スリー・モンキーズ

解説

トルコの名匠ヌリ・ビルゲ・ジェイランが、第61回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した人間ドラマ。街の有力者セルベットの運転手を務める男エユップは、セルベットが運転中に起こした死亡事故の罪をかぶって刑務所に入り、多額の報酬をもらうことに。報酬は出所後に支払われることになっていたが、エユップの妻ハジェルは息子にせがまれて前払いを頼みにセルベットのもとを訪れ、彼に誘惑されて関係を持ってしまう。息子はセルベットと母の関係を知りながらも、父親には伝えずにいた。しかし出所したエユップは自ら妻の不貞に気づき葛藤する。

2008年製作/109分/トルコ・フランス・イタリア合作
原題または英題:Uc Maymun

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第61回 カンヌ国際映画祭(2008年)

受賞

コンペティション部門
監督賞 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン

出品

コンペティション部門
出品作品 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
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映画レビュー

5.0みざるいわざるきかざる’

2020年1月30日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

私はスリーモンキーズ(2008)の映画の良さがよくわかっていないと思った。一度、罠にハマると、悪循環を起こしてしまう。死に至ることもあるし、気をつけろというメッセージかなと思っているし、トルコの宗教心や倫理観の薄れていく現実にブレーキをかけているのかもしれない。後味の悪い話だ。 この運転手エユップ(Yavuz Bingöl )、 は選挙を控えた政治家セルベットの罪の代わりを金のため?引き受けて(給料や身代金をもらい刑も減らしてもらう)監獄に6ヶ月入る。金の欲のために(息子の教育のため?)に始まったことが、それでは済まされず、殺人を犯すまでに発展する。伴侶ハジェル(Hatice Aslan)も?は働いているが給料は少なそう、息子のイスマル(Ahmet Rıfat Şungar)は大学に失敗したようだが、なにもやる気がなく、再度挑戦する意欲もなさそうだ。母親の忠告も聞かず、悪い道にはまって、何か犯罪を犯しているようだ? なにか金のアドバイスをもらいに伴侶はハジェルは政治家のところに行き、アドバイスだけでなく、深みにもハマる。それも、不倫に。なぜ、ここで、不倫にはしるのかと思うが、運転手の夫にはない政治家の金の力で大胆に行動できる魅力があるのかも。『なんでも相談しなよ』と甘い声をかけられて有頂天になったが、それが、全て息子に発覚し、問題が悪い方に発展していっている。 ここで、電話の待ち受けになっているトルコ語での曲だが、『あなたの奴隷になる。。。。』とかいう曲。これを待ち受けにしてる精神状態にも少し疑問を感じた。これは受け身で主体性のない女と見られても仕方がない。しかし、2008年というトルコ、モスリム 教の国での女性の立場はいまより低かったからね。政治家のような権力者の罠にはまるし、本人も罠にはまったら自主性がないから、ぬけ出し方を知らなく夢中になってしまう。政治家も部下の運転手が刑を終えて戻ってくると、つれなくあたり、もうこれっきりにしようと。燃え上がったハジェルは、全くこの歌の通り、奴隷のような精神状態になって、自分を失っていく。政治家セルベットが殺されたとわかった時の涙は果たしてどんな涙だったのだろう。疑問に思う。 ジェイラン監督の初期の作品だが、薄気味の悪い犯罪ミステリー映画のような、会話のない(見なかったし、聞かなかったし、言わなかった)家族内の葛藤の話だ。 一番苦手なシーンは息子が母親ハジェルに平手打ちを加え、エユップは精神的に虐待をするシーンだ。 私は以前にDVのクラスをとったり、このコンファレンスに行ったりして 将来 DVを受けている人の話し相手になろうと思った時期がある。この時のことが頭によぎり、後味が悪くて仕方がなかった。 ヌリ ジェイランの作品には大学入試の厳しさや、卒業しても思った仕事に就けない話がよくある。トルコの教育事情をよく表している。それに、野良猫や犬も出てくるので、人々における犬猫の存在は薄いようだ。それに加えて他のモスリム教の国より、宗教意識が少なく、宗教は伝統のような雰囲気で、苦しい時の神頼みのようにおもわせる。 イスタンブールの景色、特に内海の見えるYedikuleという街に住んでいるエユップとその家族。エユップはもう一度、監獄に入る決心をするだろうか。

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Socialjustice

4.5負の連鎖による人間たちの綱渡り

2017年1月11日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

スリー・モンキーズ(見ざる 言わざる 聞かざる)でいてしまうことにより、あれよあれよと殺伐と虚無と葛藤の渦に飲み込まれていってしまうノワール・サスペンス。「あのとき、見ていれば…言っていれば…聞いていれば…。」と、もしくはその逆を考えてしまうと、人生と人間同士と言うのはいかに綱渡りの状態にあるのかと思い知らされる。父、母、息子の3人は、それぞれが人間臭くまた、それぞれが猿だ。ただ悪人ではないというところが肝だ。終始セリフを削ぎ落とし映像と音響が与える心臓が締め付けられるような緊張感と、安易な解決や、もはや安易なバッドエンドさえ用意してもらえないというアンチ娯楽映画な訳だが、映画が最後の暗転を見せたとき、「人生とは、そういうものだ。」と感慨深く数倍にも心拍数の速くなった心臓を落ち着かせるほかない。「対価と代償」、「自己犠牲の顛末」、「人を愛し、憎み、葛藤し、許す。」など、普遍的かつ本質的で鋭く重いテーマを盛り込んでいる。表情一つで登場人物の性格や、映画の行間で何を行なったのか。ということさえ切迫感を持って感じさせる役者の演技も素晴らしい。シーンや物語の本質を映像で表現するべくここぞというときの逆光のシーンや緊張と緩和の連続など、映画論理としても緻密で至極上質な演出。カンヌの監督賞に相応しい手腕だ。決して幸福な物語ではなく、普遍的ながら内包する狂気と暗雲立ち込める展開はシリアスにほかならないが、「人間は愚かな行為をしてしまう。だが、それこそが人間味であり、ある種の人間的魅力なのだ。」と、言ってしまいたくなる素晴らしい映画だった。

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uzisaw