「アンジェリカの微笑み」を配信している動画配信サービス(VOD)
「アンジェリカの微笑み」の動画配信サービス(VOD)・視聴方法をまとめてチェック!

自宅で、旅先で、移動中に…、
見放題やレンタルなどサブスクで「アンジェリカの微笑み」を楽しむ方法をまとめて紹介します!
「アンジェリカの微笑み」の配信サービス一覧
配信サービス | 配信状況 | 料金 | |
---|---|---|---|
| レンタル | サイトにてご確認下さい | 今すぐ見る |
「アンジェリカの微笑み」の配信サービス詳細
おすすめポイント
配信本数業界最大級、見たい作品がきっと見つかる!
配信形態
見放題 / レンタル / 購入
無料期間
初月
月額料金
プレミアムコース550円(税込)/プレミアム&見放題コース1,078円(税込)
ダウンロード可否
可能
※セル作品をダウンロードすることが可能
特典
(ポイント付与等)
毎月550ポイント発行/クーポン50枚付与
支払い方法
クレジットカード(VISA/MASTER/JCB/アメリカンエキスプレス/ディスカバー/ダイナースクラブ)、キャリア決済、Googleのアプリ内課金
全作品数
250,000本以上
※2025年5月時点の情報です。最新情報は各社サイトにてご確認ください。
作品紹介

解説・あらすじ
2015年4月に106歳で亡くなるまで、精力的に映画を撮り続けたマノエル・ド・オリベイラ監督が101歳の時にメガホンをとった一作。若くして亡くなった娘の写真撮影を依頼されたイザクは、白い死に装束姿で花束を手に眠るように横たわるアンジェリカにカメラを向けた。イザクがピントを合わせた瞬間、ファインダー越しのアンジェリカがまぶたを開き、イザクにやさしく微笑んだ。驚きながらも撮影を終えたイザクが写真を現像すると、今度は写真の中からアンジェリカが微笑みかけた。連続する不思議な出来事から、すっかりアンジェリカに心を奪われてしまったイザク。そんな彼の思いに応えるかのように、アンジェリカの幻影がイザクの前に姿を現す。イザク役にオリベイラ作品の常連俳優で、監督の実の孫でもあるリカルド・トレパ。アンジェリカ役に「女王フアナ」「シルビアのいる街で」のピラール・ロペス・デ・アジャラ。
レビュー

因果さん
投稿日:2025-03-27
幽体離脱したイザクがアンジェリカの亡霊に誘われ、いきおい街の上を飛翔するシーンに明確な既視感があった。パウロ・ローシャ『黄金の河』だ。『黄金の河』にも恋に狂った年増の女が唐突に村の上を飛翔するという印象的なシーンがあった。
ポルトガル語という言語的架け橋があるからなのか、ポルトガル映画にはちょくちょくマジックリアリズム的なイマジネーションの発露がみられる。先述の飛翔シーン以外にも、意識を失ったイザクが部屋で医者の看病を受けている終盤の一連のシーンがそれを端的に示していた。
窓の外にアンジェリカの亡霊が降り立ち、それに呼応するようにイザクが立ち上がる。イザクは医者の制止を振り払い窓際へ向かう。再びイザクが倒れるが、そこから彼の霊体だけが抜け出し、アンジェリカと共にどこかへ飛び去っていく。
「登場人物が奇行を演じる」というだけであればヌーヴェルヴァーグあたりに目を向ければいくらでも参照項が見つかるが、そこに明け透けな反物理的現象が伴うと途端にマジックリアリズム的になる気がする。カルロス・レイガダス『闇のあとの光』、ロイ・アンダーソン『ホモ・サピエンスの涙』なども好例だろう。
物語の宗教的絵解きは他の誰かに任せるとして、演出に関して何点か。
全編を通してフレーム外という概念を念頭に置いた映画だった。たとえばアンジェリカの家族たちが邸宅にやってきたイザクを出迎えるシーンでは、イザクが映し出されないまま会話が進行する。ようやく左手からイザクが現れ、そこではじめてアンジェリカの家族たちとイザクの距離感が視覚化される。
あるいはイザクがアンジェリカの墓地を見やるシーンでは、肝心の墓地は映し出されず、柵越しに墓地を見やるイザクの姿だけが映し出される。
視線の対象ではなく、それを眼差す主体の反応だけを映し出すことで、イマジネーションを増幅させるという古典的手法が、本作の場合は「幽霊の登場」という荒唐無稽さに対するある種のイントロダクションとして機能していたように思う。
また、反復の運用も見事だった。たとえば教会の前でイザクに擦り寄ってくる乞食を何度も映すことで、中盤以降は乞食を映すだけでイザクが面倒な目に遭うことを示唆する。あるいは轟音を立てながら自宅前を通り過ぎていくトラックの場合は、一度目だけトラックを映し出すことで、以降は音だけでトラックの通過を表現することを可能にした。
102歳にしてこんな映画を撮ってしまうオリヴェイラの老獪ぶりに戦慄した。
ポルトガル語という言語的架け橋があるからなのか、ポルトガル映画にはちょくちょくマジックリアリズム的なイマジネーションの発露がみられる。先述の飛翔シーン以外にも、意識を失ったイザクが部屋で医者の看病を受けている終盤の一連のシーンがそれを端的に示していた。
窓の外にアンジェリカの亡霊が降り立ち、それに呼応するようにイザクが立ち上がる。イザクは医者の制止を振り払い窓際へ向かう。再びイザクが倒れるが、そこから彼の霊体だけが抜け出し、アンジェリカと共にどこかへ飛び去っていく。
「登場人物が奇行を演じる」というだけであればヌーヴェルヴァーグあたりに目を向ければいくらでも参照項が見つかるが、そこに明け透けな反物理的現象が伴うと途端にマジックリアリズム的になる気がする。カルロス・レイガダス『闇のあとの光』、ロイ・アンダーソン『ホモ・サピエンスの涙』なども好例だろう。
物語の宗教的絵解きは他の誰かに任せるとして、演出に関して何点か。
全編を通してフレーム外という概念を念頭に置いた映画だった。たとえばアンジェリカの家族たちが邸宅にやってきたイザクを出迎えるシーンでは、イザクが映し出されないまま会話が進行する。ようやく左手からイザクが現れ、そこではじめてアンジェリカの家族たちとイザクの距離感が視覚化される。
あるいはイザクがアンジェリカの墓地を見やるシーンでは、肝心の墓地は映し出されず、柵越しに墓地を見やるイザクの姿だけが映し出される。
視線の対象ではなく、それを眼差す主体の反応だけを映し出すことで、イマジネーションを増幅させるという古典的手法が、本作の場合は「幽霊の登場」という荒唐無稽さに対するある種のイントロダクションとして機能していたように思う。
また、反復の運用も見事だった。たとえば教会の前でイザクに擦り寄ってくる乞食を何度も映すことで、中盤以降は乞食を映すだけでイザクが面倒な目に遭うことを示唆する。あるいは轟音を立てながら自宅前を通り過ぎていくトラックの場合は、一度目だけトラックを映し出すことで、以降は音だけでトラックの通過を表現することを可能にした。
102歳にしてこんな映画を撮ってしまうオリヴェイラの老獪ぶりに戦慄した。
鑑賞日:2025年3月27日 で鑑賞
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