菊とギロチンのレビュー・感想・評価
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どうしても女目線だけど〜〜
町山智浩氏がラジオ番組で、さらに
映画メルマガ「僕らのモテるための映画聖典」で
かなり強めに押していたので、
ちょっと興味を持って観にいきました。
う〜〜ん、
今の時代や体制への批判や警告を含んだ
中身の濃い映画であり、今だけでは無く、
過去に同じような時代があって
その時の人々が長いものに巻かれてしまったがために
戦争が起きてしまった!と言うか
戦争に突っ込んでしまったと言うか〜
社会が個人の自由を奪う行為がエスカレートすると
本当に間違った方向に動いてしまう恐ろしさ〜〜
ゾッとするわ!!
で、月に8本ほど映画館へ通う中途半端な映画好き的には
私はフェニミニスト的思想が強い方なので
結局どうしても女目線になるのだけど〜〜
男って、ほんと下らね〜〜!!
男って、ほんと出来損ないだわ〜〜!!
ここで言う「男」とはギロチン社の若者たちだけでなく、
女相撲の女たちに交言いよる
今風に言うとアイドルのストーカーだったり
別れた夫だったり
それから、元軍人や警官や役人や
とにかく、自分たちだけで世界を動かしてる気になってる
アホなやつら全部です!!
と、つくづくここで福岡伸一氏の著書
「できそこないの男たち」を思い出してしまう。(笑)
その反面、女相撲の一座の面々のカッコ良さったら!!
どうしてもそこに行くのよ、私的には(笑)
個人の自由には、
もちろん女性の自由が含まれていて
女性が自由に生きていけない社会は
女性だけの問題で無く
やがて全ての人々が自由に生きられない社会になって行く。
怖い話ですよ!!
いつまでも有ると思うな男の優位と自由な世界!!
映画館で観ないとなかなか没頭出来ない作品だと思うので
頑張って観て欲しい。
@もう一度観るなら?
「後で誰かと濃い〜映画談義をするためなら、もう一度観ても良い」
木竜麻生、韓英恵、嘉門洋子他女相撲一座が光る
東出昌大が女郎と騎乗位で激しくやる姿に加え梅毒性膀胱炎で悶え苦しむ姿を披露するとは意外。
こんなに悲しい「天皇陛下万歳!」を聞かさせると評価し辛い。
自主製作映画とは思えない大正時代後期を感じるロケーション(滋賀県と舞鶴だとか)に衣装、暗くてもちゃんと映ってるカメラといい特別料金興行でも納得いく出来。これは長くても1本で観るべきだと感じた。
所詮アナーキストだな、と思う男の情けなさに比べ虐げられても挫けない女の強さが際立つ。女相撲も予想以上に画にな
ってる。見知らぬ主演女優の頑張りと女優のイメージがなかった嘉門洋子の貫禄が出色。
在郷軍人が話すシベリアの話は、日露戦争ではなくその後の第一次世界大戦後の「シベリア出兵」の話。日本史をちゃんと理解していない上に虎ノ門事件の事も知らなかったのが恥ずかしい。
女相撲とアナーキストの自由を求める出会い
えらい感動した
大正時代。
どうにもならず、がんじがらめになっている若者たちが自由を求めてもがき苦しんでいる姿がとても心に刺さった
その頃、日本には語る自由が制限され、女性たちは男性たちの所有物だった
その中で、ギロチン社は国民の自由と平等を求めて戦い、行き場をなくした女性たちは女相撲に集まってきた
最近の「相撲」といえば「国技」という重圧に押しつぶされ、力士たちの不祥事が続き、「女は神聖な土俵に上がってはいけない問題」が語られる
特に相撲に興味がない私からすれば、力士にとっても、その周りで働いている女性たちにとっても「相撲」とは、とても窮屈なものに見える
この映画は、その、とても窮屈なイメージの相撲に対して、まるでケンカでも売るかのように女相撲を登場させる
その描き方は「女が相撲をとって何が悪い」とでも言いたげだ
しかし、これは架空の話ではなく「女相撲」は現実に存在していたのだ
さらに、そこへ自由で平等な社会の実現のために戦っていたギロチン社を登場させる
そうすることで、一見、何の関係もないかのような女相撲とギロチン社の間に「自由のために戦っていた」という共通点があることがわかる
しかも、その二つの団体が、まるで運命に導かれたかのように自然に出会うのが良い
そして、彼らが出会い、ありのままの若者らしく楽しそうに踊る姿を見て
「本当に自由で平等で幸せな社会とは、一体どこにあるのか」と思う
土俵に上がれば「神の怒りをかう」と言われ
朝鮮人だからという理由で殴られ
好きでもない男性との結婚を強要される
そんな社会が嫌になった中浜鐡は
「全ての人が自由で平等な社会を作る」
「100年後には、そんな時代になっている」
と言うけれど
100年経った今、時代は本当に変わっただろうか
未だに女性が土俵に上がれば苦情が殺到し
人種差別も性差別も無くなっていない
つまり、この映画は、大正時代の若者たちのもがき苦しむ姿を通して、
現代の社会に対する痛烈な批判を描いている作品だったのだ
中浜鐡の語る理想の世界は「ただの空想で現実味がない」と、映画の中では批判されていたけれど、
理想の世界を語れない世の中こそ、夢のないネガティブで悲惨な社会で、もう終わっている
大いなる夢を語ってこそ、その先に希望かあるのだ
いつの時代も、若者が大いなる夢を語る世界であって欲しいと思う
不寛容の時代に生きる
日本の戦後民主主義はポツダム宣言の土台の上に成り立っている。ポツダム宣言は、第二次世界大戦という悲惨な戦争を体験した世界の指導者が、もう戦争は嫌だ、国家ではなく個人の幸福を追求しなければならないという大前提のもとに造り上げられた。日本国憲法のもとになっていることは言うまでもない。日本国憲法は決して、どこかの小国の首相が言う「みっともない憲法」ではないのである。二度と戦争をしないために世界の英知が結集した、世界最高峰の憲法なのだ。
この作品は、日本国憲法ができるより四半世紀前の話である。世界中が悲惨な戦争に向かって坂を滑り降りている真っ最中だ。国家の繁栄が個人の幸せだという牽強付会が大手を振って罷り通っていた時代である。天皇陛下万歳という価値観に誰もが疑問を抱きながら、そのパラダイムに逆らえない不自由な時代でもあった。
そんな時代に異を唱えることがどれほど大変な勇気の要る行為であったことか、いまでは想像すら出来ない。しかし例えばネット右翼の族や、ワールドカップの試合で渋谷に集まる人々を見ると、この国はひとつの価値観を共有している風を装うことで盛り上がろうとする短絡的な人間が非常に多いことがわかる。国家主義者たちにとってはなんと御しやすい民衆であろうか。
大正デモクラシーの頃の人々がどのようであったかは不明だが、この作品では権力に阿るのは在郷軍人会と下っ端の警察官で、その他の人々は必ずしも天皇陛下万歳のパラダイムに支配されてはいないように見える。実在の無政府主義者たちは、自由闊達な精神を維持していたのだ。彼らが逮捕され処刑されたことは、日本から自由な精神が失われて、国家主義の陥穽に嵌ってしまったことの象徴である。女相撲も同様に、女が土俵に上がるということで、タブーを真っ向から打ち破る自由の象徴のように描かれる。この二つの自由が映画の両輪となって、3時間の長丁場をぐいぐいと引っ張っていく。
俺たちは、私たちは自由だ!と叫んでいるかのような作品で、当時と同じように国家主義の陥穽に転がり落ちつつある現代に警鐘を鳴らす。現代が将来、平成のファシズムと銘打たれる時代になるなら、平成デモクラシー映画群の作品のひとつとなるだろう。
アナーキー!
こんな時代だからつくった、アナーキーな映画。
瀬々敬久監督が言ったことにウソはなかった。
そもそも瀬々監督は若松監督と同じピンク映画を作っていた人だ。
ピンク映画自体、全共闘時代のアナーキーなものだった。
とにかく反体制!とにかく自由を!
男女差別、民族差別、そして民衆を襲っている閉塞感。
時代に風穴をあけるんだというギロチン社。
女性を家畜のように扱う男尊女卑的世界から
女だけで自立して生きていこうとする女相撲の一座。
わけのわからないエネルギー、満タンの映画と言えるだろう。
東出昌大の弾けぶりがいい。
この男、単なる男優から一歩はみ出ていると思った。
この映画、自分的には時間が長かった。
3組の男女関係や生き様を表現していたが、
せめて2組であったなら、もっと絞り込んでいたなら、
饒舌さは薄まり、締まったものになっていただろう。
ただ、そんなことはわかっていたのかもしれない。
瀬々監督はあえて僕らの頭をグチャグチャにして、
アナーキー状態にしたかったのかもわからないとも思った。
男から石で頭を割られた女の悔しさについて
まさに現代に撮られるべき作品。
3時間ある映画なので見せ場も多く、例えば、別荘の瓦屋根からビラを渡す東出くん(ボロ別荘を作った美術さん良い仕事すぎる!)、朝鮮人虐殺の語り、「天皇陛下万歳!」、親方の姪による「くっそ...」長回し、などなど...。
ある属性を背負った人が恥辱を追う。「くっそ…」と漏らすその横顔には、屈辱による悔しさと、負けてたまるかという悔しさがある。それをバネに出来れば良いが、朝鮮人虐殺や男による殺害にしろ、人は死んでしまってきた。そこに哀愁がある。けど、そんな哀愁はくそったれなんだよな。
自由と平等
興味深い映画でした。
面白いかっていうとちょっと違うけど、
迫力があった。
戦前の全体主義が覆い始めた日本の、
暴力的な理不尽の中で、
自由、平等を求めた人たちの、
めちゃくちゃだけど愛おしい姿が印象的。
彼らの未来に今の私たちが立っているんだなと思った。
東出さんはじめ、役者がよかったです。
めっちゃ面白かった
女相撲とアナーキスト。差別と貧困、暴力とセックス、権力と反抗、革命、革命と騒ぎながら何もしない詩人と童貞で頭でっかちなおぼっちゃま学生。色々盛り込んでいて、テンポがよく最後まで楽しめた。それにしても男はどうしてこうも女の気持ちが分からないのかなあ、昔も今も。
こういう映画も良いと思う
今の日本の作家が政治的主題を扱うと作品がダサくなるっていう宿命があんのね。この作品もその宿命にははまってんの。それでもキャスティングの妙があって、結構観られた。カメラが手撮りで揺れるから、途中ちょっと気持ち悪くなったりすんだけど。
木竜麻生と東出昌大の演技は、ちょっとあれなんだけど、それが若々しさや無骨さに見えてきて良かったな。
東出が意外にスクリーンに映える。この人の見た目は力あるんだな。
韓英恵はいいよね。そして山田真歩もやっぱり良かった。
監督の思いの強さがドーンと出てくる映画で、整理されてないのと、表現が拙いのとでこっ恥ずかしい感じがあるんだけど、そんな感じがこの作品なんだろうな。
今
「今これを言わなくていつ言うのだ」という監督の声も聞こえてきた。
トンチンカンなレビューも書き込まれていますが、「隣にいる奴は敵じゃない!」という中濱の言葉に感動したので何も言いません。
ちゃんと声をあげる映画人は、ハリウッドだけじゃない、日本にもいたのだということも感じました。
不必要…。
3時間もあれば、特別興行になるだろうけど、長いよ…。
正直、主人公?の病気の件とか不要だし、もっと削れる場所はたくさんあったはず。
そして、冒頭部の過去の回想をイメージした?映像(表現)とか、所々に入るテロップとか、意味がわからなったし、特に冒頭は視点が定まらないアングルや聞き取りにくいセリフも続き、時間経過とかも理解できなかった。
いわゆる大正デモクラシーって、言葉でしか知らないので、確かに勉強にはなった気はするけど、女相撲は実際には裸だったと思うし、そういう部分は変にコンプライアンス的で、はっきり言って駄作に近い気もする。
もっとも後になって史実を反映した作品と知る始末で、それなら、もう少し予習して観れば良かった気もする。
何よりショックだったのは、上映時間が120分ぐらいと勘違いして次の映画を予約していたのが観れなかったことかなぁ…。
くそつまんない。
革命だとか叫ぶのが空々しいほど、青臭い。結局は暴力に頼り、強請タカリする輩たちじゃないか。例え正論をかざしても、テロでは世論を動かせないのに気付かないのか?そういう青っちょろいことを言ってるから、排除されるんじゃないかい?
三時間も見せるのだから、自信作なのだろうというのは買いかぶりだった。無駄な三時間を費やした。
熱量たっぷりに時代の空気感がビシビシ伝わる大正時代劇
瀬々敬久監督によるオリジナル、渾身の189分(3時間9分)の大作である。最近の瀬々監督といえば、実話感動作の「8年越しの花嫁 奇跡の実話」(2017)が思い浮かぶが、 基本的には「友罪」(2018)や「64 ロクヨン」(2016)などの社会派の人間ドラマが多い。
オリジナル作品は、やはり278分の「ヘヴンズ ストーリー」(2010)以来8年ぶりで、長尺作品でこれだけ見せる人はいない。
大正末期。関東大震災(1923年9月1日)直後、格差社会の閉塞感に苦しむ国民の苦しみの中、政治思想家や社会運動団体が乱立した大正デモクラシー(1910~20年代)を背景に、国民が平等に幸福を追求できる国家をめざす青年たちの群像劇である。
本作は創作された"女相撲"の新人力士・"花菊"と、実在したアナーキスト(無政府主義)グループ、"ギロチン社"の中濱鐵と古田大次郎らの出会いと交流を描いている。
アナーキーを血気盛んに叫ぶオトコたち、ワケアリで女力士に身をやつしたオンナたち。
中濱鐵(なかはま てつ/1897年~1926年)は、実在の人物で大正時代の無政府主義者。田中勇之進や古田大次郎らとともに起こした一連の"ギロチン社事件"で逮捕され、29歳で死刑執行されている。
震災と混乱の時代、大正デモクラシーの民本主義と天皇陛下の存在、シベリア出征の理由…体制側の都合に振り回さられる一般国民。格差のない平等社会への理想を掲げて、そこでたぎる若者たちの熱い想い。熱量たっぷりに時代の空気感がビシビシと伝わってくる。
また本作には"ギロチン社"のほかに、"労働運動社"、"在郷軍人分会"、そして女相撲・"玉岩興行"が登場する。それぞれの立場で生きる理由があり、ギリギリの生活がある。
ちなみに本作においての"女相撲"は、アマチュアスポーツとしての"女子相撲"とは別物で、大正時代に存在した"見世物"としての興行である。
オンナに相撲を取らせるというのは、興行的なエロチシズムを否定できない。劇中で描かれているように、警察当局の取締りの中で行われていた。
"女相撲"を神事としての古代日本史とむりやり結び付けて、"女子相撲"の起源とする意見があるが、私はこれを支持しない。かといって、現在の相撲協会のならわしも多くがマユツバものであるのだが…。
女相撲力士・"花菊"役に木竜麻生、"十勝川"役に韓英恵が務め、ギロチン社の中濱鐵役を東出昌大、古田大次郎役を寛一郎が演じている。
(2018/7/8 /テアトル新宿/シネスコ)
エロさを感じない文芸作品
時は大正時代末期、関東大震災直後、東京から少し離れた地方の某田舎で繰り広げられた女相撲興行で励む女力士たちとアナーキストたちとのドロドロした交わりを描いた3時間超の大作映画です。
女相撲というと少しエロさを思い浮かべそうですが、そんなエロさなどこれっぽっちも感じさせないドロドロした人間同士の葛藤と交わりを描いた文芸作品である為、昨今流行りのラブコメ好きの若い人にはちょっと合わないかも、実際観客の平均年齢層は高い気がしました。
しかし文芸作品好きにはたまらない素晴らしい作品ですね。
女相撲…決してエロではありません!
長丁場は覚悟の上で鑑賞に臨みました。
実際見始めて、私は全く長さは感じられず、むしろ彼女達や彼らをもっと見ていたいという気持ちになりました。
平和と平等
理想論とは思いますが、
女相撲もギロチン社の思想も通じる所があり
特に私も同じ女性として、相撲をしたい!と願う花菊が無性に愛おしいと思いました
本編中には出なかった涙が
エンドロールの時に止まらなくなってしまいました。
是非とも最後までご鑑賞して貰いたいです。
2度目の鑑賞 2019,8,19
十勝川のバンザイのシーンは
やはり涙腺崩壊するキッカケに...
ギロチン社の男性達が頼りない反面
女力士の強いこと!
初見では分からなかった事が沢山発見出来ました
★5に変更です(*>ω<)b
是非また映画館上映してくれる事を望みます
大正デモクラシー
学校では教えられなかった現代史、特に大正末期から昭和の初めにかけ、日本のプロレタリアの熱情が感じられる映画となりました。良かったです。
女相撲の興行のことは亡き父からよく聞いたような、オッペケペー節を歌っていた祖父のことも思い出しました。
3時間超の長さなので、腰が痛い。それと役者が絶叫型の台詞回しで何を行っているのか判らない箇所があり残念。
でも全体として作り手の情熱が溢れている力作です。
熱量がすごい
3時間にしては短い感じだった。もうとにかくカメラは動くし役者は叫ぶし泣くしひたすら熱量で押す映画。そのせいか実はちょっと台詞が聴き取れませんでした。すみません。
構想30年、女相撲とアナキストを結ぶその発想と熱量には圧倒された。
ただ、焦点を当てようとする人間が多いせいか、若干物語が散漫といえば散漫。3時間かけたのに何かが終わった感じがしないというのはあった。しかし、絞るのは無理だっただろうな...悩ましい。
役者陣もとにかく熱量で押し切った感があり、観てるこっちが常に押されている感じでした。東出さんはすごかったですね。もう彼は何でもできると思います。
すごくよくできた映画ですか、と聞かれるといやぁ...ってなるけど、熱い映画ですか、と聞かれれば即答ではい、という映画。
初日舞台挨拶大盛り上がり!
映画上映後の舞台挨拶が大成功!
なんと役者・監督合わせて30名が登壇しました。
大盛り上がり。
映画のことはここでは書きません。
見てください。
自分にとってはあまり知らない役者さんたち。
熱演でした。
その方々が、震えながらお話ししているところを目の前で見て、役者魂ってものをビリビリ感じました。
彼らが日の目を見るようになるといいな。
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