「重く難しい」検察側の罪人 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
重く難しい
正義… これがこの作品のテーマだろう。
日本を良くしたい… 大学の北豊寮出身の仲間たちがそれぞれそう思いながら自身のキャリアを積み重ねながら今まさに日本の背骨になろうとしている。
検察官となった木村拓哉演じる最上検察官は、部下である二宮演じる沖野が「久住由紀」と同じ誕生日だったことで彼を自分の片腕にしようとした。
この作品は複雑で難しく、なかなか理解しにくい。
最上は冷静沈着で、揺るがない正義感を持っているが、北豊寮で起きた事件が時効となったことが唯一の汚点だ。
そしてある殺人事件が起き、その容疑者の一人にあの時の事件の容疑者松倉が浮上したことで、最上の正義感が大きく揺らぎ始める。
最上には情報屋の諏訪部の存在があり、沖野専属事務官の松高演じる橘が検察の不祥事を暴くために入社した出版社のスパイという設定。
最上の仲間の丹野議員は、妻が所属高島財団なるものが、太平洋戦争を美化し日本を再び戦争へと駆り立てているという秘密を手に入れるが、マスコミはそっぽを向き自分自身が追い詰められてしまうことで自殺する。
この作品は「言葉の魔術師たち」「審判」「愚者」という3部構成で描かれている。
「言葉の魔術師たち」で語られるのが「建前」のような美辞麗句。
「審判」で語られるのが「真実」 松倉の生々しい供述と弓岡という真犯人、そして追い詰められた丹野が語る「この国の真実」この国の報道の自由世界第80位。
そして「愚者」で語られるのが「今後の方向性」だろう。「橘へのスパイ容疑」によって二人の言動を一刀両断する最上。発見された物証から作られた「新しいストーリー」
やがて沖野は橘と組んで国選弁護人に頼み込んで事件をひっくり返すことに成功する。
しかし松倉は老人の車の暴走で死亡する。
最上に呼び出された沖野。彼は真実にたどり着いていることで、最上は丹野の示した証拠を持ち出し、高島財団と戦争というわけのわからない話を持ち出す。
冤罪をかぶせられそうな松倉を、正義の観点で助けたものの、奴がクズ人間だというのは、勝訴した弁護士事務所の長の山崎努さえ、憤るほどだ。松倉は目の前で「力」によって殺害された。
正義を貫きながら、誰一人救われなかった。
「でもあなたは検察側の罪人だ!」そう言って飛び出したものの、本当はどうすればよかったのか全く分からなくなってしまったのが、彼の最後の叫びだったのかもしれない。
どなたかほかの意見をお聞かせください。
最初に映画館で見て、今回もう一度見てストーリーは追えたが、難しかった。
いつも共感ありがとうございます。
ラストシーンの
最上と沖野が言い争って沖野が叫ぶ場面がどう捉えたらいいのかわかりませんでした。
いま、思うことは尊敬する最上検事が自分の人生を失くすことになってしまう事になるのに。どうして殺人を犯してしまったのか。
憤りの叫びだったのかと思いました。
内容は薄ら覚えでもう一度鑑賞してみるとまた感じかたがが変わるかもしれません
コメントありがとうございます。
原作を読まれてるのですね。
雫井脩介の原作は3部に分かれてる。
相当に長く難しそうですね。
私は読んでないのですが、いつも必ず思うこと。
映画より本の方が数倍感動します。
映画では時間的な制約もあり前後編とか分かれるのは、
やはり嫌ですしね。
原作の変更は良くあることだと思います。
原作は多分国家権力への正義がどうあるべきか・・・などの視点で書かれているのだと推測します。
「検察側の罪人」とニノがキムタクに叫ぶのは、
法を守る立場の検事が殺人を行った・・・だから単純に、
あなたは罪人(殺人犯)だと、言ってるのだと考えました。
最後の「叫び」これは自分が最上を警察に告発することに躊躇していることを
ストレスに感じて自己嫌悪みたいな感じでしょうか?
これだけの証拠があっても最上は立件されないのでしょうか?
それこそ、ならば日本に正義はありませんね。
揉み消せると思いますか?
木原事件の例もありますから、どうでしょうね。
容疑者Xの献身に、コメントありがとうございます。
数学から読み解かれた推理、とても奥深かったです。
原作だと石神の哀れさが圧倒的筆致で描かれていた気がします。
今回2度目に見直したら、石神は病んだ男でした。
愛する弁当屋の松雪泰子母娘の幸せを願うあまりに、ホームレスを
身代わりに殺してしまう。
石神の愛と、その目的の為に蔑ろにするホームレスの命。
東野圭吾作品のやはり最高傑作かも知れません。