
繊細という言葉の意味は「細く小さく優美な様」らしいが、
この映画は小さな所作、細かな音にまで気を配る
茶道の作法そのものが見所となっていて面白い。
袱紗(ふくさ)という布を折りたたむ動作だけでも、
たたむ順番・持ち手・角度とンまぁ細かい細かい。
体の角度、足の運び方、お茶器を持つ指先の形、
水のすくい方に落とし方……お茶を呑むまでに
いったい何十の手順を踏むのかと軽くクラクラ。
一見無意味に思える作法もかなり多いのだが……
(先生も「とにかくそうするものなのよぉ」
みたいな説明しかしてくれなかったり(笑))
意味があるのか?と思えるほど些細な所作を、
きっちりきっちり、いくつもいくつも、
来る日も来る日も、何度も何度もこなし続けるうち、
普段気付かないような、微小な差違が視えてき始める。
感覚が細やかになり、あらゆるものが新鮮に見えてくる。
梅雨と秋雨の音の違い
湯と水の立てる音の違い
掛け軸の文字の形から“見る”風景
茶碗の色や手触りを指で目で感じる楽しさ
何気ない日常のなかの小さな変化を愉しみ、慈しむ。
毎日が同じように思えても、世界は少しずつ変わっている。
一日として同じ日はない。今日という日は二度とない。
今日当たり前のように接したものや人でも、
明日には二度と逢えなくなるかもしれない。
その日その日の変化を、その日その日の出逢いをいとおしむ。
大切でない日などないと思えば、毎日は彩り豊かなものとなる。
日日是好日。
...
流石に「茶道やるぜ!」と考えるまでには至らなかったが(笑)、
劇場を後にし、騒がしい雑踏の中を歩きながら、
風の音や鳥の声など小さな音に耳をそばだてようと、
少し歩速を落として歩こうとしている自分に気付く。
毎度誰かの言葉の受け売りで何なのだが、この時
詩人チャールズ・レズニコフの言葉を思い出した。
「大事なのは速く歩きすぎないことだ。
時速三キロ以下のペースを自分に強いて
初めて、見たいものが全部見えるんだ。」
本作ととても似通ったものがあると感じないだろうか。
今の世の中は何もかもがあまりに早過ぎて、
そのペースについていこうと必死のあまり、
大事なものの横を早足で素通りして
しまっているのに気付かない時がある。
だから、
ペースを落とす。息を整える。静けさを聴く。
立ち止まって、小さなものに目を向ける。
それだけで、重苦しく思えた世界が
少しだけ広く優しい場所に見えてくる。
心をすうっと軽くしてくれるような素敵な映画。
もしも暗い気持ちでおられるなら、是非。
<2018.11.11鑑賞>
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余談:
樹木希林は本作で茶道の先生を
演じるまで、茶道は未経験だったとか。
えええええ……いや、茶道なんてサッパリ知らない僕が
言ってもアレだが、なんなんあの問答無用の説得力は。
今年9月に亡くなった彼女だが、
あと2作の未公開作が控えている。
彼女が企画した浅田美代子主演作『エリカ38』と、
ななんと初の海外映画出演となるドイツ映画
『Cherry Bloossoms & Demons』だ。
あと2作品、寂しいけれど、楽しみにしてます。
普遍的なテーマが最後に効く
正直お茶にもまったく興味ないし前半は大丈夫か、という感じだったのが、後半普遍的なテーマに移り変わって心は持っていかれた。
いろんな都合かと思っていた広いサイズの絵がないのも、つきあってる彼氏など省略して、一連の省略構成なんだと気づいたあたりからよかった。
茶室と劇場が一体となる至福の時間
茶室の中にゆっくりと流れる時のうつろい。しつらえやおもてなしという日本の美意識を感じることが出来るおだやかでしっとりとした空間と時間。この作品は観ている私達すら音を立てず、画面の中で起きる動きと音、あらわれる色やかたちなどに五感を研ぎ澄まさせることをじっくりと学ばせてくれる。こちらは、お茶の作法には、うとい門外漢。しかし、一つの世界を学ぶために必要な心構えが、その人の声や所作に表れることを擬似体験することが、どれだけ幸福な時間かに気付くことになる。どの世界でも慣れないうちは意識が先行し過ぎてぎこちなくなるのは当然ですが、その世界に没頭して無意識の先にあらわれる所作が自然と一体になる、自然体となった時の美しさに日本の侘びさびの一端が垣間見えるようでもあります。それらの発見によって日本人であることへの感謝の気持ちがじんわりと沸き起こるのが嬉しい。お茶を学び始めるところから、続けていきたいという24年間の心の動きを大仰な台詞ではなく、細やかな表情と所作で見事に演じてみせた黒木華さん。時を経て変化していく様がとても美しく、その声と言葉も本当に心地良く響いた。先ごろ亡くなられた樹木希林さんの気取りのない師匠像は弟子として学び続けたいと思わせるに充分な魅力に溢れ、今だ生き続けているのではないかと錯覚するほどのリアリティに心から感銘を受けた。この作品にとても心が惹きつけられるのは鑑賞する私達にも緊張と集中が求められ、最後に主人公の心とともに解放されて幸福な気持ちに包まれるからです。喧騒を離れ、ゆったりとした時と空間は映画館と一体となり自分を見つめる大切さを教えてくれる。これは本当に素晴らしい体験をするために劇場という大きな空間で見るべき映画だと感じます。
繊細かつ丁寧に
大学生の典子と美智子がお茶の世界へと出会い、そこから歩む人生を丁寧に描いた作品
一つ一つの描写が丁寧に紡がれており、四季折々の風景や茶室で行われる所作、水の流れる音、茶器の音などが一つ一ついとおしくなるように繊細に丁寧に味わうようなそんな映画になっている
導入部の初めてお茶を習う二人の困惑する姿は、お茶に馴染みのあまりない観客たちの視点であり、劇中の台詞を借りるなら「変なお茶の世界」へと導いてくれる。
樹木希林演じるお茶の先生がとても素晴らしくて、柔らかくて暖かく優しい雰囲気が心地よい。
そこから紡がれていく、紀子の人生と四季折々のお茶の世界が繊細で丁寧な描写で描かれ、穏やかな気持ちにさせてくれる。
見終わったあと、日々の些細な風景やちょっとした時間、そんな何気ない日々をいとおしく、大切にしたくなるような気持ちにさせてくれる作品
黒木華の繊細で丁寧な演技がそれだけの月日を生きてきたように写し出され、樹木希林の柔らかくて暖かい雰囲気が味わい深く響くステキな作品
まあ、個人的には大好きな多部未華子と黒木華がスクリーンで見れただけでも大満足なわけだが笑
最後に樹木希林さんへの心よりのご冥福をお祈りして
上手く行ってる時も、悲しみにくれてる時もそっと寄り添っていてくれた...
上手く行ってる時も、悲しみにくれてる時もそっと寄り添っていてくれたり、方向を示してくれたり。
習い事ってそんな存在だよなー、そう頷きながら観た。
レディースデーの銀座、同じタイミングで泣いている気配に、女性同士愛おしい気持ちになった。
奥深くないけど味わいのある映画
物語はドラマチックではないけれど、それがリアルで共感が持てた。
茶道を通してみる日本の四季、和菓子、道具、掛け軸、花、着物等々、美しかった。
水音が印象的で意味深かった。
若い二人の主人公は、樹木希林の存在感には太刀打ちできず、それが先生と生徒の関係なのかもしれない!?
観終わった後は「ふ~ん」という感じだったけど、記憶の隅に残り続ける映画かな。
茶道の映画と言えば千利休が主人公で、彼の美意識と生き様が強調されるけど、それは現代の茶道とは違う、と感じてきた。
この映画は等身大で、これが「現代の日本の茶道」だと世界の人々に知って欲しいと思う。
タイトル通り
まるで茶道のPRのようでもあるが 自分も含め この説明がないと 現代の日本人には伝わらない そこから 茶道の正に「道」の部分を感覚的に表現しようとしている。 「道」とは 日本文化そのものではないか みち どう タオ…神にさえ道が付く 道とは全てであり 源であり 時間とともにあり 今とここであり 花であり 鳥であり 風であり 月であり 森羅万象であり 喜びであり 哀しみであり 憎しみであり 怒りでもあり…道は全てを含み それは日日是好日である。
それは今ここに全てがある そんな事が映画から伝わってきた
樹木希林は勿論だが 黒木華の演技への迸る情熱も⭐
見終わって 少し背筋伸び 立ち居振舞い
という言葉を思った
もう一度見たい。フェリーニの「道」も
いい空気
156本目。
観たいと言うよりか観ておかなければと思った作品。
3人でのシーンがね自然体でいい空気で心地良かった。
やっぱ影響力のある方なんだなと。
あとただ何となく思ったのは樹木さんが亡くなったのは関係なく、賞は取るのかなと。
日日是好日、素晴らしい言葉
三月ウサギの庭園で催されていたお茶会を覚えていますか
ディズニー映画『不思議の国のアリス』のお茶会
あの場面で歌う歌が好きでそれで子供の頃から何でもない日が大切で好きな日になりました
誕生日や元旦やクリスマスなど特別な日もいいものですが
何でもない日がどれだけ大切で意味があるか
結局は毎日がとても愛おしく無駄な日などないのだな〜と
日本も外国も関係ない、晴れの日も雨の日も熱い灼熱や極寒の凍てつく日も楽しい日も辛い日も
続けることに意味があるのではなく続けられたことに感謝できる今がいい
「日日是好日」
追記
涙が出るほどに愛おしくなる作品
一度見た時に「よしよし俺はこの映画分かったぞ」と思ったけど録画されていたので二度目の鑑賞
かったるいかな〜と思いつつ見ていたらズンズン引き込まれて没頭してしまいました
典子の心が激しく忙しく動いて行く、庭にやって来る季節が心地いい
四季のある日本に産まれた幸せを感じます
『今ここで』を感じること
とんでもなく濃密な映画だと感じました。凄い観応えだった!
静謐な映画だからこそ、目を離すことができない。いや、この映画を隅々まで味わいたい!と思わせるモノがありました。
目の前の音を感じ、観て感じ、触感や温度を感じるお茶の世界が描かれていたからこそ、そう感じたのかしれません。
意識を集中し、その瞬間瞬間を丁寧に感じることは、なんと豊かなことなのだろうか。素晴らしかったです。
黒木華演じる典子の24年を描いた映画でした。そのほとんどを茶室の描写に当てているにも関わらず、彼女の成長や変化がバッチリ描かれていました。
また、黒木華がすごい。その時その時の心の状態がちゃんと外に現れていて、これもビックリしました。所謂達者な役者とはちょっと次元が違う印象です。
典子はお茶が好きなのかは不明ですが、典子はお茶を必要としているのですよね。支えと言えるかもしれませんが、もっと的確な言葉がありそう。典子はお茶とともに人生を歩むことが運命づけられているような印象です。
典子のエピソードは基本サラっと描かれてますが、父との物語はさすがに胸に刺さりました。お父さんを演じた鶴見辰吾も素敵でした。あと、『セクシーは気品に宿る(ただしラテン系セクシーは除く)』を持論としている私にとって、本作の鶴田真由はド真ん中でした。めちゃ艶っぽかったです。
しかし、お茶は豊かですね!普通ならば通り過ぎるモノをキャッチして、味わう。茶室の造りや謎の儀式性はそのためにあるんじゃないか、なんて感じてます。
そんな風に理屈っぽく考えると武田先生に怒られそうですが、水とお湯の音は聞き分けられましたぜ!私の耳には、水はキーンでお湯はトロッ、でした。
武田先生は樹木希林意外はあり得ないですね。彼女の訃報を聞いた時は、「あんな妖怪みたいなバーさんも死んじまうんだなぁ」くらいにしか思わなかったのですが、本作を観て、もうこの世に彼女がいないと思うととてつもなく悲しくなりました。鑑賞後に、特に実感してます。
ただ、本作には間に合ってくださり、とてもありがたいとも感じてます。本作で改めて樹木希林のバーさんに出会え、何かを感じることができ、嬉しい気持ちになっています。
樹木希林さんは凄い!
主人公の小学生時代、親からフェデリコフェリー二監督の「道」と言う映画(私はこの映画が大好きです)に連れて行かれ「全然わからりませんでした。」からの始まり。彼女がふとした事で茶道と出逢い、お師匠さん(樹木希林)と出逢う。それからはお茶の道と人生の道を淡々と歩いていく主人公。わからなかった映画「道」の捉え方が変わり、心の中の茶道の位置が変わりながら、人生は淡々と過ぎて行く…。樹木希林の表情や所作を見ているだけで、私のほほをあついものが伝い、黒木華の変化に女性の人生を感じました。ストーリーには、大きなドラマも、大自然の壮大な描写もないのに、それ以上大きな人生と自然が感じられた、不思議に心が洗われる、清烈な映画でした。私は感動しました。泣きました。
全301件中、181~200件目を表示