寝ても覚めてものレビュー・感想・評価
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オチがない
唐田えりかさん主演。
これがこの映画に見どころだろう。
演出なのか実力なのか、セリフは棒読み。
俳優らしさはありません。
主要登場人物の殆どが関東圏出身にも
関わらず、学生時代を関西で過ごした事が
起点になり、関西弁でセリフを語ると言うチャレンジ。
大阪人の私としてはこの出来不出来は重要だ。
東出昌大さんは、朝ドラ経験からまぁまぁ問題なし。
田中美佐子さんはさすがのベテラン。
違和感ないにしても、時折濃い語り。
何より驚いたのは伊藤沙莉さんだ!
彼女は耳がいいのか、練習して習得したというより、
元々話せますレベルだ。千葉出身やで!
若手でここまでの表現力はなかなか見出せない。
元々、演技力もあり与えられたキャラを見事に
演じられる女優としてみていたが、協力な武器を持ってますね。
朝ドラのひよっこで知り、獣になれない私たち、この世界の片隅に、これは経費で落ちませんでも活躍を見ています。
益々期待大!
内容に戻ります。
タイトルから期待するラブラブ映画をどう見せるのか。
これが注目。
きっかけはありえないと思いつつ、今の世代の人にはあるのか?と譲歩し、その後の恋人同士と友人の群像劇をなんとなく見ていく。
何か起きるのか、考えさせられるテーマを突きつけてくるのかと思っていたが、何もないんかいっ!
と分かってきたら、オチに期待するしかなかったが、
普通やん!!っていうか、これじゃ締まらない。
唐田えりかさんの透明感を見せたかったのね。
であれば納得⤵️⤵️
もっと多くの人に観て欲しい
カンヌでパルムドールノミネートされたものの、「万引き家族」に光が当たりすぎてあまり話題にならなかった今作。
少女漫画原作にして、滝口監督初の商業映画にしてノミネート。実はカンヌでは異例の作品。
個人的に近年の日本映画の中で一番の出来だったと思う。まずOPの花火で遊ぶ子供を挟み出会う朝子と麦のシーンで心を奪われた。終始、朝子のクズっぷりにイライラするも、そのイライラさせる演出は本当にうまい。
展開もスリリングでサスペンスを観ている様な気分になる。次に何が起きるか予想が出来ない脚本、ずっと観ていたくなる作品だった。
朝子は「追いかけたい人」だったんだと思う。
亮平と朝子が並んでベランダに立って、その先にある河を眺めている。
亮平は「汚い河だな」と言い、
朝子は「でも、綺麗。」とつぶやく。
ラストシーンのセリフはこんなカンジ。
同じ「河」に対しての2人の見方は違うのか。そもそも映画的にはこの「河」って何なのか?主題歌のタイトルが『RIVER』ともいうだけに、この物語に対して河は大きな意味を持つようだ。
じゃあ、この「河」を目的地として、まずは本作『寝ても覚めても』というタイトルから考えてみようかな。
言わずもがな、「寝ても東出昌大、覚めても東出昌大」という意味だと思う。寝たり覚めたりするのは朝子なので、この映画は朝子の物語だ。「寝ても覚めても」を「夢と現実」、もしくは「理想と現実」と言い換えてみると、「理想の東出昌大と現実の東出昌大」の話となって、二役に当てはめてみれば「朝子にとって理想の鳥居麦と、現実の丸子亮平」の話ということになるんじゃないかなと思う。
「朝子が何を考えているのか、その行動原理がわからない」というようなコメントを目にしたけど、そもそも恋愛において、ちゃんとした行動原理で行動できることのほうが少ないものだと思う。それが苦しくもあり楽しくもあるのが恋というものなんだろう。当事者にだってわからないものを、相手方や第三者がわかろうとするのは難しい。だからそういうわからないところもひっくるめて相手を受け入れていくっていうのが、恋から愛へのステップだということも、よく語られることだ。
でも僕は、本作の朝子については、わりと理解しやすいというか、一貫した心の流れがあったように思えた。もちろんそれはただ僕が、わかったような気になりたいだけなのかもしれないけれど。
朝子はたぶん、「追いかけられて追いつかれるのではく、追いかけて追いつきたいスタイルの人」なんじゃないかなと思うんだ。これは僕がラジオ版で話したところの、「自分 “が” 100%で好きな相手と、自分 “を” 100%で好きになってくれる相手と、どっちを選択するか?」という問いに基づく考えになるのかな。僕はもう恋愛について考える際に、「マウントを取る/取られる」というモノサシで測るクセをいいかげん卒業しなきゃと思ってはいるんだけど、本作の朝子についてはそのモノサシを使うと理解できるような気がしてる。
朝子にとっては、
「ふんわりと逃げてしまいそうな鳥居麦を追いかける恋が理想」であることに対して、
「しっかりと追いかけてくる丸子亮平を受け入れる恋の現実」が苦しかったんじゃないかなと思う。
無条件に人を愛することって、なかなかスゴいことのように思えるけど、実は迷う必要がない分、楽しくて甘美だとも思う。
逆に無条件に人に愛されるのって、かなり嬉しいことのように思えるけど、ホントは自分の悪いところや醜いところを無視されているようで、けっこうしんどいんだと思う。
自分を無条件に愛してくれる人を愛し返したはいいけど、自分の悪いところや醜いところに相手が気づいたとき、自分が嫌われてしまいそうで怖いって、朝子はずっと迷ってたんじゃないかな。
丸子亮平はホントいいヤツ。朝子のことを本当に愛している、ように見える。でも「朝子が鳥居麦を好きだという負い目を踏まえて愛してくれてる」わけではない。だって朝子は話してないからね。で、話してみたら「自分が鳥居麦に似てたから朝子と付き合えたと考えれば、それはラッキーだ」と言う。大したモンだと思う、なかなかそんなふうには言えないよ。でもね、やっぱ負い目だと思ってる朝子にしてみれば、それは丸子亮平のやせ我慢で、朝子の負い目から目を背けてるだけかもって、考えちゃったんじゃないかな。朝子としては、自分の負い目に正面からぶつかって、爆発させて、消化して、その上で許されるところから、朝子と亮平の関係は初めて始まるって思ってたんだと思う。
鳥居麦がどういう人間か。それは実は朝子にとっても観客にとっても、どうでもよかったんだと思う。あれは恋に対する夢とか理想に、手足が生えて服を着てるだけの存在だったような気がする。鳥居麦が幻想的な人物だったのではなくて、鳥居麦に幻想を重ねていただけで充分だったというか、幻想を担わせる人物としてちょうどいいタイプだったというか。そういう、「人間」というよりは「概念」みたいな存在だったんじゃないかな。余談だけど、僕にとっても初恋の人は、もはや「人間」じゃなくて「概念」になってる笑。だから何年離れていても、ずっと好きなの、人間じゃなくて、概念だから。
でも、そんな鳥居麦が、人間という実体をもって、自分の前に現れちゃった。そりゃあとりあえずはテンション上がっちゃうでしょうよ。
あのレストランで鳥居麦の手を取って飛び出したのは、出来事としてはショッキングだけど、あんなの、出会い頭の交通事故で、事故の瞬間に運転手がハンドルを右に切ったか左に切ったかの違いに過ぎないと僕は思う(暴論?)。僕はあのレストランで暴かれたのは、「朝子の刹那的な愚かさ」なんじゃなくて「亮平、やっぱ朝子のこと受け入れ切れてなかったじゃん」ということなんだと思う。「ああ、そりゃあ丸子亮平だって、ああいう目するよね。」っていう。
そんなこんながあって、鳥居麦の運転する車は仙台に停まり、朝子はそこで鳥居麦と別れることにする。ここも「いったいなんやねん!」とか「コロコロ気が変わるやっちゃな!!」とか、朝子嫌われポイントになってる意見も目にするけど、ここで変わったのは朝子の気持ちじゃなくて、「鳥居麦が朝子を追いかける側」に変わってたってこと。そして「朝子が丸子亮平を追いかけるべき立場」に変わってたってことなんじゃないかなと僕は思ってる。
おそらく丸子亮平はその時、朝子の負い目に初めて正面から向き合って(向き合わされて)、爆発してる。鳥居麦は過去から自分を追いかけてきたけど、自分が未来に向かって丸子亮平を追いかけていける立場になった。そしてそんな丸子亮平に追いついて許してもらえたなら、その時にはもう鳥居麦への理想も丸子亮平への愛情に昇華されているはず。そこには友人たちの理解や応援や手助けはない。ようやく朝子は丸子亮平に対して、全力で無条件に愛せるようになったんだということ。
川沿いの道を走って逃げる亮平と、追いかける朝子。二人を照らす日差しが奇跡的な俯瞰のショットは邦画史に残る名場面だと思うけど、ようやく朝子は丸子亮平に追いかけられるんじゃなくて、亮平を追いかけられるようになった。そういう象徴的な場面としても素晴らしかった。
かくして朝子は亮平に追いついて、ベランダに並んで立つ。向き合う段階を過ぎて、同じ方向を見つめるというスタンスで並んで立つ。二人の目に映っているのは、これからの人生を暗喩する意味での「河」なのだろう。それはかつて亮平にとっては、自分を脅かすことのない、景色としての河だった。でも何かの拍子に増水すれば、自分が巻き込まれることもある、理不尽や矛盾や不信が渦巻く濁流になり得る河である。「汚い河だな」というセリフには、そういう想いが込められているのだろう。
朝子にとっては、その濁流が、理不尽や矛盾や不信を抱えて流れつつも、河が流れ続ける限り、それが日々の河の営みだと思えるのだろうし、いつかは濁りも流れ去ってまた穏やかな河になる未来が見えているのかもしれない。それを指して「でも、綺麗。」とつぶやいたのだと僕は思いたい。
朝子が「理想」にケリをつけて、「現実」を掴み取ろうとした話。結論としてはそんなシンプルな話なのかなとも言えると思う。
鳥居麦か、丸子亮平か。どちらが恋の正解なのかと問われれば、「両方と別れて新しい恋を探す」のが、僕は正解だと思う。でも、そのどちらであっても、自分が選んだことを正解にしていくこと、それが愛なんだと僕は思う。
ていうかね、男と女が共に生きていく河なんて、そもそも濁流なんだと思うよ。
感情没入不可
脚本の暴走がすごい、書き込みひとつひとつが足りてないように感じる。風景描写などは秀逸だが、中身が追いつかず設定も曖昧なまま全てのシーンを無理やり撮っている感じが強い。
特に、後半仙台に向かう瞬間の心情からの急転直下を説明しろとは言わないが、心の葛藤や変化を描写して欲しかった。世界観に入り込んでない中では女優がただ淡々と我儘な存在の不快な存在にしかならない。
「小骨」の映画
諦めた夢とか、好きだけど彼女がいる人とか、突然いなくなっちゃった人とか。
人生の中で刺さって取れない小骨があっても、みんな「別に平気」みたいな顔して生きてる。
けど、ふとしたことでその小骨を意識し出した時、それでも平気でいられるのか…って映画なのかなと。
みんながそれぞれの小骨と対峙して苦しむ中、年齢的にも状況的にも全てを諦めてるようにニコニコ笑う田中美佐子だけがはっきりと「羨ましい」って言うのが印象的だった。
過去の小骨に苦しむって、つまり諦めてないってことで、もしかしたらそれだけでも恵まれてるのかもしれない。
後半の衝撃的な展開はびっくりしたけど、私はあのまま、あの選択を貫いてほしかったとも思う。
彼女の人生は彼女のものだ。
誰に叩かれても、後ろ指さされても、それが幸せなら後悔するよりいい。
伊藤沙莉の「バカだねー、でも年取った時にネタにできるといいね」ってメールがとてもよかった。
幸せは相対的なものじゃなく、どこまで行っても主観なんだ、っていうのは、この映画でも、こないだ観た「美人が婚活してみたら」でも思ったな。あと「愛」と「情」について。
このあたりが、今の私のテーマなのかもしれない。
最初は、朝子と麦の行動が理解できなかったけど、2回目観て、まぁこう...
最初は、朝子と麦の行動が理解できなかったけど、2回目観て、まぁこういう人もアリかな、、、と思えるようになった。
出演者全員の「ありがとう」の発音、間違ってはないんだけど、誇張気味でそこばかりがとても気になった。
そして、やっぱり唐田えりかの演技が残念。
凄い、凄い、凄い!!!
恋愛映画は得意ジャンルでない俺でもわかる。これは、傑作だよ。
中盤のあるシーンでの亮平と朝子の会話。「窓から天の川が見えますよ。淀川の支流です」「亮平、私、ここ好き。もっと好きになりそう」
(「きれいな川だね」「ほんと」という会話をしてたと思い込んでたけど
朝子は、『間違いではないことをしたい』という思いから、震災被害の東北を毎月ボランティア訪問してきた。つまり、彼女の心の奥では、そっくりな亮平と付き合っていることは、正しくないことに位置付けられていた。
亮平は、麦の存在を知って以降は、朝子にいつかは去られるかも知れないと感じながら、つきあっていた。
ふたりは、あんなに幸せそうに付き合っていたのに…
そして朝子は麦に会う。一度は避けた朝子だが、再度の出会いでは自分の心に気づき、亮平の目の前から去る。それは、観ている我々にもそれこそ衝撃の展開。そして…
終盤でのあるシーン。再び亮平と朝子の会話。
「(雨で)水嵩が増してる。汚い川だな」「でも、きれい」
この(序盤のシーンとの)対比の見事さ!
お互いに麦の存在に気づきながら、二人ともそのことを心にしまっていた当時(序盤)。心のままに従ったとは言いながら、手ひどい裏切りとも言える行為を行った朝子と、受けた亮平。とくに亮平のもとを一旦は去った朝子は、自らをきれいな流れには例えない。(終盤)しかし、今の方が心から亮平を好きだと言える。汚く見える流れだが、きれいな流れだ。いや、汚く見える流れだからこそ、いろんな気持ちを織り交ぜて流れている川だからこそ、きれいな流れだと今は思える…
ううむ。終わってみれば、ラストに向かって一貫したストーリー。しかし実際に観ている間は、特に後半は、予断を許さない展開が次々と続き、あっという間にエンディングになだれ込む。
それはもう見事な映画でした。
おまけ1
タイトルは「寝ても覚めても」(誰々を愛する) ではなく、「寝たら覚めたら」(その度に心は移ろう)だよね。それが前提だからこそ、今この時の気持ちは尊い。みんなも是非、堪能して!
おまけ2
「万引き家族」がカンヌを取らなかったら、これが日本アカデミー賞だったのだろうなあ。
おまけ3
ネタバレなしでレビューできなかったことはとても残念
-------2020/1/26追記
主演二人の不倫が発覚して、意外なところでまたクローズアップされそう。ただ、この映画が「あの、不倫に繋がった映画ね」という評価だけになってしまうのは、あまりにも惜しいです。
-------2023/4/20追記
Amazonで再び観た。
そうか。高速で、東北での麦との会話で、「あれ、亮平と違う」と感じた朝子。そこで自分が好きなのは「麦に似ている亮平」ではなく「麦ではない亮平」だと気づいたんだな。2回観て初めて気づいた。
初回は、レストランから去って「驚き」、東北で引き返して、さらに「驚き^2」と、正直、驚いてるだけで精一杯だったからなあ。
終盤、汚ねぇ川だなっていう台詞に今まで一枚ベールを着飾っていた男が...
終盤、汚ねぇ川だなっていう台詞に今まで一枚ベールを着飾っていた男が女に裏切られた事に巣に戻った瞬間こそこの映画の輝きがあると思った。この先、気を使わない生活ができるのかあるいは暴力臭が漂う生活があるのかどっちに転がっても仕方がない夫婦生活にドロ臭い雰囲気が漂い面白い未来を予想させる結末がいいね。
引き込まれた
私ならあの場面で麦の手は取らない。
でも「あの時あの人について行ってたら…」と考え続けそう。
表面上だけ仲のいい夫婦でいられれば亮平はそれで幸せだったのかな。
朝子はどうなんだろう。
二人はあのあとどう暮らしていったのかな。
分かってしまう
麦のような男を何人か見たことある。フワフワしてて掴み所が無くて自由人。すごーくモテるけど、好きになる女のコはだいたい不幸そう。
亮平と付き合って、彼のことが好きなのは本当だけど、亮平が好きなのか麦の面影を追ってるだけなのか分からなくて、そんな時ひょっこり帰ってきた麦について行ってしまうのもダメだけど分かっちゃう。
東出くんカッコいいので、それだけでも見た甲斐あったけど、なんだか友だちの恋愛話を聞いてるような映画でした。
嫌悪感抱く人と、楽しめる人、分かれる映画かも。
猫の演技が一番良かった
評判が良いので旧作上映で観に行ったけど、2時間見続けるの辛かった…。
表情が少なく、すぐに黙り込んでしまう主人公に共感できなかった。黙ってる間とか仕草に、とくに葛藤とか感情も感じられなくて。
なんというか「女性や恋愛感情は掴み所のないもの」として作られてるように思えて、それが辛かったです。
猫の働きはとても良かった。
すごく奇妙で引き込まれる
かなり無理のある設定ながら不思議と引き込まれていく作品。
あからさまなハッピーエンドではないが、そこがまた良い。「同じ顔の男」というファンタジーの中に、「一度壊した関係は修復されない」といった生々しさが両立する奇妙な物語。
それ故に印象に残った、のかな?
ありそうで無い恋愛物
言葉では表現しずらいけど、全体的なトーンとか登場人物のセリフだとかが今までありそうで無かった感じがした。
朝子がまるで何を考えているのか解らないし、麦も解らない。。
解らないから感情移入はしなかったけど最後まで目が離せなかった。
不思議な作品
亮平の普通さがただ愛しい
ずっと観たかった作品、日本に住んでいないので映画館に行く事が叶わずDVDをようやく手に入れての鑑賞。
そこまでハードル上げての鑑賞にも関わらず、文句無しの5つ星。別に映画館にこだわる類の作品では無いけど、映画館で是非観たかった。
初見ではバクのキャラクターに惹かれていたが、時間が経つごと亮平の本当にどこにでもいそうな普通さがじわじわ愛おしい。
自分はお人好しじゃない、許さないと言いながらもやや糸も簡単に家にあげてしまう(正直女からしたらチョロい男)というどこまでも普通の感覚の持ち主。
バクの居ない時を喫茶店で消化戦のごとく過ごしてきた朝子。
バクにずっと振り回されっぱなしで結局はこういう普通の男が1番だと気づいたのだろうと朝子の突然の心変わりには共感してしまった。(あんなに待っていたわりには心変わりまでの時間がやや早過ぎでは?と思わずにはいられませんが…)
東出さんの演技は色々言われているけど、作品次第なのでは…。
不安定さ
麦みたいな男性に惹かれるけど、現実的には亮平の方が幸せになれるという恋愛の矛盾や不安定さを描いているのかなあと思いました。後半の麦の登場シーンは恋する気持ちを求める朝子の妄想かと思っていたのですが、、違ったのか。
ネタバレサイトを考える
かなり変わった風合いの作品であり、元々は鑑賞する予定もなかった。その理由は東出昌大の印象である。偏見は良くないのだが、体格として異様な程の長身と童顔、そして優等生の風味と、ヲタク気質を体よくアナウンスしているあざとさ。全方向、老若男女に愛されるキャラクターの俳優に胡散臭さをどうしても感じてしまうのだ。その優等生っぷりは、『桐島』での出演からかもしれない。
そんな作品なので観る事もないがあらすじだけは知っておこうと調べたのだが、またこのネタバレサイトも考えモノであるということが、今回鑑賞して相当思い知らされた。というのも、その某サイトでの解説が大変興味深く思わせる秀逸な文章力なのである。付合っていた男が急に目の前から消え、そして幾年かにまるでドッペルゲンガーのように顔かたちが同じの男が眼の前に現われそして付合う、しかし以前の男が急に現われ、元の鞘に戻ってしまう。と、ここまでは普通にあるラブストーリーなのだが、そこから又逃避行中に、やはり元彼から別れ、今彼に戻ろうと又考えが180度変容する、奇っ怪な構成なのである。
これは確かに面白いと思い、自分なりのイマジネーションを確かめるべく、高崎映画祭にて鑑賞した次第である。
そしてそのギャップの打ち拉がれた一番のポイントは、元彼と逃避行途中に休んだ宮城の海岸線沿いの防波堤の二人の印象である。主人公の女性は、東北大震災に対する思いが強く、ボランティア迄する程の入れ込み。片や元彼は、その間海外にいた性で日本の事情は知らないからその防波堤の思い入れもない。そのギャップに主人公は改めて一緒に手伝ってくれた今彼を思い出して本当に好きだった男は誰だったのかを理解するというシーンなのだが、これが件のネタバレサイトだともっとドラマティックに解説しているように思えて、主人公の気づきに共感性が持てる話になっていたが、しかし実際はかなり薄味のシーンなのである。ということは、自分の注目したポイントと、実際の映画のポイントが丸っきり違ってしまっている典型的な“ミスリード”を勝手に起こしてしまっていたのである。本作でのクライマックスは、戻った主人公と、裏切られた今の彼との、修復できない程の傷を果たして埋めるのかどうなのかの余韻を観客に投げかける作りなのである。そういう意味では後半というか、ストーリーの3/4を過ぎてのセンテンスの為の長い長いフリをどう感じるのかに好き嫌いがハッキリ分かれる作品なのだろう。
外野や第三者はどう見たって元の鞘には戻らない関係性を、当事者同士が乗り越える意思を貫くのかそれとも力尽きるのか、そんな人間の浅ましさを表現している部分では理解は出来るのだが、淡々とした作りに没入感が得られにくいのが残念ではある。
そもそも、自分がミスリードしていての鑑賞なのだから悪いのは鑑賞者である自分ということがダメなのだが・・・
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