FOUJITA : インタビュー
小栗康平監督 フジタの芸術は「時間を超えて語られる力がある」
第43回カンヌ映画祭審査員特別グランプリと国際批評家連盟賞を受賞した「死の棘」をはじめ、「泥の河」「伽揶子のために」「眠る男」など、その芸術性が世界で高く評価されている小栗康平監督10年ぶりの最新作「FOUJITA」。戦前戦中のフランスと日本という二つの文化と時代を生きた画家、藤田嗣治をオダギリジョーを主演で描いた。信念を持って独自の世界観を表現し続けてきた小栗監督が、初の日仏合作となる今作を語った。(取材・文・写真/編集部)
「乳白色の肌」と呼ばれる技法を使った裸婦像で注目を集め、芸術家たちが集うエコール・ド・パリの寵児となった1920年代のフランス時代、画壇を代表し「アッツ島玉砕」など、積極的に戦争協力画を発表した1940年代の戦中の日本という二つの時代で、フジタの異なる画風と生き様を描き出す。
パリと日本のパートを分けた理由は「フジタの伝記映画にはしたくなかった。歴史を順番に積み重ねて語るのではなく、この二つの時代を並べてそこから現れてくるものを撮り続けることが大事だった」と語る。
小栗監督にとってのフジタの生き方は「いい言葉ではないかもしれないけれど、現実に迎合し、よく言えば対応し、順応し、現実に決して負けない強さを持っていた」と表現。少ないセリフと、絵画と映画を融合させたような、小栗監督の真骨頂といえる静謐かつ美しい映像でフジタの感情世界をつむいでいく。
捉えどころのない画家の姿を見事に体現したのがオダギリだ。「フジタはこういう人物に違いないという像を持って、それを掘り下げていくという作り方はしていないんです。オダギリくんもそういうことはしないタイプ。調べて考えて、芝居を作るといった自己主張もなく、むしろ受身。フジタがそのときに何を感じていたか、という僕の映像の積み重ね方とオダギリくんの芝居の作り方が上手い具合に重なったんです」
ベテラン小川富美夫氏とともに、ウォルター・サレス監督の「モーターサイクル・ダイアリーズ」「オン・ザ・ロード」などを手がけたアルゼンチンのカルロス・コンティが美術を担当した。「ロケハンのときはほとんど何も言わず、私の事を少し離れてじっと見ていましたね(笑)。でも、だんだんやりたいことがわかってきて、カメラを動かさない、寄らないというスタイルについて、興味を持っていました。カルロスはいろんな国でいろんな仕事をしているから、映画美術の面白さをわかっている人。フジタナイトのシーンは積極的に喜んで作ってくれていました」
戦時中、芸術がプロパガンダとして使われ、そのことを受け入れたフジタ。現在も混迷の時代ではあるが、芸術は社会でどのような力を持つのだろうか。「今、芸術の独自性みたいなものはどんどん失われていると思います。社会的な範疇、流通だとかの範疇で捉えられ、あるいはその社会の有用性などで語られる。本来はそういうところから、独立して、超越するのが芸術の力であるのに、追従してしまっている。アッツ島やサイパンなど、フジタの描いた後期の作品が戦後70年たっても話題に上るのは、それが当時どうであったということは別にして、時間を超えて語られる力があるということが事実だと思うのです」