劇場公開日 2017年4月1日

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ハードコア : 映画評論・批評

2017年3月28日更新

2017年4月1日より新宿バルト9ほかにてロードショー

映像と身体感覚がシンクロする一人称視点映画。非ゲーマーにこそ観てほしい

ゲームをしないしPOV映画も苦手な筆者は、観賞前に全編が一人称視点の映画と聞いて懸念していた。シューティングゲーム風のブレブレな映像を延々と見せられて、うんざりしてしまうのではないかと。ところがどっこい。「アクション映画を体感する」という表現をアップデートするほどの斬新な映像体験に興奮し、終始飽きることがなかった。

主人公は事故で重傷を負い、「ロボコップ」のように失った体の各部をハイテクで補強されたサイボーグであることが冒頭で明かされる。声帯も損傷して話せないのだが、この設定が秀逸。言葉を発すると必然的に話者の意識が表出するが、沈黙を保つことで主人公の自我が顕在化せず、観る側の没入感、つまり「一人称視点の身体を操る存在=映像を見ている自分」という感覚を強化するのだ。

監督は、ロシアで音楽活動も行うイリヤ・ナイシュラー。一人称視点で制作した自身のバンドのPVが、「ウォンテッド」のティムール・ベクマンベトフ監督の目に留まったことで、PVの世界観を長編映画化する道が開けた(ベクマンベトフは製作を担当)。アクションカメラの定番であるGoProカメラを、独自開発のスタビライザー付きヘルメットに装着。俳優がパルクール風スタントを含む激しいアクションをこなしつつ、ブレの少ない映像を収めることが可能になった。

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主人公を先導する天才科学者ジミー(シャルト・コプリー)の存在も重要だ。下半身不随のジミーは、自身のクローンと意識転送装置を作り(この設定はジェームズ・キャメロン監督の「アバター」を思わせる)、大勢のクローンたちを操る。ここでもまた、意識と身体の関わりが強調される。座ったままの本体=観客、意識を飛ばす先のクローン=感情移入する対象のキャラクター、というメタファーとしても解釈可能だろう。

アクションカメラの性能向上に加え、一人称視点シューティングゲームの普及、仮想現実デバイスとコンテンツの台頭などが「ハードコア」の実現を後押しした側面もあろう。しかし、一人称視点の貫徹によって、映される身体のアクションと観る側の意識の同期を追求することが本作の“核”にあるのは確かだ。さらにこの作品が契機となり、アクション映画にとどまらず、ホラーや恋愛物などのジャンルでも、一人称視点の手法を発展させる意欲作が登場することを期待せずにはいられない。

高森郁哉

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