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「ある戦争」は戦争の持つ多面性を細やかに描いている。監督のインタビューによれば、アフガニスタンへの従軍を終えた兵士との会話の中で「戦闘に巻き込まれて死傷することより、帰国後に裁判にかけられること」を恐れている様子に興味を持ったのがきっかけのようだ。
アフガニスタンに駐留するデンマークの兵士は、タリバン政権の武装勢力の監視が任務。
任務中、現地の住民が助けを求めに来る。娘が火傷を負って夜も眠れない。助けて欲しいと。
言葉も通じず、この住民男性に敵意がないのかどうかもわからない。ただ助けを乞うているだけなのに、隊員たちは殺気立つ。
助けたい人たちがいて、助けを求める人がいる。ただそれだけなのに、互いの安全を守るための手順は煩雑で、尊厳すら存在していないように見える。
男性の娘は火傷の治療を受けるが、今度はタリバンから西側諸国への関与を疑われ危ない立場になる。
男性は娘を助けたかっただけなのに、差し伸べられた手を掴むことすら命がけだ。しかも、すぐに基地で匿ってもらうことは出来ない。
何か行動すれば、それには必ず結果が伴う。目先の結果だけではなく、意図しないリアクションまで付随する。善意で行ったことが悲劇を生む。
そんな事を想像したこともなかった自分の無邪気さが恥ずかしく思える。
この一連の出来事は、後から起きる更なる悲劇を予感させる。
罪なき人々と敵の判別は曖昧だ。襲撃されているのは紛れもない事実で、隊員が命の危険に晒されているのも事実。
極限の状況下で、「軍事的規律を守らなければならない」という行動規範と、「部下を守らなければならない」という隊長の責務は簡単に対立する。クラウスの判断は、全て彼が真面目で優しい人物であることに起因している。
瀕死だった隊員のラッセから送られてきたビデオメッセージを見たとき、隊の誰もが彼を祝福したはずだ。そして、彼が生きているのは紛れもなく隊長の判断があったからこそだ。
晴れがましい気分とは裏腹に、隊長の空爆要請は現地の人々の命を奪った。
ああするしかなかった。でもそれは明らかに「正しい行い」とは言えなかった。
クラウスの葛藤も当然苦しいが、隊員やクラウスの家族の葛藤もまた重いことは容易に想像できる。
それは仲間の命の方が現地の人の命より重いのか?という問であり、今生きている人の方が死んだ人間より価値があるのか?という問であり、自分達の幸福の方が重いのなら、アフガニスタンでの任務は無意味であるという存在否定である。
この重すぎる問いに、正解はないだろう。
観ている間、有罪か無罪か、決着のつかない状態のままな方が、むしろ幸せなんじゃないかとすら思えてきた。
白黒はっきりつけたがる世界で、白と黒とに分けられるものはあまり多くない。いつでも白っぽかったり黒っぽかったりするだけで、どちらに転んでも釈然としないしこりが残る。
大事なのは、その曖昧さを嫌って簡単な二元論に逃げず、常に最良の手だてを考えることだ。
「自衛」という耳障りのいい言葉に隠された危うさに気づかせてくれた、良い映画だったと思う。