友罪のレビュー・感想・評価
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酒鬼薔薇聖斗に感染は生じるか
主に4つのスレッドによって構成されているマルチスレッド方式の物語で、元雑誌記者の益田のスレッド、連続児童殺傷殺害の犯人で出所した青柳のそれ、子どもを引き殺した息子を持つ父親、山内のそれ、医療少年院で青柳を担当した「先生」、白石のそれ。
益田は中学時代の親友の自殺の引き金をひいた「罪」に悩み、青柳は過去に起こした事件の「罪」に苦しみ、山内は息子の過失の「罪」に苛まれ、白石は仕事に没入し、愛娘に向き合わなかった「罪」を後悔する。
社会学者の宮台真司の言葉を借りれば、この物語の鍵は「ミメーシス(感染)」だ。益田が自らの罪と向き合おうとする姿勢が青柳にミメーシスを引き起こす。息子が家族を持ち、自分の罪を償おうとする姿勢が山内にミメーシスを生じさせる。流産した娘の姿が白石にミメーシスをもたらす。
そして益田へのミメーシスは青柳という矛盾を孕んだ、しかし自殺した親友の姿が投影される存在そのものによって引き起こされる。ミメーシスの循環が、この重苦しい物語にわずかな希望として示される。
この映画が、酒鬼薔薇聖斗に向けたメッセージだ。
この映画は神戸連続児童殺傷事件の犯人少年Aを題材にしている。映画の中では少年Aがけっこういいやつだった。 実際の少年Aがこの映画のような人物かどうかはわからない。
動画配信で映画「友罪」を見た。 2018年製作/129分/G/日本 配給:ギャガ 劇場公開日:2018年5月25日 生田斗真(益田) 永山瑛太(鈴木) 佐藤浩市(山内修司) 夏帆(藤沢美代子) 山本美月(杉本清美) 富田靖子(白石弥生) 奥野瑛太(飯田芳) 小市慢太郎(矢島健一) 青木崇高 忍成修吾 西田尚美 瀬々敬久監督といえば、 「護られなかった者たちへ」 「楽園(2019)」 「最低。」 「64 ロクヨン」を見たことがある。 この映画は神戸連続児童殺傷事件の犯人少年Aを題材にしている。 主役は元雑誌記者の益田だと思う。 益田は同級生の自殺の一因が自分であると思い生きている。 今は記者をやめて慣れない工場で働いている。 少年Aは社会に出て、鈴木と名前を変えて生きている。 この映画の中では少年Aはきちんと更正し、 生きようとしているように見える。 少年Aの教務官だった女性、白石弥生は仕事に熱中するあまり、 家庭をおろそかにしてきたようだ。 白石の娘は母親を恨んでいる。 山内修司は息子が交通事故を起こし、3人の小学生を死なせてしまった。 山内はそのことを自分の十字架として背負っている。 山内は自分や家族が幸せになってはいけないと決めつけ生きている。 息子が結婚することにも反対する。 個人的には、そこまでしなくともいいのではないかと思える。 藤沢美代子はつきあった男にアダルトビデオに出演させられた。 男から逃げた後も男に付きまとわれる。 たまたま通りがかった鈴木に助けられ、 鈴木に惹かれてしまう。 そして鈴木が少年Aだったことを知ってしまう。 益田と鈴木は同じ職場、寮で暮らす間にお互いに仲のいい友人になっていた。 益田が元同僚の女性記者杉本に見せた鈴木のカラオケの画像が雑誌に載ってしまう。 そのことに苦悩する益田。 鈴木は益田に対して憤るのかと思ったが、 そうではなかった。 鈴木は静かに職場と寮を去り、 行方知れずとなってしまう。 1つの映画にいろいろな人の苦悩を詰め込んだせいで、 まとまりがなくなってしまったと感じる。 映画の中では少年Aがけっこういいやつだった。 実際の少年Aがこの映画のような人物かどうかはわからない。 満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
罪を犯した人間は赦されるのか!
原作は薬丸岳の小説であり、1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した連続殺傷事件がモデルになっているといわれています。
まず、この映画(小説)は、被害者側の観点は抜け落ちている作品です。完全に犯罪者側中心に描いております。犯罪を犯した人たちや周囲の人々の苦労を描いてます。その前提で、今回の登場人物一人一人、私個人的な感想を書いていきます。
【息子が過去に無免許事故で3人の子供を殺してしまった家族】
さだまさしの曲の「償い」思い出しました。ただ、曲は加害者本人が自分の生活も未来も捨て被害者に償い続けある時に被害者の母から赦されるという曲です。映画では「償い」を全て父に頼り切っているだけ。
息子は父と絶縁しました。それはまさに罪を自分で負うのではなく、父に罪を背負わせ自分は幸せを手に入れようとした瞬間と私は理解しました。
【娘が未成年で妊娠してしまった、少年更生施設の女性先生】
犯罪者たちを更生する仕事は必ず必要。でもそれは世間からはどう思われる仕事だろうか、まして母親から放置された娘の気持ちはなおさらでしょう。
この映画で1つだけ救いがあったとしたら、娘の妊娠で白石が母親として目覚めた瞬間でしょうか、ようやく母と子供に戻ったのです。と共に更生している少年たちは今後どうなってしまうのでしょうか。白石は母親に戻ることで少年たちを見捨てる判断をしたことになるのではないでしょうか。
【少年Aに恋をした、男に騙されAVに強引に出演させられた女性】
救いのない状況の彼女を救ったのは、少年Aの鈴木でした。二人の恋は急速に進みます。
鈴木が異常殺人者少年Aと知るまでは…。
彼女の最後の判断は映画では読み取れませんでしたが、おそらく鈴木を見放していると読み解けます。安心できる場所から再度地獄に突き落とされた彼女は、今後もしかしたらもう立ち直れることができない状況まで落ちてしまうのではないか?と思えます。
異常殺人者でも私は愛を貫く!などという甘いセリフは聞かれないのです。
【子供の頃、いじめっ子の自殺を止めれなかった元記者】
自分が同じようにいじめられるのを避けるため、唯一の友人として付き合っていたのに、いじめられっこに最後にとどめを言葉を発してしまった、益田の罪の意識は計り知れないもの。
ただ彼はまだ少年だったんです。これはしょうがなかったのではないでしょうか。いじめられっこも自殺以外の方法があったはず。逆に、罪の意識を一生持って生きていかないといけない益田が一番の被害者であるのです。
友人となった少年Aを世間に公開してしまったきっかけを作った彼は、ラストで今まで行けなかった自殺現場へ向かい、号泣するシーンはとても印象的でした。
益田は少年Aとは違うんです。一生分の後悔もした、もうこれで赦されて幸せになってもいいじゃないかと、私はそういう気持ちになりました。
【少年時代に2人を殺害した、少年A】
さて、冒頭で述べた犯人を描いたであろう(正式に原作者は認めてはいない)といわれる、瑛太演じる鈴木秀人。
社会に出た鈴木も変わらず異常な雰囲気と行動なのですが、この映画では彼も人間なんだと言わんばかりに、自分が死ぬと悲しむといってくれた益田との友情が芽生え、新たな恋もしてしまった。そして鈴木は被害者には申し訳ないと言いつつも、生きたいと叫ぶのである。
ラストでは、殺害現場を訪れ、不気味な笑い泣きを行う。このシーンで、彼が本当に更生し被害者に申し訳ないと思ったとは思えません。自分が普通にそして幸せに生きていけない悔しさへの涙としか、見えませんでした。
はい。ということで登場人物への個人的感想を書いてみましたが、本作が問題作となるゆえんは、犯罪者(少年犯罪)は幸せになってはいけないのか?というメッセージです。ただ、本作は全く被害者側を語らずして犯罪者を美化している気がするので、全く好きになれませでんした。
俳優陣の演技力は抜群
監督の演出はイマイチ。2時間の映画の枠を理解していない。言いたいことを詰め込みすぎ、とっ散らかって焦点が定まらないまま終わり。難しいとか苦手とかいう感想を書いている人がいるが、安心したほうがいい、監督の演出が破綻しているからそう感じるだけ。
重いテーマに押しつぶされそうになる
社会に生きるすべての人に問うている作品 テーマは「贖罪」だろうか? たくさんの登場人物がそれぞれの葛藤に苦しみながら、必死で答えを探そうとしている。 作品の中に登場する週刊誌 「世間の人が知りたがっている」ことを理由に、過去の事件の加害者の現在を嗅ぎまわっている。 YouTubeでも類似するものが度々ある。 元記者で工員の増田ジュンイチは、記者仲間だった杉本清美から17年前の事件の再調査の手伝いを依頼されるが、彼は清美に言う。 「青柳は幼少期の母の死によって、性的異常が発生した。男児殺害後の自慰行為も確認されている。破壊的衝動が彼を包むが、その欲望を抑え込みながら生きているのだろう。だから同じ心の空白を持つ者になら、彼のことが理解できるのではないか?」 そして清美に問う。 「もしも自分の恋人が殺人者だったらどうする?」 「私はそんな人を選んだりしない」 清美も枠の外の視点からしか事件を考えられない。 だから「彼のことを一番知りたいのはオレだ」と言った。 身近に見てきた鈴木が何を考えているのか知りたいと思ったのは、友だちだと思っていたからだ。 少なくとも清美に言われなければ、増田は鈴木が青柳かもしれないと追及しなかった。 しかし知った以上、増田は、大切な友達として、青柳とどのように向き合えばいいのかだけを模索していたのだ。これがこの作品の中心線だと思う。 彼と同等の心の空白は、増田にもあった。 それが中二で自殺した桜井学 彼と友達だった増田は、彼へのいじめが自分に降りかかることを恐れた。 そうしていじめに参加した。葬式ごっことみんなで書いた色紙に、自分も書いた。 それでも死ぬ前に掛かってきた電話 「もう限界だよ 死んだほうがいいのかな? どう思う? 君は僕が死んでもかまわない?」 「勝手にすれば」 増田が末期がんで死にかけている学の母の見舞いをしている。彼女はいつも彼を歓迎するが、彼の最後の告白を「聞きたくない」と拒否した。本当はわかっていたのだろう。でも一人息子にいた唯一の友達の裏切りの話は、最後まで聞きたくなかったのだ。 それさえできなかった増田 週刊誌によって暴露された青柳の写真 鈴木は、もう工場にいられなくなり去った。 増田は覚悟を決めた。 「どうしても来れなかったこの場所に来なければならなかった」 それは学が自殺した場所 そして、その時増田はようやく鈴木の気持ちに寄り添うことができた。 そして、鈴木がどこに行ったのかもわかったのだ。 「今度こそ死なせたくない友達がいるから 生きててほしい 友達だから」 青柳の2つ目の犯行現場 鈴木はそこで少年時代の自分の姿を見る。虫を追いかける姿。それは母が死んで間もない時。かつてそうだった自分を見つけ、ほほ笑み、涙し、そうだった自分自身を受け入れていくと、すぐそばには友達増田がいた。 この時二人はようやく同じ気持ちになれたのだろう。 自分自身の過去に向き合う。それができて初めて人は他人の気持ちに寄り添うことができるのだろう。 鈴木は殴られても蹴られても決してやり返したりしないのは、それがだめだと知っているから。 安全漫才のみやぞんさんが「怒るのをやめた」と言っていたのを思い出す。 彼は「怒りが何をするのかよ~く知っています」と言ったのとおなじ。 しかし、何故か世間はつも「過去」を取り上げようとする。 さて、 タクシードライバーの山内 彼の物語は世間一般の常識を描いている。息子が起こした交通事故 幼い3人の命 決して償えないこと。 山内が出した答えは、家族解散とそれによる苦しみを自分たちに与えること。 しかし息子が結婚することになる。どうしてもそれが許せないのは、山内自身が被害者家族に成り代わっているからだろう。 息子の妻に「私たちは幸せになってはいけないんですか?」と問われても、「家族を解散したのにまた家族を作ってどうする」と言い返す。 ここに日本の常識的な要素が詰め込まれている。 ちなみに、 交通遺児育英募金というボランティアを学生時代何度もしたが、遺児たちが住む寮で、誰かからもらったゴルフクラブでスイングをしていたら、見知らぬ通りすがりの人物が「君たちがなぜそんなことができるのか」とクレームを入れたことがあった。つまり「誰かの世話になっている奴はゴルフなんかしてんじゃねえ」ということだ。 これが日本社会の一般常識にこびりついているのだ。 作者が言いたかった重要なパートが山内の物語だ。 また、 藤沢ミヨコの物語 彼女は何かの夢でもあったのか、上京しバイトしながら生活していたが、時間だけが過ぎていくことに焦りを感じていた。そんな時声をかけてきたのがタクミ。 やがてAV出演させられ、心も体もボロボロになった。 それでもまだしつこく付きまとい、当時のビデオを関係者にばらまく行為をする。同時に実演レイプ動画まで撮影した。 そんな彼女にやさしく付き合う鈴木 マンションの呼び出しで喚くタクミの前に行きボコボコにされながら笑う。殺すことがどんなに容易いのか知る鈴木は、自らの頭を石で殴り流血しながら笑う。 タクミは鈴木の言動に付いて行けず去る。 手当をするミヨコ キスのタイミング でも鈴木は、しなかった。 それは性的遅延なのか? おそらくミヨコには鈴木と心を共有するためのピースが足りていなかったのだろう。 少なくとも鈴木には「まだ」だったのだ。 夏帆さんではなく、客観的なミヨコを、果たしてどれだけの人が受け入れられるだろう? そのような「閾値」は誰にでもある。 同時にミヨコにも受け入れられない「閾値」が存在する。 それが増田が清美に言った「もし自分の恋人が殺人者ならどうする?」だ。 週刊誌記事を見たミヨコは、東京を去った。 人を100%受け入れるとはどんなに難しいことだろう。 もしこれにチャレンジした時、例えば増田がこの事件と自分自身の告白を記事にしたら、それは、「世間の人々が知りたがっている」ものではないのだろうか? そして、 少年院の疑似家族 これは少年の重罪には家族問題があると決められているような事項が存在する。 だから矯正施設では、疑似家族というものが作られ、一定期間重罪者の家族構成と同じ家族環境が作られる。そこで一般家庭を学ぶのだが、青柳には白石という母役がいた。 彼女の裸婦画は、青柳の心理描写だろう。それが彼の性への目覚めだったのかもしれない。 しかし彼女は仕事に忙しすぎ、娘のこともかまっていなかったことに気づかされる。 娘の中絶の日、突然病院からの電話、施設で起きた事件 「オレを見捨てるのか?」 騒ぐ受刑少年を無視して駆けつける。 家族以上の家族などない。それ以上に大切なものはない。 眠る娘に寄り添う彼女は、まぎれもない母親だ。 この作品は、 それぞれの物語がほんの少し交錯することで全体性を出している。 いなくなった猫は超えられなかった閾値の象徴 気を付けても気を付けても気を付けすぎることのない運転 贖罪とは罪の意識で、結局は自分自身の心の澱 そしてタイトルにはメインラインの友達と贖罪を意味しているのだろう。 内容の難しさよりも、増田が必至で友達を取り戻そうとする熱意は、喪失したもの以外わからないのだろうと思った。 逆に、それを取り戻そうとしない限り自分の枠のようなものが狭くなるように思った。 私自身人生の何に蓋を閉めているのか考えてしまう。
脚本がよくないとおもわれます。筋、ストーリーが。
三日がかりでやっと見終わりました。途中で投げ出したくなりましたが最後まで見終わりました。 希望をもたせる終わり方 こじつけみたいな終わり方なんですよね 神戸連続児童殺傷事件が小説になる。そして映画になる。それはフィクションとしてちゃんとつくられている。 それはよいのですが小説は読んでないのでこの映画の範囲でいうと、どうも切り落としたほうがよいところがあります。未成年のときの無免許運転で幼い命をうばってバラバラになった家族が息子が結婚することになり父(佐藤浩市)と息子の溝がはっきりしたりするこの家族、未成年の父親、加害者家族の父親の償いや考え方、タクシー運転手とて、こちらは描かれているのに、この映画の柱である本来の神戸連続児童殺傷件の家族の償いはまったく、描かれない。それはやはり、描くことが困難なのです。身勝手なマスコミのエゴは、世間を騒がせた、大きな事件なのでそれは主人公(生田斗真)の元恋人にまで絡ませて描かれているのにです。 瀬々敬久監督の映画を初めて観たのは『最低。』でこれは非常に感動して、そのあと『ヘブンズストーリー』『菊とギロチン』『楽園』と見てきました。 そしてこの映画になりましたが 『楽園』以外はどうも良くない、私には。監督の映画は話が広がりすぎる傾向にあります。シーンシーンで瀬々監督の力量の凄さはいまだに、多くのシーンで印象に残ります。ほかの現役監督を遙かに凌駕しているだけに、とても、残念に思います。 わたしは最後ばったり会って希望をもたせるラストシーン この映画の終わり方としてはよくないと思います。 たとえばいろいろな問題提起をしてとりあえず希望をもたせて終わる。 クルド人問題を扱った 『マイスモールランド』 あの終わり方は良いです。 ただこの『友罪』はよくない。 人と人が、本来孤独なものでしかない。なのでバラバラになってお互いをふとした瞬間で思い出す なんか具体的にすぎましたが、まあ、そういうことです。もやもやしたまま、不安な気持ちで余韻を引くべきなのではと思います。 言葉で説明することは難しいからほかの映画と比べて説明しました。
これもまた評価が難しい・・・
瀬々さんの作品は🎦最低。に続いて2作目の鑑賞。瀬々が京大哲学を卒業という履歴を拝見すると腑に落ちる作品作り。結論から言うとストーリーに身を任せる事が出来ず結論ありきの物語感が強い。しかしこの2作に共通する事はいずれもエンディングにカタルシスが用意されていて鑑賞後感がすこぶる良い。カタルシスと言うより救済といった方が監督の視点がはっきりする。この揺ぎ無いまなざしがこの監督の生命線なのかもしれない。
瑛太と夏帆が印象的だった!!
内容そのものより、どういう状況か分かっていくのが面白かったです。過去の事件の直接的な描写が無いのでモヤモヤしますが、心に欠損がある者が集まっていました。生田斗真はいつも同じような印象ですが、瑛太の方が役柄にチャレンジしていました。夏帆も役柄に合っていました。あれっ!?終わり!?という感じで、起承転結の結が弱いと思います。
ちょっと話変わっちゃってるのでは?
少年Aって絶歌の人でしょ?こんなサラっとした殺人じゃないと思ったのですが…。他の方も書かれているようにこれだけでも大きな事件なので他の事件をごちゃごちゃに混ぜこんだ事自体はしない方が良かったかも。俳優陣の演技は良かったです。以上!
考えさせられる
皆さんのレビューを拝見し原作がある事を知った
原作は読んでないので知らない。
ただ単に一本の映画として観た感想は
言うほど酷くはないと思いました。
タクシー運転手の息子は自分が犯した罪を受け入れ反省しそれでも家族を作ろうとしてる、残りの人生を精一杯生きようとしてる。
鈴木も小さい頃、きっと母親が死んだあとリスカが始まり毎日生死について考え母親の後を追いたかったんじゃないか
でも今では心の底から生きたいと益田に言った。
反省して更生したらいいのか
被害者家族はそうは思わない
奪われた最愛の娘、息子はもういない
「人が死んだらどうなるか
その人の存在が無くなるんだよ
会えない、話せない、触れることもできない
この世界にいないんだよ」
家族は毎日毎日自分の子供が生きてたらって思うでしょう、会いたい話したい触れたいと。
映画を観て両方の気持ちがわかり
なんとも言えなくなりました
簡単に言葉が出てこなくなる
一生笑ってはいけないのか
誰かを守りたいと思ってはいけないのか
益田は自ら手にかけてはいないけど
あの時「勝手にすれば」と言わなかったら
学くんは生きていた
殺したも同然と罪を抱えて生きている
とても難しくて考えさせられました
ちゃんと反省している人間は許してあげたい
でももし私が被害者家族だったら
絶対にそうは思えない。
罪は償えない
自らの罪、他人の罪に対して様々な考え方を持った人物の物語が描かれていて、考えさせられました。
私が1番印象に残ったのは、罪を必死に償おうとするタクシードライバーは、被害者遺族を幸せにできるわけでなく家族に不幸をもたらしており、反対に、その息子は罪を償うことをやめているが(元々償っていない?)、結婚という幸せを手に入れ、少なくとも妻を幸せにできていることです。そして、全ての登場人物において、罪を償うことにより新たな幸せを生み出した人はいません。結局は罪を償うことはできず、償うためにしている行動は自分自身の許しを得るためのものと思います。
鈴木が公園で言った、「でも、生きたいんだよ」が全てだと思います。たとえ罪を犯した人間でも、生きて幸せになる権利がある。しかし、そのためには自分自身の許し、他人の許しが重要であり、罪が大きいほど幸せを得ることが難しい。それが罰であり、その環境を受け入れることが償いではないでしょうか。
時は刻々と流れていく 決して取り返すことはできない だから日々を丁...
時は刻々と流れていく 決して取り返すことはできない だから日々を丁寧に 自分が発するひとつひとつに責任を持たなければいけない けれども人に対しては許せる人であれたらと思う すごく苦しい映画だった でも人として大切なことに気づかせてくれる映画だったと思う
公平ではない。
少年犯罪の加害者の出所後の心の葛藤と後悔の念を描き、最後は生田斗真演じる主人公との友情で美談の如く締めくくっているが、過去に少年犯罪の犠牲となった被害者遺族からすれば観ていて不快でならないだろう。恐らく瑛大が演ずる役は神戸児童連続殺傷事件の加害者、佐藤浩市の息子役は女子高生監禁暴行殺害事件の加害者の一人で、現在家庭を築いているとされる元少年を模写していると思うが、女子高生事件の他の加害者は全く反省もせずに再犯を繰り返しているし、この元少年らも実際の胸の内はどう考えているのか分からない。実際に少年犯罪の加害者の出所後の再犯率の高さから伺える。この原作を書いた小説家や映画製作に携わった人達は少年犯罪の加害者側に立ち、被害者心情を全く考えていない。もしこのような小説や映画を製作したいのなら全くのフィクションにするべきでは?登場人物が実際に起きた犯罪の加害者や被害者を連想させるような作り方は理解しがたい。何十年過ぎていようが被害者遺族にもっと配慮すべきだし、再犯を繰り返す加害者が多い事も取り上げるべき。こんな美化された映画、観ていて不快になった。
どっしり重いテーマの良作
評価分かれるのは仕方ない作品。
大きな盛り上がりやどんでん返しや伏線回収などが無いのでその辺の低い評価は想像される。
実話を題材に罪と償いがテーマなのでむしろ映画のエンタメ要素が無くて好印象でした。
複数の話が絡み合わないながら同じテーマの中で、それぞれが抱えている問題としっかり向き合うまで丁寧に描かれている。
役者さんが有名どころばかりだがいい感じに目立たずにストーリーに溶け込んでました。
ラストあたりで少しインパクトあれば5点だけどそういう要素入れると安っぽくなるのかもと思うと難しい。
瑛太
瑛太の演技が本当に絶妙だなぁ。やりすぎてもなく。闇のある瑛太の演技好きだなぁ。。 ストーリーとしては、一個多かったかなぁ。詰め込みすぎてるかなぁ。 富田靖子のくだりとかはもしかしたらなくても良かったかもしれなち。
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