チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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何度見ても涙なくしては観れない…
何度見ても、得るものがある作品。
最近やっと、社会が多様性を受け入れようとする動きが出てきてはいるが、
そもそも、「多様性を受け入れる、認める」と表現すること自体が傲慢であると気づかされる作品。
さらには、
「正しさ」とはなんなのか。
「愛情」とはなんなのか。
「法のもとの正義」とは?
「常識」とは?
「誠実さ」とは……?
個人にとっての最善の生き方、幸せは誰にも制限されるべきではないし、当事者以外が個人的な思想や常識を押し付けて型にはめてしまうというのは、どれだけ罪深いのか…
いま一度、これまでの自分の振る舞いを省みるきっかけになれる作品だと思う。
万引き家族で描かれた家族の定義をもう一度考える
個人評価:4.0
自分自身がLGBTの人達に対して、どのような考え方をしているのかを問いかける作品。
自分が判事ならどう判決しただろうと。
実の母親を前にして、マルコを引き取りたい気持ちの根底は、どこから来るモノなのか。
純粋にマルコの為なのか、それとも子供を産めないゲイのカップルの愛の象徴だったのか。どの様にも捉えられ、見る側も判断できない。
しかし、本作で1番伝えたかったテーマは、そんな大人達が集まって考えた決断でも、小さな命を守れなかったという事実。
本当の家族とは?血の繋がりだけが家族?そうじゃない。自分で選ぶ家族もあるはずだ。本当の家族になれるはずだった3人。それを認めない世界。
是枝監督が万引き家族で描いた家族のあり方を、別の角度で描いている。
劇中最後に母親の場所に帰り「自分の家じゃない」と訴えたマルコの言葉が印象的だ。
今の時代に見るからこそ、余計心に刺さる。
「泣ける話」という口コミと、長髪男子が微笑むポスターは知っていたけど。
マイノリティーな感じの話だし、ドーナツがどうしたの?。
と見逃していた自分に、喝!
まずポスターの青年が誰か気づいてませんでした。大好きなアラン・カミンとは。ますます喝!
いろんな人がいろんな生き方で、日々過ごしている今。
当たり前になりつつあるのは、過去にいろんな人が涙してきたからこそなんだな。
弁護士ポールは、最初ゲイであることを職場に隠し。ルディをいとこ扱い。
職場にルディとカップルであることがバレ(ここの上司が嫌味男)、クビに。
「偽りの人生を捨てて本当の自分に。今こそカミングアウトして、世界を変えよう」。
ルディの胸を張っている生き様が、かっこいい。
そんな二人とともに生活し、たくさんの愛情を受けてきたマルコ。
「寝る前にお話しして。ハッピーエンドがいい」。
健気じゃありませんか。
3人で過ごした1年間。多分8ミリで撮った記録が、胸をざわめかす。
「こんな幸せな日々は、そんなに長くは続かないんだろうな」って。
マルコを誰が育てるか。ルディたちなのか、それとも。
裁判の場面が多かったのも、意外な展開。
「深い愛って、なんだ?」。
今の時代に見るからこそ、余計心に刺さる。これを泣かずしてどうする。
実に奥深い作品。是非。
洪水警報な話
赤の他人
【余りに切ない物語だが、そこから問いかけてくるものを考えさせられる作品】
タイトルなし
新しい机を買ってもらって嬉しいシーン、
DVDをポーズしてしばらく泣いたよ。
感動してむせび泣いてしまいました。
世は 実の親が子供を虐待して殺してしまう時代です。
「親子の愛」は自明のものでも本能でもない事の証明が、毎日のニュースで嫌というほど僕らに突き付けられています。
もしかして
一緒に暮らそう、
愛し合う努力をしよう、
家族として守り合おう。
・・こういう理性の決断の伴わない家族―一般的な無自覚な家族―は、実は本当のところ、血はつながっていてもどこか非常に危うい落とし穴を抱えているのではないかなぁ。
保護の必要なマルコをどこの誰に託すのがベターなのか、この映画を観た各人が自分の答えを出すべきなんだと思います。
それは
「あなたが手を挙げるべきなのかもしれない」
という選択を含めて。
エンディングは
どうして?!
どうしてよぉ・・・涙でした。
僕の映画人生で大切な1本です。
同性愛への差別
1970年代、ゲイのカップルが障害児を育てたという実話を元にして作られた作品。
作品自体も1979年を舞台にしており同性愛者への偏見が根強い。世間の同性愛者への差別とそれによるゲイのカップルがダウン症児を引き取り、育てていくことへの難しさを描いています。
同性愛への理解が示されてきたのはほんとここ最近なような気がします。とはいえまだまだ偏見や差別はあるでしょうが、約40年前となるとさらに世間から同性愛者への眼差しは冷たく扱いも酷いということがよく分かる映画でした。
薬物中毒の実の母親よりも、子どもへの愛情を抱いているはずなのに世の中の同性愛者は異常だ。子どもには悪影響”という偏見によって引き離されていく…
同性愛者だから、本当の親じゃないからという理由で愛情を否定していい理由にはならないと感じました。
最後には号泣です。
愛に溢れる
これは、愛と悔しさで溢れている映画です。
ルディがマルコを見つめる目に、これ以上ない愛を感じます。そこには性とか血縁とか関係なく、純粋に優しい気持ちがあります。
私はこんなに深い愛を誰かに向けたことがあっただろうか?今後あるのだろうか?そんな日がくればいいな。彼らが羨ましくなります。
幸せを具現化したようなホームビデオのシーンは、泣きそうになります。
一方で、3人の間には確かに愛があるのに、それが認められないことがとても悲しくて悔しいです。
差別や偏見の中で「正義」に抗う術がないことが悔しい。
ラストは3人の叫びです。
役者たちの好演にも拍手。マルコ役のアイザック・レイバは彼自身ダウン症なんですね。俳優として活躍している姿に勇気をもらえます。
大いに見る価値のある映画です。
YA
社会派だし、エンタメとしても◎
ありのままを生きるには
誰にだってあるはず
本質を見ようとせず先入観だけで意味嫌い嫌悪感すら抱く
肌の色、瞳の色、体が不自由な人、喋り方がおかしいとか、まだまだあげればキリがない
「生まれたばかり婆さんが99の孫連れて、水無し川に飛び込んだ
それを瞽が発見しオシがツンボに電話した…………」
子供の時に覚えた笑い話のようなもの、これだって偏見の塊でできている
体が不自由、見た目が変だからお笑いの対象になる
まだまだそんな世の中です
私だってここで偉そうにこんな文を書いていても一皮剥けば偏見の塊でしかない
人の悪いところを多勢が話題にして笑いあってる
それがコミュニケーションの1つの手段だと思い込んでいるのが現代の当たり前
芸能界はそれを「イジル」と言い芸人は「イジられてなんぼ」という
イジメがなくならないのは生き物の本質なのかも知れない
自然界じゃ少数派は自然淘汰されるけど人間は違うと思いたい
手を取り合い愛を持って助け合う事ができるのが人間にできること
今の私に何ができるだろう
この偽善者で欲の塊の私に
ハッピーエンドを願います。
幸せってなんだろう
性差別
ダウン症
育児放棄
薬物依存
子供の養育、親権
法律
自分達が幸せだと叫んでも
世間が認めてくれない
国が認めてくれないことを痛感しました。
色々考えさせられる良い映画でした。
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自分として
こんなに愛ある人のことを尊重し合えるカップルでありたい。
子供のことをこの2人のように考えれる親でありたい。
その1つができている世の中の人は多いけど
どちらもできている人は少ない。
相手だけか子供だけかになりがちなことをよく知ってるからこそ、見習うことが多いと思う。
70年代のアメリカで差別が多かった時代。
今はもっとオープンになっているけど
日本はまだこの70年代のアメリカなんじゃないかと思うくらい、あまり違和感を感じなかった。
親権はお母さんに勝てる国はどこのもないという言葉と最後の結末が子供は親を選べないとつくづく思う。
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