哭声 コクソンのレビュー・感想・評価
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コクソン=哭声=谷城=國村
このレビューを書き直して3回目だ。
これは一生答えがでない。
と、思う。
だれが正しく誰が悪か?
悪霊と神。
自分と他人。
正解なんか出るはずがない。
「自分が信じたもの」
それが答えだからだ。
しかし、答えは一つではない。
別の視点から考えてみろ。
それも答えだ。
おまえが出した結論。
それは正しい答えだ。
おまえが出さなかった結論。
それは間違った答えではない。
韓国発、荒唐無稽全部乗せホラー映画から、
人生哲学を学んだ。
主人公ジョング。
日本でリメイクするなら六角精児かな。
コクソン國村準。
どこの国でリメイクされても
この役はあなたしかいない。
「ところで、この話ってどういう話だったの!?」と話したい
答えのない問題がコクソンかも?!
タイトルなし(ネタバレ)
結局日本人が悪鬼だったということか。今なら鬼滅の刃に出てきそうな話。
だとするとあの女性は?止めようとしていたってこと?だとすると幽霊?いい幽霊ってこと?
そしてあの祈祷師はなぜ日本人を途中で悪霊ではなかったと思ったのか?あの女性の力で祈祷師は嘔吐していたけど、なぜあの女性は祈祷師を近づけなかったのか?そしてあの女性はなぜ主人公の家族を救おうとせずに主人公だけを救おうとしたのか?果たしてこの答えはあるのか?リピートしたらわかるのかなー。難しい映画だった。
【”エクソシスト、韓国ウルトラカスタマイズバージョン” 神は、善とは限らない・・。観る側に様々な解釈を与える奥深過ぎる作品である。】
ー 冒頭、謎の日本人(國村隼人)は、穏やかな顔で、釣り糸を垂れている。
そして、テロップが流れる。
”ルカによる福音書 24章 37-39節”
何故、狼狽えているのか、どうして心に疑いを起こすのか。私の手や足を見なさい・・。ー
◆感想<Caution 内容にやや触れています。>
・難解な映画である。
初見時の際には、何が何だか分からなかったが(キリスト教にあまり詳しくなかった・・)國村隼人さんの怪演を始めとした、強烈なパワーに圧倒され劇場を後にした。
そして、一枚のフライヤーだけ持ち帰った・・。
・ずっと、再鑑賞したいと思っていたが、漸く別媒体にて鑑賞。
その前に、國村隼人さんの当時のインタビュー
”死ぬかと思った・・”
や、著名な映画評論家の今作に対するレビューも拝読した上で、再鑑賞。
・平穏な韓国の山村の村、谷城(コクソン)に謎の日本人(國村隼人)が住み着いてから、村では凄惨な事件が相次いで起こる。
・警官ジョング(クァク・ドウォン)は、いきなりノンビリした生活から、凄惨な事件に巻き込まれていく。そして、彼の気の良い娘ヒジョンも、悪魔に取付かれ、変貌していく。
ー 序盤からハイスピードで、凄惨なシーンの連続に魅入られる。が、訳が分からない・・。ー
・謎の日本人が悪魔だと決めつけ、ジョングたちは彼を祈祷などで、追い詰めていく。
ー 描き方としては、鹿の生肉に齧り付いているシーンなどから、観る側も悪魔だと思う。が、彼が追いつめられた時に見せる、”掌の聖痕”。
そして、口にした言葉”触って良く見なさい。亡霊には肉も骨もないが、私にはそれがある。”ー
・ジョングが雇った祈祷師と、謎の日本人との祈祷合戦。そして、謎の白衣の若い女。ジョングが雇った祈祷師が、若い女と対峙した時に白い液を口から吐きながら、逃げるシーン。
そして、言った言葉。”間違っていた・・。”
<観る側に、様々な解釈をさせる、難解な映画である。
旧訳、新訳聖書の知識があれば多少は、理解が出来るのかもしれないが・・。
2度観て、一つだけ分かった事は
”神は、必ずしも善なる存在ではないのかもしれない・・”という事である。>
<2017年8月26日 京都シネマにて鑑賞>
<2021年8月2日 別媒体にて再鑑賞>
合わなかった
合わないポイント
・主人公がナヨナヨしすぎて、感情移入できない
・ここまで風呂敷を広げてどうまとめるんだ?と思ったらそのまま終わった
・結末がハッキリしてなくて謎
・祈祷シーンがギャグ、そして長い
・長い
・ホラーとして見ても全く怖くない
・祈祷師ゲロ吐きすぎ
煩雑且つ凡庸
こっわ!!
平和な田舎で連続猟奇殺人が起こり、
村人たちは郊外に住むよそ者が怪しいと疑うが…。
まずは主人公のクァク・ドウォンと國村隼の演技が白眉。
監督がずいぶんなサディストだったっていう國村さんのコメントを何かで読んだけど
ほんと演出にしてもストーリー構成にしてもえげつねえなと。
ざっくり言っちゃうと、物語上で誰が善玉で誰が悪玉なのか?とか
主人公のこの行動の先に何が起こるのか?とか
意図的に隠してくるというか、混乱の渦の中に叩き落としてくる感じ。
観てるこっちの心境をグワングワン揺さぶってくるし、
もう揺さぶられすぎて疲れてんのに、さらに揺さぶってくるみたいな。
キリスト教をよく知らない自分が感じたテーマは”疑心暗鬼”。
他人は自分を映す鏡とはよく言ったもので、
相手を信じるか否かは、そのまま自分を信じるか否かに帰結するというか。
まぁとにかくラストシーンまで本当しつこく()揺さぶってくる、
2重3重に”こわい”大傑作だった。
タイトルなし(ネタバレ)
最初から最後までさっぱり意味がわからない。
理解出来たのは「思い込みの怖さ」のみ。
「○○人だから妙だ」や「きっとアイツが悪い」など噂レベルでの決めつけで人まで殺す?
日本の昭和40年代の考えだから今の人には理解しがたいと思う。
結局なんでこうなったのか?誰が悪かったのか?最後までわからずじまいだった。
タイトルなし
最初コメディかと思いきやオカルト。あらぬ方向にストーリーは展開、ナ・ホジン監督作で期待していたが、ラスト?だったし、何より主人公が能無しで見ていて腹立たしい。娘役は上手い。この先の展開どうなるんだろうとはなったが、ラストは監督の他作品同様、救いがない。意味不明。
よそ者
韓国のある村で、村人が自分の家族を殺す事件が多発。警察官の主人公が、自分の娘が呪われるのを防ぐために日本人のよそ者を追い出そうと頑張る話。
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アジア版エクソシストと言ったようなところで、途中ゾンビ映画になりかけたり、ロード・オブ・ザ・リングのゴラムっぽいやつが出てきたり、このちょっと間違えばB級に転んでしまいそうな話をちゃんと意味のある話に落とし込んでいるところさすが韓国です。
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主人公初め村の人はみんな國村隼演じる「よそ者」を実際に自分が見た訳でもないのに噂だけで悪者と決め付けて追い出そうとする。やっぱ日本人目線で見るからどうしても國村隼が黒幕だとは思えなくて、主人公の思い込みだけで突っ走る態度に終始イライラ。
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でもこの映画、人それぞれ犯人であって欲しい人を犯人だと思い込んで見れば誰でも怪しく見える。人は見たいものだけを見て生きていくものだからね。よそ者はよそ者だと決め付けて、身内を疑おうとしない。そんな民族差別的な要素もあってとても良かった。
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おばけ系ホラーではないけどめっちゃ怖かった。じわじわずっと怖い。
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國村隼さんが圧巻の演技!
理解に苦しむけれど、なかなか面白かった
鬱陶しい雨が降る中、捜索が続くといえば、『殺人の追憶』。そんな感じのサスペンス刑事ものかと思いきや、オカルトタッチの宗教観や哲学?などにも行き着く高尚なホラー映画でした。時間の長さも苦痛にならず、終盤は特に「悪魔の正体とは?」と謎を知りたいばかりに画面にくぎ付けになってしまいました。二転三転するストーリーに振り回されたあげく、はっきりした結末を知ることもできないまま終わり、どう解釈したらいいのかと、呆然としました。でも、原始的な呪術ホラーの気味の悪さは完成度が高く、見応えがありました。
平和な韓国の村(谷城/コクソン)に突然起こった奇妙な殺人事件。村にいつの日から住みついたよそ者の謎の男(日本人)が怪しいと噂が広まり、「男は何者か?」を探っていくことで事件を解決しようとする村の警察。
序盤、ふんどし姿で鹿の肉を喰らうシーン、おぞましくて怖かったです。何者かわからない國村隼さんの怪演が本当に恐ろしかったです。最後の悪魔の姿は強烈でした(どこかで見たことあるぞ感があった。ケン・ラッセルの『ゴシック』に登場する気味の悪い小さい悪魔に似ていたような?)
疑心暗鬼を生ずというように、人は恐怖や不安におびえている時は、思い込みや強迫観念に囚われたりするもの。結局、食用の豚が食べた毒キノコがそもそもの発端だったと思われるが、主人公警官を筆頭として、村人たちは惑わされるばかり。集団ヒステリーのような状態だったのかも。
聖書からの抜粋であろうイエスの言葉が最初に掲げられたので、宗教的な意味があるのだろうと憶測はできます。でも詳しいことはよくわからなかったです。ラスト近く、悪魔姿の謎の男(國村隼)が語る言葉とオーバーラップしているので、それは神の声なのか?悪魔のささやきなのか? 悪魔の姿は神父の心象風景なのか。そもそも、日本人男は死んでいるはずなのに。
<映画の冒頭に出てくる言葉>
人々は恐れおののき、霊を見ていると思った
そこでイエスは言った
なぜ、心に疑いを持つのか?
私の手や足を見よ。まさに私だ。
触れてみよ。このとおり肉も骨もある。
(ルカによる福音書24章 37-39節)
余談
主人公のジョングが、たまに、ダチョウ倶楽部の上島さんに見えてしかたなかった。
殺人事件が発生しても、すぐに駆けつけず、朝食食べてからでした。(笑)
殺人事件など起こったことのない平和な村。
時々、出てくる朝焼けの山々が美しい。
驚異のトリプルミーニング
哭声もコクソン、村の名前も谷城(コクソン)、そして國村隼もコクソンだ。途中で警察官ジョングが屁をこいたのだが、これで損をしていれば、それもまたコクソンだ(こじつけ)。
連続猟奇殺人事件と思わせておいて、実はホラー映画だったという展開で、しかも最後にはアッと驚くようなどんでん返しが待っていた。閉鎖的な村だけに、殺人現場に残された人物が悪質な皮膚病のような症状を持っていても、霊的なものとしてとらえ、祈祷師を呼ぶまでに至るのですが、普通に病院行け!と言いたくもなった。
祈祷師対決も鐘の音がうるさくて、ついボリュームを絞ってしまいました。こ、これはギャグなのか?と、全く信心深くない者が見ると、コメディとしてしか感じられなくなるのです。そして不気味な女の出現・・・え、今さら出てくる?と、ナ・ホンジンは理解不能にしてくれる天才なんじゃないかと思った。裏を返せば、幾通りもの答えがあるような作品。
『エクソシスト』とかは、金品を要求しない。日本でもそうだけど、高額報酬を求めてくる祈祷師はほとんどがインチキだ。などと考えながら見ていたら、失敗してる!バカ正直もいい加減にせーよ!と、もう興味を失いかけたのですが、エンディングは秀逸。あとは皆さんで考えてくださいね、と・・・
結局、キノコもやばかった。今の世の中から考えると、菌とかウィルスとか感染症とかに敏感になってしまい、全部これのせいでしょ!と勝手に解釈しましたけど、とにかくオカルトを信じたら負けなんです。だから、この文も信じないでください。
信じるものは救われる?
ラストがよくわからなかった。
が、とてつもなく辛く、むごい。
誰を信じればいいのか?善と悪がわからない。
敵味方、善悪の区別をしようとしていたのがバカげていたのか。
祈祷師は、
悪魔を苦しめる力があった。
かなりの霊力があるのだろう。
それでも勝てないことを知っていた。
悪魔を利用して民から金を取る。
牧師は、
呪いなどは信じない。
現実的なことを話す。
若い女性は、
急に現れ信じろと。
ラストで家の門を通り、戻ったところで結界が骸骨に変わっていく。
家に戻らなければ助かっていたのだろうか?
信じるべきは、あの女性だったのか。
鳥が3回鳴いた後、
聖書ではペテロがイエスを「知らない」と言いイエスのもとを去り、その後、イエスは十字架についた。
鳥が3回鳴いた後、
女性(イエスを象徴?)から離れなければ、事態は変わり、家族が亡くなることはなかったのか。
そして、悪魔は諭すように、心に問いかけてくる。
これがまた謎。
見方、信じ方によっては結果が変わっていた
ってこと?
悪魔にもイエスにもなりえたの?
観終わったあとに、どっと疲れを感じた。
途中で観るのをやめることもできず、最後までどうなっていくのか惹きつけられていた。
國村さんの崖の下での表情が、ホントに同情心を誘い、混乱に拍車をかけた。
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