ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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危惧していた通りの冗長さ
エイリアン・コヴェナントの出来と、北米での興収不振などからある程度は予想していましたが、やっぱりなーという内容でした。リドスコの掲げるテーマというか方向性は最近の作品と完全に同じ路線を踏襲していて、やりたい事が見え見え。先が見える割にはシナリオのテンポが悪く、おまけに長尺なもんで見ていて退屈です。ハリソンフォードが登場した時、横のご老人が「やっと出たか・・」と思わず呟いてしまったのが全てを物語っていましたね。
映像が凄いのはお金をかけてるのである意味当然と言えば当然。でも新しくインスパイアされる何かはこの映画からは感じられません。VR彼女とか、もう時代の方が追い付いて追い越してしまったネタですし、何で今更そこなんだと。やっぱり、フィリップ・K・ディックの世界観を途中からリドスコが引き継いだからこその、前作の完成度なのでしょう。最初からリドスコのやりたいようにやらせるとこうなるんですね。その意味では庵野監督のエヴァQを彷彿とさせます。
前作のデッカードことハリソン・フォードは、終始仏頂面で陰鬱でも画面を持たせてしまう役者としての存在感がありましたが、ライアン・ゴズリングはちょっとキツかった。彼にはラ・ラ・ランドみたいな役の方が合ってると思います。
ただただ
151本目。
長かった。
夜勤明けの2本目には酷な長さ、テンポ。
女神の・・・、観た後だから余計にね。
何か期待させる音楽ではあるんだけど、それほどの盛り上がるでもなく。
観る順番が違えば、違った感想だと思うんだけど。
120分でまとめられるんじゃない。
何だかなあ・・・
前作を公開初日の初回で観た身としては、本作も初日と意気込んで出かけたのだが、まあ期待外れだな。
もっとも前作も”強力わかもと”と”TDK”くらいしか印象に残っていなかったから、その後ここまで高評価されるとは思いもしなかった。でも今観ると傑作だったと再評価出来る。
前作は死生観がテーマだから、若かった自分が観ても余り共感出来なかったけれど、歳取った今観るとテーマがより身近に感じられるからだろう。
ところで本作は性がテーマ。今度は歳取った自分が観ても何だかなあ・・・と思ってしまうわけです。
それ以上にテンポが悪すぎる。ダラダラ映像を流しているだけで、退屈極まりない。2時間以内に縮めてもまだ退屈だと思う。大した見せ場もないしね。これは脚本が悪過ぎるとしか言いようがない。アニメの前日譚があるけど、あちらの方が数倍良いから笑ってしまう。
正直作る必要があったのだろうか・・・。
前作同様耽美的な映像
Blade Runner2049日本で昨日から公開されやっと観てきました。
本国アメリカでは10月6日に公開され早く観たいと願っていた。
Blade Runnerは僕が学生の頃に公開され当時はそれほど話題にもならなかったのを覚えている。
しかしあの映画を見た途端ショックと共に僕の中に入り込んでしまった。
ビデオ、DVDそしてBlu-rayになりバージョンも映画公開から色々と発表された。
耽美的な映像そしてヴァンゲリスの素晴らしい音楽。
近未来はこうであるはずだと思わせる説得力がそこにはあった。
そしてあの映画から30年が経って続編が作られるしかもリドリー・スコットが関係していると聞いた時には本気か⁉︎と思わず思ってしまった。
オリジナルを超える事は出来ないだろう。見てしまってガッカリしちゃうんじゃないかと。
しかし同時に早く見てみたいという気持ちが発表から今日まで僕の中で日増しに大きくなった。
デッカードはレプリカントなのか?
レイチェルと逃亡の果てに何が待ってるのか。
その答えは得られるのか。
謎は謎のままでいいんじゃないのかと思う自分もいた。
監督が当初予定されていたリドリー・スコットからドゥニ・ビルヌーブに変わりリドリースコットは総指揮になると聞いた時あのBlade Runnerの世界観がどうなるのか不安で仕方なかった。
しかしドゥニ・ビルヌーブ監督作品である『ボーダーライン』『メッセージ』を見てこれは期待しても良いのではと思うに至った。
そして本日やっと鑑賞してきた。
映画が始まりどんどんとあのBlade Runnerの世界観に入り込んでいく。
オリジナルのBlade Runnerから30年後の世界。
益々世界は荒れ果てている。
耽美的な映像の連続。
ヴァンゲリスの音楽を彷彿とさせる曲が映像に追従する。
往年のリドリースコットの光と陰の効果的な映像がドゥニヴィルヌーブ監督によって映像化されている。
オリジナルのあの猥雑感は薄れている気もするが良しとしましょう。
圧巻なのは捜査官Kを演じたライアン・ゴズリングだ!
レプリカントの捜査官を演じその表情や佇まいにレプリカントである事の彼の悲哀。
自分はどこから来てどうして生まれなければならなかったのかと問い続ける気持ちの表れが演技に現れている。
人の手によって作られた偽物の生命。
しかしレプリカント達は感情もあるし葛藤もある。
生命とは何なのか常に問われる。
仮初めのメモリーで自我を保つ彼らはロボットなのかそれとも新しい生命体なのか?
そしてAIは人格が宿るのかAIは生命と言えるのか?
レプリカントである彼らから新しい命が生まれる。
その命は人間とどう違うのか?
最近のリドリースコットの作品を見ていると神とはそして生命とは何かという命題が根幹に流れている。
今作もその思想哲学を一層厚くし見るものに問いかけてくる。
映画はミステリー要素が半分以上占めているストーリーがまた良いですね。
ハリソン・フォード演じるデッカードが登場しストーリーもどんどん展開していきますが昨今の派手なドンパチはなくしっかりと見せてくれます。
163分という長い映画ですがBlade Runnerファンにはニヤリとさせてくれるカットやガジェットが散りばめられ楽しませてくれる。
一般的なエンターテイメント作品とはやはり違いかなり人を選ぶだろう。
オリジナルのBlade Runnerとはまた違うが新しいBlade Runnerの世界が作られた気がした。
本日『ブレードランナー2049』2回目の鑑賞をしてきました。
初回鑑賞の時より落ち着いて細かいところまでチェックしながらこの作品がどういう構図で作られてるか見てきました。
先ずは映像から思うところを挙げてみようと思います。
出たしから絵画的な映像が続きます。
人工農場でのシーンですがサッパーの部屋の雰囲気とか明かりの使い方がアンドレイ・タルコフスキーの『鏡』の様です。
この作品はオリジナルのBlade Runnerの光と影の使い方をドゥニ・ビルヌーブ監督により荒々しい前作より繊細な表現に仕上げてきた感があります。
光と影に加えて今作は水の使い方がタルコフスキーの表現に影響を受けているのではないかと感じました。
タルコフスキーの『ストーカー』『ノスタルジア』『惑星ソラリス』という名作の美しい表現を再現しようとしたと思います。
映画は絵画的であり多彩な絵画が映像から読み取れますね。
デッカードを探しにラスベガスに向かった“K”ですがそこは赤い砂漠とかして砂が霧の様に舞っています。
ラスベガスにある建物には色々な絵画が飾られてます。
ターナーやバルチュス(たぶん。遠くて分からなかった)やラファエッロかダ・ビンチ?ミケランジェロ?この辺は色々な絵画の影になっててわからなかったがルネッサンス期の絵画が教会と切っても切れない関係がこのブレードランナーという作品にキリスト教との関係を示唆してる様に思われます。
赤い砂の霧はターナーの空気遠近を感じさせますね。
デッカードが拉致されウォレスとの対面の場面はカラバッジオの絵画の様に光と影の対比が素晴らしくそこで語ったウォレスの言葉。レイチェルを聖書に登場するラケルと言った。Rachelはラケルと読む。
ラケルはヤホフとの間にヨセフを産んだ。
この事からもこの作品が聖書にヒントを得ている証でしょう。
レプリカントが人類に変わって新しい生命を繁栄させていく。
人類は新しい生命を生み出し新たなる生命体に取って代わるのか。
ここまで書いてきてこの作品は映像や言葉に色々なヒントが散りばめられている。
だからこそレジスタンスが登場するシーンは多分に説明的でありあのシーンは僕的には要らない気がした。
あのシーンももっと示唆に富んだ表現が出来るのではないかと思わずにはいられない。
ブレードランナー2049を客観的に見ることが出来たのではと僕なりに思いました。
また何度も見直してもっと深く探っていくのが楽しみな作品だ。
孤独な男が共感を得るまでの物語
この映画から得られる教訓は、自分の存在を認めてくれる「何か」を探す行為に拘泥してはならないということだ。その行為に身を投じれば道を誤りかねない。誤りとは、共感のない相手に対して自らを売り渡すことだ。たとえ自分の存在を相手から認めてもらえたとしても、そこに救いはない。真に探すべきことは共感だ。共感だけがこの世の救いだ。
この映画の全ての登場人物は、「求められて生まれてきた存在」にこだわっている。しかし、自分の存在を認めてくれる「何か」を探し続けたKだけが、そんなものに意味がないということに気づいてしまう。そして、Kだけが本当の悟り(救い)を得る。映画の最後でやっと、彼は共感を得る。彼は救われ、満ち足りた表情で死んでゆく。デッカードが彼に共感を与えたのだ。
物語の構造自体はブレードランナーと同じなんだけど、2049の方がより純化されている気がする。だから2049の方が好きなんだよね。
流行り物。既視感。
「メッセージ」の監督ドゥニベルヌーブが。「ララ・ランド」のライアン・ゴズリングが。「スターウォーズ フォースの覚醒」ハンソロと似た感じでハリソンフォードが。「ゴーストインザシェル」で最近観たTOKYOチックな街並み…。
本作を構成する要素は既視感が強い。なんだか。印象が弱くなる。豪華ではあるのは言うまでもなく、価値もある。160分飽きずに観たし、手のかかった映像だと感じた。なのに、突き抜けて興奮できないのは虚しかった。
部屋の中のホログラムのAIは少し面白かった。実写の人と重ねるのは大変そうだなと。ベッドシーン最後までやってほしかった。しかし、これも「her 世界でひとつの彼女」のOSのエージェントとの心の物語を思わせたり、それこそスピルバーグの「A.I.」とか「エクス・マキナ」とかの人工知能ものを想起させた。
「ゴーストインザシェル」や人工知能ものに関して、前作「ブレードランナー」はじめ当時のSF観が30年経て育った結果、逆転的に「ブレードランナー2049」ってあれに似てる…って思わせたのだと思う。本作の鑑賞にあたって、さらなる未来、想像できない技術を描いてほしいと期待したが、描かれたのは、人工知能の心や人造人間の生殖機能だった。メカ技術的には、車は当然飛んでたし、義眼も飛んでた。ホログラムは光源を意識させない。映画の好みかもしれないし、この映画のエネルギーを受け止めきれてないのかもしれない。
レプリカントの子が何処にいるのか、っていう伏線の流れは「メッセージ」と構成が似てる。
ずっと雨と雪、霧だった。
本編劇場鑑賞後、このために作られた短編3本を鑑賞。世界観を深める内容で鑑賞前でも後でも観るべきだと思う。このアプローチは新しいなと思う。
またハリソン・フォードの…
全く新作の予備知識を入れずに観てきました。
映像いいですね!裸のでっかいネーちゃんの3D映像には、おい無修正で正面のカット入れろやと突っ込みたくなりましたが…
ただ…これで30年後なの?と思ったには私だけ?前作を観た時に感じたインパクトは残念ながらありませんでした。どれもが現在の拡張現実の延長線上にあったり誰もが予想できる範囲内のものばかりで…もっとも現実の世界でも30年前の姿と比べたら…大して変わっていないかもですけど。
アンドロイドは電気羊の夢をみるのか?
原作のタイトルです。私はアンドロイドというとどうも機械じかけのロボット、機械人間という感じなんですが、レプリカントは機械というより有機的な物、人造人間じゃなく人工人間なのかな。血も流すし感情もあり性欲もある。生きようとする意思があるのですね。今後は猿の惑星的な展開もできるでしょうし、果たしてどうなるやら…
面白く有意義な時間を過ごせました。
ただ、ハリソン・フォードの○○が物語の「キモ」になるのSWと同じ展開でちょっとこちらも新鮮味に欠けちゃいましたが…
アンドロイドにもう一度夢を見させた真面目な続編。ただ少し物足りない点が。。
開始1秒で格の違いがわかるほどの映像。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の思い描くイメージは、インタビュー記事を見るに様々な専門家へのヒアリングを徹底して行い作り上げているので映像に説得力がある。スキがない。本作にも印象的なシーンはいくつもあった。本当に彼の作品は安心してお金を払い見ることができる。
ただし、本作には映像以外でスキがあるように思う。特に脚本だ。そこだけ残念であった。基本的にはレプリカントを追う内に自分の記憶(過去)との繋がりに気付いたK(ライアン・ゴズリング)の自分探しが軸である。そして、その記憶がかつてのデッカードとレイチェルにたどり着くという話だ。王道のミステリーサスペンスの脚本であるように思えるが、物足りない!回収しきれていない要素が多々ある。以下、3つほど例をあげる。
一つ目はウォレスが手掛けたレプリカントは命令に絶対服従であるという要素。無料公開されたショートムービーでも描かれるほど重要な要素である。
しかし、これが絵として感じられるシーンはなかった。単にレプリカントを再び製作するための理由付けでしかない。
もし描かれていたとすればラヴの涙である。ラヴは冷徹に任務をこなすが、誰かを殺す前には涙を流す。実は本心ではそんなことはしたくないのにウォレスに絶対服従という身体の動きを止めることが出来ないという葛藤なのかもしれないが、分かりづらい。Kも同じレプリカントなのであろうが、普通に言うこと聞いてない感じだし(笑)どのレプリカントも自由に行動してる感じで、この絶対服従という設定が一体誰に適応されているのか最後まで謎だった。
2つ目は空からの遠隔監視装置(ミサイル?付き)だ。正直最初にこのシーンを見たときはウォレスは誰でも空から簡単に殺せるという伏線であり、今はこの兵器が味方だが、彼らを敵に回した時には最悪の事態になるかもしれない。と思ったが、今後彼らはこいつを一切使わない。使い捨ての要素である。
3つ目はジョイとレジスタンスの関係。最終的に無関係であったということでしょうか。マリエッティの身体を使ってK(ジョー)とイチャイチャする目的と同時に彼を守るためにレジスタンスの監視を促した。彼女は実はaiでありながらレジスタンスになっていて、他のジョイとも記憶が共有化されており、デバイスが壊された時に彼女も消滅したかにみえたが、実は消滅していない。というのは私の考え過ぎであったのか。だとしたら本当にKとイチャイチャするためにマリエッティと同化しただけだったのか。「外部デバイスにしたらバックアップがないから人みたいに死んじゃうわよ」の言葉が嘘みたいにすぐ回収された(笑)ウォレスはジョイをモデルに使って新しいレプリカントを作ったり色々実験してるみたいだったからもう1捻りあるかと思ったが。。。
ライアン・ゴズリングの演技は最高だった。自分が特別な存在ではないと言い切られた時のあの佇まいはすごい。シルエットだけで語れるのか彼は。
デッカード(ハリソン・フォード)の登場シーンは予告で何度も見せられて感動が半減していたが、やはり彼は映るだけで画になるスターだと確信した。
しかし、この2人はバディには向いてないようで、出会いは感動したが、話のテンポはここから悪くなっていったように感じた。やはりブレードランナーには孤独が似合うのかな。犬もいつのまにか消えたし(笑)
特にラストのラヴとの戦闘シーンは、デッカードが溺れそうなのを背景に2人でもたもた殺し合っていて、どういう気持ちでこのシーンを見ればいいのかわからなかった。「ここでデッカードが溺れて死んじゃいました。」なんて展開にするわけはないので特にハラハラしなかった(笑)派手なドンパチはブレードランナーらしくないのでこれはこれでいいのかもしれないが。
結局ウォレスのラストシーンは全く印象に残らないほど、彼はこの映画で描ききれてはいない。もしかしたらリドリースコットは更なる続編も考えているのだろうか。
163分を使ってもまだまだ時間は足りなかったのか、2時間の前後編にしてもよかった気がする。
リドリー・スコットの最近のテーマは一貫しており、神と人間の関係を創造主と創造物の関係と捉えなおし、それを人間とレプリカント(アンドロイド)の関係(創造主と創造物)の関係に置き換えて神(人間)とはなんなのかという問いかけと、そして創造物がまた創造主へと変わる話を描いている。レプリカントが新たな創造主になるのだ。本作ではレプリカント(レイチェル)が子供を産むという奇跡として描き、リドリー・スコットのプロメテウス、エイリアン・コヴェナントでもアンドロイドが創造主になろうとする話が描れている。これはつまり神様に失望した創造物が自ら神様になろうとする話だと思う。
本作の脚本マイケル・グリーンはそのエイリアン・コヴェナントの原案も務めている。
(子産みは最近のSFのテーマの一つなのかもしれない。日本アニメ「正解するカド」でも異方存在と人間の間に子供が生まれるということを描いている。)
163分があっという間に感じるほど、本作は前作と同じように映像で語る作品になっていたと思う!そこは良かった!音声をオフにしても何が起きてるかわかる作品だ。
続編はあるんじゃないかと個人的には思いますが、ブレードランナーを映画館で観ることができてよかった。
よし、とする。良かった!
メジャー映画で個人的なことをやる、というのがブレードランナーをやることの意義だと思う。というとこの続編はリドリースコットの意匠をあまりにうまく汲んだ続編だった。
正直、オリジナルのあの圧倒的なサイバーパンクと古のハードボイルド映画とアジアの猥雑感のミックスされた世界観の痺れるようなオリジナリティには及ばなが、ビルヌーブの夢見るブレードランナーの世界観は堪能できたと思う。
もうちょっと人がガヤガヤ出てきてほしいとか思わなくはないが、アナデアルマスという魅了玉を堪能できて、よしとする。
天麩羅うどん食べたかったのにそばメシかよ
映画ブラック・レインでリドリー・スコットが芋だというのは確信した。てっきり芋だと思っていたらどこかでジジイが掘った芋弄るなって怒鳴っているだけだと思ったな。天麩羅うどん食べたかったな。まさかそばメシ食わされるとは思わなかった。こんだけカネかけてレプリカント殺ししなければならないほど気合入った未来がありえると思ってるのかねえ。ヘロヘロになって芋齧ってるだけのデッカードがタンホイザーゲートの夢でも見ている方がSFチックなんじゃないの。
成田のIMAXで
IMAXでは1週間の限定公開の本作。タイトルとエンドロール以外はフルサイズでの上映。爆音か?と思わせるような椅子を揺るがす重低音。
細部まで作り込まれた映像を3Dで観てしまうと、やはり成田のIMAXが上映環境としては最高だと再認識。本当に映画の世界に入りこんだよう。
映画開始から2時間後ぐらいに登場するハリソン・フォードに全て持っていかれた感じ。
続編のわりに…
実はこの監督の前作メッセージが、自分にはさっぱりだったため、ほとんど期待ゼロで、でもブレードランナーという歴史的な名作のノスタルジーに浸りたくて映画館へ足を運んだ。
酒を飲み、匂いを嗅ぐ一連の人間臭い仕草に、ほんのりと嘘くささを漂わせるゴズリングの演技が秀逸な冒頭から、どんどん引き込まれてあっという間に2時間40分強が過ぎていく。
終盤、ある事実を知って落胆するゴズリング演ずる捜査官に、掛けられる慰めの言葉がいい。
『自分だと思ってたのね。そうなのね。みんなそう。自分がその一人だと思いたいのよ。』
前作がアイデンティティの模索であったとすれば、この続編はアイデンティティの確立だ。その明快さにブレードランナーらしからぬものを感じはするが、幾多の続編よりもはるかに味わい深かった。
映像が素晴らしい映画
映像が素晴らしいから映画館で観る価値があったかもしれない。
■良かった点
・映像がとにかく美しい。音の感じも相まって、映画の中に吸い込まれるような作品だった。
・まるで数十年後の世界(暗い感じだけど)を見ているかのような感覚だった。
■残念だった点
・ちょっと中だるみ感があったかな。時間が長い映画だから仕方がないのかもしれないけど。
Because you've never seen the miracle. やっぱり「雰囲気映画」。
カルト的な人気作品ブレードランナーの続編なのですが、やっぱりブレードランナーっぽい「雰囲気映画」でした。本当にビジュアルは素晴らしいです。もう最初のシーンからジンっ・・と来るぐらい美しかったです。美術さん頑張った!後、サウンドもズーンとしてて良かったですね。でも何処にも着地しないストーリーはどうなんでしょう?
登場人物がいったい何をしたいのか良くわかんないんですよねー。ウォレスさんが産まれたてのレプリカントの腹刺したりとか何で!?ってなります。産まれたばっかの女性にそんなことしたらあかんやろ!
結局レプリカント自体の設定もよく飲み込めず。銃で撃たれても平気とか。それに子供できるって事は子宮があるって事なんでしょうか?となると排卵するし、生理もあるって事?人造なのに何でそこまで造ってんの?なんて根本的な疑問が出てきたり。長い映画でまったり進むので色々と考えてしまいます。
俳優陣は良かったですね。ハリソン・フォードがお爺ちゃんになりすぎてるのが悲しかったですが。ジャレッド・レトはキャラクター作り込んでる割りにまたもや出演時間が短いという「スーサイド・スクワッド」のジョーカーを思い出させる感じでした。ジョイを演じたアナ・デ・アルマスがメチャメチャ可愛い!2017年現在で29歳と意外といっててビックリです。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の「メッセージ(あのバカウケが宙に浮かんでる映画)」が面白かっただけに今作も期待していたのですが・・・長い割りに見終わった後にモヤモヤしました。
思想から哲学へ
公開初日だったので劇場で観てきた。
まず、映像の美しさに驚かされた。3時間近い物語のどのシーンを切っても、絵になる感じ。
あと、全体的に「音」の使い方もゴージャスだし上手いと思う。
そして、内容は前作の続編というより、多分原作のテイストに近かったんじゃないかな?
「人間を人間たらしめるものは」という問い自体は、前作と共通してるけど、前作が「生命」に言及してるのに対して、本作では「心」や「魂」といった、内面的な部分にを言及している感じがした。
ただ、そうは言っても2時間43分はさすがに長かったw
これから観に行く人は、結構覚悟したほうがいいかもw
全609件中、541~560件目を表示