「「疑え。惑わされるな。」」哭声 コクソン 神社エールさんの映画レビュー(感想・評価)
「疑え。惑わされるな。」
2016年の公開当初からこの作品が面白いと言う噂をちょくちょく聞いていたもののタイミングが悪く、公開時は見逃してしまっていたのと、韓国映画のハードな描写の物は精神的にも疲れるので、ようやく今になって見てみた。
最初は主人公のジョング目線で物語を見ていたものの最後には俯瞰的に見ている自分がいた。
それは、"男"をはじめ、作品そのものが主人公と言うよりもスクリーンの向こう側の我々を威圧している様な、そんな印象を受けたからかも知れない。
証拠や事実を追うはずの警察官である主人公が印象に惑わされ、神を信じ神に遣えるはずの神父(見習いだけど)が男が悪魔に見えてしまう、"惑わされることで本来の職業とは真逆のアクションをしてしまう"姿が記号化された階級の上位である人間の平静を崩してしまう。
田舎社会と言う閉鎖的な空間、言葉に惑わされたり狂気に取りつかれたりする描写に既視感を覚えて、記憶の糸を手繰り寄せてみたら「ひぐらしのなく頃に」を思い出した。
「ひぐらしのなく頃に」でも似たような疑いの連鎖が事件を引き起こすって言う作品だったけれど、この作品は「ひぐらしのなく頃に」よりも今のSNS社会に対するメッセージにも感じられた。
祈祷師は"釣り"や"餌"と言う表現を使って表していたけど、男や祈祷師(煽動する人間)が釣り上げようとしていたのは、"ジョング"や"村の人々"でもなく、"スクリーンを見ている我々"なんじゃなかろうか。
キャッチコピーは「疑え。惑わされるな。」だったそうだけどその意味する所は作品のストーリーに対してではなく、見終えた後の自分の印象や感想を疑え。と思えた。
と感想を書いた後に考察しているサイトを巡ってみたら、旧約聖書に準えたキリストの話って言う考察があってそっちの方がしっくり来たのでこの感想も惑わされていたっての証明されちゃったな…。