黒衣の刺客
劇場公開日:2015年9月12日
解説
唐の時代の中国を舞台にしたホウ・シャオシェン監督の初となる武侠時代劇。誘拐された隱娘が13年の時を経て、両親のもとに戻ってきた。しかし、ようやく帰ってきた隱娘は、道姑(女性の道士)によって完全な暗殺者に育て上げられていた。隱娘の標的は、かつて彼女の許嫁でもあった暴君の田委安だった。暗殺の任務中に窮地に追い込まれる隱娘だったが、難破した遣唐使船の日本青年に助けられる。女刺客の隱娘に「百年恋歌」「ミレニアム・マンボ」などホウ・シャオシェン作品の常連スー・チー、命を狙われる暴君の田委安に「レッドクリフ」のチャン・チェン、隱娘を助ける日本青年に妻夫木聡。第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、監督賞を受賞した。日本ではディレクターズカット版での公開となり、インターナショナル版ではカットされた日本での撮影シーンが含まれ、女優の忽那汐里が出演している。
2015年製作/108分/G/台湾・中国・香港・フランス合作
原題:聶影娘 The Assassin
配給:松竹メディア事業部
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2021年8月1日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
ホウ・シャオシェン監督作品初鑑賞。
原作未読。
悠久な時を感じさせながらも、緊張感が途切れない稀有な映画。
粗筋をまとめてしまえば数行で済むが、設定が?だらけな上に、シーンごとの言葉での説明を極限まで削っているので、ふっと気を抜くと話に置いて行かれる。否、理解しようとしていても、???となる。
衣笠監督の『地獄門』を彷彿とさせる。
几帳や御簾の揺蕩う邸内。
虫・蛙の音や木々の揺れる音、宴、剣の交わる音、夜警のための?等間隔で響く太鼓…。自然音と状況音のみのシーンが続く。
映画音楽も、最小限。
まったりとすすむのに、持続する緊張感。
大枠の説明はあるが、極端に厳選され削られた台詞。
時代背景--『地獄門』では、公家侍と地方からの成り上がり武士の関係とか、貞操感・結婚観とか。この映画では、唐時代の朝廷と辺境の関係とか(安禄山の乱前後の話か?)、遣唐使とか、家族関係とか--の知識が多少あると理解しやすいところも似ている。
とはいえ、わかりやすい話の『地獄門』に比べ、この映画はどうしてそういう設定??と謎だらけ。
判りやすい筈なのに、わざと解りにくく撮っている?と言いたくなる。この場面は何を言いたいの?という思いの羅列。突然の場面切り替えに???ともなる。
字幕なのでなおさら情報量が少なく、話に置いていかれてしまう。中国語がわかったら、吹き替えだったら、もう少し理解できたのだろうか?
役者になじみなく、誰がどうなっているのか???
特に、私的には陰娘の母が、この映画の登場人物の中で一番美しいと思ってしまうので、混乱する。この母とこの娘って、姉妹の間違えじゃあないかいとか。陰娘の代わりに妃となった女性よりも、陰娘の母の方が若く見えるし…。
暴君とされる王も、暗殺されるほど暴君ではない。冒頭の暗殺からしても、陰娘に仕事させるための言いがかり?とさえ見える。
近隣諸国・朝廷との駆け引きに加え、後宮の女性の思惑も絡んでくる。大掛かりな話なのだろうが、こじんまりまとまる。冒頭の説明からスペクタクルを期待するとコケる。
陰娘の設定(態度が迷っていることを表現しているけれど、葛藤しているようにはみえない。無表情という演出指示だったので仕方がないが)。結局、彼女は第三の道を選んだということか?
と、物語を楽しもうとすると文句が出るが、映像は豊か。
霧が立ち込めてくる山間。どうやって撮ったのだろう?そんな奇跡に近いシーンもあり。
衣装・蠟燭の灯の雰囲気。調度類。その世界観に酔ってしまう。
旅立ちの儀式。唐時代の詩で読んだような気がするが、こういう風なのか。
そんな時代絵巻に酔いしれる。
楊貴妃の絵さながらの衣装が動いているのを見て、どこがどうなっているのか、目を奪われる。
半面、妻夫木氏があの装束ならば、市女笠は時代が違う気がする。
へたな音楽をつけないところも、森林浴をしている気分にさせられる。
そして、エンディング。篳篥に似た楽器が奏でるメロディ。太鼓のリズムに、余韻を引きずられる。
映画に身をゆだねると心地よい。
でも、理解しようとすると、解説を読んで、何度も見直さなければならない映画。
う~ん。
使い手の長回しで、微妙に動いてフレームを決める。
かならず人物の手前に、幔幕や調度を配置して、奥行きを演出している。
なぜか幅を切っていて3:4ほどの矩形に、ずらしながらおさめる。
カメラはもどかしいほどゆっくり動くが、画にはデジタルな粒立ちがあった。
衣装と髷に異常な心血を注いでいる。
1シーン1ショット。
ロングショットは絶景の山並み。
演技は排除され、役者は外貌と表情だけを担う。
たたずまいが語りかける。
緊張みなぎる斬り合いはワイヤーを使わず静と動にメリハリがある。
短刀逆手持ちの近接戦。
長剣をかわすときの立ち回り。
ヒュッと飛んできてトスッと刺さる矢。
白樺林の決闘。
血も切り口も見せないが様式とリアルがあった。
この年のカンヌの審査委員長はコーエン兄弟だった。
監督賞には意義がある。コーエン兄弟は、ホウシャオシェンのアクション史劇であることに、かつてとは異なる真価を見たのだ──と思う。
後年コーエン兄弟のバスターのバラード(2018)のアルゴドネスの章で、黒衣の刺客を範とした(としか思えない)見事なarrow-shotを見た。
矢が見たこともないほどリアルに人を射る。
むろん真実は知る由もないがあの矢筋は黒衣の刺客を血肉としている──わたしにはそう見えた。
隠娘は幼少に家族から離され、道士のもとで刺客として鍛練を積むが、非情に徹することができず、骨肉の争いに不毛をおぼえ、道士と袂を分かって、旅に出る。
美しい映画というと陳腐だが、山紫水明、どのシーンにも熟練らしい充溢がある。
諸葛亮みたいな道士が白毛扇を携えて桂林みたいなところに佇んでいるのは、ほぼ山水画だった。
伝奇もある。
無国籍もある。
巫蠱をあやつる蛮僧は西洋人の気配。
隠娘を救うのは日本人。
酒宴の踊りはオリエンタル。
むかし夢中になった諸星大二郎を思い出した。
2020年7月2日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
チャン・イーモウ、チェン・カイコーらアジアの名匠に続けとばかりに、台湾の巨匠ホウ・シャオシェンが手掛けた武侠アクション。
2015年のカンヌ国際映画祭で監督賞を受賞するなど高い評価。
しかしこれ、『HERO』などのような作品と思ってみると、期待外れ。
唐時代の中国。幼い頃に誘拐されたヒロインが13年の時を経て両親の元に帰ってきた。が、暗殺者に育てられており、過酷な運命に翻弄される…。
…という話らしいのだが、この説明が無ければちんぷんかんぷん。
極端に説明的な描写どころか台詞も少なく、かなり分かりづらい。
無口なヒロインを表しているのかもしれないが、それにも増して淡々とし過ぎていて、美しい映像がさらに眠気という刺客を…。
批評家レベルの映画上級者向けか、それとも単に自分に理解力が無いだけか…。(←多分そう)
あくまで個人意見だが、チャン・イーモウやチェン・カイコーはエンタメ作品も手掛けるが、ホウ・シャオシェンは芸術的な作品が多い。
幾ら武侠アクションとは言え、見る前から…いや、見なくとも分かっていた事かもしれない。
ネタバレ! クリックして本文を読む
戦い方、ふるまいに奥ゆかしさと気品を漂わせた孤高の刺客。わたし史上、最高にカッコ良いヒロインだった。
「西域の国王は青鸞を得たが、三年鳴かない。妃が言った。“仲間を見れば鳴くらしい。鏡を使えば如何?”
王が試すと、青鸞は己を見て悲しげに鳴き、一夜踊り続け、息絶えた。」
嘉誠公主が語る故事。鏡が映すのは孤独な自分自身。
朝廷との架け橋となるために嫁いできたのに、夫と息子は元の国と手を組もうとする。息子は政略結婚し、かつての許婚(主人公)を捨てる。
後半に明らかになるが、嘉誠公主と女道士は双子の姉妹だったのだ。女道士が琴を奏でるシーンが情緒的で印象的だと思ったが、実はあれは嘉誠公主だったに違いない。すっかり騙された!
次第に力を蓄えた藩鎮はやがて朝廷にとって脅威となり、主人公に次の暗殺の命が下る。ターゲットの首長は彼女のかつての許婚。
しかし主人公は暗殺者として「非情」に徹することができない。かと言ってかつての実家(母)にも馴染めない。どこにも属せない主人公の孤独と、13年ぶりに帰ってきた娘を迎える母の複雑な思い。
帰ってきた娘を湯に入れて衣服を整える愛情と、自分の知らない娘の人格を尊重しようとする潔い愛情。母の複雑な表情が良かった。
さて、鏡磨きの遣唐使。私たちは、和楽器が流れてきた瞬間に舞台が日本に移ったことを理解し、「あぁ、妻夫木は愛する者を日本に残してここへ来たのね」と理解できるが、西洋人は混乱するかもしれない。
ケリを付けた主人公は妻夫木の護衛として新たに出立つ。鏡を覗いた青鸞が自分を見つけたように、自分の生き方を見つけた彼女の表情は少し柔らいでいた。鑑賞者の私たちが手を降って見送るような慎ましく美しいカメラワークだった。