まぼろし
劇場公開日:2002年9月14日
解説
25年の結婚生活をともにしてきた、50代の夫婦マリーとジャン。子供はいないが幸せな2人は、今年も毎年夏にバカンスに訪れている南仏の別荘にやってくる。しかし、人気のない海辺でマリーが眠っている少しの間に、海に入ったはずのジャンが行方知れずになってしまう。警察の捜査も虚しく手がかりはつかめず、パリで日常生活に戻ったマリーだが、やがてジャンの幻が見えるようになり……。フランソワ・オゾン監督が愛する人を失った女性の深い喪失感を描いたドラマで、“死についての3部作”の第1章。
2000年製作/95分/フランス
原題:Sous le sable
配給:ユーロスペース
スタッフ・キャスト
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2021年9月24日
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鑑賞方法:映画館
自分が自分であるというのはどういうことなんだろう?自分一人でそれは決まらない。かといって、誰と誰を加えたら自分が決まるんだろう?一番近いのは配偶者か?でも自分の配偶者が何をどう思っているか、彼らは彼らの自分を確定するために私を必要としているのかわからない。
確実に死に向かっている。若者だって同じように死に向かっている。でも彼らは違う。死なんて知らないかのように生きている。ライフセーバーの若い男たちも、大学の階段教室に座っている学生達も、海岸に居た全裸のカップルも。
私は泳げるしジムにも通っているしスマートだ。もちろん目元に隈があることも皺があることも知っている。授業をするのも若い学生と話すのも好きだ。ジムに行きたがらない大柄で太っている夫より若いと思う。その夫の重さを私の細い体は25年前から知っている。そうやって私は私であったのに、目の前から夫が消えた。
シャーロット・ランプリングは「愛の嵐」から変わらない。少女のような少年のような体型、肩甲骨も脚も目もまなざしも。ヴァージニア・ウルフの「波」とシンクロしているこの映画、彼女が主役だからこそだと思った。
2020年8月18日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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もっとハチャメチャな展開になるオゾンが好きなのに、これはまともなドラマすぎる。それでもランプリングの自然で深い愛情が見事な演技によって、現実逃避の感覚と虚無感が伝わってくる。
2018年10月22日
iPhoneアプリから投稿
腕時計のことは自分が知らなかった夫の事実がまだあったのだということなのだと思う。生きてるかも?ではなくて。まぼろしを見て歩き続けるような終わり方ではあるけれど。
別の男性に体を重ねさせることで、夫の死を受け入れてるということがわかるが、それでも認めたくない。自分を愚かな者として笑ってしまった。頭の理解と心と半分半分。夫の死が受け入れられない女性の話でしかないのだけれど、その描かれ方が細か。
2015年6月8日
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鑑賞方法:DVD/BD
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マリーは夫ジャンと結婚して25年。
やっととれたバカンスで、別荘のあるランドへ。彼の望む人気のない海(ライフセーバーの監視外エリア)でマリーが甲羅干しをして居眠りをしている間にジャンは消えてしまう。
バカンスへの道のり、車を運転するのはマリー。ジャンは眠いのか、コーヒーを買う。闊達なマリー。
別荘に着いても、テキパキと部屋を片付けるマリーに対して、ジャンはゆったりとしている。
マリーに火を熾すよう言われて、森へ焚き木を拾いに行くジャン。
倒木を持ち上げると、うごめくアリたち。ジャンの重たい巨体の下で、生き生きと生きるマリーの姿か?
長年連れ添い、安心して慣れ切った夫婦のため、妻にとって男性というものは夫ジャン以外にはない。そのため、ヴァンサンに上に乗られたとき、そのあまりの重みの違いに、つい笑い出してしまう。妻はかれのその重みををも深く愛している。
そもそもイギリスからやってきた彼女には頼れるものは彼しかない。義母が彼女を気に入っていない様子も描かれる。
愛の深さゆえに、彼女はまぼろしを見続けるが、
まぼろし、の僕なりの解釈その1
妻マリーは完全に夫ジャンとの生活しか考えられなくて、満ち足りて愛しているがゆえに、彼が失踪しても彼の死を信じない間はその幻影を見続けるのだけど、ジャンの方は不満は見せないながらも、いささかそんな愛され方が重たくもあっただろう。
それはパリの家から北西に離れたランドの別荘に着いて、火を熾すよう言われて、森に焚き木を拾って来るとき、倒木を持ち上げるとアリたちがうごめいているシーンにも象徴されていて、一つには、妻マリーは巨漢の夫ジャンの重みの下で生き生きと生きているということと、ジャンの方は妻や社会との関係の中で心の表面は固く重くなってしまい、生命力や活力はその下に封じ込められてしまっている、という2人それぞれの状況を暗示しているように思える。
色で言えば、タオルや水着は彼は青で、彼女は赤でした。
失踪後に買うドレスも赤で、ネクタイは青でした。
眼の色も茶系とブルー
2人は結構対称的で
太っている、やせている
物静か、活発
フランス人、イギリス人
由緒正しい家系、よそ者
などという風に特徴づけられていて、
それゆえにお互いがネガのように結びついて、一体をなしているように
少なくとも妻は思っていた。
しかし現実は違っていたと考える方が妥当で
その意味では、妻は最初からまぼろしの中にいた。
現実の幸福がそもそも幻影だったのだから、
最後に彼女が夫を浜辺に見つけるのが、狂気に根ざした幻影だとしても、そもそもの彼女の幸福は何も変わっていない(とはいえ経済的な危機とか、新しい男性との関わりとか、現実的な変化はあるんだけど)といえるのではないか?