パターソンのレビュー・感想・評価
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ジャームッシュにしか成しえない特殊な時間と空気の紡ぎ方に見惚れてしまう
今の時代、こんなにオーソドックスでありながら、これほど心動かされる映画が生まれ得るものなのか。俄かには信じがたい偉業を成し遂げたのはこの男、ジャームッシュだ。彼の持ち味であるフフと思わず笑みが漏れるような空気感を湛えつつ、一見地味とも思えるこの作品の世界観を、一瞬の退屈すら感じさせないまま、観客の胸に大切に贈り届ける。ノートに書き留めた詩の一片が日々の心の動きに合わせて徐々に推敲されていく様はまるで「修行」や「道」のよう。その流れる滝のような思考過程を落ち着いた心持ちで観客に追想させてくれる。思えば町の名も、そして主人公の名もパターソン。彼は多くの偉人を輩出した町のいわば化身でもある。バスも壊れ、ノートも失った彼。いつも同じルート、軌道を回り続ける彼が、最後に全く別の世界からやってきた旅人と邂逅を遂げる瞬間が愛おしい。ジャームッシュと永瀬正敏の関係性もまた、これと全く同じなのかもしれない。
なぜかサイコスリラーの空気をまとっている。
会話が微妙に噛み合わない夫婦。誰にも読まれない詩を書き続ける主人公。夫の仕事中、家のどこかを白黒に塗り続けている妻。ペルシャ系の女性だが夢はカントリーシンガーという奇妙さ。判を押したように繰り返される日常。行く先々に現れる双子たち。
さすがにうがち過ぎだろうと思いながら、この夫婦が崩壊に向かうシュールなサイコスリラー的展開になるなのではないかと終始ハラハラしていた。作家と夫婦と双子のモチーフが重なると、ジャームッシュ版『シャイニング』か!?と考えるのも仕方ないではないか。
いや、もちろん前情報でほのぼのとした日常を描いているとは聞いてはいたが、「それって本当なのか?」と疑わせるに充分なほど、水面下に不穏なものを感じる映画なのだ。ハラハラした。恐ろしかった。そしてそんな不穏さも何食わぬ顔で日常で包んでしまうジャームッシュは、やはり一筋縄でいかない監督だと再認識した。
彼の呼吸こそ “詩“ である
パターソン氏の「PERFECT DAYS」
日常生活が満ち足りている点では、ヴィム・ヴェンダース監督の
「PERFECT DAYS」と同じ匂いがします。
「パターソン」はジム・ジャームッシュ監督ののPERFECT DAYS」
ニュージャージー州のパターソンに住むパターソン氏は
バスの運転手。
詩を愛し、
美しい妻を愛し、
へちゃむくれの犬(ミニ•ブルドッグ)を飼い、
夜の散歩には黒人ウェーターのいるバーで、ビールを一杯、
犬のマーヴィンは、パターソン氏が妻とキスすると、
必ず吠えます。
夜明けに起きて、シリアルの朝食を摂り、
乗客会話に耳を傾けて、
(パターソン氏は地獄耳・・・な、訳あるか?)
パターソンの街には、双子の兄弟が多くて、
そこかしこに座っていたりします。
事件らしいことは殆ど起こらない。
大事件といえば、
妻がパターソン氏の「詩作」を世に出したがっていて、
コピーをとってね!!
なのにふちゃむくれのマーヴィンがムシャムシャ、
ノートを食べてしまうのです。
日本人のパターソン氏を励ます詩人に永瀬正敏。
「ミステリー・トレイン」から28年の月日が経ちました。
役所広司の満たされた日々も、
パターソン氏の満たされた日々も、
美しいから儚い。
儚いから美しい。
ジャームッシュが奏でる音楽
この手の、淡々としている、何も起こらない、最終的になんだかよくわからない、まったり系の作品は好みではないと自分では思ってるけど、本作はなかなか良かった。
主人公はパターソンに住むパターソン、韻を踏んだ存在。
ただ繰り返される日常。些細な変化があったりなかったり、普通の人の普通な毎日と同じように、目を凝らして見なければ変化していないのと変わらない毎日。
街で出会った幾人かの詩人。主人公パターソンも詩を書いている。
韻を踏んだ詩とはその内容よりも生み出されるリズムの方が大事だと思う。文字で表現された音のならないメロディ。
それは言わば音楽と同じだと思う。
本作「パターソン」が詩を表現した映画であるなら、それは映像を使った音楽と同じだ。
音楽を聴いて「面白い」と言う人は少ないだろう。大雑把に言って「良い」か「悪い」かだ。
それと同じで本作は、面白いとか面白くないではなく良かったか悪かったかという感覚的な答えしかない。
「パターソン」について面白いか?と問われれば「面白くない」と言うしかない。
しかし、「良かった」という感覚が強く残る。
色々とあって、特にはなくて
すき
心の拠り所と愛する人がいれば十分
生活から詩が立ち現れる
同じような1日でも「昨日とは違う今日」を生きている
パターソンが「詩人」であるということが、この映画の重要なところ。
バスの運転手であり、淡々と日々の仕事をこなすパターソンは、傍目からは単調な毎日の繰り返しに見えます。
しかし、彼にとっては毎日目に映るもの全てが詩作のヒントとなっていて、自己表現することに大きな喜びを感じているところが、とても素敵です。
同じように通勤し、仕事をしても、決して同じ毎日ではない。
そう感じられることは、本当に幸せなことです。
妻ローラはアーティスト肌(センス微妙)(料理下手)ですが、美しく、優しく、愛情にあふれていて、二人のやりとりもほのぼのとしています。
奥さん最高じゃないの、詩のノートも大切だけど、こんな奥さんがいるならオールオッケーだよパターソン… と言いたくなりました。
彼のような「詩人の視点」があれば、新しい詩はまた生まれるだろうという、希望の芽を感じるラスト。本当に素敵な映画でした。
大きな川の流れのような、カットの組み合わせ
何気ない日常がゆっくり流れていく。時折、突拍子もないことがおきたり、哀しいことが起きたり、うれしいことが起きたりする。それも日常の流れの中に埋もれていく。大きな川の流れのようにすすんでいく。まるで詩のようにじんわりくる。
カット割り、カットとカットの間、挟まる静止画。特に何か特別な出来事、大げさなセリフがなくても映画は成り立つもの。脚本にしてしまえば、静かなプロットだけにみえるが、それを映像として組み合わせていくと、すごく深い印象に残るという実例を示した映画。映画だからこそ、揺さぶられるという意味では映像でつたえるということのお手本のような映画。
最後辺りのシーンで、永瀬正敏が出演しているが、欧米人のカットの流れの中に突如出てくる日本人ってそこに居るだけで存在感ある。英語の音が違う。インパクトあるんだぁって、監督も敢えて日本人を使った演出をした理由がなんとなくわかる気もした。
たまらなく好きな作品
毎日が新しい
パターソンという街で暮らすバス運転手のパターソン
映画では彼の日常の一週間が描かれる
乗客の話を耳にしたり、詩を書く少女に出会ったり、バーで周りの人の事情を垣間見たり
大きな事件はないが彼の日常は詩となる
対照的に描かれるドニー毎日パターソンに挨拶をする
調子を聞くと最悪だと言う
誰しも日常を過ごす
家ではローラとマーヴィンと暮らす
賢くはないがとても人間的で小さな喜びに溢れている
ローラにはたくさんの夢があり時々身を結ぶ
週末には映画を観に行き感想を話し合う
パイが口に合わなくても何も言わずに食べたり、小さな事にも感謝を伝えて過ごす
週末にマーヴィンがパターソンの詩集ノートを破いてしまう
落ち込むが怒るわけでもなく散歩に出かけた先で日本人の男性と出会う
彼はパターソン出身の詩人の故郷を訪ねてきた
少し会話を交え、ノートを贈られて詩を認める
絶妙な距離感、日常の起伏
日日是好日
偶然の出会い
多分、映画館では見れない。
だけど世界観は良かったです。
アダムの詠んでるポエムの通り大人になってしまったが故に時間は4次元だからかな…
奥さん良い味出してましたね。
主人公の感じも良かったです。
何より、この映画を通してジムジャームッシュ監督の存在に気付けたこと、詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、アレン・ギンズバーグと出会えたことに感謝ですね。
意外と自分が死を好きなことも発見でした。
韻を踏んでない方が私も好きかも…
穏やかでもあり隣に座っているような、そんな映画ですね。
それにしても白黒のパターン好きな少し破天荒な奥さんが可愛かったです。
インスピレーションとイマジネーション
共演の女性の可愛らしさにつきる
こんなこと言ってる自分の感性が偏屈なのは承知の上で…
ジム・ジャームッシュ監督の作品を見るのはたぶん初めて。
今公開中の『ちょっと思い出しただけ』をきっかけに見ることになりました。
冴えない自宅でのDVD鑑賞だったため、少しだけ、没入し切れなさが残りましたが、それでも作品の磁力が凄くて参りました。
詩心があろうがなかろうが、「そうか、人生って詩なんだ」
ということをごく自然に悟らされるように、不思議なくらい素直に導かれてしまう。
妻が夢で見た双子の話を聞いてからは、街の至るところに双子がいる。人間の感性そのものがファンタジーなのだよ、という象徴のように。
UFOや幽霊、などというとトンデモ話のように受け取られてしまいそうですが、それらも含めて、ご先祖さまやタタリというものへの信仰も、それを信じる人にとっては、科学的検証が可能な存在として実在するかどうか、はあまり意味がありません。脳科学や心理学的要因で説明できる事象だとしても、目撃した本人や信仰を待つ人にとっては、実態のある現実なのです。神話や古典の世界もその当時の人にとってはほとんどリアルな現実として受け止められていたはずです(でなければ、平将門の首塚も道真を祀った北野天満宮もなかった!)。
話があらぬ方向にいってしまいましたが、今の現実社会では、絆とか繋がりとかを大事にしよう‼️と多くのメディアが言ってる一方で、特に若者に対しては、偏差値やTOEICによる個々人への格付競争で生き残ることを社会的に(つまり大人たちが)要請しています。経済環境に恵まれなければ、競争の機会すら与えられません。
この映画の雰囲気からすると、そんな俗っぽくて安直な社会批判的テーマを訴えているとは思えませんが、この夫婦の生き方、スタイルからは、世の中の見え方や世の中との付き合い方について、一度〝自分の感性〟に軸足を置いてみたらどう?
と優しく語っているように見えました。
などと書いてしまいましたが、そんな理屈っぽく訳の分からない解釈をするより、フワッとした感じのまま、詩ってそういう感じで生まれるものなのか、と穏やかに受け止めるほうが気持ちいいと思います。
ミスタールーティーン
繰り返しの日常だからこそ、見える景色がある
パターソン市で生まれその町で過ごしているパターソンという名の男のとりとめもない1週間のおはなし。
朝妻にキスをして起き、仕事であるバスを運転する。そして帰りに詩を書き、夜ご飯をたべたあと、愛犬と散歩をし、一杯だけ飲んで帰ってくる。
パターソンには、何気ないもの一つ一つが美しく見えているか。詩を書く人は世界をどう見えているのか。
きっと決まりきった繰り返しの日常だからこそ、よく観察し、変化があれば敏感になる。変化に気づくことができるんだろう。それを詩にしてるのかな。
おだやかに流れる日常なんだけども、ところどころ不気味な要素も感じてしまった。まず妻の存在。ほんとにこの男にこの妻なのか?詩では書いているけどこの妻のことを本当に愛しているのか。趣味もセンスも対極で、一緒にいてどこかそんそわしてるパターソンを見ると、この妻がパターソンにとってどういう存在なのか分からなくなってくる。
次に犬。何か家の中で不穏な空気が流れると必ず犬目線になる。この犬はなにかすべてを知っている把握しているかのような佇まいだ。ノートを破いたのもなにか意味があるんじゃないかと疑いたくなってしまった。
最後に双子の存在。最初に妻の夢で双子こ話が出て以降、随所に双子が現れる。バスの乗客。バーの客。それは話を聞いてしまったからつい目につくようになってしまったのか。それとも何か呪い的な?まさかね。
一見するとある男の何気ない日常を描いている作品だが、日常を愛でる男の感性とそれを取り巻く不思議な周囲の環境を丁寧にかつ斬新に描き出したものだなと。
詩人は、名乗ろうが名乗らかろうが詩人である
久しぶりに心を鷲掴みにされました。
パターソン市に住むパターソン氏
バスの運転手で詩人。
彼の1週間を淡々と描いた映画
恋人と小さなベッドで迎える朝
詩をなんども繰り返し推敲し小さな秘密のノートにかきとめ
同じ路線を一日中ぐるぐるとバスで周り
乗客の会話に耳を傾けて微笑む
繰り返すルーティン
静かな日々の中で恋人への愛を綴り
街中の名もなき詩人達に敬意を払う
風変わりな恋人
不満ばかりを口にする上司
懐かない犬
全てを受け入れるパターソン
なんてことない一コマから美しい詩を生み出し
誰にも聞かせず、自分を詩人と言うかどうかも
曖昧。
静かで地味な街
パターソンは自分そのもの。
だけれど
そこから生まれた偉人もいるし
そこを目指して遠くからくる人もいる。
パターソン自身もまた、
誰かにとってはなんてことない平凡そのものであり
また、他の誰かにとってはかけがえのないものである。
恋人が誰から観てもアーティストなのに
自分ではカントリー歌手やカップケーキ職人を目指す人であるように
誰も自分の事はわからないし、
自分を決めるのは自分
詩人は、詩人である。
自分で名乗ろうか名乗らかろうが
それは溢れてくるものだから。
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