ハッピーアワー

劇場公開日:2015年12月12日

ハッピーアワー

解説・あらすじ

演技経験のない4人の女性を主演に、ごく普通の30代後半の女性たちが抱える不安や悩みを、総時間317分の緊迫感あふれるドラマとして描いた。映画学校の生徒たちを起用した4時間を超える大作「親密さ」や、東北記録映画3部作(「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」)など挑戦的な作品作りを続ける濱口竜介監督が手がけ、スイスの第68回ロカルノ国際映画祭で、主演4人が最優秀女優賞を受賞した。30代も後半を迎えた、あかり、桜子、芙美、純の4人は、なんでも話せる親友同士だと思っていた。しかし、純が1年にわたる離婚協議を隠していたことが発覚。そのことで動揺した4人は、つかの間の慰めにと有馬温泉へ旅行にでかけ、楽しい時間を過ごすが……。

2015年製作/317分/日本
配給:神戸ワークショップシネマプロジェクト
劇場公開日:2015年12月12日

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(C)2015 神戸ワークショップシネマプロジェクト

映画レビュー

5.0これしかあり得ない、絶妙なタイトル

2016年3月25日
iPhoneアプリから投稿

夫婦間のすれ違い、子育ての戸惑い、仕事の重圧、計りかねる他者との距離感…。次々にあぶり出される、切実で身近すぎるあれこれ。観ている時は、「ハッピーアワー」とは何て真逆なタイトルだろうと思った。けれども、観終えてみると、これ以外のタイトルはあり得ないという気持ちに満たされた。噂に違わぬ、至福の5時間17分だった。
この作品で特筆すべきは、とにもかくにも「時間」だ。そこに流れているのは、めったに味わうことのできない、混じりない映画の時間。映画が終わったら何を食べようとか、何をしようとか、あれはどうなっているだろうとか、そういったものが入り込む余地が全くない。かといって、遊園地のアトラクションのように、別世界に引き込む訳でもない。4人のヒロインをはじめとする映画の登場人物と、観る者の時間がすっと重なる。彼らと共にそこに居合わせているような、そもそも昔から知って知るような、そしてこれからも何処かでふっと出会うような。そんな印象を、確実に残してくれた。
印象と言えば、画面いっぱいに顔(表情)が捉えられ、二者を交互に切り返しながら会話が描かれるシーンも忘れ難い。(往年の映画手法だが、最近はなかなかお目にかかれない。近作なら、黒沢清監督の「岸辺の旅」。また、濱口監督の共同ドキュメンタリー作品「なみのこえ」三部作でも、この手法が効果的に使われている。)臆面もなく、という言葉が思い浮かぶくらい真正面。それに耐えられる俳優さんたち(とはいえ、本作はワークショップから始まったであり、主役4人をはじめ多くは「新人」「素人」だが…。)も、スタッフの技も素晴らしいと感じた。また、人物の身体を逆光から捉え、漆黒のシルエットで描き出すシーンの数々も、凛として美しい。表情を押し隠したその影を、まばたきを惜しんで凝視せずにいられなかった。改めて、人をしっかり見る、言葉をきちんと聴くという、一見ありふれた行為の難しさや大切さに気付かされ、そんな行為を最近自分は怠っていたな、という自戒もわいた。
前半で身体ワークショップ、後半で朗読会のシーンがじっくりと映し出されることからも、「身体と言葉」が、本作で重要なテーマとなっていることは明白だ。その中で、桜子の義母の振る舞いは、一つの答えであるように思った。出番は少ないながら、彼女は主役4人に負けず劣らず魅力的で、軽やかな印象を残す。彼女の言葉や仕草はゆっくりとしていて、よくよく考えられ、選ばれたものであることが多い。息子宅の居候でもあり、周囲を気遣い、常に間合いを取りながら振舞っているように見えた。けれども、そのさじ加減が絶妙で、わざとらしさは全くない。ちょっと芝居がかったセリフや仕草までも、すとんと腑に落ちる。閉塞した状況に、ちいさいけれど絶妙な風穴をあける彼女。自分も、歳をきちんと重ねて、いずれはそんな振る舞いをできるようになりたいと思った。
今回は、5時間余を三部に分け、休憩を2度挟んだ上映形式で鑑賞したが、休憩というより中断に感じられた。休憩時間に外に出て空を眺めながら、様々な想いや引っかかりを反芻し味わえたとはいえ、この後、ちゃんと彼女たちに再会できるのだろうかと心配で堪らなかった。インターバルなしの濃密な上映も、ぜひ体験してみたい。

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cma

5.0世俗な社会の切れ目に垣間見える聖性のようなもの

2022年2月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

徹底して世俗なものにカメラを向けながら、ふとした瞬間に聖性が訪れる。そういう瞬間は5時間の間に何回もある恐るべき作品だった。ワークショップで、怪しげな鵜飼という男が、ナナメに椅子を立ててみせる。あの不思議な、何か世界に法則に切れ目が入ったような瞬間を捉え、それを境に4人の女性が生まれ変わったように変容していく。後に4人の女性の一人が鵜飼にクラブに連れていかれる。そこで彼女は、キリストのように両手を広げて、フロアの客たちにあおむけに運ばれる。世俗の中に異様な聖性のイメージ。低予算のワークショップだから、ロケ場所もよく見かけるありふれた場所だが、そんな場所で私たちが気が付けない異様なものをカメラが捉えている。実は、私たちの生きる社会でも目を凝らすと、そういう聖性が漏れているのだ。
奇蹟のような出会いや再会が何度も描かれるが、それがご都合主義ではなく必然に見えてしまうのは、そういう風に漏れだす聖性ゆえだろうか。
5時間しゃべりっぱなしの映画でもある。濱口映画は声に力がある。映画にとって声は何か、私たちは充分に考えてこなかったのかもしれないと思った。

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杉本穂高

4.5やはり濱口作品の会話劇は面白い

2025年1月27日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

ようやく、劇場で鑑賞することができた。

評判に違わぬ面白さだった。
恋愛と人間関係をテーマにして、実に様々な要素が含まれた
人間が持つ理性的な面と情動的な面、
個人の本来の(?)意思と、他者をよりどころとする行動、
演技と自然体、
肉体と精神。

そして、それらのどちらにも傾かず、それぞれを持つ人が互いに影響しあい、助け合い、前に進んでいく。

感情がない淡々とした会話(棒読みともとれる)もあれば、ワークショップやお酒の場の熱のこもった会話もあり、観客がそこに参加してるかのよう。話者だけでなく、聴いている人の表情が散りばめて映し出されているのもとても興味深い。

目線でいうと、カメラ目線が多様される。偶然と想像でも使われていたが、人の本心のようなものに触れた気がする。どこまでいってもわからないものだが、案外、人の目をじっと見るという機会は少ない。

自分が神戸にゆかりがあるからか、神戸には海があり、山があり、電車があり、と街も一つの役者として存在感を発揮している。

おわってみれば、330分という時間はなんということはなく、
台詞でも、芝居でも、演出でも楽しむことができた。

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ひでぼー

4.0独善と信念と遠慮の暴力

2025年1月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

濱口監督の作品を鑑賞するのは、ドライブマイカーに続いて2作目です。

本作は海外受賞歴もあり、レビュー評価も高いので興味はありましたが、上映館もなくそのままなっていました。

今回、大阪のシネヌーヴォでリバイバル上映され、濱口監督の舞台挨拶もあるという事を知ったので、5時間17分という上映時間には躊躇しつつ、意を決して鑑賞する事にしました。

結果、長尺という点は、3部構成になっていて途中休憩もあったので問題はなく、内容的には自分の日常生活を考え直させられるものでした。

この作品のテーマを簡潔に表現すれば、第1部「人と人との相互理解の均衡を維持する難しさ。」、第2部「円滑な関係を維持しようとする際に生じる独善や信念や遠慮の危うさ。」、第3部「些細なきっかけによるバランス崩壊で生じる混乱と、再構築に向けて動き出す強さ。」、だと理解しました。

これらのテーマについて、時間をかけて非常に丁寧な伏線と回収によって描き出されていたと思います。

まず、冒頭のワークショップで提示されるヒント。

複数人で呼吸を合わせて立ち上がる事、腹の内に耳を傾ける事、額で思考を読み取る事がいかに困難かが伏線として張られていたと思います。

この時はまだそれぞれが(表面的には)何でも腹を割って話し合える親友だと信じていた4人が、些細な隠し事で歯車がずれ始めます。

それはそれぞれが抱える家庭事情でも同じで、相手を慮るあまりによそよそしく他人行儀な会話しか出来ない妻や、一方的な価値観を他人に押し付けてしまうバツイチや、意思疎通が図れない夫と離婚訴訟中の妻や、家庭の厄介事を抱え込まざるを得ない状況の妻だという事が徐々に分かり始めます。

そして、それらが限界に達して、それぞれが自我を解放してしまう事で、それぞれが一旦は破綻(?)を迎え、そこからまた再構築へ向けて歩き始めます。

全体を通じて一番印象に残ったのは、タイトルにもある通り、家族を守るために必死に仕事に邁進する夫や、妻を愛する事とロジカル思考が混同してしまう夫や、悪気なく担当女流作家との関係性について妻にも共感を求める夫など、作品の方向性からは加害者的に描写されている男性陣にとって、誰1人として悪意を持ってそれをしている人間はいないという事でした。

しかし、それぞれの妻からしてみれば、人間性を否定されたとか、精神的に殺されたとか、理解されていないとか、形の無い暴力だとしか受け止められていないという事がショックでした。

自分が正しいと信じる信念や、優しさだと勘違いした遠慮や、相手への愛情と勘違いした独善は、道化師のように空回りをし続け、結果的にそれぞれの妻を望むのとは真逆の方向へ暴走させてしまう事になるのは、ワークショップの結果通り、相手の腹の中を真に汲み取って、良好な関係を築く事が如何に困難かを体現していると感じました。

一方で、それぞれの妻はそれまで抑制していた自我を解放し、行きずりの男性に身を任せる事で本来の自分を取り戻す、という帰結になっていますが、この部分については非常に違和感を感じました。

結局、そんな処に結論を見出してしまえば、フロイトのいうリビドーの様に、単に欲求不満だっただけであり、その部分が満たされると生きる原動力が生じたという短絡的な結論になる気がしたからです。

本来は、人間であればそんな外的要因に解決策を求めるのではなく、再度それぞれの夫と向き合い、本音を曝け出した会話によって関係性を再構築すべきだと感じます。

ただ、この後それぞれの家庭でのそれを描くと、上映時間は更に数時間必要になると思われますが…。

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だるちゃ