セッションのレビュー・感想・評価
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映画の新しい風を感じる
この、気持ちがいいとは言えない物語の本作が面白い理由は、演出にある。
観る者に圧迫感をあたえる、迫ってくるような映像の連続は、音楽という本来は美しいものであるはずのものと対をなし、正体不明の高揚感を発現させる。
演奏シーンで演者を捉えるのではなく、楽器、演奏する手を映すのは斬新だ。
ありそうでなかったカメラワークといえる。
罵りと汗と演奏する手、本編のほとんどがそれだけで構成されていたような、正に映像体験。
近いカメラ。早いカット割り。デイミアン・チャゼルの特徴かと思う。
忙しない作品になりやすいともいえる。そのせいか苦手な人も多いみたいだ。
カルト的な人気の監督といえるのかもしれない。私は好きだ。新時代の監督という感じがするのもいい。
「ラ・ラ・ランド」「バビロン」「ファーストマン」と観たがどれも傑作に近いと思う。そして本作も。
監督がデイミアン・チャゼルというだけで内容に関わらず観たいと思う。
そんな監督は数えるほどしかいない。
パワハラ音楽教師に呆然。J・K・シモンズの怪演が光る。いや〜音楽の...
しごき。
原題は"Whiplash"です。
むちうち/むちひもの事を指していますので、音楽教師にしてコンダクターであるフレッチャーの「シゴキ」のことをダイレクトに指しているだけです。ですが。それが、この映画の主題にしてオチな訳で。セッション、って言う邦題、なんなんですか?
JVCジャズフェスティバルの、なんとオープニングステージの本番での、彼のショック療法に挫折せずに立ち上がって闘ったアンドリューは「Bird」になります。フレッチャーは人生を賭けた悲願であった、「天才を育てる」と言う大業を成し遂げる。
と言うラスト。
つい、この前の映画だったようにも思え。すごく昔に見た映画の様にも思え。2014公開なので、今年が10年目なんですね。個人的には、音楽映画の史上最高傑作です。で。史上最低の「邦題」を付けられた映画w
いずれにしても。
良かった。
とっても。
八丁座ではアカデミー受賞作もリバイバル上映週間です。開幕2作を見損ねたのが悔やまれます。当時は「なんでこれが作品賞やねん?」なんてのもありましたが、いずれにせよ、見る価値がある映画、であるには変わりなく。セッションは、もう一回上映があるので、見ときたいと思います。セリフが分かりやすいんで、字幕注視しなくても良い、っての好き。
あ。でも。ミナリは見ないです。全然、見る気が起きんもんw
エブエブは仕事の関係で見れないんですよね。これは悔しいです!
演技はすごい、演技はね
相手がクソ野郎かどうかは実は全く関係無い。
『男の争い』上映中
ラストが、マイルズ•テラーとJ•K•シモンズ扮するアンドリューとフレッチャーが、目指すものだということか。
アンドリューは初めて誰に邪魔されようと意に介せず己れの信念のまま意志の突き進む先に進みフレッチャーをも取り込んだのか。
フレッチャーを見ている者としては、また騙されないかひっくり返されないかと、セッションの熱量と気迫に気圧されながらも違う意味のヒヤヒヤドキドキを感じていた。
すると終わってしまった。
フレッチャーからすると、学生は皆甘ちゃんに見えるのだろうか。
彼自身の子供から青年時代がどうだったのか、ある意味興味が湧く。もちろんあの毒舌家になった要因を知りたいのだ。
いや、毒舌家ではなく罵詈雑言の憎まれ教師だ。
アンドリューの生活は父親やニコル、弁護士との関わりで描かれ、事故で瀕死の重傷を負い血みどろで演奏会場に駆けつけるも途中でギブアップしてしまい身を引いてしまった事も描かれている。
フレッチャーの恐ろしさはまだまだ続く。
苦情が出て勤務先が変わった事を根に持って証拠も無しに卑怯にも開始寸前の舞台でアンドリューに毒吐く。
アンドリュー、よく頑張った!
未来は明るい!
J•k•シモンズさん、上手いけど、
フレッチャーは、
何百キロも離れた所に住みたい人ですね。
結局何が言いたかったのだろう?
理不尽を押し付けて悔しさをバネにするって教育方針のクソ教師だなーと思いながら観てた。同時に、こういう先生いたなぁと思ったね。
一方、主人公の少年はというと純粋すぎてこの教師に認められようと頑張ってしまうんですねぇ。ドラムに集中したいからと付き合ったばかりの彼女に別れ話をするシーンは唖然としました。「君はきっと邪魔をするだろうから別れよう」だって。オメーもなかなか香ばしいな(笑)。
偉業を成し遂げるためには狂うことも必要!
情熱的で振り切った映画でした。「great」な音楽家を育成する、あるいは「great」な音楽家になることを志した2人が、激しくぶつかりあうさまは、僕にとってはリアルでした。「good job」は、ある意味でその人の可能性を奪う、最低の言葉として、高い基準で指導するフレッチャー先生の指導はある意味理にかなっているが、教える側も教わる側もお互いに振り切ってないと調和できない指導の基準と方法だなと感じました。この映画は、エンディングもそうですが、いろんな解釈があると思います。僕自身は、突き抜けた実績をつくり、「偉大」になっていくことを求めているため、これくらい一つのことに狂ったように集中することが必要だなと日々の仕事の基準を見直すきっかけになり、襟が正されました。
死ぬ気で練習する
2014年製作。この映画も日本初公開時未鑑賞で、
特集上映でTOHOシネマズ シャンテで鑑賞。
ポスターの写真そのままの印象。日本語題「セッション」
よりも原題:Whiplash(むち打ち症と訳される)の方が
映画の中身を上手く表現している。スポーツで筋肉痛に
なるがごとく音楽でも身体が受けるダメージが大きい
ということか。
自分の年代だと「巨人の星」の星一徹と星飛雄馬、あるいは
「愛と青春の旅だち」(An Officer and a Gentleman・
1982年製作)のフォーリー軍曹とザックの関係を思い出す。
特訓に次ぐ特訓で身も心もボロボロになりながらそれを
乗り越えて一人前になっていくのが上記2作品に共通する。
「セッション」はどうか。
ネタバレになるから書かないが予定調和では終わらない。
起承転結で言えば転の部分が意外な方向に進み、これで
終わりかと思ったらまだその先があって意外性があった。
説明的な描写は最小限に、軍隊の鬼教官のごとくダメ出し・
罵声を浴びせる教師フレッチャーと、それこそ血の滲む
ような努力で応えようとするニーマンを軸に過酷なレッスン
風景を描いていく。練習漬けの毎日で青春を謳歌する
余裕はない。
はっきり言ってしまうとパワハラや言葉の暴力、時には
手も出しているから現代社会では完全にアウトの指導方法。
耐えられず脱落する者や精神が崩壊する者が出てきて当然。
相手を憎むこともあるだろう。
ただ、この映画ではだから駄目という単純な話ではなく、
善し悪しは観客の判断に委ねられている。
この映画のような極端な例は別として、音楽でもスポーツでも
その他いろいろなことについても一流になるためには死ぬ気で
練習する時間というのは必要だと思う。フレッチャーが何を
目指して鬼のような指導をしているかが分かるからこそ
この映画を観て嫌悪感以外のものを感じ取ることができる。
終盤で見せるアイコンタクトが秀逸。
自分に当てはめてみたら(とは言え楽器を習ったことがない
ばかりか楽譜を読むことすらできない。名門音楽学校に
入学するとか全く未知の世界)、度が過ぎる指導にはきっと
耐えられないと思った。
フレッチャーをJ・K・シモンズが好演(怪演?)、ニーマン役
のマイルズ・テラーは当時はそんなに知名度が高くなかったが
主人公を見事に演じきった。(演奏シーンのために本人も相当な
練習を積んだことだろう)そして「トップガン マーヴェリック」
(Top Gun: Maverick)のルースター役に抜擢され現時点で彼の
代表作になった。今後が楽しみだ。デイミアン・チャゼル監督は
その後「ラ・ラ・ランド」(La La Land)や「バビロン」
(Babylon)などの大作を監督。今思うと出演者も監督も
凄い人材が携わっていた作品だ。
音がいい
狂気とヒリヒリ
最高にかっこいい
2023/5/20再見。
🎥ハンガーとの比較で話題になり見直してみた!今回改めて見直すと映画のつくりそのものとしては★4くらいかと思う。インパクトは落ちたし設定は不可解である。しかし楽しめる点は変わらない。いい作品ではある事には変わりない。
怖い。
前提として
・デイミアン・チャゼル監督の他作品だと『ラ・ラ・ランド』を視聴済
俳優陣が素晴らしい。眼で全てを物語る。
狂気ってこうやって出すのか……ってなる。
ただただ怖い教官にパワハラされるストーリーではない。スカッとする瞬間もある。
アンドリューとフレッチャー。この二人がジャズという土俵において、どのように変化していくのか。
この二人、精神的な中身がめちゃくちゃ似てることが面白い。この上でプライドのぶつかり合いとなっていくクライマックス。
何かが通じ合った瞬間のアイコンタクト。
『セッション』という日本語版タイトルも素晴らしい。
……みたいなアツい部分もあるけど、ずーーーっと怖い部分が蠢いている。
感情というか情熱というか、期待というか狂気というか……
心臓の鼓動がなかなか止まらない、不安なのめり込みがずっとある。
この二人、自分なりの優しさを持ってるクズだな……
パワハラ的な指導も必要になるよな、的な自分の感覚も怖くなる。のめり込むと、どれだけボロボロでも周りのことが気にならなくなるよな、みたいな熱中と狂気の紙一重感にも怖くなる。そしてこの狂気が通じ合った瞬間の最強コンビ感たるや……
あー、怖い。けど面白い。
芸術を志している人ほど胸が痛くなる作品。正直、人にオススメしづらい……
超絶パワハラムービー
奏者を撮るカメラワークも素晴らしい
昔あった『戸○ヨット○クール』を思い出した
言うまでもなく、この映画で奏でる音楽はJAZZではない。
JAZZっぽいたけで、JAZZではない。まぁ、それは良いのだが。まるで、この教師との葛藤で、至高のJAZZが出来た様な表現をしているが、現実的に考えても無理だし、
ひょっとしたら、この演出家はJAZZの意味を最初から分かっていないと思う。
この映画で奏でられる音楽で、一番類似しているとすれば『太鼓をたたくお猿さんのゼンマイ人形』の音。
また、クラシックに立ち帰って考えれば『ボレロ』を敲く、小太鼓のテクニックはこの映画では語れない。JAZZはアドレナリンを目一杯使って奏でられるものではない。そして、JAZZだけでなく音楽は同様な事と『ボレロ』の小太鼓の例を出すまでも無く分かるだろう。
技巧が優れているだけでは、JAZZを奏でる事は出来ない。ヴィルトゥオーゾのカデンツァとJAZZの即興とは違う。
この映画の題名がセッションであることも忘れては駄目だ。ドラムだけで、JAZZのセッションは奏でられない。
チャーリー・パーカーやコルトレーンの様なビーパップやハード・バップはこう言ったビッグバンドの合い間に数人の人間が集まってジャムセッションした所から始まる。この映画を見なくとも、黒人は知っている。
相変わらず、アメリカの中産階級出身の男性白人は、モラトリアム期間を脱せない、独りよがりな白人青年を描くのを止めないなと思った。そう言えば、ラ・ラ・ランドの主人公もそうだな。また、音楽の楽しさは、奏でる者の魂が変な方向に向くと、同時に音楽の楽しさも無くなると感じた。お猿さんのシンバルと太鼓を聞いても楽しいとは思えない。
聞く方にも問題があるのかも?至高の芸術なんて、鑑賞する側の上下で変わる。そして、鑑賞者の鑑賞力の上下を定義づけるのは難題な事だ。
ラ・ラ・ランドを含めて、この演出家のストーリーを再認識しなければならないと感じている。
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