君の名は。のレビュー・感想・評価
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旬のもの。また観たいとは、、
高2の娘と観に行きました。
客層はファミリーも多く、若い女子(中高生)が多かったイメージ。リピーターが多かった映画なのかな。
冒頭、ラッドのPVが始まったと思いました。
というか、最初から最後までラッドのPVだったのでは?という疑念が残ったままです。
こういうのが好きな人は一定数いるだろうしそれを否定はしませんが『この世界の片隅に』を観た直後だったのもありオメデタイご都合主義映画としか観れませんでした。
ただ、やはり絵は綺麗だった。
エンディングが惜しい…。
普通に入れ替わりコメディだと思ったら、まさかのタイムスリップ?彗星衝突?
「イルマーレ」と「転校生」と「ディープインパクト」の三本の映画を一本で楽しめる!という映画。
でも詰め込み過ぎ感が無いところがバランス良いと思いました。
夏祭りの日を最後に入れ替わり無くなった、実は死んでた、って結構唐突で、タキの感じた喪失感がとっても良く伝わりました。
美しい彗星やお祭りの楽しい雰囲気と、カタストロフィの対比も鮮やかですね。
最後はベタな終わり方だったけど、泣けてしまった。
でも私は、エンディングはこれじゃないと思いました。
このエンディングは温すぎるし、良かったね以外何も伝わるものがない。
生き残って都会で幸せに暮らすミツハはタキと同じように何か喪失感を抱えて生きてる。
ある日二人は街中で偶然出会い、ちょっとだけ心暖まるコミニュケーションを持つが、遂にお互いが何者か気づく事なくそのまま連絡先も交わすことなく別れてしまう。
この巨大都市東京で二人がもう一度出会う可能性はもう無いだろうなあ、という感じでエンディング。
そうすると観てる人は、もしかして自分も忘れてるだけで、同じように大切な人がいたのかも? とか偶然の人との出会いは大切な宝物かもしれない、とか感じる事が出来ると思うんですよね。それに大切な人は、幸せに生きていてくれるだけで素敵なことじゃないでしょうか。例え自分の人生と重なる事が無かったとしても…。
久々に見た、完璧な映画
脚本、声優キャスト、全てに於いて完璧でした‼
まず声優キャストから、神木隆之介くんの演技。いつものような舞台ではなく、声としての出演なのに、彼の演技そのものが見えてくるようで鳥肌もの。
三葉の声も透き通った声で、マッチングする二人だな、と思ったし、妹、おばあちゃん、友達、すべての声がまるで実写化のように当てはまっていて、素敵でした‼
脚本は何度も見たくなるくらい、深く、逆に言えば一回で見るには頭が少し追い付かないかも…。
ただの恋愛映画と見てかかったら痛い目に合う。時間の巻き戻しや和の催しなど、とにかく奥が深い‼
何度も見て、見るたびに面白く、またその度に得るものがありそうな作品でした‼
私は1度しか見ていないですが、DVDでも買って、自宅で何度でも見たい作品でした^^
キラキラしてた。
キラキラしてました。
街並みも、自然も、人物も。
こんなのがあったらいいなあ、と思えるようなキラキラ感。
面白かった。
ミュージックビデオのような感じ。
長尺のTVアニメーションのオープニングかエンディングを観ている感じがした。
モノローグが多かった。
これから先、『「君の名は。」のように作られた作品』が出て来るのではないか。
新しい感じのした作品。
超ヒモ理論だ!笑
てっしーが序盤で多世界解釈の雑誌を校庭で出してたところや、時間を飛び越えるトリガーを紐にしていたこと、紐の説明でやたら時間の解釈的な文言を繰り返していたことなどが伏線だと思うのですが、単なるSFとしてでなく最新の宇宙論や時間に対する議論を芯に通していた印象。超ひも理論は並行(多元)宇宙を予言するし、多世界解釈も絡んでくると時間の定義って本当に曖昧になります。
世界を覇権する日本製アニメの金字塔
見始めてすぐに、その素晴らしさに「風の谷のナウシカ」を見たとき以来の大きな衝撃を受けた。日本のアニメーション界に大きな金字塔を立てる作品であると同時に、世界へ打って出て大きな勝利が得られる作品との確信が、見終わってすぐに得られた。
何がそれほど素晴らしいのか?
第1に、メインキャラクター達の表情等、絵的設計が素晴らしかった。男っぽさとワイルドさも相当に備えた立花瀧の作画は、神木さんの声も相まって日本のアニメ史上最高!?の格好良い男の子に思えた。ヒロインの宮水三葉さんの表現も、可愛らしさと真っ直ぐさにコミカルな感じも加えられ、とても素晴らしかった。そして、何よりも、三葉が入った瀧君は、優しさに仄かな色気もある上に神木さんの演技賞ものの声の表現も加わり、今まで全く見たことが無い魅力的なキャラクターとなっていた。瀧の先輩の奥寺ミキさんが好きになって忘れられなくなってしまったのも納得できた。キャラクターデザイン担当の田中将賀さんの類い稀な才能に、深海監督の演出と安藤作画監督の解釈に才能有る俳優陣の表現が加わり、素晴らしく魅力的なメインキャラクターが創作されたことに、大きな拍手をしたい。
次にやはり、新海監督の特徴である景観の美しさに、安藤さんの参加もあってか、さらに深みと凄みを感じさせた。都会と田舎を交互に見せ、そこに心象的要素も入っていて、とっても魅力的であった。通学路、三人で降り立った飛騨の駅、神社の神楽殿、そしてカルデラ湖と外輪山。それと対照的な、瀧のマンションから見える東宮御所?さらに赤坂のビル街と思われる遠景、奥寺さんと待ち合わせた四谷駅前、雨で濡れた新宿駅サザンテラス奥の路面タイルに映るスタバの緑の光、三葉が座っていた代々木駅ホームのベンチ、三葉に携帯をかけてた信濃町の歩道橋、などなど、こんなに美しい、そして魅力的な東京の街は初めて見た気がした。感情が投影されているからか、馴染みある平凡な場所の素敵さに、とても感動してしまった。そして結果として、見事なまでに、東京、及び日本の観光PRにもしっかりとなってもいた。
さらに、本映画では、新海作品としては従来作品とは異なり、よく練られたストーリーと圧倒的に見るものを引き込む大きな展開と疾走感が、本当に素晴らしかった。時間を超えて入れ替わるというのは謎を産み出す秀逸なアイデアである。そして、流れ星での大災害設定も、映像的な美しさと3.11を思い起こさせるとともにそれと闘う社会的メッセージを含ませられ、とても独創的と感じた。巫女舞及び赤い組紐も、日本を感じさせる道具立てとして、とても魅力的であった。優れたエンタテイメントにさせる意味で、今を感じさせるリズム有する音楽と広がりを持たせた歌詞の付与も、世界に通ずる高品質なブランド商品としてのの付加価値付与に貢献していた。
助走期間もあったが新海監督の類い稀な才能の基、日本のアニメ界の実力者達も加わって、新しいタイプの世界トップレベルのアニメーションの誕生に、乾杯である。
真実性と物語性の致命的な欠如。
◯「秒速5センチメートル」にみる新海作品の特異性
新海誠監督の作品鑑賞は、「秒速5センチメートル(以下、秒速)」以来である。「秒速」は、主人公2人の「内なる世界」を描写した物語であった。主人公2人を異物として切り離すクラスメート、息苦しさの根源的要因として描かれる現代社会。その対立構造が、2人の関係性により特別感を演出し、短編作品としての完成度を際立たせるのに効果的であったように思われる。そこでは、2人の「内なる世界」の特別感を演出するために、それ以外の登場人物や社会そのものが2人にとっての「異物」、つまり「外なる世界」として描かれた。2人だけの世界では、2人の人間が感情を交流させていた、それ故に物語の世界から完全に孤立した「内なる世界」には特別感があった。短編作品としては、非常に完成度が高いように思われた。ただ、そこにはリアリティやストーリーテリングといったものの存在がない。「内なる世界」で紡がれる2人の関係性に特別感を演出するために、「外なる世界」のすべての事象は、機械的な記号として描かれたし(ストーリーテリングの欠如)、それ故、世界からはリアリティが欠如していた。しかしながら、僅かな時間と登場人物を以って、「内なる世界」で紡がれる2人の特別な関係性には、浮世離れした不思議な魅力が確かに存在していたし、その幻想的な世界観の演出を目的とした短編作品には、そもそも真実性(リアリティ)も物語性(ストーリーテリング)も必要なかったのであろう。
◯真実性、物語性の欠如からくる違和感
「君の名は。」という作品も、「秒速」と同様に瀧と三葉の「内なる世界」を描写したものであった。ただ、「君の名は。」と「秒速」には決定的な違いがある。それは、長編作品であるのか、短編作品であるのか、という点だ。そして、両者に共通するのは、やはりリアリティとストーリーテリングが致命的なまでに欠如している、という点である。順を追って説明を加える。
リアリティとは、「現実性」ではない。アニメ作品は、アニメ作品である以上、奇跡が許されているし、私もSF作品を好んで鑑賞する。ここにいうリアリティとは、「真実性」である。「君の名は。」に登場する瀧や三葉が生活する「空想の世界」が如何に真実性(リアリティ)に富んでいるか、そういった意味で受け取ってもらえるとよいだろう。さて、「君の名は。」に描かれる「空想の世界」のどこが、どのように、リアリティに欠けているのだろうか。男女の身体がリバースする、という設定はありふれているし、そこは問題ではない。ここで問題とすべきは、一度も顔を合わせたことのない男女が如何にして、尋常でないほどに恋い焦がれ合うようになるだろうか、という素朴な疑問である。リバースを重ねる度に、互いの存在を認識し、求めるようになったのであれば、常識的に考えれば、声を聞きたい、実際に会いたいと思うのではないだろうか。そうしたプロセスもなしに、瀧は、未だ実際に顔を合わせたことのない三葉のために尋常でない労力(コスト)を払う。その割には、三葉の父親である町長には、あっさりと引き退る。やはり、リアリティがない。真実性の証明が難しい場面が多すぎるのだ。
ストーリーテリングはどうだろうか。たとえば、瀧の考えを追認し、無償で支援する友人たちの存在はどうだろうか。親しい友人であれば、そう易々と瀧の考えをすべて追認するとは考えにくい。であれば、瀧の考えを、考えなしに追認するような関係の浅い友人が、無償の支援を行い得るだろうか。友人の存在に対する漠然とした違和感は、ストーリーが終盤に進むにつれてより強くなる。意味深げに画面に映る巫女は、神社は、何か物語の根幹部分を成していただろうか。自らしか隕石の危機を知らぬはずの瀧が、尋常でない労力を払った挙句に、町長の説得を試みず、そう易々と引き退るのが自然だろうか。そこからは、ストーリーテリングを感じ取れぬ。この作品に物語性はあるのか、と問わずにはいられないのである。(SF作品としての作り込みの甘さは、ここでは言及しないが、「内なる世界」を描くという目的に対して、SF作品としてのリアリティを追い求めることは、無意味であるとの判断があったのだろう。詳しくは以下を参照。)
◯違和感の正体
私は、「君の名は。」も「秒速」と同様に瀧と三葉の「内なる世界」を描写して作品であると指摘した。つまり、2人の特別な関係性を演出することを目的とした作品であるからこそ、そこにはリアリティもストーリーテリングもはじめから存在しないのではないか。「内なる世界」で紡がれる2人の特別な関係性を演出するためには、友人も、家族も、街も、風景も、隕石ですらも、それをより効果的に引き立てるための記号に過ぎないのである。であればこそ、そこには真実性も物語性も存在しないし、寧ろ存在する必要はないのである。そして驚くべきことに、「内なる世界」の特別感を演出するという目的を完遂するためには、瀧は瀧である必要性はなく、三葉は三葉である必要性はないのである。2人もまた、「内なる世界」の特別感を演出するための記号に過ぎないからである。だからこそ、ストーリー序盤ではリバースがコメディのように描かれ、恋愛作品としてのリアリティすら感ぜられないように思われても、終盤にかけて、瀧は実際に会ったこともない三葉を恋い焦がれ、尋常でない労力を払うというストーリーテリングのカケラもない行為に及ぶことが可能なのである。
以上が、違和感の正体である。
「君の名は。」という物語は、「内なる世界」の特別感を描写してきたら新海作品の一作品に過ぎない。では、なぜ「秒速」を評価しておきながらも、同様に「内なる世界」の特別感を描写した「君の名は。」の評価を☆1とするのか。答えは、明瞭だ。何故なら、「君の名は。」は、長編作品としての体を成していないからである。私にとって「君の名は。」という作品には、PVを長編アニメーション作品に引き延ばした、といった印象しか持ち得ないのである。
短編作品で真実性と物語性の欠如が許されるのは、PV(プロモーション・ビデオ)が非物語的なアプローチで製作することを許された芸術作品であるからだ。そこが長編作品との最大の違いであり、「君の名は。」はそうした意味では、長編のアニメーション作品としては、評価のしようがないのである。
映画作品において、真実性と物語性が欠如しているといるということは、世界観が作り込まれず、登場人物が感情を持たない記号として存在していることを意味する。ここまでこのように長い駄文を読み進めてくださった読者であれば、それが物語としての死を意味することは、想像に難くないことであろう。
◯補稿(Y2さんコメントいただき有難う御座います。真摯に受け止め、可能な部分については返答致します)
>これほど「外なる世界」と戦った新海作品は他に無い
「君の名は。」鑑賞後、新海作品をおおよそ鑑賞しましたが、共通するのはやはり「内なる世界」の特別感を描写している、という点です。「君の名は。」の場合、男女の恋愛という「内なる世界」に、隕石災害という「外なる世界」の大事象が直接的に接続されています。しかし、これ自体が「内なる世界」の特別感を効果的に演出する目的で隕石災害という事象を記号=道具(演出装置)として登場させたに過ぎないように思われます。
>交換日記、あるいは文通ってしたことあります?
>想像力がかき立てられる分、むしろ恋の炎が燃え上がっても不思議は無いと思います
あります。
不思議はないでしょうが、そうした仮説を決定づけるような描写(心情の変化)、演出には心当たりがありません。
>単純に三葉の父親の胸倉をつかんだあとの詳しい描写がされてないだけ
どこかで新海監督のインタビュー記事を拝見しましたが、瀧と三葉の心情に焦点があるため、その場面を描くとブレが生じるといった趣旨のコメントをされていました。しかし、その場面を描写しないことで、物語の接続が曖昧になり、ストーリーテリングが薄弱化しています。映画は大衆作品である以上、物語の整合性は非常に重要なことのように思われます。ただ、この場面のストーリーテリングの軽視が、「内なる世界」の特別感を演出するのには必要なかったからであるとすれば納得がいきます。
>好きな相手の無茶に付き合うことに理由は無いと思いますよ
それにしても、瀧にとって「都合の良い」友人として描かれ過ぎていることには違いありません。これも、「内なる世界」の特別感を演出するのには、友人らは瀧の考えを追認するのが都合が良かったということであれば納得がいきます。
>三葉が東京に来たとき瀧に会えたのは偶然というにはおかしすぎる
この点は、どのような作品にも散見されることなので問題はないかと。
>三葉の日記がなんで物理的に消滅してしまったか
リアリティとストーリーテリング軽視の結果でしょう。
新海誠監督からの過去作ファンへの贈り物
色んな人がこの作品のレビューしているので自分は過去作品との関連性を挙げたい。
この作品を映画館で観た時、新海監督から過去作ファンへのメッセージが大量に散りばめられていたと思う。
なぜならほぼ全ての過去作に登場した描写が再登場しているからだ。
・ほしのこえ、秒速五センチメートルでも携帯電話は大事な役割を持って登場していた。
・雲の向こう約束の場所でも時間軸をあえてごちゃ混ぜにして視聴者へのトリックを演出している。
・秒速五センチメートルでも電車内からヒロインらしき人を見かけて主人公がハッとしていた。
・電車に乗車する時の横からのカットや、鳥が空を飛ぶ高所の描写は新海監督の十八番。
・過去作に出てきた固有名詞もいくつか登場している。
・秒速五センチメートルでも主人公がヒロインの住んでいる地へ電車の旅をしている。
・君の名は。で降り注ぐ多数の隕石は秒速五センチメートルで打ち上がるロケットの対比。(隕石は主人公とヒロインに降りかかる問題を暗示していて、ロケットはヒロインの1人の主人公に対する想いを奪って宇宙へ飛んでゆく。)
・星を追う子どもでもヒロインが約束の場所に向かって無我夢中で進んでいた。
・新海作品はほぼ主人公とヒロインが離れ離れになる。
・新海作品では主人公とヒロインが必ず友達以上恋人未満の時期がある。
・言の葉の庭では脚フェチ歓喜、君の名は。では胸フェチ、唾液フェチ歓喜。
ファンにとっては上に挙げた描写でニヤリとできる事が多く、この作品は新海監督を知らなかった人も、ずっとファンだった人も楽しめる良作だとそう確信した。
次の作品も楽しみですね。
アニメ界の一発屋?
散々、言われていることですが内容が薄く、矛盾だらけです。
大雑把に言えば、好きな人が死んだらよくわからない神通力で過去へ帰って彼女を助けて「好き好き。大好き!!」END
新海作品はよくわからないですがSF要素にしろ・神道の観念を全く理解していないことがよくわかります。まず、惑星軌道の描き間違いはストーリーの根幹にかかわる致命的ミス、隕石衝突による運動エネルギーであの被害はないです。SF作品としては矛盾しかないので0点です。5流以下の厨二病レベルです。
美術・背景は新海氏以外によるトレースとマットペインティング、超有名アニメーターを多用。あとは、新海氏がAfterEffectやPhotoshopで画像処理しているだけ。あと、背景のライティング加算が目に痛いです。アニメキャラとトレス背景も全くマッチしてないのも気持ち悪いです。
個人的には、歌ありのスカスカのロックを何回も聞かされるのはなかなかキツいです。
最後に思ったのは、この監督がこの作品を通して何を伝えたかったのかがわかりませんでした。宮崎監督・細田監督などは明確に伝わるのですが、この作品はよくわかりません。
これだけの大ヒットになりましたが、今後の作品によってどうなるかで、新海氏の評価が決まってくると思います。
1年に一度は観たくなりそうな映画。
アニメは普段観ないし新海作品を観たのも初めてでした。なので絵と写真の中間のような映像に感心させられっぱなしでした。「これが(たぶん)最先端のアニメ映画か!(たぶん)凄い!」と。また、RADの音楽との絡みも併せ、気持ちが良い、とにかく気持ちが良い。星降る夜、やつらは人を殺しにやってきたのに、その姿を美しいと感じてしまうなんて。。。。
これからは毎年、夏になるとこの作品が日テレあたりで放映されるのでしょうか。きっと多くの人が夏になると観たくなるような、花火のような作品に成長するのだろうなと思いました。
一方で、もしも、あの時あの人を救える術があったなら、救いたいし救おうと足掻くのは分かりますが、だからこそ救ってしまった事については、現実に対しなんて悲しく残酷なラストなんだろう、と感じました。
死んだ人は死んだまま想うことが大事なのではないか。本当に死者を想い、生と死を想い、(近年の災害における)被災者を想うのであれば、三葉の死というトラウマを皆んなが持つべきだったのではないかなと、どうしても思ってしまいます。最高のカタルシスを得るのと引き換えに、私たちは本質的な何かを棄ててしまったのではないだろうか。でもそうするとここまでのヒットにはならなかったかもしれないし、あえてそうする事でこういう事を連想させようとしているのかもしれない、そんな風にも感じました。無邪気に喜ぶのが正解なのかもしれませんが。鑑賞後もあれこれ考えたくなる作品でした。
素晴らしいMV
鑑賞は一回のみ。
素敵なアニメ映画でした。
私にとっては深いもぐり込んでくる作品ではなかったですが、誰もが少し共感できる自分の忘れた片々的な記憶について、それぞれのファンタジーがふくらんでいくと思うと面白いストーリーだと思う。
運命みたいなものや
感覚・直感がもしも…とゆうところで
ストーリーがまとまっていく。
映像がきれいで、とくに冒頭の隕石のシーンが素敵でした。
監督の今までの作品にくらべたら、余韻とかもっとぼわっとした余白がなくて、挿入歌と同じテンポでぐいぐいいろんなシーンに切り替わっていきます。
でもぐーっと盛り上がるたびに、水滴を垂らすよいにハッと真っ白になる感覚がすきでした。
見終わるとじわっと。
声優は少し違和感。
俳優は本人の顔が出てきてストーリーの邪魔をするから。俳優を起用しなくてもこの作品は輝いたとおもう。
電車がたくさんでてくる。
再会するシーンもドラマチックで素敵でした。少し長くても、あなたの名前は…じゃダメだったのかな?ラストシーンも口パクくらいの方がより好みでした。
3回映画館に足を運びました。
1度目は圧倒的映像美でストーリーが頭の中に入って来ず、本当に楽しめるのは2度目、3度目と言っても良いぐらい中毒性のある良い作品です。
自分がこの映画がやっている時期に学生であって良かったと思うほどです。
ですがストーリーの作り込みが甘かった...!
最後に2人が出会えたこと自体はとても気持ちのいい終わり方でしたが、矛盾点が多々あったのがスッキリしない要因になってしまいました。
じゃあどうしたら良かったのか?それは私程度には思いつきませんが、ただひたすらにに矛盾点だけが残念に感じました。
ですが、この点を除いても素晴らしい作品に違いはありません。
君の名は。は基本的に夏の物語なので、今作品が劇場で6月ごろまでやっていたらもう一度足を運びたいなと思っています。
9本目。青春ものかと思いきや…。
約半年遅れでついに見ることができた。
公開された8月時点では、本作品を見る予定はなかった。
しかし、映画のランキングで長く1位を取り続けたこと、メディアにも「話題作」と評されたこと、
そして、多くの人に愛され、今でもロングラン公開中であることを知って、本作品に興味を持った。
「なぜここまでの人気作になったのか?」という疑問を持ちながら、映画館に足を運んだのである。
見終わってこの疑問を解決したかと言えば、正直分からなかった。
いや、「まだはっきりと分からない」のである。
私の中では、現在進行形での疑問として残った。
それは、もう一度見たら解決するかもしれないし、一生解決できないかもしれない。
でも、確かに言えることは、
それくらい「君の名は。」という作品が良質な作品であるということだ。
後々にも心に残る作品、というか。
今の日本、そしてこれからの日本をイメージしたものが本作品ではないだろうか。
災害で一瞬で街を壊し、平穏無事に生きていた人々が突然いなくなる。
ましてや、予告もなく突然発生する自然災害だから、誰のせいにでもできない(ような気がする)。
そして、近い未来、私たちの身にこのようなことが起きるかもしれない。
いや、いずれ起きてしまうのだ。
それが、明日かもしれないし、ほんの数時間後かもしれないし。
本作品は、そういった感覚を再確認するために、忘れないために作られたのかもしれないなぁ、と振り返りながら思った。
今の日本にマッチしている感じだったから、ここまでの話題作になったのかな?
だから、三葉に関する衝撃はとても大きかった。
予告編や本編の前半でも、そのような伏線は一切なかったから。
ある意味、本作品も「予告編に騙された」パターンかもしれない。
加えて、瀧と三葉との「時間の歪み」を改めて整理したいと思った。
こういう心理が「もう一度見たい」と思わせるんだろうなぁ。よくできてるわ。
RADWIMPSの音楽も、映画の世界観に添える感じでとても良かった。
特に「前前前世」を境に、ファンタジーな青春ものから人間ドラマに移り変わったのは、よくできてるなぁと思った。
ラストのシーンは「なぜあの終わり方にした?」という感じで、私の好みではなかったが、
今まで見た日本のアニメ映画の中で、一番良質でメッセージ性のある作品だった。
「口コミで広がった話題作」とメディアが評していたのは正しいと思う。
間違いなく、より多くの人に見てほしい作品だ。
「君の名は。」は、ただのアニメ映画ではなく、まさに「今の日本」「これからの日本」を象徴した作品だ。
忘れかけていた、そして、また起こり得るかもしれない感覚を知るという意味で、本作品をお薦めしたい。
サイコーです。
この映画は賛否両論あると思うんやけど。
1番重要なのは感情移入できるかどうかだと思うな。感情移入出来ない人は過去に純粋な恋愛経験をしてこなかった可哀想な人だったりとか恋愛にあまり興味が無い人だったりするわけだよね。一方感情移入できる人は今まさに純粋な恋愛をしてる学生さんだったりとか過去にそういうどうしても好きだった人がいて思い出したとかありますよね。映画の場面で隕石が落ちて村が無くなってるシーンありました。あれは東日本大震災を表してるらしいです、人はいつ死ぬかも分からない、明日かもしれないしもしかしたら今日かもしれない、その中で家族と1日1日大切に過ごそうと思う夫婦もおるかもれないですよね。そういう時間の怖さだったりもこの映画にはありました。要は恋愛の経験値の差だと思います…
やっと見た
まだ、至るところで上映していてロングランっぷりが半端なし。
息子が小説を読んで、見たい見たいと騒ぐのでいよいよ観にいってきたよ。
面白かったとは思う。
あれだけ現実の場面が入ってくると聖地巡礼が流行るのもわかる。そして、観光、というより観光ガイド見てる感覚。
ストーリー自体は面白いんだけど、少しチープというかありふれた感と、二人が意識し始めて、日記とかお互いの記憶に直結するモノが消えていくのはちょっと無理があるのかも。いや、消えないでしょ。何かもうちょっと違う形のがしっくり来た気がします。あと、最後の再会も何だか無理矢理だけど。。。
と、少し細かい設定とか気になったので、ちょっと入りづらかったかも。
でも、あのすれ違いは切なかった。
しかも、若いやつ(笑)
と腐った大人の感想は置いておいて、息子はとても感動したと言っていたので、まあ、行って良かったと思う。
よかったが......
「みつは」と「たき」が最後に入れ替わるまでは良かったけどその後の内容が少し誤魔化しているような感じだった。時間はどれだけ掛かっても良いのでしっかり分かりやすいようにして欲しかった。避難訓練て、もうちょい詳しく説明して欲しかった
最後は詳細は細かくまとめて欲しかったというのが私の個人的な意見です(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ )ƅ̋
総評論家時代のヒット作
今更ながら、この映画を観ました。
映画を観ると感想を語りたくなりますよね。
自分の様な素人でも、こういう場所でレビュー書ける時代になりました。うれしいですね。
個人的な印象ですが、シン・ゴジラやこの映画のように賛否両論な方がクチコミが広がり易い気がします。語り合いたくなるんじゃないかと。
今の時代のヒット作は、こうして生れるのかも。
もっとも、ヒットしたから色んな感想が出るとも言えますが。
さて、この映画の感想です。
まず、避難作戦をよく考えたなと。まさか、勅使川原くんの発破の勉強が伏線になっているとは、思いませんでした。
新海監督、建築に詳しいのかもしれませんね。
そういえば、建築物が丁寧に描かれている気がします。
それと、山手線と総武線の並走区間を使った再会シーンいいですね。
日常の物を使っているのにロマンチックだと思います。
あそこから最後までの流れ、とても素敵だと思いました。
肩もみ下手くそなヤツみたいな映画
「ボーイミーツガール」モノとして見て観ると、正直微妙です。
この映画は、とりあえず多用されるモノローグと主題歌でイロイロと誤魔化されていて(それが演出と言われれば仕様がないですが・・・。)
肝心の「2人の恋の物語」として、とてもファジーです。
たしかに「気になるあの子」は出てくるんだけれど、思春期の「恋愛って何なんだ」とか「これが恋なのか」みたいな恋のリビドーが感じられなかった。
劇中の彼等は相思相愛なのかも知れないけれど、第三者である見ている側の私にはよく分からない。
「好きになるのに理由はいらない」と言うのは現実世界だけであって、お話の中では絶対に必要だと思います。
それとSF描写なのですが、「入れ替わって」、「タイムリープして」、「隕石が落ちて」、「時間操作して」って忙しいです。
散々言われ続けている事ですが、電話番号交換してるなら時間のズレに気がついてくれよ!頼むよ!
しかもアレだけ大きな災害があった事も忘れてるって普通に生きてて有り得ないでしょ?
私が幼少時代に起こった大震災だって覚えてますよ?あんたは中学生だったんだから高校入試の面接の為にニュースとか見たりするでしょう?
こう言う核心部分がユルユルで全く乗れませんでした。
求め過ぎですが、「記憶を無くす」って言うのは、本来の歴史との分岐によって生じるモノだとは思います。
でもタイミングが良すぎる。
そもそも死ぬ前の時間軸に行ってる次点で分岐しているのだからもっと早く障害が出るべき。
恋愛面、SF面でも肩透かしを食らっている状態です。
最近の風潮なのか知りませんが、「泣ける」ってそんなに偉いんでしょうか?
まあ、この作品は「泣ける」っていうか向こう側から「君が泣くまで殴るのをやめない!」って、ぶん殴られている様なモノです。
私はDIOではありません。ジョナサンには何の蟠りもありません。
自分は何ならエリナです。嘘です。
最後に新海さんは悪くないです。
でも興行収入はよくてもジブリ全作品の足元にも及びませんよ?プロデューサーさん。
追悼の儀式としての「君の名は。」
東日本大震災の後、しばらくの間、日本人の多くが、自分と全く関わりのない亘理(わたり)だの田老、山田、大槌といった見知らぬ土地の天候に一喜一憂して、雨が降れば「被災者が寒かろう」と心を痛めたものだった。
・・・そんな想いを、この映画がよみがえらせてくれた。
もしも「あの」災害が起こらなかったら「あの土地」の誰かが自分の妻だったかもしれない、同僚だったかもしれない、そんなことを思い出す。
映画の後半で、モズの声が響く空の下に瓦礫の山が映し出され、折れ曲がった列車や建物の残骸が見えた時に、映画の冒頭の「目が覚めるとなぜか泣いている」という台詞が心によみがえる。
そして、単なる高校生のラブコメディーかと思われたこの映画の正体を知った人は、この映画を、もう一度最初から見たくなる。
・・・映画館で「君の名は。」の観客をよく観察すると、「大ヒット」の理由が、リピーターの異常な多さであることがわかる。上映開始直前にスーッと入ってきて静かに座り、終わると下を向いて静かに出て行く独りきりの中年男性や若い学生。
東京も岐阜の山々も、この世はこんなにも美しかったのに、気づかずに私たちは何となく生きている。そして「ある日」突然、全てが失われてしまう。・・・この映画は、それを思い出させる。
現実の世界では、歩道橋の上で三葉への電話が「二度と再び」繋がらなくなった時、三葉の存在は既に「終わって」いる。「次に会った時に伝えればいい」と思っていたのに、瀧君に「次」は無い。現実の瀧君は、永久に「片割れ」を失ったままの影のような人生を歩むしかない。
しかし、映画は続く。映画の瀧君には「次」がある。つまり、映画の後半は、実は日本人が見たかった「夢」であり、映画館は、実は追悼の場であり、この映画を何度も何度も見ることで多くの日本人は、死者を想うことで死者を生かそうとする儀式に参加しているのかもしれない。
・・・再び3月11日が訪れる。互いに名も知らぬままに別れた「誰か」を想って、ぜひ多くの人にこの映画を見てほしい。この映画が好きな人はもちろん、つまらないと思った人にも、ぜひもう一度、会うこともかなわずに別れた「誰か」を探し、その名を問いながら、この映画を見直してほしいと思う。
男22歳と女25歳で再会 〇〇と〇〇でいられたのか?
普通に面白かった。
しかしいつくか惜しいと思うことが。
町長のお父さんが翻意した理由がイマイチわからない。お母さんの霊出させるとかもうちょっと説得力欲しかった。それと隕石落ちるという大事件なのに現場に行くまで気がつかないわけないだろ?もしかしたら、、と絶望的な感じで向かった方が良かったのではないか?
音楽は「大失敗」だね。時折いいBGMもあるがなんなのあの歌?イライラした。
それと二人には清いまま結ばれて欲しいが、、、。
2つぐらいの年の差で大学で再会するとかの方が良かったのでは?
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