パターソンのレビュー・感想・評価
全200件中、61~80件目を表示
マッチは炎と共に燃えるために
不思議な映画だった。
ジャームッシュ監督の作品は初めてだったので作風の比較は出来ないが、まるで沢山の物語をおじいさんの口からゆっくり、ゆっくりと聞いているようだった。
登場するパターソンの人々も、どこか弱々しいけど、どこか力強く感じた。なんだか不思議の国のアリスに出てくる住人みたいだった。
我が家の中が、白と黒で埋め尽くされていく様や、街で見かける双子は、このゆったりとした物語のひっかかりであり、妙にハラハラさせられた。
ただただ、彼女に対してのパターソンの優しさが、歯がゆくも裏切らないのが、この映画をゆっくりと味わえた理由だと思う。
パターソンの街のパターソン。
ちょっと大袈裟かもしれないけど、パターソンという人物が、パターソンという街全体(人々)を見守っている。綴っている。そんな映画だと思った。
秘密のノートがビリビリになったからこそ、たまたま出会った日本人にもらったノートがあったからこそ、パターソンの詩は、殻を破ったようにも感じた。
パターソンが有名になるとか、彼女がカントリー歌手になるとか、正直どうでもいいと思えるほど、1日1日の豊かさを考えさせる、映画でした。
aーha?
韻を踏む詩のように、月曜日から金曜日までバス運転手として働く映像を繰り返す。散文詩または、jazzのように、飛ぶこともある。休日は、しっかり伏線を回収。また月曜日が始まる。見事な終わりは始まり。
改めて思う
ジム ジャームッシュの人気
実は、公開から1年半以上経って、このレビューを書いてます。
まあ、レビューを書くようになって日が浅いというのもありますが、ブラック クランズマンにアダムドライバーが出てるのをみて、思い出したからです。
この映画自体が詩です。
パターソンシティに住むパターソンの1週間。
職業は、バスドライバーで、演じるのは、アダムドライバー。
目覚まし時計の鳴る音でベットから起き上がるところから毎日が始まって…。
つまり、韻を踏んでるのです。
しかし、毎日は違います。
バスが故障したり、犬がいなくなったり、奥さんが差別されたり、自分の将来について悩んだり。
そう、案外、目を凝らして僕たちも周りを観察したり、よく思い返してみたら、映画のような日々を送っているのがしれない。
そんな気持ちになる寡作だと思うのです。
美しいと感じる心のあり方
Paterson は、これで3回目の鑑賞となる。そしてようやくこの映画の本当の素晴らしさに気がついたのだった。なのでレビューを書き直す。
ニュージャージー州パターソン。偉大な詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズを生み出した土地に暮らす、街と同じ名をもつパターソン青年は、詩をこよなく愛する市バスの運転手である。美しい妻と愛犬と規則正しく慎ましい生活を送っている。
彼の詩は日常生活の中で目につくものを題材としている。映画冒頭で読まれる「Love Poem」は机の上に置かれたオハイオブルーチップマッチを題材にしている。他の人から見ればただのマッチに過ぎないものが、彼の目に止まり、言葉として表現されると、彼の美しい妻への愛の詩となる。ところで「マッチ」はアナクロなものとして非常に印象的だ。パターソンの歴史ある街並みー煉瓦造りの建物や街のシンボルである滝、グレートフォールズーも美しい。彼はTVを観ず、スマートホンを窮屈だといって持たず、自作の詩もパソコンではなくノートに書き綴る。彼が手にするウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集は長く愛読されボロボロだが美しい。モンスター物のモノクロ映画のシーンも美しく思える。物質的な豊かさから距離を置いて生きている様は街とシンクロする。
彼の人柄を通すと全てが美しく見えるのは、彼があらゆるものに対して優しく深い愛情を持っているからだと気がつく。妻が突然部屋中を白黒にペイントしても、通販のギターが欲しいと言っても、チェダーチーズと芽キャベツのパイがあまり美味しくなくても、彼は全てを受け入れる。「素敵だね」「いいよ」「美味しいよ」彼の愛を受けて喜ぶ彼女はまた美しい。ラッパーの詩も彼にとっては興味深く、小学生の詩を何度も暗誦し、本物の詩人に会ったと感動する。仕事仲間の愚痴も黙って聞き、自分と比較するわけでもない。誰もが彼の優しい思いやりのある人柄に好感を持っている。
マッチ箱のように誰にも気付かれない存在だとしても、彼のようにそれを美しいと思う人がいて、それを伝える言葉がある。そういえば、僕も同じようなことを思ったことがあった。
僕は写真が下手で(撮ったものが実際に見たものとはあまりにも違うので)カメラを持って歩く習慣がない。かつてグランドキャニオンに登った時、あまりの絶景に写真を撮らずに帰るのは流石に勿体ないのではと思ったのだが、「僕は言葉の世界に生きる人間だから、この素晴らしい景色を写真ではなく言葉で誰かに伝えよう」と目に焼き付けて下山した。今は古いギターを愛し、古いバイクに乗り、日記をつける。毎日同じように過ごし、大きな変化を望まない。美しいもの、人、生き物、景色に心奪われる。
この映画の素晴らしさ、美しさに気がついた僕は自分らしく生きてきて良かったと思う。新しく便利な道具も使うけれど、これからも自分の生き方は変えないと思う。美しいものを美しいと感じたいから。そしてジム・ジャームッシュ監督の作品はなぜ美しいのか。答えは、監督自身のもつ眼差し、人柄、つまり心のあり方に理由がある。永瀬正敏さんがジム・ジャームッシュについてのインタビューで答えていた。
「一言ではなかなか言えませんけど……ちゃんと人に寄り添っているというか、すべてのキャラクターに愛情があるというか。これ見よがしの恩着せがましい愛情じゃなくて、ちゃんと、その人の目線に立った、さりげないやさしさ。それが、どの作品からもにじみ出ている。同時に、彼の感じる何か、引けない部分っていうのかな、それがメッセージとしてどの作品にも入っている。だから共感を呼ぶのかな?と」
Only Lovers Left Alive では、ヴィンテージギターの美しさに心奪われるヴァンパイアを描いたが、彼らが敵対するのはゾンビだ。ゾンビは最新作 Dead Don’t Dieで資本主義(物欲)に取り憑かれた者として描かれる。どの映画でも拝金主義者が嫌いだということがわかるが直接的に批判はしない。「でもそういうのは美しくないよね、美しさをわかる心っていうのはそういうものとは反対にあるよね」ということを描いているのがPaterson だ。そうやってそっと今の映画ファンたちに彼は訴え続けているのだろう。かつて黒澤や小津がそうであったように。
ああ、それにしても、何度も言うけど、アダムドライバーは良い役者だ。
レインコートを着てシャワーを浴びるようなもの
ジム・ジャームッシュ作品はほとんどハズレが無い。特に初期の頃には白黒作品でオフビートな雰囲気が心打つというより心に残るものが多かった。どちらかと言うと、コメディアンが出演している方が好きなのですが、大きな展開もなくゆったりとした作品も好きだ。
今作はニュージャージー州パターソンに住む、地名と同じ名前のバス運転手(アダム・ドライヴァー)が主人公。愛する妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)と愛犬マーヴィン(ネリー)。朝早く起きて職場にに行き、始業前にノートに詩を綴り、上司の愚痴を聞いてからエンジンをかける。帰宅すると、倒れかけた郵便受けを直し、キスする度に吠えるマーヴィンを散歩に連れていってバーでビールを飲む。そして週末には映画館、と平凡な1週間を淡々と描くといった内容だ。
そんな平凡な日常の中にもパターソンの心の変化がある。妻から「双子が生まれる夢を見た」と言われてからは、少女やおじさんといった町中の双子が視界に飛び込んでくる。しかし、日課となっている詩にはもっと日常的で平穏な心象風景が書き綴られるのだ。一方で、中東アジア系の妻ローラはなんでも白と黒にこだわるアーティスティックな存在。妻が作ってくれるお弁当にも自宅に飾られた写真や、彼女が白黒ツートンに塗り替えた衣装や家具が微妙にシンクロしている細かな面白さ。注文したギターも市場に出店するカップケーキも全て白黒なのです。
ちょっとした展開といえば、バスの電気系統の故障とか、バーで彼女に振られた男がおもちゃの銃で自殺しようとするシーンとか、詩を書き溜めたノートを愛犬によっと食いちぎられたといったところ。コピーしておけよ・・・と思ってもみたが、この映画は平凡な人間が前向きに生きていく姿を描いているので、これが良かったのかもしれない。また、終盤に登場する永瀬正敏がいい味付けをしています。
月曜日は仕事に行って、火曜日も仕事に行って。
平凡な男の1週間を切り抜いた話。
となると、平凡すぎて眠たくなりそうですが。そうはなりませんでした。
その理由は、パターソンが家の中で、職場の休憩で書く「詩」を。
目の前に見える物を中心に、淡々と書いているのがいい味なんです。
「27 パターソン」と表示されたバスを運転しながら、パターソン(これって、韻を踏んでるのかしら?)が心の中で詩を読んでいく。
動いていくバスの風景と同化していく感じも、サラッとしていて心地よい。
月~木は同じことの繰り返し。唯一夜、犬の散歩途中で寄るバーで、ちょとしたいざこざがあったりするくらいがアクセント。
夫としても妻に理解を示し、「通販でギター教材300ドル、買っていい?」の無茶ぶりにもYES。「怒ることある?」って聞きたくなるくらいな、穏やか人。
金曜日の朝。「あれ、妻がベットにいない」。
ルーティーンな日々に、何かが起こる予感を起こさせるのがいいアクセント。
土曜・日曜もしかり。
これをもとに戻すには。ルーティーンな事をすればいい。
彼にとってはそれが「詩」を書く事なんですね。
最初の役者紹介で「and MASATOSHI NAGASE」って出てきてびっくり!。いつ出てくるのかしらと思ったら。
ここですか。おいしいシーンでした。
「詩の翻訳は、レインコートを着てシャワーを浴びるのと同じ」。
なるほどね。歌の歌詞も、そんな気がします(訳する能力ないけど)。
静かで穏やかな1作でした。
詩的でステキな時間と世界観
主人公(アダムドライバー)の素朴で優しく、詩が好きで、日々の生活を楽しんでいる感じがとても良かった。
こんなほのぼのとした雰囲気の映画なのに、ドラマがあり、成長がありで、とても面白い。
永瀬正敏さんの「あーはぁ〜」も面白かった。
パターソン市のパターソン氏
パターソン市のパターソン氏(アダム・ドライバー)は路線バスの運転手、妻は芸術家を目指している。
毎日の日課は、朝は一人で食事、インド人の同僚のボヤキを聞いてバスをスタート、夕食後は愛犬の散歩を兼ねて外出、パブで飲んで一日を締めくくる。
主人公の一週間の出来事を淡々と描いていくが、かなり入り込む。
穏やかでおしゃれ
詩については全くわからないけど、毎日同じタイムスケジュールで過ごす主人公が、色んな双子とすれ違ったり、美人な奥さんがアーチスト並みに毎日何かモノトーンの物を手作りしていたり、芸術的な作品。お弁当ボックス1つ持って歩いて職場まで行く道のりもなんか素敵。イタズラっ子の愛犬マーヴィンの絵がそっくりで可愛い。パターソンってニューヨークからさほど離れていないのに穏やかですね。
変えない意志
パターソン市があるニュージャージー州って、ニューヨークの近くだよね?だって、NY着のニューアーク空港ってこの州だから。
と調べたら、パターソン市内から、マンハッタンのセントラルパークまで道なりで30km強という近さ。
マンハッタンまで通勤できそうな街にいながら、この穏やかな生活を続けてるパターソンさんに、逆に凄みを感じる。
マーヴィンは悪い子さんです。
パターソンのパターソン。起床。朝食。バス会社への通勤路。日常を詩に書き留める。同僚の愚痴。耳に入る乗客の会話。帰り道。ポスト。妻のファッションセンス。夕食時の会話。愛犬と散歩。バーでビール。
どうしても双子が出てくると『シャイニング』が思い出されてドキドキしてしまうのですよね。
バスはハイジャックされないし、夜道で強盗に襲われないし、妻との口論で惨劇が起きたりもしません。
永瀬さんが美味しすぎる。マーヴィンは悪い子さんです。
a〜ha?
「我が家にはたくさんのマッチがある」とノートに書く
「我が家にはたくさんのマッチがある」
物語はそこからはじまる。なんども繰り返されるセンテンス。
そしてどこかざらざらしたありふれた映像がつづく。
ジム・ジャームッシュの独特な映像。
バスの運転手はマッチがすきでそれについて詩をつづっている。意味はない。マッチはマッチでしかない。ブリテッシュがフレンチ・ブルドッグじゃないのと似ている。
どちらも自分以外のものになれない。
ときどきすれ違うふたごも同じだ。
毎朝、彼女といっしょのベッドで目が覚めわずかな会話をしてバスを運転する。エピソードのように乗客のなにげない話を挿入する。
それが毎日曜日が変わってもおなじだ。そして1日の終わりにブルと散歩し薄暗い古いバーに寄ってビールを飲む。
ふうん、どうってないけど、感じの良い映像がただつづく。
つまり彼の映画は、自分の特別な時間にしかとどいてこない。いつも繰り返して観たいと思う映画じゃない。なにかが欲しい目的で観る映画じゃない。
その意味でも独特だと思う。
だれの映画とも似ていない。
ア〜ハン
ジム・ジャームッシュの新作!しかも永瀬さんが27年ぶりに出演となれば、それだけでも観る価値有りなのに、ストーリーも映像も演出も何もかもが全てがジャームシュ印!パルム・ドッグ賞のマーヴィンはもちろんですが、やっぱり永瀬さん…改めてジャームシュのリズムは自分に合うんやわと感じさせてくれました。ア〜ハン!
淡々とした日常、だけじゃない
永瀬正敏いるかな?というのがまずの印象。
白黒のインテリアもマッチ箱もおしゃれ。やっぱり、ジム・ジャームッシュの映画はおしゃれだね。
詩って、西洋人には日常的なものなのかな?日本人にはないよね。だから、永瀬の日本人は日本人から見ると変。
だけど、のんびり癒される、ステキにおしゃれな映画です。
しみじみ良い映画
基本的に何も起こらないけど、観終わってみるとしみじみ良い映画だと思える作品。
ただ、個人的に好む映画を観るときのクセで、いくつかのシーンで「このあと何かヤバイ事が起きるんじゃないか!?」とハラハラしてしまったw
あえていうなら私は、不思議な出会いとか運命みたいなものの方が興味深...
あえていうなら私は、不思議な出会いとか運命みたいなものの方が興味深かった。例えば、ストーリー上ではそんなに重要ではないのだろうに、「双子」は何回も出てくる。周りに溢れていたのは意味があってもなくても、大きくても小さくても、そこにあるべきものとして描かれているように感じた。映像に関して詳しくはないけど、映像的な詩みたいなものがあるなら、こういうものの中にあるユーモアや修飾がそれに当たるのではないかと思った。
最後の詩がとても好き
同じ日なんか1日もない
退屈な毎日を退屈たらしめているのは結局、その人自身の観察眼なんだなぁという事を感じた。
大人になれば誰だってある程度決まったリズムで生きていくことになる。
一箇所に留まっているパターソンの生活もまた、単調だけど、彼の目には、昨日と同じものが、同じようには映っていない。様に見えた。
それがとても大切で、乗客の会話、お弁当箱の写真、
見た夢の話、バーの壁の写真、とかとか、たわいもないことの中に新鮮さがやっぱりあって、それをとても愛おしく思う彼の姿に、凄く憧れた。
パターソン
BDで鑑賞。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」では、退屈さを感じてしまい、自分にはノンフィクション映画が合わないように思えていました。
劇的な展開がなく、淡々と主人公の日常を追体験していく。その中から、作品のテーマや監督の意図を紐解いていく。それが純文学的作品の魅力なのでしょう。しかし、近ごろの似たようなテイストの作品(ムーンライトなど)を観ても、とくに、心が踊ったり、おもしろいとは思えなかったのです。
けれど、パターソンは、そんな作品群の中では、比較的おもしろいと感じました。しかも、物語の展開としては、群を抜いて代わり映えがしないにも関わらず、です。
本筋は、主人公であるパターソンが、自分と同じ名称の片田舎の街でバス運転手として暮らしている、そのとある一週間のお話。
朝、起きて、となりで眠る恋人にキスをする。仕事へ向かい、運転をしながら乗客の話に耳を傾け、時間を見つけては詩をしたためる。夕方には家へもどり、芸術家気取りの恋人の相手をして、夜には犬の散歩に出かけて、行きつけのバーで軽くビールを飲んでから帰宅する。
映画の大半がその繰り返しであり、違いといえば、登場人物たちの会話や、主人公の書く詩の内容くらいで、絵的にはほとんど変わらない展開が続きます。劇的な、驚くような展開は皆無でした。
でも、なぜだか、退屈には感じませんでした。
彩りに乏しい彼の生活が、一見、華やかに思える恋人によって、さらに色を失っていく様が、なんとも切なく、滑稽に思えるのですが、不思議と愛おしくも感じられるのです。
いうなれば、そうーーまさに、詩的と呼ぶにふさわしい作品でした。
ジムジャームッシュ
恥ずかしながら、この監督の作品はこれが初めてである。名前は知っていたが、鑑賞していなかった。
過去の作品を見てみたい欲求にかられた。
パターソン…佳作である。劇中パターソンが作る詩の、「字」が好きだなぁ。
全200件中、61~80件目を表示