モーターサイクル・ダイアリーズ 劇場公開日:2004年10月9日
解説 キューバ革命の指導者チェ・ゲバラが、青年時代に親友と2人でオートバイで挑戦した南米大陸横断の旅を、「天国の口、終りの楽園。」の人気俳優ガエル・ガルシア・ベルナルの主演で映画化。親友役は実際にゲバラのはとこにあたるロドリゴ・デ・ラ・セルナ。監督は「セントラル・ステーション」のウォルター・サレス。23歳の喘息持ちの医学生エルネストは、親友と2人で中古バイクで南米を旅してさまざまな人々に出会っていく。
2004年製作/127分/イギリス・アメリカ合作 原題:The Motorcycle Diaries 配給:日本ヘラルド映画
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2022年4月25日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD
日常から心を飛ばしたい、そんな時に最適の映画です。(チェ・ゲバラ誰?でも楽しめました) 旅がしたくなります。こんな風に現地の方とふれあいながら。 二人の青年の友情と、成長。青春物語としても、さわやかで、ものすごく力強い。 南米の現状にもはっとさせられる。 映画題名そのままに、日記のように、旅での出来事を綴っています。その旅する二人の様子がやたらにおかしくて、はらはらさせられ、切なくて。 風景も惹き込まれるように美しく、気持ちいい。深呼吸したくなる(埃っぽい土地もあるので、心でね)。 そして彼らが出会う先住民族の人々のシーンがほとんどドキュメンタリーのように挟まれる。物語に組み込むことはしていない。だからその事実をダイレクトに受け、消化もできぬままに通りすがりの宿命通り別れる。「笑わないで」という演出なのか、笑顔の消えた白黒写真と共にとてつもないインパクトを残す。 反対にハンセン病者との触れ合いは活き活きとしている。 そうやって映画を楽しみながらも、様々なことが思い起こされました。 東西ドイツ併合一週間前に訪れた東欧諸国。 生活に必要な物質もなく、盗み・横領も横行していたソ連でも、触れ合った人々は迷子になった外国人に優しかった。今の現状に打ちひしがれて賄賂等を持ちかけてくる人もいれば、解決の道を必死に探している人もいた。そして、さりげなく飾られた花に心の豊かさをみた。 南米。 ディズニー映画『バンビ』の森のモデルになった森を有するアルゼンチンのバリロッチェ。 マチュピチュ、クスコ、リマ。 この映画にはでてこなかったけど、パラグアイ、チリ、ボリビア(銀鉱山オルロ、すり鉢の都市ラパス…) 実際に旅した風景とかぶりとてつもなく懐かしく…。 黄金都市エルドラド。 アタワルタユパンキ。彼の自叙伝のようなものを読んだ時、搾取されどうしようもない閉塞感のある生活の中でいきていく先住民族の姿に衝撃を受けたっけ。 そして1992年ノーベル平和賞受賞者グアテマラ人リゴベルタ・メンチュウさんの自伝『私の名はリゴベルタメンチュゥ』を読んだ時の衝撃。 1992年、ヨーロッパではコロンブスによる新大陸発見500年を祝おうとして、ラテンアメリカの先住民族から激しい非難が起こった。「我々はそれ以前から存在している!」 コロンブスに続くコンキスタ、レコンキスタ。(征服、再征服) アフリカで起こったことがラテンアメリカでも行われる。 土地を奪ったのは地上げ屋ではない。 純血(欧米人のみの血統)、ラティーノ(欧米人と先住民の混血)、チョリ―ト(アンデス山脈辺りの先住民)、サンボ(先住民とアフリカから奴隷として連れてこられた方との混血)。今も残る出自(血統)を示す蔑視にも繋がる言葉。当然、肌が白い金髪の方が身分が高く経済状態も良い。 勉強?スペイン語が話せなければ収入の良い仕事にはつけない。けれど、その普及は、かってアイヌから言葉を奪ったように、ネイティブアメリカンから言葉を奪ったように、1つの固有の文化の存亡にかかわる。しかもその教育を受ける為にお金がいる。物々交換で住んでいた人々さえもそのために土地を手放す羽目になる…教育って何? (基本はスペイン語だけど、各地方言がひどい。ボリビア人が、アルゼンチン人が、パラグアイに来て「わからない!!」って叫んでいたっけ) そして、貨幣経済の参入。 私も唸ったけ。どうにかならないのかと。 そして今、ウクライナとロシア。力任せの支配・搾取。 平和を祈り、実現する営みも、結局、チェ・ゲバラ達のように、暴力に訴えるしかないのか…。 でも…。 ブータンの故ダショー西岡(今は中学の英語の教科書に取り上げられている)に出会った。 国際開発NGOや青年海外協力隊に関わる中で、たくさんのエルネストに出会った。 武器による革命は嫌いだけど、開発系の革命なら手を貸せるかな? とはいえ、ペシャワール会の中村医師の悲劇も。でも、想いは現地の方に根付き、彼の後輩が後を継いでいる。未来へと。 そんな懐かしい彼らを思い出しながら、また腰を上げようかなと思うこの頃です。 日本に居たってできることはあるさ。子ども食堂とか、募金とか。 旅。 このような映画や、TV,ネット配信でいろいろな場所を訪問できる時代。 誰かが切り取り編集した映像を楽しむのも、サントラ付きで、堪能できるけれど、 思わぬ出会いを重ねられるのは実際に旅してこそ。 現地の匂い、空気の乾燥・べたつき、日差しの痛さ、味覚。触感。五感のすべてで味わうその土地。 ああ、旅をしたい。旅をしたい。旅をしたい。体力つけておかなくちゃ。 そんなふうにいろいろな旅を続けている。 コロナ前には世界遺産ブーム。どこどこの世界遺産・秘境に行ったんだとたくさん行ったことを自慢する人々。 現地の物を安く買いたたいて喜ぶ旅行者。 旅と一言で言っても、この映画のような旅もあればいろいろな旅がある。 札束で現地を踏みにじるような旅はしたくないなあと、この映画を観て思いました。
2021年10月25日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD
初めて観たのは2004年頃?この映画が公開され話題になった時、スペイン語のクラスの代行でこ の映画を生徒に見せて、一緒に観た。 ブエノスアイレスからパタゴニアを通って、北に向かってモーターサイクルで走り、チリの北方へ、、アンデス山脈を超え、ペルーのマチュピチュ、ペルー領域のアマゾンのサンパブロというハンセン病のコロニー、南アメリカ大陸を、ベネズエラまで、全土じゃないけどモーターサイクルでバイオケミスト(生化学者) のアルベルトと医大生、エルネストチェゲバラは彷徨する。彷徨するのではなく中継地や目的地は決めてるようだ。二人とも、女性に興味があり、少しでも近づくチャンスを狙っているのがなんとも若者らしく可愛い。それに、旅の初めはアルベルトがリーダー格だったが、人々の苦しみ、不公平な社会を見てこれを経験すればするほと、エルネストが力強くなっていき、ママ宛に書いていた日記もママと書かなくなってしまったようだ。喘息であってもそれを乗り越える経験を積み、肉体、精神が強靭になっていく変化がハッキリと見られる。いい作品だ。 それも、チェゲバラが革命家になる前の23歳の時。メキシコ生まれの俳優のガエル・ガルシア・ベルナルのチャーミングなこと。 若い頃のチェと愛嬌のある笑いが似てると思ってみた。最近、ホセ・リベーラ、この映画の脚本家のインタビューを聞いたが、彼はガエルはエルネスト役には合わないと思っていたらしい。少年のようで、体型も、ガエルは本当に小さい子供のようで、チェは体が、ガッチリしていると。(実際はどうか知らないが、調べてみたら、ガエルは170cm、チェは 175cmはあるようだ。)そして、彼が最初モーターサイクルに乗った時は、まるで、子供が木製の馬乗りをしているようで、これじゃダメだと思った。しかし、撮影の最後には俳優としても、エルネストとしての成長がよく見えた。何かさわれない、そして、予定にしていなかった、少年から、大人になっていく成長が見られたと称賛している。私たちにだって、この成長が手に取るようにわかった。例えば、モーターサイクルなしでアンデス山脈に入って、先住民たちと顔と顔を合わせて、ゆっくり、聞き手に回るシーンから、ガエルの表情が変わってきて、チェゲバラの成長を表現できるようになったと思う。困難な人々の気持ちに寄り添って、心理的に安心感を与えることができる。(実は公で、人をけなさないので、最初、このアメリカ人である脚本家、の言葉にビックリしたが、この脚本家José Riveraはストレートで、自分の気持ちをそのまま人にわかりやすく伝えるのでカッコいい) 舞台劇の脚本家であるが、「オンザロード」の脚本も書いているらしい。 それに、監督がガエルをチェのように見せる腕前も絶賛していた。監督はブラジルのウォーター・サレスといって以前にもっとも心を打たれた『セントラル・ステーション』(1998)の監督。 私はスペイン語はわからないけど、字幕を追った。ここでチェの言うアメリカは南米のことである。 監督、脚本家、俳優などの才能で、日記がこのような映画になって出来上がっていった。 エルネストチェゲバラの日記とこの映画の違いは大きいが、映画ではエルネストのエッセンスを上手にとって、わかりやすい作品にしたと思う。日記は盛り沢山で心の成長は明らかだが、特に喘息や蚊や地域地域の経験全てに集中することが大変だった。脚本家ホセ・リベラの言葉に戻るが、ハンセン病の女性にエルネストは手術を奨励するシーンだが、日記ではこの部分は一行で、ハンセン病患者は男だったと。これをエルネストの人柄を入れて膨らましたと言った。私も日記を読んだのにこのシーンを覚えていなかったのはどうしてなのかと不思議に思っていたところだった。 改めて、この映画を観たいと思った。 私は最近になって日記『モーターサイクルダイヤリーズ』を読んでいるから。この日記は完全版であって、長く、映画は、まさに脚本家の言うよう見せ場を作り映画にしたと思う。こんな有名な革命家が医大時代からすでに日記をつけていたなんて、これこそエルネストチェゲバラの足跡なので光栄に思い感激する。1952年、革命家エルネストチェゲバラの人生は喘息持ちで、後、数単位という卒業を間近に控えた医学生。俗にいうエリートの恵まれた家族の中で育ったようだ。何かで読んだことがあるが、私の記憶だが、彼の母親はブエノスアイレスでパンツ(当時はパンツは男が履くもの)を初めて履いた人でファッションの革命家の ようだったと。 エルネストはこの旅によって人間の痛みがわかる人に変わっていく。ガエルの演技から分かるように、エルネストチェゲバラもの静かに、ポイントを掴んで話す人。私も彼の人間を大事にする精神に心を打たれる。映画ではなく日記の最後ではI will be with People.と言って自分のこれからの道はこうだと。 好きなシーンを3つ書く。 チリのロサンジェルスで消防士の親を持つ姉妹の家族に泊めてもらった時、消防団で掃除をしている男性が、エルネストチェゲバラがドクターだと聞きつけて、母親を見てくれと躊躇しながら頼む。チェは遊びに行くことに関心を示さず、急に目の動きが代わり、微笑みは消え、すぐその男性と一緒に家に。 1ヶ月前は生活できていたこの老女、助からないとわかっているが、持っている薬を施し安心させる。尊厳とともに生きるために。これがエルネストの優しさ。 モーターサイクルが完全に故障してしまってから、この友、二人の旅はより、人々に寄り添ってきた。アルベルトは、モーターサイクルにエルネストより、執着があるが、エルネストはもっと、人に対して、心を寄せる。 4960Km 時点、チリのアタカマ砂漠で、仕事を探している夫婦に会う。共産党で仕事を与えられない夫婦の話を聞いて毛布やマテ茶をあげたりして、二人の表情が変わっていくのが見られる。この夫婦になぜ旅をと、聞かれ、言葉につまる二人。この二人には想像もつかなかった夫婦の旅。エルネストはこの二人のことを目は暗く、悲惨さを意味していると。そして、自分の生活の中でもっとも寒くて悲惨な夜だったと。それに、この二人に会ったことは、今までよりもっとも自分が人間に近づいたと。 私はエルネストの心に洗われた。 米国経営のチリのチュキカマタ銅山会社まで行き、最下層の人々は不当な労働条件で働かされている。『水をあげてくれ!』と。でも、無視される。その怒りを車に石を投げてぶつけるエルネスト。 仕事がないというケチュア族の話を通訳を通してスペイン語で聞く二人。クスクス、マチピチュ、ハンセン病のコロニーでは患者は島に住んで、従業員とは隔離されているし、ハンセン病はうつらないのに、看護に当たるに手袋がいると。ハンセン病の基礎知識の遅れなどが琴線に触れる。 圧巻はエルネストが初めてする24歳の誕生パーティーの感謝のスピーチで、それを聞くアルベルトの一瞬止まった動き。我々の面倒をみてくれてそれぞれの国々の人々に感謝、コロニーの人々にも感謝と謝礼を述べる。全く関係ないことを付け加えるけど、、、この旅で確信したことしたことがある。アメリカがそれぞれ国国に分かれていることは安定していないこと。我々マゼラン海峡からメキシコまでは先住民と白人との混血であるメスティーソ(mestizo)で一つの家族だという。狭い考えの人たちを(provincialismー地方主義)から自由にならければならない。ペルーに乾杯。 そして、United Americaにも(中南米の意味)乾杯と。この言葉を聞いているアルベルトは体を動かさなかった。はっきり、チェゲバラ の道が自分の道と別れたことを知ったと思う。それに、アメリカ(中南米の意味)のリーダーになるの素質があることも感じたと思う。誕生日の感謝のスピーチが彼の初めての公の政治思想が入っているスピーチである。旅で多様な人々に会うことが将来こんな大きな意味を持たせることになるとは。この時すでにチェには反アメリカ合衆国思想が芽生えていたと思う。それにこのあとすぐハンセン病の患者と誕生日を祝いたいと言って対岸まで喘息の彼が泳ぎに挑戦するわけだが、これは彼の人間平等論の確実な芽生えが、自分の喘息を乗り越える挑戦と同じになると思えた。
2021年1月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館
ゲバラが医学生だったという事実さえ知らなかったし、どこの国の革命家だったのかも知らないほど勉強不足な自分。単なる“革命家の伝記”映画ではなく、ゲバラの医学の道から一転して革命家へと進路を変える人生の転機となった旅の断片映画なのだ。 何しろ、よくわかっていなかったためにパンフレットを買ってしまった。キューバ革命の戦士だというくらいの認識しかなかったため彼の国籍さえわからなかった。そう、映画を観ていてもわからなかったのだ。アルゼンチン、チリ、ペルー、グアテマラ、そしてキューバの革命という流れで、「はて、彼はどこの人だっけ?」と感じてしまった。これも彼の信念である「南米は一つの民族」という主張がそのまま国籍というイメージを取り払っていたのかもしれない。 喘息の持病、好奇心旺盛、目的意識のない旅、ダンスが下手、そして何より人を愛することが特技であるエルネスト。相棒のアルベルトの性格も上手く作用していた。等身大の彼らの演技により、感情移入しやすく、サン・パブロのハンセン病療養所での行動ひとつひとつが胸に響いてくるのです。実際のハンセン病患者も映画の中に上手く取り入れたため、日本における医療問題とも比較してしまいました。 個人的には人生を変えてしまうほどの旅を経験していないのかもしれません。もう経験することさえないのかもしれません。それでも、世の中の真実を自分の目で確かめたいという欲求を思い起こさせてくれました。若い頃にこういう映画に出会えていたらなぁ~と思わせる映画ですね。 【2005年1月映画館にて】
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キューバに行く前にゲバラのおさらいと思って見たけど、そうでした、この映画はゲバラがキューバに辿り着く前のお話でした。 点線以下は9年以上前に書いた感想。 今回は、「国境またいでも言葉が通じるって、便利で不思議で羨ましいな」。 改めて、日本という国の特殊性を思う。 海に国境を隔てられ、(公用語としては)この国でしか通じない言葉を使う。 その特殊性が愛おしくもあり、不便で苛立たしくもあり。 さて、現地で私は何を思うのでしょうか。 ------------- (2007/2/19) お恥ずかしながら、ゲバラが医学生だったことも、アルゼンチン人だったことも、初めて知った。 最初のほうは、旅に出た解放感に浸り、男の人が羨ましくなり、私が今まで抱いていた南米のイメージとは全く違う景色に釘付けになった。 そして、クスコの辺りからドキュメントチックになり、ゲバラが後に革命を起こすベースになったであろう人々との出会いがさりげなく描かれる。 喘息のシーンは、その気持ちがわかるだけに見るに耐えなかった。 見てるだけで苦しかった…。 マチュピチュは、やっぱり一度生で見てみたい。 どうしても見てみたい。 あそこで暮らしていた人たちと、会えたらいいのに。 どんな生活をしていたのだろう。 ゲバラは本当に純粋で、献身的な人だったんだろうね。 この映画を見る前は、見たら旅に出たくなるかと思ってた。 でも実際は、見終わったらちょっと苦しくなった。 色々な人の思いを背負って(本人に「背負った」という意識がなくても)、それをもとに自分の人生を突き進んだ人を思い、なんともいえない気持ちになった。