菊とギロチンのレビュー・感想・評価
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猥雑さを失う社会に抵抗する映画
関東大震災直後の閉塞していく日本社会と、3.11後の日本を重ねて描いた瀬々監督の渾身の一作。全編に強烈なパワーが漲っていて時間を忘れて引きずり込まれる。
言うことだけは立派で観念的な男たちに、地に足のついた女相撲の力士たちが見事な対比。自由を求めて戦う女力士たちの切実さを目の当たりにして、目覚めてゆく男たち。しかし、時代はどんどん自由をうばってゆく。
社会が余裕を失っていく時は、いつの時代もにたようなことが起こるものなのだろう。猥雑なものを排除する権力の姿は、「正しい」ものしか許さない現代の空気にも共通するものがある。猥雑さを排除しそれいつかエスカレートし、日本は暴走した。今世界で何が起きているのか、本作にはたくさんのヒントがあるように思う。正しいものしか残そうとしない社会は、正しくないのだ。
時代と呼応した、奇跡みたいな映画がたまに生まれるが、本作はまさにそれ。脚本の相澤虎之助のアイデアだという、浜辺で踊るシーンは魂が震える。
無駄に長い3時間だった
素人的な発想で同じ時代の関係のない女相撲とアナキストを結びつけてみたらおもしろかろうというのがまず成功してない。
女相撲を描けば女相撲だけ、アナキストを描けばアナキストだけでは時間もかかるのは当然。
しかも両者へのリスペクトを感じない描き方と脚本な上、役者たちに大正末期の時代も感じられないのも痛い。
あんまりつまらなかったんで2日もかけて鑑賞したが間違いなく金返せレベルな駄作。
【大正末期、右傾化していく日本の中で夫々の”自由”を求めて足掻く、アナキストの男達、女相撲の女達の姿を描いた作品。昨今の日本及び世界の状況が酷似している気がするのは、私の蒙昧だろうか・・。】
― 実在した「女相撲興行」と「ギロチン社」史実をもとにしたオリジナルストーリー。-
■閉塞感漂う大正末期。
元遊女や家出娘など、訳あり女で結成された女相撲一座・玉岩興行が東京近郊にやってくる。
彼女たちの興行を見に訪れたアナキストグループ・ギロチン社の面々は、その真剣な戦いぶりに魅せられ、共に“差別のない世界”を目指そうとする。
◆感想
・「ギロチン社」の面々によるアナーキズムに基づく、当時の要人に対する行為は日本史で学んだので、大体把握していた。
ー 思うのであるが、彼らの理想と結果的に殆どが死刑もしくは長期獄に繋がれていた事実。アナキストの思想を否定する積りはないが、先走り過ぎている事を改めて実感する。
大杉栄や、彼の妻になった野江に対する甘粕大尉の虐殺などは描かれてはいないが、彼の時代に人権という概念が希薄であった事は事実であろう。-
・今作の見所としては山形を主とした「女相撲」と、アナーキズムによる「ギロチン社」の面々による交流であるが、久方ぶりに鑑賞すると、少し交流部分が弱い気がしたかな。
・役者としては、東出昌大、寛一郎、渋川清彦の男優陣よりも、韓英恵、山田真歩、そして今作が初出演である木竜麻生さん達女優陣の凄みを帯びた演技が印象的である。
ー 特に、在留韓国人を演じた韓英恵の関東大震災時に、韓国人大虐殺を語るシーンなどは、中濱鐵を演じた東出昌大が土下座して詫びたように、鬼気迫るものがある。-
<近年、ロシアのウクライナ進攻を筆頭に、世界がドンドンきな臭くなってきている事は衆知の事実である。
その根源には、今作で描かれているように、民族間蔑視がある事も衆知の事実である。
更に言えば、同民族間でも男尊女卑が厳然としてある事も周知の事実である。
日本は、先進国と言われているが、管理職比率は低い。
(但し、立場上、”ある理由”がある事も知っている。)
今作を再鑑賞すると,”日本って(鑑賞後)5年経っても、何ら変わっていないと思うのである。>
<2018年9月9日 シネマテークたかさきにて鑑賞。>
<2023年8月25日 別媒体にて再鑑賞。>
女相撲映画なのに女相撲が脇に置かれている
とにかく女相撲を売りにしている割には女相撲がないがしろになっている!
女相撲を利用した政治劇なのだろうが、その割には当時の政治、世相もいまいち入って来ない。
登場人物多い割にバラバラ感しかなく群像劇にもなりきれてない。
その状態でラストに以降の説明されてもなんの足しにもならん。
脚本、演出、役者とダメな所だらけだ。
比較的ピンク映画出身監督の一般作は観るようにしてるけど、瀬々監督作品は昨年の「明日の食卓」もこれまで同様納得出来る内容ではなく、登場する主婦の境遇ほぼ同じ、繋がりも無い。
「護られなかった者たちへ」は良作だったしピンク時代は獅子プロ在籍だから期待はしているが、原作の無いほぼオリジナル脚本はやはりキツい…
五社英雄
五社英雄ものから五社英雄らしさを引いて浅い理屈を捏ねた感。
当世一の曲者渋川清彦の健闘も虚しく、「陽暉楼」の緒形拳の妖気に及ばぬ。
唯一、東出昌大は「寄生獣」以来得体の知れぬ役で好調。
「ヘヴンズストーリー」然り長過ぎ。
何れも半分なら快作かも。
つたない
時代の表現が拙くて現代人が昔の服を着て時代劇を演じている感じがありました。衣装もまっさらで庶民の底辺感が欠けていたと同時に、あからさまなセット、間に合わせなロケーションにもげんなりしました。
活動家の闘争、その躍動を描き出そうとしていることは判りましたが、粗野なだけの類型的な人々に見えました。野望のある人間は、かならず坂本龍馬型で語られるわけです。
女相撲は痩身ばかりで女郎の集団に見えました。興行の様子に臨場がなく、躍動もなく、観客の囃し立ても学芸会でした。いったい何なのかと思える、長い長い相撲観戦シーンでした。ふんどしを鳥居に干していましたが、いいんでしょうか?
台詞は情感過多ですが、話はたいへん解りにくいものでした。編集もかなり入り組んでおり、前後の脈略が見えず、かれらがなぜ、なにを怒っているのかが掴みにくかったと思います。また、カメラもやたら動きます。手持ちもありました。ベテランにしてこの素人っぽさ、わざとなのでしょうか?
愁嘆場が、何度も出てきます。
朝鮮人女相撲が受けてきた差別を披瀝する、ヒロインが辛酸と理想をぶちまける、東出昌大が満州国の夢を語る──「貧乏人も金持ちもいねえ」とかなんとか、官憲が朝鮮人女相撲を叩きまくる、書生が夫から花菊を取り戻そうと殴り合う、東出昌大の獄中の絶叫、死んだ女相撲の骨を砕く頭領、憲兵に襲撃される女相撲、エピローグの「その後」等々。
いずれも、おぞましいほどイキっていて、無理無理にペーソスを現出させようとしていました。熱い人が、承認欲求に駆られながら撮っている、という感じだけは、ひしひし伝わってきました。
話を解っておらず、心を動かされてもいないので、愁嘆が早すぎるのですが、それは終局でも同じことでした。
総じて映画に認めたのは、押しつけがましい自己弁護、お涙頂戴、エクスキューズ、Abused womanなどでした。
女相撲が死霊の盆踊りの踊り子であるというなら、あるいは、活動家がDolemiteであるというなら、私もこの拙さを解せるのですが、映画は志の高そうな気配を持ち、役者達は激動の時代を熱演で表現しようとしていました。
映画が、志の高そうな雰囲気を持ち、且つ役者が熱演で応えているばあい、親切な観衆が、勝手に寓意やシンボライズや熱情を汲み取ってくれるばあいがあります。すると周囲も感化され、あながち冷評を下すわけにはいかないという気分にもなってくるわけです。
すなわちクリエイターは、主題やシリアスな空気感やポリティカルスタンスによって、大衆の批判を免れる立脚点を持ってしまうことがある、と思います。たとえば若松孝二監督には意外にいい映画がありませんが、パトスみたいな無形のもので地位が確立されているわけです。いうなれば根性も評価されるのが日本映画の伝統だと思います。
また、この映画は活動家の高い志を執拗に強調しているにもかかわらず、一方で木竜麻生や女相撲の女優陣や遊女にエロチズムを付帯させています。こういう二律背反をする演出は居心地がよくありません。活動家の野望を主題にしながら、裸も楽しんでね──ってのは秘宝館みたいな田舎くさい娯楽性だと思いました。
いずれにしても、革命は何を目論んでいるのか、なぜ女相撲と権謀が関わっているのか、なぜ菅田俊の憲兵がどこにでも現われるのか・・・まったく理解不能──個人の感想ですが、ほんとに酷い映画でした。
異端児的かつ対称的な男女
女相撲の一座「玉岩興行」とアナキスト・グループ「ギロチン社」による大正末期の物語。3時間に及ぶ長時間作品である。
長時間である理由も納得。内容をぶつ切りにせず、とことん映像化しようと言う試み。悪くないです。
登場する男性達は思想や革命心ある若者達、訳あり元軍人自警団みたいな集団もいる。何だか思想や理想が空回りし頼り甲斐が無い。
対象的に頼り甲斐がありそうな相撲興行の女達。
訳ありの女性達が集い、たまにはお互い争いもする。
この女達の強さは心強い。
時代背景を異端児的視点で描き、また対称的な男女の生き辛さを描いた作品。
シナリオ勝ちの様な作品でした。
特に絶賛する訳でも無く、反発する訳でも無く。
撲相大女岩玉の國帝本日大
『金子文子と朴烈』(2017)とかなりダブって見えてくるけど、こちらは女相撲を取り入れ、むしろ強くなりたい女性たちに主眼を置いたものに思える。どうしてもチャラ男にしか見えない東出昌大をギロチン社のリーダーにしたので、アナーキストが軽い存在にしか感じなかったためだ。
関東大震災直後のデマゴーグ。朝鮮人が放火しただの井戸に毒を入れただのと噂が広まり、自警団により虐殺された事件も風化してはならない黒歴史なのですが、世の中にはこの事実を消し去りたい人ばかり。こういった映画によって歴史が守られてるのかもしれません。プロレタリアートや無産階級とともに闘うといったスローガンもさることながら、東出演ずる中濱鐵が朝鮮人を庇ったり、彼らの受けた傷をわかる人間として描いていたことに好感が持てる。しかし、そのデマの張本人が正力松太郎と断言したことはやり過ぎのような気もする。本当に憎いのは朝鮮人なら誰でも虐殺する自警団の方なのに・・・
そんなこんなで最も涙できるのは、玉菊と十勝川(韓英恵)と鐵と大が戯れてた際に「俺がやったわけじゃないけど、ごめんなさい!」と鐵が砂に頭を垂れて許しを乞うシーン。虐殺自体がデマの可能性もある中で、明らかに差別を受け続けている十勝川に日本人を代表して謝るのは勇気のいることだ。もう、このシーンだけでいいから、このまま終わってくれ!と、3時間越えの尺がとても長く感じてしまった。
玉菊にしても日本の家父長制度による不幸。さらに十勝川は朝鮮でも日本人により虐げられ、どうせなら日本の方がいいと、自らやってきた女性。相撲もやりながら、男に体を売り、金を儲ける。虚しい・・・なぜ憎き日本人に体を売らねばならないのだ。多分、いつかは金を貯めて相撲で力をつけ、見返してやることができると信じていたのだろうか、やがて鐵の思想に惚れ込んで彼への想いは強いものになるのだが・・・
どうしても、この辺り(2時間くらい)で終わってくれればすっきりするのに、だんだんダレてきてしまう。はっきりいって勝虎と三治の章は要らない。
また、「シベリアでは怪我人よりも性病患者が多かった」などという、戦争そのものの意味の無さや色んなものを略奪することしかなかったという嘆き。そんな無益な軍国主義化が加速する中で、アメリカでは日本人排斥運動が起こっていたという事実。自虐史観だと否定する人もいるだろうけど、もっと大きな戦争の序章でしかない時代だったということだけは事実なのだろう。タイトルの「菊」の意味がダブルミーニングだとも思うが、まさか尻の穴までは・・・
ほとばしる生命力
「テロで世の中を変えられますか?」序盤に投げかけられる問いに、「損得で物事を考えている場合か!」と檄が飛ぶ。
無茶苦茶だ。答えに全くなっていない。
今僕たちの世界で巷に飛び交う、決して交わることのない、主義主張のようだ。
そう、この映画は現在の僕たちの生きる時代にも通じる何かを投げかけている。
女相撲一座とギロチン社。
古い因習や暴力から逃れ生きて行こうとする女たちと、政府に拠らない思想を掲げて理想や自由を求める男たち。
映画は、この対比の中で展開していくが、震災直後の噂で虐殺された朝鮮人の悲劇や、目的の定まらないまま強いられたシベリア行軍の話など、この時代を覆う暗澹たる雰囲気も伝えている。
「女ひとり救えなくて、革命など出来るか!」
鐡は十勝川を助けに行くが、逆に十勝川に命を救われる。
「天皇陛下万歳!」
愛だったのか。
「女ひとり救えなくて、革命など出来るか!」
今度は、大が花菊を救った。
交わることのない、この女たちと男たちの求める理想や自由が、僅かだが交わる瞬間だった気がした。
生命はほとばしる。
この映画に出てくる者たちに明るい未来が待っているわけではないことを僕たちは知っている。何かを変革したわけでもないことも知っている。
しかし、確実に生きたのだ。
この時代より、まだ現代はマシなように思うのは僕だけではないはずだ。
だから、二度と間違いなど犯さぬよう、少しでも考え、主張し、行動するのだというエネルギーを感じる物語だった。
凱旋再公開の舞台挨拶上映で観た。
イッチャナ節を生で聴くことが出来た。
面白かった。
既に鑑賞した人も、もう一度如何ですか。
この訳のわからない今だからこそ、観たらまた楽しめると思います。
自由を求めて土俵に立った私たち俺たちの青春
タイトルだけでは一体全体どういう映画なのか、予想も付かない。
“ギロチン”だから、残酷系…?
いえいえ、ドスコイ級の力作!
まず、“菊”。これはヒロインの名前。
地方の貧しい暮らしの若い女性・花菊は、嫁ぎ先の夫の暴力に苦しみ、耐えるだけの日々。
そんな時、巡業中の女相撲一座を知る。
強くなりたい一心と自由を求め、家出同然で一座に入り、女力士として修行の日々。
“ギロチン”とは、格差の無い平等な社会を目指すアナキスト・グループ“ギロチン社”の事。
変革の為には時に暗殺などの手段も厭わない過激思想。
そんな時、女相撲一座と出会う。
人々を沸かせる彼女たちの姿と闘いぶりに魅了され…。
時は大正、関東大震災直後。
震災で人々の暮らしはさらに困窮。
追い討ちをかけるかのように、軍が台頭。
楽も無ければ自由も無いそんな時代に於いて、厳しい現実が襲いかかり、模索しながらも、自由を求めた若者たち。
大正時代に実在したという女相撲一座とアナキスト・グループ。
史実では双方の出会いは無かったらしいが、もし出会っていたら…?
実在の人物や事件/出来事も登場し、ノンフィクションとフィクションの大胆な構成。
彼らの交流や淡い恋模様、社会派メッセージ、体当たりの相撲試合などを織り交ぜた、大ボリュームの青春群像劇。
時々作品にムラがある瀬々敬久監督だが、『ヘヴンズストーリー』同様、オリジナルのインディーズ作品でこそ真価を発揮する。
構想30年。3時間の長尺ながら、名演出で堂々と活写。とても『8年越しの花嫁』や『ストレイヤーズ・クロニクル』を撮った監督とは思えない。
ロケーションや美術セットが素晴らしく、生きた事の無い大正時代の空気が伝わってくる。
フレッシュな才能が花開いた。
オーディションで選ばれた木竜麻生の瑞々しい演技。
本作が演技初挑戦の寛一郎の複雑な演技。
東出昌大も熱演、個性派たちがしっかり脇固め。
中でも、韓英恵が悲しみや苦しみを吐露するシーンは胸揺さぶられる。
見て、面白かった/楽しかったと言える作品ではない。
思想や時代背景など小難しい点もあるし、重苦しいシーンも多々。
人々の娯楽の女相撲ではあるが、時々卑猥な見世物として見られる。
力士たちはほとんど、訳ありの女たち。この時代は圧倒的な男尊女卑社会だった。
力士の中に日本人と身分を偽る朝鮮人がおり、その悲劇。在郷軍人に強いられる迫害と暴力。
変革を諦めず、強行手段に出るアナキストの若者たち。逮捕か死かの悲しい末路…。
息が詰まるほどの閉塞、のし掛かるほどの重圧…。
劇中で若者たちは何度も何度も何度も、胸の内を叫ぶ。
これが私たちの俺たちの自由だァ!
生きざまだァ!
青春だァ!
私たちの俺たちの声を聞けェ!
歴史資料的側面の強い作品
女相撲というものの存在もあまり知らなかっただけに、
冒頭で描かれたポロリシーンが女相撲のなんたるかを語っているのかと思わされたが、そこではなかった。
しかし、話を見た限りでは、女相撲は一種の見世物的要素が強い大衆娯楽として間違いではないのだろうが、中には相撲取りとして勝ちたいという気持ちのもと稽古に励む女性力士という存在、それらの中間に置かれた存在もいたりと実に複雑極まりない世界であったのだろうと想起させられた。
菊とギロチン。
女力士の花菊と革命家集団のギロチン社。
形は違えど、現状打破、相手に勝ちたい、強くなりたいという思想のもと、日々戦う者の交流と別れを描いている。
政府や警察、自警団の取り締まりが厳しい中、社会主義思想を掲げ、略奪をして富の再分配を行うギロチン社は、彼らが掲げる大義名分は最後の最後まで果たして成し遂げられたのか、本作では描き切られていないが、中濱と大次郎は無政府主義という確たるエネルギーに燃え突っ走る姿は愉快痛快。
危険と隣り合わせでも、臆することなく政府に楯突こうと、世界を変えようと動く姿はヒッピーのようで鮮烈な印象だった。
DV夫のいる家庭を飛び出した花菊は、力士となり相撲に打ち込む姿はさながら自分の立場への抵抗のようで、強くなりてえという自身の言葉から実に滲んでいた。
花菊のいた玉岩相撲には、震災時の難を逃れた朝鮮人の力士・十勝川がおり、当時の政府の対応もリアルに描かれていた。
邦画にしてはかなりスケール感が大きく、時代考証を注意深く行ったであろうロケ地も圧巻だった(全体的にボロめだけど、その質感を出せることに驚いた)。
皆が自由を追い求めてもがいたであろう、大正から昭和初期の激動の時代。
とても勉強になる映画だった。
期待したが・・・・
一応主役はいるものの、ザクッと群像劇だと思う。
また、狙いなのだろうが、明確なメッセージなど無い。良くある頭でっかちなプロレタリア思想など感じられないし、かと言ってニヒルに時代を傍観してるでもない。
要するに、現代感覚で、かの時代を描きましたに終始した感じだ。あまり面白くはなかったと思う。
相撲がいい!
女相撲が迫力があっていい!女同士の関係性も微妙に良いバランスだし。お互い敬意があるのがいいね。久しぶりに見た嘉門洋子よかったよ。がんばれ。東出くんと韓英恵がセクシー。
女性たちの切実さと本気に比べると、男たちのダメさ加減ったらない。
セリフが聞き取りづらいのと、現代っぽい表現が気にはなる(「ヤる」とか「くそっ」とか)し、今どきの若者はカッコよすぎる〜。
長いなと思うけどこのだらっとした感じがいいのかな。2時間くらいでテンポよく見せてくれたら見に行きやすいんだけど。小さくまとまってもつまんないしね。でもこちとら資本家に搾取されてるから時間ないのよ!
「隣にいるやつは敵じゃない!」はいいセリフ。ほんと、連帯できない哀しさよ。
菊パートがいい
強くなりたい!レイプも暴力も嫌だ!がグイグイ伝わってくる菊のパートが圧倒的に良かった。女相撲をフリークにしないで、沖縄、韓国の女性も入れ、パワフルでかっこよくて自然の中に溶け込ませていたのは素晴らしかった。ギロチンパートは台詞が聞き取れない箇所が多かった。頭でっかちの男達。でも古田の最後の言葉は本当に良かった:花菊は誰のものでもない。
説明はいらない。
「自由」色々な角度で誰もがその意味を考えるべき。
3時間?
全然感じませんでした。長編ではありません。
本当はまだまだ伝えたい事があったかと。
俳優、プロデューサー、撮影、音楽まで贅沢なメンバーが揃ってる。
まだ劇場に足を運びたい瀬々作品。
★★★m(._.)m
押しつけられちゃうとな~
三時間の苦行 最後まで観たけど
なんだろうなあ
いい所が見つけられなかった
誰にも感情移入できない 惹き込まれなかった
星🌟は黒星3つ
関東大震災後と今の日本との重ね合わせ
訳ありの女力士が集った相撲興行 それにアナーキストが絡む
冒頭 大正の街の様子 かなり頑張っていた だが それは余り出なくなる アナーキスト達の話しは前半でほとんど終わり 後半は女力士(可愛目な二人)とアナーキスト二人の恋ばなだが、そこが素敵ならそれはいいのだが… 体を売ってまで生きている女が出会ってすぐにポロポロ泣き出し自ら受けた差別を告白する うーん 他にも沢山あるのだが 唐突に様々な人物エピソードが始まってしまう。 しかも、それがストーリーとしての絡みも感じられない
女力士達はいい顔してる役者を揃えたと思う。 この「訳あり」の女性達のストーリーをもっと深く描いてもよかったのではないか?
最後 アナーキスト達の実物写真と略歴が出るが、恋する二人以外は印象も薄いので
なんとも ただ それぞれ似た人を選んでいた。 役者選びは良いのか…
また、楽しかった自由として 海辺で皆で踊るシーン 今でいう野外レイブか そこでジャンベ アフリカンではないのでは
遠い国を夢見て=アフリカ?なのか 唐突な…岡本喜八は江戸にニューオリンズを合わせだが そこまで突き抜けていない 音楽もいけてない
震災後の大正と平成末期の符号は重なるわけだが 人が未来に夢を見れないとき 目の前の壮大な幻想にしがみつきたくなるのだろうか? 「人は皆孤独だ」というセリフがあるが であるから 人は群れ集まる 女相撲からアナーキストも帝国主義もひとつになりたいと欲望か
その欲望が強すぎれば 他者の異なる夢は否定し 壊す 排除する そのために力が用いるなろ それはテロも国家も同じではないだろうか
反戦 差別撤廃…又は天皇陛下万歳 それらを押しつけられても
与那国出身の醜女の力士の「腹減ってれば全部ご馳走」と言うが ごっちが空腹でなければ その饅頭は食えない
大正末期も平成末期も 全体主義に空腹なのか
それとも 絶望という自暴自棄が人々を破壊へ向かわせるのか
主義とは理想なので 異なる主義が和解することはない 欲しがりません勝つまでは
理想の未来の為に今を犠牲にする 目的の為に手段選ばず それで本当に「理想」にたどり着けるのか?
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