劇場公開日 2016年4月9日

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さざなみ : 映画評論・批評

2016年3月29日更新

2016年4月9日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー

45年の夫婦の営みが6日で覆される、人生の無常

 恐ろしい人材が登場した、と本気で思う。まるで往年のベルイマンを彷彿させるような冷徹な眼差し、無駄を削ぎ落としたセリフと緻密な描写の積み重ねがもたらす、登場人物たちの奥深い内面描写、一見ドキュメンタリー的な自然で控えめな映像のなかに、計算され尽くされたドラマが構築されている。これが長編三作目となるアンドリュー・ヘイ監督の、この人間を見つめる視線の厳しさはどこから来るものだろうか。

結婚45周年を6日後に控えたジェフとケイト。田園の一軒家で穏やかに暮らす彼らは、誰が見てもおしどり夫婦だった。だが、一通の知らせが異変を起こす。雪山で遭難したジェフのかつての恋人の遺体が、氷のなかから発見されたという。呆然とする夫の様子から事態の大きさを理解したケイトの心に、さざなみが起こる。やがてその波紋はどんどん広がり、消し去ることのできない不協和音を奏でていく。

「彼女が生きていたら結婚していた?」と思わず尋ねるケイトに、「そのつもりだった」と、夫は躊躇なく答える。

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観客のなかにはケイトの苦悶に共感できず 、こう思う方がいるかもしれない。もう存在しない昔の恋人になど、何をそこまで嫉妬する必要があるのか、と。だが、違うのだ。彼女は存在しないからこそ、永遠に昔と同じ強度で夫の心に残り続ける(まさに氷のなかで発見されたかつての姿のように変わりなく)。生身の人間は、亡霊に勝つことはできない。ケイトにとってもっとも辛いのは、45年を経た今、ふたりで積み重ねた年月がすべて覆され、甘い思い出は苦い欺瞞の礎に変わり、これまで生きてきた存在理由が、がらがらと音をたてて崩れてゆくことだ。そして彼女には新たな人生を生き直す時間も気力も、もう残されていない。まるで生きてきた証を失うような、やみくもに自分の人生が全否定されたかのごとき負の波が、静かに、だが確実に彼女を浸食していく。

フランソワ・オゾンの「まぼろし」で、失踪した夫への思いに取り憑かれるヒロインを演じたシャーロット・ランプリングが、ここでもまた言葉に頼らない名演を見せてくれる。理性と感情の狭間でその表情は揺らぎ、切れ長の瞳が絶望と嫌悪を交互に宿す。

結婚45周年のパーティで、それでも夫とチークダンスを踊るケイトの表情が観客に最後に差し出す、問いかけ。それに愕然とさせられるか、これもまた人生なりと咀嚼するかは、観る側の度量に拠るかもしれない。

佐藤久理子

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