リップヴァンウィンクルの花嫁のレビュー・感想・評価
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ストーリーとその見せ方から、本作は黒木華さんのための映画だと思った...
ストーリーとその見せ方から、本作は黒木華さんのための映画だと思ったのですが、もっと魅力的に魅せるやり方があったのではと、思いました。彼女の透明感みたいな美しさが十分表現されていたとは思えませんでした。あと、「岩井ワールド」と呼ばれるものが、この映画にあったのだとしたら、私はそれに浸れませんでしたので、正直ツラい3時間でした。
「クラムポン」「リップヴァンウィンクル」
映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」(岩井俊二監督)から。
タイトルに惹かれ観始めたが、180分という長さを感じず、
切ない気持ちが胸を占領して観賞を終えた。
ストーリーから外れてしまうが、ネットの話になると、
どうしても。実名で登録するFacebook以外の「SNS」で使われる、
ネームが気になって仕方がない。
たとえハンドルネームとはいえ、本人にとっては、
ずっと使っていくネットの世界での名前だからこそ、
何も意味がないわけがない、と推察する癖がついているから。
黒木華さん演じる、主人公は「クラムポン」。
木管楽器製作のフランス企業「ビュッフェ・クランポン」か、
氷や氷化した雪の上を歩く際に滑り止めとして靴底に装着する、
金属製の爪が付いた登山用具(アイゼン)の別称である。
なぜその名前を使ったのかは、ちょっとわからない。
また、タイトルになっている「リップ・ヴァン・ウィンクル」は、
Coccoさん演じる「里中真白」さんのハンドルネーム。
これは、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングによる
短編小説、および主人公の名前なのたが・・・。
「主人公にとってはいくらも経っていないのに、
世間ではいつの間にか長い時が過ぎ去っていた」という例えから、
「アメリカ版浦島太郎」と呼ばれているらしい。
アメリカ英語では「時代遅れの人」「眠ってばかりいる人」を
意味する慣用句にもなっている「リップ・ヴァン・ウィンクル」。
これが、ストーリーにどう絡んでいるのか、実に興味深い。
う〜ん・・私には、まだその全容が見えてこない。(汗)
すごく好き。
タイトルなし(ネタバレ)
んー、長い。てか長く感じた!!
黒木華さんがえっあっあのそのとオドオドしてるのにイライラ。意思のない弱い世間知らずの主人公。
綾野剛さんがイイヤツなのか悪いヤツなのかハラハラ。上手ですね!!こういう人居そうだし、最後までどっちなんだと疑ってしまいました。でもそこでハラハラさせる必要はあったのだろうか。なんか綾野剛に騙される話かとおもってそっちに意識集中しちゃったらあんま本筋に関係なかった。ちょっと綾野剛を濃く描きすぎた??
全体的に雰囲気よく幻想的に仕上がっていて、黒木華さんの美しさ魅力たっぷりの映像にはなっているんですが、ストーリー的にはちょっとまとまりがなくて長くなりすぎな気が……。ドレスをきて家の中でパーティーするシーン、正直長くて次のシーンまだ?と思ってしまった。coccoに出会うまでが長い。無駄が多い気がする。
前半は世間知らずの主人公がはめられてどんどん落ちていく暗い話かと思いきや後半で全く違う雰囲気に。なんか違和感があるなー。
それとcoccoの死後の黒木華の心中描写が足りないかなーと思いました。なんか、家具選んでるシーンより全然そっちの方が大事じゃない?と思ったんですが……。
まあ長いぶん細かい所も描かれていてナチュラルではあるけどね。好みがあると思うけど、私はちょっと物足りなかったです。
久しぶり岩井俊二監督の作品を見て、なんか物足りない、いろいろ意味わ...
180分と長い作品なんだけど……
騙されているのか、いないのか、先が見えなくて、見いっちゃった。胡散臭い、綾野剛が最後まで普通何でも屋の人だったのにもちょっと驚き!?何でも屋が、誰と繋がっているのかも見えてこなかった。ただ、七海(黒木華ちゃん)は、成長したな。
おかえりなさい。
竜宮城からの手土産は悪いものではなかった
日本の長編劇映画としては12年振りとなる(海外作品やドキュメンタリーやアニメを除く)岩井俊二監督作。
…まず、誰もが気になるこのタイトル。
誘われて森の奥で酒盛りをして、酔っ払って寝て起きたら、周りが20年も経っていた…というアメリカ版浦島太郎のような小説の主人公の名。
タイトルの意味は最後には分かるけど直接的と言うより間接的、20年が時も経つファンタジーでも無いけど、何とも不思議な魅力を持った作品。
岩井作品最長の3時間だが、岩井作品を嗜んだ方なら分かる通り、透明感ある映像美とそれにマッチしたクラシック音楽に彩られ、長尺を全く飽きさせない。
本作はもうとにかく、
黒木華ファン、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!
学校の先生、ウェディングドレス、若奥さん、メイド服、笑って、子供のように泣きじゃくって…3時間たっぷり黒木華を堪能。
最近何だかちらほらネット上でアンチ派が増えてるみたいだけど(二階堂ふみもだけど)、ナチュラルな魅力がやっぱり可愛らしいんだな。
話は…
気弱な派遣教員の七海はSNSで知り合った男とそのまま結婚。
結婚式に出席する親族が少なく、何でも屋の安室に代理出席サービスを頼んだ事から…!
岩井監督にはSっ気があるのかと思うくらい、前半はヒロインに降りかかる不幸、不幸、不幸、転落の数々。
生徒にからかわれ…
職を転々…
新婚早々夫に浮気され…
夫の浮気相手の男から関係を迫られ…
姑からキツく当たられ…
住む家も無くし…
ドロドロはしてないけど、薄幸のヒロイン物語。
七海が“平凡な人生”を踏み外す事となったのは言うまでもなく、明らかに胡散臭そうな何でも屋の安室。
世の中、こんな仕事あるんだぁ…と思いながら、その世渡り上手さに感心と言うか呆然とさせられる。
綾野剛が飄々と好演。
この男との出会いはヒロインにとって幸か不幸か。
七海の結婚生活破綻は一応あの人という事になってるけど…。
しかし、七海の“平凡な人生”を大きく変えたのも事実。
安室から紹介された奇妙なバイト。
自分も利用した代理出席サービス、月給100万の住み込みのメイド。
そして、かけがえのない友との出会い。
自由奔放、天真爛漫、その一方人知れず心に闇を抱え…真白を演じたシンガーソングライターのCoccoが圧倒的な印象を残す。
SNSが効果的に使われ、現代社会ならではの繋がり。
某名作アニメや某名作小説好きならニヤリとさせられる遊び心たっぷりのネーミング。
とある業界の事も描かれ、あの人のキャスティングなんて、これはリアルかドキュメンタリーか!?(笑)
(坂○安○は見ておいた方がいいかも?)
心地よさ、陶酔、残酷さ、痛々しさ…。
我々にとっては3時間、ヒロインにとっては奇妙な経験、“不思議な竜宮城”から帰ったヒロインに何か清々しいものを感じさせた。
はじめは微妙
最初らへんは昼ドラみたいで嫌でした
coccoでてきたらへんから世界がくるくるるきらきらして台詞も綺麗で、 よかったです
この映画すきです
coccoがすごいハマリ役
演技してないんじゃないかって思っちゃうくらい
内容は
coccoが余命宣告をうけて一緒に死んでくれる相手がほしい→1000万で綾野剛に依頼→綾野剛が黒木華に目をつける→姑のせいにして黒木華の結婚生活をめちゃくちゃにする→行き場をなくした黒木華は綾野剛を頼る→coccoのもとへ送る→メイド
って内容です
はじめは綾野剛の狙いがわからなさすぎてなんだこの映画…?と思ってました
でも見終わると見て良かったと思いました
綾野剛も悪い人ではなくて、ただ単に依頼を遂行してる感じ
そして黒木華がかわいい!あのふわふわな髪たまらんです!私もあんな髪の毛になりたーい!!!*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭* ੈ✩‧₊˚
黒木華の「3P頑張った?」って台詞が笑っちゃいました。
岩井監督が仕掛けた3時間の罠
多分、文学少女の気質を持ったまま、大人になってしまった人たちが、岩井俊二監督作品に引き込まれて行くんだろうなぁ~、と思う。
「花とアリス」でもそうだったけど、美しい女性をより美しく、幻想的に映し取る。女優さんにしてみれば、岩井監督作品は一度は出演してみたい、妖しい魅力を放っているのではなかろうか?
本作は主役に、若手の注目株である黒木華、そして相手役はなんと、綾野剛なのだ。以前僕はこの二人の共演作「シャニダールの花」を鑑賞した。
比較的シンプルなSF物というイメージのある作品だが、ガラスを透かして見るような透明感のある美しい映像が、大変印象に残っている。
その人気俳優二人が「岩井俊二ブランド」の作品に登場するのである。
いやがうえにも期待値は高まるではないか!
そこまで持ち上げておいて、意地悪オヤジである僕は、あえて本作の揚げ足をとるのである。
実は、脚本の意図がいまいちよくわからないのだ。
主人公の女性、皆川七海(黒木華)は、結婚式を控えている。
しかし、新婦である七海側の出席者は二人しか見つからない。おまけに両親は離婚しており、結納の席で新郎側には知られないよう、仮面夫婦として出席している。
そんな折、七海はネットで「代理出席サービス」があることを知る。結婚式の披露宴などで、親族を装って出席してくれる、というのである。
そのサービスを提供し、窓口となっているのが「安室」という男なのだ。
普段は便利屋と自称する素性の知れない、この男を演じるのが綾野剛だ。
まあ「安室」も本名であるかはわからない。仕事内容に応じて臨機応変に名前を変えている様子なのだ。
七海はそのサービスを利用した。それは七海の「うそ」と「弱み」をまんまと安室に提供してしまう形となった。
結婚したばかりの七海はホテルに誘い出され、浮気現場と誤解されるような罠にはまった。
その現場に、隠しカメラを仕込み回収する、怪しげな男こそ安室だったのだ。
やがて七海は、これらの巧妙な仕掛けにより、夫側から一方的に離婚を言い渡されてしまう。
住む家を追い出され、抱えきれるだけの荷物を持ち、どこへ帰っていいのかも分からない。街を彷徨う七海。
この時の彼女の哀れさ。その描写は見事である。
僕は青春時代に聴いたフォークシンガー、加川良さんの「鎮静剤」という歌詞を思い出していた。
「悲しい女よりもっとあわれなのは、不幸な女です
(中略)
寄る辺ない女より、もっと哀れなのは追われた女です」
この「石を投げつけられるように追われた」哀れな七海に、絶妙なタイミングで救いの手を差し伸べるのが、やはり安室なのである。
かれは七海に住むところとアルバイト先を提供する。
安室に紹介されて七海がたどり着いたのは、豪奢な中世のお城を思わせる大邸宅であった。
主人は旅行中であるという。
留守中にこの邸宅に住み込み、掃除や部屋の管理をしておいて欲しいというのである。
「バイト料は月100万円です。ではよろしく」と言い残し、安室は超高級車のベントレーに乗って帰ってしまう。
実はこの邸宅のメイドは、もう一人いる。
それが自称「女優」の里中真白。
この女もまた、安室の代理出席サービスで偽の親族を演じていたのだった……。
さて、安室が七海を離婚にまで陥れたのは、実はある「依頼主」の要望なのである。
その依頼主は「友達が欲しい」という。
依頼主はある病にかかり、余命いくばくもない。できるなら一緒に死んでくれる人物を探していたらしい……という事は、作品の終盤になって分かってくる。
では、七海という女性を、わざわざ手の込んだ仕掛けで離婚に追い込み、自分の元に引き寄せる、その「強烈な動機」が必要になってくるはずだ。
つまり「七海」でなければ「イヤだ」という、依頼人の強烈な「こだわり」と「ワガママ」さが、観客に提示されなければならない。
それには依頼主と安室が直接、間接的に接触をもち「七海」というターゲットを設定し、合意するシーンが必要だろう。
ところが本作にはそういったシーンがないのである。
僕が感じた違和感はここにある。
どうしても「七海」でなければならない理由はなにか?
もっとも、中盤過ぎ、邸宅の庭でホースでの水遊びに興じる里中さんと七海のシーンで、僕はトイレ休憩のため中座したので、そのシーンのあと、何かあったのかもしれない。
そうなのだ。本作は、上映時間なんと180分なのである。
超大作の上映時間に匹敵するのだ。
まるまる3時間も、観客を座席に釘付けにするだけの魅力が、本作にあるだろうか?
本作の中盤までは、七海を陥れるための数々の巧妙な仕掛けがなされている。僕はこれは、岩井監督が仕組んだ、とてつもないミステリーではないかと思った。
もしかすると、今まで登場した脇役、全てにいたるまで、精緻なパズルのように仕組まれていて、観客全員をペテンにかけているのではないか?
そして、ラストでの大ドンデン返しがあるのでは? と連想した。
というのも、以前、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「鑑定士と顔のない依頼人」という傑作を観たからである。
あのラストには唖然とした。いい意味で見事に観客全員をペテンにかけたのだ。
また、本作で描かれるのは、女性の「結婚」や「死」といった「女の一生」とでもいえるものだ。それを複数の女性を登場させ、役割分担して描いている。
それは以前劇場で鑑賞した、ギリシャの巨匠、アンゲロプロス監督の「エレニの旅」のような、女の一代記、年代記のようでもある。
そうなると、当然のように長編にならざるをえないのか……。とふと僕はため息をついてしまうのだ。
本作においては岩井監督独自の美意識か、本編のストーリーとは、さして関係のない、プロモーションビデオ風のシーンも幾つか挿入されている。
それらは女優を確かに美しく、幻想的に撮ってはいる。
だがしかし、それだけに、3時間という物理的な時間を、もっと有効に使う手はなかったであろうか? という疑問も出てくる。
2時間分のドラマの内容を、3時間に引き延ばす事はできるだろう。
反対に6時間分の内容を、これ以上そぎ落とせないと「涙を飲んで」カットし、編集した結果「3時間」になってしまったのなら、それは大変濃密な3時間であるだろう。それなら僕も許せるのだ。
岩井監督は何を目指していたのだろう?
その意図が今もってわからない。
分からないから、気になって仕方がない。
この作品から離れられない。
岩井監督が仕掛けた罠に引っかかったのだ。
だから、もう一度この作品を見直すことになるのだろうか?
そのために観客の一人である僕は、また3時間もの間、拘束を強いられるのであろうか?
その罠にはまることこそ、本作の最大のミステリーなのかもしれない。
イギリスの『浦』ちゃん?
岩井俊二監督の作品をガッツリ観たのは初めてである。テレビ露出の多い監督の割に映画での評価はどうなんだろうと思ったのでノーチェックだった。
で、結論から言うと、幻想的で哀しい、なかなかのファンタジーな作品だ。
主人公と強く結ばれる友人のハンドルネームが『リップバンウィンクル』。
現実と虚構がどこまで混じり合ってるのか、それを演出する重要な役目を綾野剛が演じている。狂言回しであり、しかし主人公をどんどん深淵に堕としていく様は非常に不気味で寒気すら感じる。ホラーファンタジーなのかもしれない。
ストーリーも、カメラワークも巧くまとまっていると感心している。黒木華の微妙な容姿がこの作品の緻密なキャスティングを突いていて秀逸である。
存在価値
冒頭一時間くらいは七海のダメっぷりの解説でしたが、そこから少しずつ再生していくお話。
ほんの少しずつの変化ではあるが、表情だったり声だったり、自分自身の存在価値を感じながら、自分を取り戻していく姿は好感が持てました。
自分がどれだけ必要とされるか、
大切と思う人に大切と思われるか、
映画の中では、薄っぺらい人間関係が多かったけれど、そういう関係性の中にも『大切』と思う瞬間があるものなんだと感じました。
長かったけれど、観て良かったと思えました。
ただ、綺麗な映像を意識しすぎたかなぁとは思いました。
不思議の国の黒木華
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」というチャップリンの言葉を思い出さずにいられない。次から次へとヒロインに悲劇が降りかかるのだが、その原因を作っている理由は彼女自身にあるという可笑しみが物語を貫いている。
時計を持ったウサギを追いかけて、不思議の国へ落ちていったアリスのように、黒木華演じる七海も安室という謎の男を追いかけて、不思議な世界へ迷い込む。どうしてそんなことをするのだろう、やめておけばいいのに、と観客は思うだろうが、そんなことは彼女には分からない。素直さなのか、愚かさなのか?主観的に見れば途方もない悲劇であるが、有り得ないほど不幸な目に遭う七海の姿を客観的に見る我々は同情を通り越して、笑ってしまうのだ。
しかし、途中で彼女の不幸を笑うことは自分自身を笑っているということに気づかさられる。他人の言うことを聞かずに、失敗する。選択を間違えて不幸に陥る。程度の差こそあれ、人は誰でも無意識のうちに自ら不幸に飛び込むことがある。七海が迷い込んだ不思議の国は夢と呼ぶにはあまりにも現実的で、現実と呼ぶにはあまりにも非現実的な世界である。それゆえに彼女の不幸は滑稽に映り、そこで出会う奇妙な人たちとのやりとりに現実味が生じる。リアリティーがないと批判するのは的外れだ。これは現実という生きづらい世界をオブラートに包んだ岩井俊二監督らしい粋な演出なのである。
上手くいかない時、何もかも嫌になった時、私は「自分の不幸を笑え」と言い聞かせている。笑いは悲しみを緩和させる唯一の感情であると思っているからだ。だからこそ、後半の焼酎を飲むシーンに私の涙腺は一気に崩壊した。本当に悲しい時、本当にどうしようもない時、人は笑うことしかできないのではないだろうか。この物語は悲劇なのか喜劇なのか?いや、悲劇と喜劇は表裏一体であることを見事に表現している。
人生に迷った時、ふと立ち止まってしまった時、私はこの作品を見返してみたいと思う。不思議の国から現実の世界へ戻った彼女の目には、何が映ったのだろうか?3時間という上映時間の中に人間の悲喜こもごもがたっぷりと詰まった文句無しの大傑作である。
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