光(大森立嗣監督)のレビュー・感想・評価
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轟音のテクノBGMを受容できるかどうか
デトロイトテクノ初期のアーティストであるジェフ・ミルズが劇伴に起用されていて、重低音の効いた無機質なサウンドが轟音で鳴り響く。日本のありふれた光景をBGMで異化する狙いが読み取れる。この手の音楽が好みか、まあ許容できるという人ならいいが、個人的にはきつかった。ノイジーな爆音が暴力的に迫ってきて、修行か拷問のように感じられた。
井浦新と瑛太の好演に対し、女優陣が物足りない。橋本マナミはそこそこ露出度の高い濡れ場でがんばったものの演技が浅薄に感じられるし、長谷川京子のファムファタールには無理がある。大森立嗣監督作では「さよなら渓谷」がかなりお気に入りなのだが、今作はやや期待外れ。
難しすぎる
とにかく自分には難しすぎた。
唐突に流れるBGMはこの映画に必要なのか?音量が大きくて奇抜。おかげで話がまったく入ってこない。人を殺す時の音もでかい。これはホラーですか?
演技は上手いのにボソボソとした話し方で何を言ってるのかわからない。そして映像がとにかく暗い。暗すぎて演者の表情が見えない。深刻なシーンを表現するのに他に方法はなかったのか。
登場人物それぞれの心理描写が少ないため、わからないまま気付いたら人を殺してて、殺されてて、居た堪れない気持ちになる。本当に必要な殺人だったのか?明るい話ではないとはわかっていたけど、自分にはまったく共感も納得もできなかった。いったいタイトルの光とは何を意味していたのだろうか。
原作『光』は三浦しをんの小説。監督の大森立嗣が大森南朋の実兄だと今知った。緊張状態が長く続く。 サスペンス作品として出来がいい。 137分の上映時間だが長さを感じなかった。
動画配信で映画「光(大森立嗣監督)」を見た。
2017年製作/137分/R15+/日本
配給:ファントム・フィルム
劇場公開日:2017年11月25日
井浦新
永山瑛太
長谷川京子
橋本マナミ
南果歩
平田満
内田紅甘
原作『光』は三浦しをんの小説。
監督の大森立嗣が大森南朋の実兄だと今知った。
グッバイ・クルエル・ワールド(2022)
星の子(2020)
母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。(2019)
を見たことがある。
美花の子ども時代を演じた内田紅甘は内田春菊の三女らしい。
物語の舞台である東京都の美浜島は架空の島で、
ロケ地は東京都の利島村である。
島に暮らす中学生の信之は同級生の美花と交際していた。
ある夜、神社の境内で
美花が男に犯されていた。
信之は男を撲殺した。
輔は死んだ男をカメラに収めた。
直後に大地震が起きる。
島の多くは津波に流された。
そのため、信之の殺人は発覚することはなかった。
25年後、信之(井浦新)は市役所に勤めていた。
妻(橋本マナミ)と幼稚園に通うひとり娘と団地に暮らしている。
妻はなぜか輔(永山瑛太)と週に数回、浮気をしていた。
輔は信之と美花に「男の死体の写真を持っている」と言い。
二人を強請ろうとした。
そこに輔の父親(平田満)も現れた。
父親も島での殺人事件のことを人伝に知っていた。
信之と美花への脅迫に輔の父親も加わった。
緊張状態が長く続く。
サスペンス作品として出来がいい。
137分の上映時間だが長さを感じなかった。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
光 橋本まなみ
難しすぎる
タイトルの光の意味はどこにあるのだろう? 逆説的に「闇」を問うているのかもしれない。真夜中の海と真っ白に光る月 この作品の象徴だ。光を反射して光っているように見える月。実際にあるのは闇。
離島 そこは単なる田舎ではなく、非日常的なことが日常的に起きている。
主人公のノブユキの妻だけが離島出身ではない。その妻ナミコは日常生活と、特に夫からくるフラストレーションに悩み続ける。
彼女はおそらくごく普通の主婦を表現している。彼女の素行は満たされない思いからくるもので、さらに娘がいたずらされたことが心の中に澱となって苦しんでいる。
ノブユキは妻を愛してはおらず、本心を語ることもせず、古い団地から出ようともしない。
彼の心の闇は、彼がタスクに言った「あの時どうすればよかったのか?」に示されている。
幼いノブユキは叔父に犯されているミキを見てしまう。ミキはその時良い表情をしていた。しかし見られているのに気づいた彼女は、ノブユキに助けを求め、さらに殴ることも依頼した。確かにノブユキはどうしたらよかったのかわからなかったと思う。彼女を取られた怒りか、または助けたい思いか? 彼女の表情に感じた違和感。待ったなしに迫られた決断と結果。それが彼の心の底に今でも澱になってたまっているのだ。
「あれ以来私は感じなくなった」 ミキが悪魔に心を売った瞬間 そしてそれ以来彼女は「自分の都合に合わせて男を取り換えてきた」
これが二人が結婚できなかった理由だ。彼女のために殺人を犯したノブユキ。彼女に選ばれなかった理由がわからないまま、妻さえ愛せずただ生きているのだ。
そしてところどころに使われるシーンの中に、椿の花が散らされている。
椿は島の特徴で島を表し、娘の名前と同じで娘を表している。
その椿はあまり美しくなく、時折腐っている。
彼らの腐った思いが、彼らを腐らせた島が、今娘までを腐らそうとしているのだろうか。
タスクは親に虐待されながら育ち、誰も庇ってくれる者はいなかった。彼はノブユキに「悪いのはあの島、クソ暑い夏」そして「ユキ兄はミキから抜け出せない。俺もユキ兄から抜け出せない」
タスクは自分のこともノブユキのこともよくわかっていた。しかし脅迫してお金を取ろうとした。今の自分自身の不遇を島の所為にし、親の所為に、そしてノブユキの所為にしたかったのだろうか。
ノブユキがタスクに「お前はゴムのこともSEXのことも、殺したことも誰にも言わなかった。でも俺は殴られているお前に何もできなかった」 本心を打ち明けておきながら、ノブユキがタスクを殺したのはなぜだろう?
「こうなるのを待っていた」 タスクが殺されながらそう言ったが、同じようなシーンがミキとノブユキの会話にも登場する。
「これで死んでくれる?」「そういわれることをずっと待っていた気がする」
ノブユキの深い闇。
作中、ナミコがノブユキに「話がしたい」といったことで、ノブユキの心境が爆発する選択を彼が想像する場面がある。実際には心を殺して穏やかに答えている。
本心が言えない男。彼の闇がとても深いことが伺える。
しかし妻に対しては「ツバキを肯定できないと、自分を肯定できないよ」などと的確なことも言う。
しかしそこにあるのは体裁上うわべだけの言葉。誰かの言葉。知識上の言葉。その言葉に心は乗っていない。
一瞬爆発しそうになった自分の本心を垣間見たときから、ノブユキは自宅に帰らなくなった。
タスクに父を殺させて埋める穴を掘り、ミキのところに行き…
タスクを殺した後、彼はようやく自宅に戻る。
うれしくはしゃぐ娘、落ち着きを取り戻したかのような妻は、彼に何も言わない。
彼のしたことは浮気相手のタスクの郵便で知っている。
タスクが埋められている古びたアパートから1本の木が生えている。
おそらく椿の木だろう。彼の死体は発見されないままアパートも朽ち果てたのだろう。
ノブユキの闇は、ナミコの心をも闇で包んでしまったのだろうか?
しかしこの作品は難しすぎてわからない。共感できない。
三浦しおんさんの小説だと知り、多少納得しつつも、正直面白くない。
ナミコが夫の真実を知ったことで、この先どうなるのだろうか?
何も解決されないまま物語は終了するが、正直この余韻はいただけない。
BL寄り映画として飽きない やさぐれ瑛太が色気 こういう彼が見たかった
刺激が欲しくて見始めた。最後まで見てしまう。飛ばし見だったが。
瑛太の宣材写真がかっこいい。
大森南朋の兄、意欲作だと思う。映画の音楽が受け付けなかった。
瑛太がいい。井浦新はまあまあ。女優のハセキョーと橋本マナミはなんで?体もきれいすぎる。絶対違う配役間違えてる。
こういうあら筋のBL小説はよく書かれてて過去に何度も読んだことがある。イクジナシな攻め。執着。結ばれたら終わりのBL小説と違ってこの原作は殺されるところまでいってしまう。結構忠実に映像化したらこんなおどろおどろしいものになるのか…。雰囲気が怖かった。
20数年ぶりに瑛太と新が再会する場面、新が守護神だと告白する場面はとっても良かった。テレビではなかなかできないだろうと思う。
パパパパパパー
時代のせいにしない脚本を評す。
タイトルなし
世界観、画に合わない騒がしいBGM、全く共感出来なかった。俳優陣も普通の人固く誰一人おらず、間延びした。結局津波にあった島で唯一生き残った3人のその後の人生は何があるって期待させておいて、そもそも人として壊れてたってこと。
音量の調節ぐらいして欲しい
闇夜に浮かぶ白い月はいったいどれほどの光なのだろうか
『あの夜から何も感じないんだから』
ラスト近くで美花が信之に放った言葉。
原作も映画もこの物語が伝えたいことについては、敢えて明確には示さず、読んだ者、観た者それぞれの解釈に委ねています。
この美花の台詞についても、決して単純な用いられ方はしていませんでした。おそらく、性的に不感症になった、ということだけでなく、美花にとっては、相手が誰であろうと性行為自体に〝愛〟は存在しないし、求めてもいない、ということなのだと思います。
少なくとも、お互いの心を通じ合わせる類いの特別な感情を通わせるための行為、という位置付けはなされていません。
見晴らし台にいた信之、美花、輔。
船に乗っていた洋一と灯台守の爺さん。
この5人以外の島民すべての命を奪った大津波という最大級に理不尽な暴力。あまりに巨大な暴力に対して〝諦める〟ことしかできないことが、その後の美花の生き方に影響したのだと私は解釈しました。
生き残ったこと、生かされた自分の使命、などという健気とも言える前向きな影響は見出せません。
男が何か利害に絡むことをチラつかせて自分に求めるのはSEXという見返りであり、そういう関係の性行為には何も感じないということなのだと思います。すべてを諦めるということはすべてにおいて何も期待しないということでもあります。一般的には求め求められるのが恋愛関係だと思うのですが、美花の場合、求められることに関して強い拒絶感があり、見返りを得るためには不感症でいることでしか、対応することができないのでしょう。
信之の最初の殺しは、本人にとっては、〝美花を守るため〟であり、映画において描かれた長い間は、逡巡というよりは、美花が本当に望むことであることを自分で納得するための時間であり、決して怒りに任せた衝動的な行為ではなかったことを示しています。その後の人生において、あの殺人を罪悪感や咎として抱えないためには、美花を襲う暴力に対抗するには暴力しかない、という理屈を正当化するしかなかったのだと思います。ただ、本人もそもそも自分には、理性で抑えきれない獣性があることも薄々気付いており、そのことが、夫婦生活における不気味に抑制の効いた日常の言動に繋がっているのではないでしょうか。
卑屈に保護を求めることしかできない輔の精神構造は想像するだけで気が滅入ります。他作品からも窺えるように、三浦しをんさんは、キチンと題材を取材されるので、児童虐待を受けた方の精神的なダメージについても、専門家の方から聞いた実例に基づいていると思います。
〝光〟に辿り着けないまま、何かの呪縛に囚われて生きていくしかない人たちに光を当てた作品なのかもしれません。
三浦さん、この原作の次に書いたのが、『舟を編む』のようです。なんだか凄いですね。
一歩ひいて観る
2036年に震災の映画が成立するか
東日本大震災をモチーフにしたと思われる架空の大震災から25年後を今の日本と設定して、その後の人たちを描いた映画。神戸を使うこともできたはずなのだが、それをあえて架空の津波にしてある。今の日本の観客にはそれが限界なのだろうし、2036年に東日本をモチーフにした映画が成立するのかどうか、怪しい所だろう。
だから、人によっては悪趣味だと思われるこの映画を作ったチャレンジがすごい。
大森立嗣監督は『ぼっちゃん』もそうだが、旧来の映画的なキャラクターの分かりやすさを回避するところがあり、本作も井浦新が何考えてるかはとても分かりづらい。発見があったのは井浦新はロバートミッチャムに似ているという所で、そもそも何考えてるか分からない人としてキャラクタライズしやすい顔。
例えば序盤の冷め切った夫婦関係の描写にしても、彼が狭量な嫁に愛想を尽かしているようでもあり、人を殺した男の虚無にも見える。
だからこそ脚本が重要で、彼が最終的に何を1番に思うのかが劇的に明るみに出されたい所なのだが、ファムファタルを演じた長谷川京子の外連の無さによってそれは台無しにされる。
それであるなら長谷川京子と嫁の間を行き来する繊細な心理が描かれるべきのような気もするが、少し軽薄な夫すぎたようにも見える。
瑛太の父息子間の共依存はすごく良かっただけに残念。
僕たちは 人間のふりをして 生きている 25年前のあの日、消滅したはずの「罪」が、ふたたびやってくる――。
大問題
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