バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のレビュー・感想・評価
全426件中、201~220件目を表示
映画の力に溢れた作品
久々に映画の力に溢れた作品だと思った。
もちろん、ずっと長回しにしてるわけじゃない、
CGだって使ってるんだけど
それ故に、引き立つ、映画の力。嘘の力。
これはドキュメンタリやノンフィクションじゃないんだ。
確固たる映画の力。
解釈は人それぞれ。
それも、かつて、名画の魅力のひとつだったはずだ。
舞台は映画より上か
ストーリー
リーガン トムスンは、もとハリウッドスーパースターで、「バードマン」という3本のブロックバスター映画を主演し、数十億ドルの興行収入を稼いでいた。しかし、そんな過去の栄光から数⒑年も月日が経ち、妻には離婚され、娘はドラッグ中毒から抜け出したばかり、役者としては鳴かず飛ばずで冴えない。しかし、落ちぶれても役者魂は健全だから、一念発起してブロードウェイで芝居を監督、主演することになった。
芝居はレイモンド カヴァーの短編「愛について語るときに我々の語ること」だ。やっとのことで公演にこぎつけたと思ったら、役者の一人が怪我で降板することになり、ブロードウェイで活躍するスター、マイクが代役を務めることになった。マイクは良い役者だが、わがままで自己中心の芝居オタクだ。監督、主演のリーガンを怒らせてばかりいる。おまけに大事な娘が一番くっついて欲しくないマイクに「ホ」の字で、気になって仕方がない。おかげで初演はさんざんな結果で終わり、批評家からは、ひどく酷評される。それでも一旦始まった興行は続けなければならない。リーガンは芝居に、もっと強い緊張と臨場感をもたせるために、舞台で使う拳銃を本物のけん銃にすり替えた。そして、、、。
というお話。
「舞台は映画より上だ。」と映画の中で、主人公リーガンが言うセリフがある。本当だろうか。
掃いて捨てるほどの娯楽映画が制作され、映画産業は拡大する一方、派手で意味のない映画ばかりが幅を利かせている。そんな中で、良質の映画製作を続けている映像芸術家や映像作家たちは、確かに存在する。彼らが手掛ける先端技術を駆使して、映像、美術、脚本、原作、音楽、舞踊、衣装、フイルム編集すべてを統合した総合芸術として製作される映画というものは、そのスケールの広がりからして、芝居を超えているように思える。
しかし、一方で舞台はやり直しが効かない。舞台と観客との1回きりの真剣勝負だ。ミュージカルに出演(主演ではない、端役だ)している女性と話したことがあるが、舞台前と、舞台がはねた後とでは、体重が少なくとも3キロは落ちているそうだ。それだけ2時間の公演で体を酷使して全身を使って役を演じて体重をそぎ落としているのだ。
また、アマチュアオーケストラでヴァイオリンを弾いていたとき、舞台上では、オペラ「魔笛」をやっていた。冷たい女王とパパゲーノを前に、どっしり貫禄の王様が登場し、その場を収めるシーンで、王様がせりふを忘れた。舞台上の役者たちもオペラを見に来た観客も、沈黙の50秒だか1分だかの長かったこと長かったこと。遅れて王様が思い出して歌い出したから良かったものの、この歌い手はひどいトラウマを抱えたことだろうし、観客は彼らの公演に二度と来ないかもしれない。ことほど左様に、やり直しの効く撮影や、編集でミスを消せるフイルムと、一発勝負の舞台との差は大きいい。同様に、生で聴くオペラは、一流歌手の歌うオペラのCDより価値があるし、ライブミュージックはミュージックビデオより価値がある。
だから、舞台は映画より上だろうか。
そのライブでやり直しの効かない真剣勝負を映画でやろうとしたのが、この映画「バードマン」だ。長廻しのワンテイクカメラワークで映画を撮影した。フイルムを撮っては切って継ぎ足してパッチワークのように継ぎ接ぎしたうえ、CGテクニックを駆使して役者を使わずに動きを加えたり、背景を水増ししたりフイルムテクニックでカバーする。そういった現在の映画作りへの反抗、挑戦でもあったのだろう。ワンテイクだから、一人でも役者がとちったり、タイミングが他と合わなかったら、また初めからフイルムの撮り直しだ。準備不足とか、ハプニングとか、役者がどもったり、つっかえたり、ころんだりするのさえ許されない。カメラが行く先々で、準備万端、約束通りに登場したり、消えたりする役者たちの緊張は筆舌につくしがたいほどではないか。ブロードウェイの雑踏を歩くシーンがたくさん出てくるし、エドワード ノートンが素裸になるシーンも出てくるが、写ってならないものが写らないように、失敗の許されないカメラワークも、緊張の連続だったことだろう。
バックミュージックにドラム音を多用していて、画面に緊張感を与えている。ニューヨークの雑踏でドラマをたたくストリートミュージシャン、これを背景に芝居がうまくいかなくて、どなりまくるマイケル キートンとエドワード ノートンが とてもおかしい。いつまでも芝居バカで、役者狂い、二人ともいつまでも青春やっている姿。それが滑稽なのは、観ているわたしたちにも共通する「いつまでも成長できない自分のなかの青春」を抱えているからだ。
そんな成長できない「男」を、彼の芝居をよく理解して見守っている別れた妻が居る。彼が落ち込んでいるので励ましに来たら、すぐ図に乗って男は、妻とよりを戻そうとして俗物性丸出しにする愚かさ。そしてそんな父親を激しく批判しながらも、深い愛情で観ている若いが人生に疲れたドラッグ娘も、この男には、できすぎた良い娘なのだ。 数10年前映画「バードマン」を主演した、かつてのスーパーヒーローというが、彼は自分なりに芝居の道を歩んできたのであって、冷たいが理解のある元妻と娘をもち、ブロードウェイで芝居を続けられる幸せな男ではないか。批評家にこてんぱんに批評されても、妻子にきついことを言われても、芝居のパートナーに演技で追い越されても、良いじゃないか。でも、それを良しとせずに、いちいち脳天から火がでるように怒り、ジタバタして、悩んで、過激に反応するマスター キートンが、とてもとてもおかしい。本当に役者がすべての人生なのだ。喜劇映画じゃないのに、とても笑える。
酔った勢いで芝居評論家に毒付いて暴力的ともいえる詰め寄り方をして、批評で「完全におまえをつぶしてやる、」とまで言わせる。この人は、最後の舞台で銃が放たれたと同時に、席を立って出て行った。このぼやけたシーンが良い。ここで感動した。芝居のパートナーに、「舞台でおまえが玩具の銃で脅かしたって全然怖がってなんてやれねえよ、」と言われて自分の演技に勢いがなくなったのを指摘されたと思い、怒り狂って本物の銃を出してくる、彼のとっ拍子もないアクション。これは何だ。舞台への愛、「舞台:いのち」という男の舞台への深い深い思いを描いた作品なのだ。
舞台の好きな人、役者をやって人の熱狂を体験してしまったことで役者としての昂揚感が忘れられない人、演じることが好きで好きで仕方がない人にとっては、この映画は忘れられない映画になるだろう。
画面が一様に暗くて、全部がいつも「舞台裏」みたいに見える感じで統一されている。
最後のシーンでは、「バードマン」は役者として突っ走っていって飛ぶが、墜落して死ぬと思うけど、「バードマン」は、人々に希望を与え続けていくことだろう。
役者は誰もが「役者ばか」で、役作りに悩み、役になりきって悩み、死ぬまで役者だ。実験的作風で、この監督の「舞台への愛」がしっかり伝わって来た。おもしろい作品だ。
葛藤劇4重奏!!
まず、疲れた。
目で追いかけ、頭は、ここで書ききれないぐらい妄想、想像とフル回転!!
一般ウケはしない。
いい気分にならない。
なかなか共感できない。賛否あるのも当然。
でも凄い映画だと思った。
多く言われている通り、ドラム音に載せて絶大なインパクトのある映像に、
自分自身=バードマン、
娘、
共演者、
マスコミ、
印象に残るシーンの連続の前に、
これだけの葛藤劇、そう滅多に観れない!!
一般的に、ブロードウェイの舞台に立つだけでも凄いと思う。
しかし、リーガンではなくバードマン。
呪縛なのかもしれない。
世界的にヒットしてしまったプライドもあるのだろう、まだまだやれる思いも。
そしてプレッシャーも。
我々の想像を越えて。
悲しいほど、バードマンだった。
ハリウッドの楽屋オチ感
話題の長回し演出もあって、観てる間は楽屋を覗き見してる感覚でとても楽しかったです!
しかし特に何も残らなかった。
娯楽として消費される役者の人生を描くことで、ハリウッドへの皮肉になってるんだと思うので、業界人・プロウケはいいだろうな、と感じました。
でも素人である私は
「そもそもそれが役者だし、望んでその業界に身を投じたのは自分たちでしょ?」と思ってしまうので悲哀とか虚無感みたいなものは感じませんでした。
あ、エマストーン可愛かった!
何かを追いかけたくなる
バットマンを演じたキートン。
ハルクを演じたエドワード・ノートン。
売れない女優役で売れたナオミ・ワッツ。
めっちゃ可愛いエマ・ストーン。
いちいち面白い会話。
笑える超能力。
全編に散らばる面白さが心地よい。
ほんの数日間の舞台裏のストーリーなのに、なんだかすごい映像技法で、感覚を撹乱された。
かつての成功体験(バードマン)からの脅迫観念。
「高尚な舞台芸術もいいけど、お前の輝かしい成功は、誰にも馬鹿にされる筋合いはない!」。いや、ほんとその通り。
それでも、どうしようもない自己承認という欲求。私たちは、誰かに愛されなければ、この世に存在する意味はないのか。
それでも結局、この世はワンダフルなのだ。悶絶する反面、そこに予期せぬ美徳か備わるのだから。
中年だからこそ、身に染みる面白い一本。
二重にも三重にも
バードマンである。そう「バードマン」というタイトルでなければならない。この映画のためにも、そして米映画のためにも。サブタイトルの「あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」である。そう、全編を観終わった時、その本人は「無知」であり、それゆえに「期待」し、最終的に、それを自嘲しなければならないことに気づかされる。
自分の期待はなんだったのか、自分はこの映画に何を望んでいたのか、それをすべてうっちゃられる。
わかったつもりでいて、逆に嘲りの対象となる。
これは、映画の脱構築なのだ。
正気と狂気の境界線を行き来する幽鬼マイケル・キートンに痺れる作品。
非常に良かった。
特筆すべきは境界線を曖昧にし続けた演技・演出・構成。
現実と非現実の境界線。
正気と狂気の境界線。
画面に映し出される全ての要素が物事を明確に線引きせず、常に曖昧な部分を残して結論を出し切らない。
境界線を行き来する不安定で刺激的な展開に序盤から惹き込まれました。
境界線の曖昧さが特に目立つのがリーガンの控室。
本作は彼が控室で独り過ごす場面と、外に出て周囲の人間に翻弄される場面に分かれていますが。
周囲の人間に翻弄される場面を“原因”としたら。
控室でリーガンが独り過ごす場面が“結果”に。
第三者の目が無い中、リーガンの主観で進む控室の時間は。
現実と非現実、正気と狂気の境界線が常に曖昧で観る側も翻弄されます。
翻弄され続けた末に。
或る場面でスッと作中のルールが破られ。
……曖昧だった境界線が“完全に”線引きされる。
その瞬間を過度に盛り上げない呆気無さ、或る種の上品さに痺れました。
その後は凄まじい速度感と共に傾斜を駆け降りる怒涛の展開。
濁流に呑み込まれ圧倒される中、迎える一つの結論。
予測される結論に至ったことに、至ってしまったことに深く息を吐きました。
そしてエピローグとも言える終盤も終盤。
これまでを一新する雰囲気の中で挿入される或る場面のインパクト。
絵面の馬鹿馬鹿しさにも拘らず、それが意味することを理解して。
最後の最後まで翻弄される作品になっていました。
正気と狂気の境界線を行き来する幽鬼マイケル・キートンに痺れる本作。
話題になっている全編ワンカット風の撮影手法。
これまで観たことが無いモノを観ている興奮と共に。
事態が明確に切り替わらない違和感もあり、境界線を行き来する曖昧さを維持し積み重ねる作用もありました。
繋ぎ目を馴らしたエマニュエル・ルベツキの手腕に只々圧倒されました。
正直、話自体の目新しさは比較的少ないですが。
その見せ方、魅せ方が非常に新鮮でグッときます。
オススメです。
バードマン
長回しのカメラワークが
独特の緊張感を与える。
妄想から逃げる事ができない、
窮屈な閉塞感は、楽屋裏の
狭い廊下のようだ。
突き当たりのドアを開けると、
過去と現在と現実と妄想が、
シームレスにつなぎあわされ、
見ているものを、
奇妙な混乱へ陥れる。
主人公レーガンは、
開き直るように、
死へと突っ走る。
エゴや見栄、栄誉や屈辱
全てのものを投げ出して。
カメラワークの興奮、現実とリアルの境界線
長回しのカメラワークは、みていてワクワクした。
そして、どこまでがリアルでどこまでが妄想なのか。「ブラックスワン」を思い出させるスリル。
しかしまあ、しょぼくれたマイケル・キートンが、どうみても役所広司にみえてしかたなかったのには参った。
バードマン
アカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞受賞作品
1番印象に残るのが撮影かなと思う
楽屋から舞台に移動がすっごく丁寧でワクワクした
POVって呼ばれてる撮影方法?
クローバーフィールドとかパラノーマルアクティビティーみたいな感じで撮られてる
ていってもカメラマンは役者じゃなくてただのカメラ神の目
脚本は楽屋から舞台に移動して演技に入るまでのテンポが良すぎるから
もう一度見て理解したいなと思かな
おもしろかったけど個人的な雑念が多くて集中できず。 落ち着いた状態...
おもしろかったけど個人的な雑念が多くて集中できず。
落ち着いた状態でもう一度みたい。
長回しのカメラワークがいい。
主人公のリアリティがそこにあった。
あのシーンは想像したが。
東宝シネマズで鑑賞
ステージの落ちを最初に見た瞬間、
あ、最後は本物の銃を使うんだな。
と思ってしまった。多くの鑑賞者がそうなのではないか?
ラストシーンを何にするかさまざま考えられたと思う。
ステージで終わるラスト。
新聞記事で終わるラスト。
バードマン出して終わるラスト。
本作のバードマンが飛び去るシーンを連想させる終わり方。自分は好きでした。
なかなか見ごたえがありました。
昔とった杵柄。。。的、哀れな男
飛行機内鑑賞②。
予告を観てから、観てみたかった映画のひとつ。
正直言って、もっと笑える映画かと。
超能力を使えるバードマンが起こす単なるドタバタ劇かと。
私は、洋画にまったく詳しくないので、オマージュとかにはまったく気づかないのですが、
彼をかなり哀れな存在に仕立て上げていること、
ハリウッド的な豪快でお金をかけ、街を壊すヒーローものなどを皮肉っていること、
記者の書いた記事ひとつで映画の評判は大きく変動するという映画界のゆがみ?
など、かなりの皮肉にあふれた物語ということはわかった。
すべての瞬間が一つの空間であるような、同時進行的であるような
長回しのカメラは個人的にはあまり好きではないけど
音楽と相まってこの悲しい雰囲気を表すのに効果的だったのかもしれない。
昔の栄光にすがる、哀れで悲しい男のものがたり。
これが、私がこの映画につける感想です。
・・・・・
最後、わたしは彼は死んだんだと思う。
久々に面白いものを見ました
色んなレビューで、現実と妄想がシームレスで続くので分かり辛いと見ていたのですが、全くそんなことは無かったです。
「インセプション」とかを難しいと思ったタイプの方には難しいかもしれません。
テーマも明確ですし、非常に興味深かったです。
アメリカ映画の昨今のメジャーフィルムの傾向に、一度でも疑問や反感を持った人なら、とても興味深く感じたと思います。
またアカデミー作品賞は当然だと思いました。
アメリカンスナイパーとか、いつものクリント・イーストウッド節より、映像技術や扱っテーマなど含め、余程チャレンジングな作品だと思います。
ただ、マイケル・キートンの演技が……役にはドンピシャなので、上手いのでしょうけれど、映画内のキャラクターと同じで、どこか底が浅く感じてしまい、最後のシーンでも心動かされ切れないと感じました。
彼にもう少し深みがあれば、リピートして見たと思います。
エドワード・ノートンの演技の方が余程引き込まれました。
エドワード・ノートンが出てるシーンだけで、もう一つの別の映画が出来そうなぐらい、彼の演技は圧巻でした。
それと、マイケル・キートンの演技はさておいても、終わり方はあまりにありきたり過ぎて、つまらなかったです。
ただ、あの終わり方をしたことで、監督の、絶対に今のCGとバカ筋肉満載のブロックバスター映画を認めない!という気持ちだけは強く感じました。
素晴らしい映画でした。
予備知識を持って観よう
主人公役のマイケルキートンがバッドマン役だったことを知っていないとなかなか理解しづらいのでは。アカデミー賞受賞で注目を集めたので「とりあえず見てみようか」という方も多かったはず。カメラワークや役者の演技が凄いのはすぐわかるけど、結局何が言いたかったの?と疑問を抱きやすい作品。
映画自体よりも映画のバックにある現実を考えさせられます。
万人向けでは決してないけれど、映画好き・演劇好きの方は見て損はないです。
予告にあったCGを期待して見るとほぼそんなシーンはないので少しがっかりするかもしれません。
ドラムソロのミュージックやカメラワークはクセになる斬新さです。役者が役者の本領を発揮している姿が見られる映画。
全426件中、201~220件目を表示