海辺のリアのレビュー・感想・評価
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桑畑だよ!
2021年1月23日
映画 #海辺のリア (2016年)鑑賞
リア王をモチーフにした映画を #仲代達矢 主演で撮りたかったんだろうけど・・・
#阿部寛 いつもどおり
#黒木華 頑張ってたな
#原田美枝子 上手いな
#小林薫 とは気づかなかった
施設から脱走したら警察に通報すると思うけどね、管理責任問題だよ!
誰のための映画?
残念ながら終始イライラした。
認知症役の仲代達矢に興味は持てず、周りの登場人物の喜怒哀楽は全部説明が後からなので意味が分からず。
「演技とは」とか「役者とは」みたいな講釈を興味ないのに延々と見させられた感じ。
何も事前情報をinputしないで、普通の映画と思って観た自分がオカシイのかな?
【小林政広監督が現況下の世に問いた作品。仲代達矢の、老人性アルツハイマーに罹患しつつも、過去の演者としての栄光に縋る男の姿が印象的な作品である。】
ー 小林政広監督が、「春との旅」「日本の悲劇」に続いて仲代達矢を三度、主演に迎えて描いた作品。
老人性アルツハイマーに罹患した男を仲代達也が怪演している、思わず、魅入られる作品である。
海岸で、踊る様に振舞う男の姿は舞台劇のようでもあり、忘れ難き作品である。-
<2017年6月5日 今は無き、TOHOシネマズ名古屋ベイシティにて鑑賞>
千里浜なぎさドライブウェイ
贅沢な105分。思わず早送り
シェイクスピアのリア王を知らない私が悪かった。
映像がクリアできれい。ハイブリッド車が静か。
もうすぐ死ぬ仲代達矢を記録しておこうっていう企画なのか。
黒木華のキャラに違和感
生涯役者
かつての映画スターの悲惨な引退後、老い・認知症、問題ありの家族関係…本当にこんな晩年の映画スター居るんじゃないかと思うくらいの題材はいいが、話の面白さは後一歩。ほとんど台詞劇、単調な展開、静かな引きの映像続き、モチーフとなっている『リア王』を知らないとよく分からない。
本作は、小林政広が仲代達矢の為に脚本を書き、仲代達矢に最高の芝居をさせ、仲代達矢という役者を見る為の作品。
ロングコートを羽織ったパジャマ姿でブツブツ呟きながら歩いている冒頭、惚けた表情はユーモラス。
それが一転、中盤とクライマックスの海辺での一人芝居は圧巻!
あるシーンの、自分の人生をしみじみと振り返り独白する姿には、本当に本人が滲み出てた。
もうとにかく、仲代達矢の見せ場の連続。
キャストは仲代達矢を除くと、たった4人。が、いずれも仲代達矢の舞台をバックアップする為に集まったかのような実力派。
義父と妻の間で板挟み状態の娘婿・阿部寛。電話で話しながら本心を爆発させるシーンは引き込まれる。
娘でありながら父を激しく嫌う原田美枝子。珍しい“悪党”だが、その天晴れな憎々しさ。
その娘と何やら関係がありそうな運転手・小林薫。出番は少なく、台詞も一言だけだが、印象残る。
そして、黒木華。
仲代演じる桑畑兆吉とは孫ほど歳の離れた娘。愛人に産ませた子。
父に対して複雑な感情を抱いているが、父の事を大事にも思っている。
彼女自身、訳ありの過去もある。
仲代達矢という名優を相手に、一歩も引かない所か堂々と渡り合う。
本当に演技力もあり、魅力的な女優だ。
桑畑兆吉は役者なのだ。
認知症が進んで、相手が誰かも分からない、何処に行きたいか分からなくても、“役者・桑畑兆吉”であった事は覚えている。
家族を顧みなかったり、スキャンダラスな人生でもあったが、それらを背負ってでも、役者。
80を過ぎて台詞覚えが悪くなったという仲代達矢。
本作は、彼の最後の舞台などではない。
まだまだ精進。まだまだ貪欲。まだまだ演じ続ける。
生涯役者。
本作の仲代達矢に、そんな気迫を見た。
摩訶不思議
別に面白くもない。
だけど、退屈だったわけでもない。
どころか、前半の細かな台詞や情景でさえ細かく思い出せてしまう。
しっかりと自分の中で、作品と過ごした時間が実感としてあるように思える。
なんなんだろうか?
説明台詞も多い。
大ロングでカメラが動かないカットも多い。
役者の表情さえ確認できない程遠い絵。
アップになる。
それでもカメラは動かない。
据え置きでただただ記録してるだけのような感じだった。
ロケ先も変わらない。
屋内の絵がない。
海岸と建物の外…予算が全くない作品のようである。
…他のものを全て削ぎ落としたと言えば聞こえはいいのかもしれない。
そんな中の、名優・仲代達矢。
彼から目が離せない。
いつ現実に戻るのかと思って見ていたけど、彼はずっと夢の中に生きていた。
彼だけに見える世界の中で。
この主人公には俳優という背景があるだけに、彼が生きている世界は、彼が痴呆を発症する前から虚構と現実の境目にあるといえる。その人がその境目が自身でさえ分からなくなった。
現実を生きながら虚構を彷徨う老人。
…実際ボケてるようにしか見えないのだ。
そんな訳はない。
長い台詞を喋り、会話のやり取りを繰り返す。あざとささえ感じない。
楽しそうではなく、楽そうに見える。
「人の最大の武器は忘却」
と、どこかで目にした事があるが、まさにこおいう状態なのかと見てしまう。
板の上で別人格を数限りなく生きてきた名優の足跡が克明に刻まれてた。
だが、良い映画だとは思えない。
ただ、こおいう映画も無いとダメだとは思う。
一俳優の生き様を見てたような気がした。
映画でした。
これは映画である。
あの海辺の風景、潮の匂いを感じそうな風、そして、そこに立つ、認知症役のパジャマにコートを羽織った84歳の仲代達矢さんの姿。
このビジュアルこそが間違いなく映画なのだ。
個人的には小林政広監督の作品はどれもリアルの中に虚構が入り混じる、ある種のファンタジー的要素が救いであり、重くなり過ぎない印象がとても魅力的だと感じている。
そして、不思議とある日、ふと観たくなり、結果、何度も観返す作品が多い。
海辺のリア。
これもそんな作品です。
印象深い
何だかよく分からないけど、印象に残る作品です。これからも、その印象がずっと自分の心のどこかに残ってそう . . . 全然「評価」になってませんね . . .
他にも同様のコメントがありますが、これは演劇でも観てみたいです。仲代さんと黒木さんの二人だけ、浜辺の場面だけの対話劇がいいかな、とか妄想しています。
我々は、夢と同じもので織り成されている
日本の悲劇は、まだ終わらんよということですかね。家族を大切にしない社会で、人は、生涯かけて悲劇仕立ての喜劇を演じる定めなのでしょうか。
すべてを手に入れて、すべてを忘れた王様のみる夢。その夢に振り回される家族。寝覚めの悪い夢みたいな作品ですが、私達自体が、誰かの夢の副産物だとしたら、それもありでしょう。
理想と現実の狭間に浮かぶ舞台に立つ私達は、来しかた行く末知らずの身。波にさらわれる泡沫のようなもの。終幕に何が用意されているのかさえ、ワカラナイ。
ま、いずれにせよ、監督さんの思い出に残るかどうかは別として、ご見物の思い出に残る逸品ではありますよ。いろんな意味でね。
いったい何を描きたかったのか…
主人公を演じる仲代達也は、半分地を演じているようなもの。J.スチュアートに焦がれて役者になった。そして並ぶ者ない名優として君臨した。
…でも実際は一人娘とかつては自分に憧れた弟子でもあったその夫、その他に若い女優に手をつけて産ませた娘がいる。その彼らを悩ませているのは主人公の患う「認知症」だ。
認知症を病み、既に「あちら」に行ってしまっている主人公は、居住する「老人施設」を出て徘徊する。でも自分が役者であったことは忘れておらず、老いを独りで迎えている自分をリア王になぞらえて一人芝居を打ち続ける。そこにやって来たのが愛人に産ませた娘。かつて子を孕み、それが原因で家族から否定され、今はその子どもも失い、愛する対象を父親の中にしか求められないコーディーリアとして、その娘は父親に寄りそおうとする。
さて、ここまでを見るだけで、この映画の作者が「認知症」という病とそれを介護する家族たちについて、ほぼ全くと言っていいほど知識がないことが露見しまくっている。
主人公は、娘の夫曰く「最高級の老人施設に入れた」ということになっているが、そもそも介護家族は「老人施設」などという言い方はまずしない。おそらくは介護付き特定有料老人ホームを指すのだろうけれど、そういうところに住まったら、まず徘徊などほぼできないようになっている。出入り口は通常ロックされるようになっているし、介護士やコンシェルジェが目を光らせているからだ。
そして映画では施設側が主人公が有名人であることをちらつかせて探すつもりがないということが示されているが、これも現実とは違う。こういうところは信用第一であり、他の入居者の家族の手前、徘徊中に事故など起こってしまっては大変なことになる。入居者は「お客様」なのだ。
映画の中では、車が正面玄関に乗り付けても、中からは誰も出てこない。これも「高級有料老人ホーム」ならあり得ない。
そして、在宅介護がとても無理な状態になって「施設」に入れた家族なら、本人に対して「だからいつも言っているでしょう」などという反応は絶対にしないはず。もう、そんな段階は通り過ぎてしまっているからだ。
そして何より「施設」に入れたことに対して「お父さんを捨てたのね」などという非難は、今どきよほどの田舎でない限りはほんとうにあり得ない。認知症の家族介護がどれほど大変なことか。一人娘は「悪人」ということになってはいるけれど、施設入所は「悪人」じゃなくてもやっている。ある意味では望ましいありようなのに。
つまりこういうふうに、認知症であるという設定を支えることがらが、現実や事実と大きく乖離している場合、いったい何が描きたかったのだろうと思ってしまう。認知症の悲惨さ?介護による家族関係の崩壊?主人公の運命とリア王との類似点?
主題だけがくっきりと鮮やかに描かれてはいるものの、それほどじっくり見つめなくてもその背景がとてつもなく雑で貧相なことが一目でわかってしまうような、そんな絵を連想してしまった。
海辺のリア
これは三部作の最終章だと感じました。
最初に シェイクスピア の「リア王」があり、
次に黒沢映画の「乱」があり、
最終章がこの「海辺のリア」
そこまでして見る必要があるかどうか…
劇中の台詞に使われている「リア王 (新潮文庫) 文庫 /翻訳: 福田 恆存」をさっと読むか「映画」(コスミック出版のシェイクスピア DVDがお奨め・10話で2000円前後)を観て、「乱」を観てから、この映画を観ると、理解が深まり感動するでしょう。
私は、残念ながら「乱」→「海辺のリア」を観て、改めて「新潮文庫」→「コスミックDVD映画」の順でみました。
私は、過去に認知症の方とも接点があり、この映画を観て過去の様々な体験が鮮明に蘇りました。
評価が難しいけど素晴らしい映画です。
映画のレビューは初体験、どうしても書きたくての投稿です。
映像がなくても成立している演劇的作品、もはやラジオドラマ(笑)
あまり言いたくはないが、これは"映画ではない"。自己解釈をした"演劇作品"であり、それを収録した映像(ビデオ)作品といえばいいか。
ヒッチコック監督は、"セリフに頼らず、映像だけで表現するのが、映画ならでは表現方法"と、事あるごとに発言していた。"音"を消しても"映像"だけでストーリーがわかるのが、ヒッチコック的な映画術だとするなら、この「海辺のリア」は"映像"を消しても、"音"だけでストーリーがわかる。セリフが各人の置かれた状況を語り、もはやラジオドラマに近い(笑)。目を閉じても大丈夫なので、そのまま寝てしまったり・・・。
こういう作品を観ると、小林監督は"言葉"で生きている人であり、"映画"はメッセージのための道具であって、"映画"を愛してはいない人だなぁと。
ストーリーは、シェイクスピアの「リア王」の陳腐な翻案である。リア王を、"かつて俳優として大スターだった老人・兆吉"に置き換え、冷たい仕打ちをしたにも関わらず、リア王を助けようとした末娘のコーディリアを、"愛人の子供・伸子"に重ねる。兆吉は認知症であり、長女とその夫に裏切られ、高級老人ホームに入所させられている。私生児を産んだことで勘当され、疎遠になっていた伸子と、老人ホームを脱走した兆吉が海辺で出会う。
壮大なシェイクスピア悲劇を、なんでこんな下世話な社会問題の喩えに使うのだろう。しかも人物設定の置き換えにしかすぎず、コーディリアが死んでしまうような真の"悲劇"になってもいない。
主演の仲代達矢をはじめ、黒木華、原田美枝子、阿部寛と、ぜいたくなキャスティングは何のためだろう。こういう無駄遣いはやめてほしいものだ。"演劇"であることが意図されているため、カメラのフレーミングはほとんど固定で、舞台を客席から見るような額縁になっている。"映画ではない"ので、評価もできない。
(2017/6/16 /テアトル新宿 /シネスコ)
映画ではなく舞台なんだな
媒体は映画なのであるが、舞台というような内容。
この内容を舞台でみたいと思わせた。
(元々その狙いであるなら5.0なのか)
映画であるために、力強さが半減されてしまう。
何か所かある長回しの部分の俳優陣の熱演は見事。
海外の派手な映画好きな私には少しものたりなかった。
いいですよ、映画館でこの舞台的映画を体感してほしい
おもしろい。
最初のシーンで仲代さん演じる海辺のリア王が孤高で傲慢、しかしもう既に虚栄や見栄などに形振り構ってられない様子を表す、老人の力強い焦燥感をにじみ出した演技を見事にしていると感じた。
また日本海の荒れた波を背景として立ち、映画のどでかいスクリーンの端から端まで動き回る仲代さんの一人舞台のシーンにはおもしろいな~と感嘆した。
演者たちは少ないが、最初に他四人全員出てくる。しかし関係性はなかなか明かしてくれない。じれったくはなるが少し辛抱が必要。
というのも黒木華との会話がはじまりから少し経ってから始まるのだが、関係性がわからないばかりに疑問符が頭に次々と出てきてしまう。阿部寛たちとも同様。このことが一見この映画をつまらなく思わせるのだと思うけどやはり辛抱してほしい。
僕は若く、そのせいでそのように感じたのかもしれない。映画が終わり観客見たら平均年齢60近かったから、あの人たちはそう感じなかったかも。
あと、できればリア王を既に読んだ状態から観るか、観てからすぐに、感動がさめないうちにリア王を読んでほしい。リア王を通じてこそやはり真の値打ちがこの映画にあると思うから。そうしたらこの映画の中で変転する黒木華の姿にどうしようもなく憐れに思え、涙する映画になり、心深く残る映画になると思う。
また、この映画はリア王を、言ってしまえば途中から描いている。だからこそ、こうも言える。主演は仲代さんなのだが、本当の主人公として描き出しているのはコーディリアである黒木華となっている。そしてこのコーディリアは実に上手く演出されている。なんで黒木華なんだろうと映画中考えたが、憐れで悲しくも優しい温かいあの強さを思えば、そうか、黒木華になるなと思える。
印象に幸せもつけたがリア王にとって、コーディリアの存在だけがこの上ない幸せだろうという意味をとってつけた。
舞台あまり観ない人には面白く感じなさそう
ネタバレは頑張ってしないようにしましたが
多分無理でした(汗)
1人1人の迫力や感情がコロコロ変わって
それが途轍もなく分かりやすく面白い映画でした
映画なんですけど舞台です
舞台なんだけどそれを映画にした作品ですね
さすが仲代さんです‼︎
観てて可愛らしかったです‼︎w
私はこういう映画をたくさん観たいと
思ってます。
最初の方の伸子さん(黒木華さん)の
今まで見たことないくらいの途轍もない
ツンデレを見れましたwwwww
イライラするけどやっぱり心配ですよね…
行男さん(阿部寛)も行男さんで
最終的には……アハハハハ〜(泣)でしたねwww
兆吉さん、行男さん、伸子さん、
この3人ははとても似てました
生きてるのか死んでいるのか分からない
その舞台が海辺
海辺で生死を彷徨ってるように感じ取りました
けど、みんな生きる道を選んだ
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