チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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「気持ち悪い」と思ってしまう自分も世の中の一部
ゲイの恋愛もダウン症も、手加減無しでリアルな描写で描いているのは大英断です。
そこをオブラートに包んでしまったら、この作品の訴えたいことに繋がらないでしょう。
やっぱり男女間の話ならスッと入ってくるんですが、男と男の恋愛を見せられると、違和感や気持ち悪さを感じてしまいます。
そう思ってしまう僕の存在も込みで事実なんですね。
常日頃、頭では差別は許せないと思っているんですが、いざゲイの恋愛を見せつけられると「うわっ!」と引いてしまう自分がいます。
世の中の多くの異性愛者がそんな人たちである中で、彼らが自由に過ごしていくにはどうしたらいいのか考えなくてはいけないのでしょう。
これは漢気の映画なのだ
本当は自分はこうしたいのだけれど、今は世を忍ぶ仮の姿。ルディとポール、二人のゲイはそのようなものを抱えて生きている。
他人に迷惑をかけない程度に思ったことを口にし、気持ちにそぐわないことはしない私には想像を絶するストレスである。
ポールはゲイであることを隠しながら仕事をしなければならないし、ゲイとして生きているルディにしたって、本当は歌いたいのに、仕事は口パクショーのドラッグクイーン。
逮捕されたシングルマザーの一人息子はダウン症のマルコ。ゲイの存在そのものが法律で認められていなかった時代には、この子を家族として引き取りたいという二人の願いはそのまま社会への異議申し立てとなった。
彼らの戦いは最初から勝ち目がない。しかし、「男なら負けると分かっていても戦わなければならない時がある。」(キャプテンハーロック)と同義の言葉が、彼らの弁護士の口からも出てくる。
「正義などない。そこから戦いが始まる。」自分を守ってくれる正義などない。被害者の顔さえすれば誰かが助けてくれるような甘い現実ではない。
そのことを知ったときから人の戦いが始まる。
あえて言う。漢気という言葉が現代社会にも有効だとすれば、彼らの挑戦こそ漢気を示しているものに他ならない。男であることを捨てている二人のゲイが、男の中の男でなければ挑むことなど出来ない、負けると分かっている戦いに挑むのだ。
いくつかの同性愛を扱った映画を観て、いつも熱いものを感じる理由がここにある。どうしようもなく女好きのスケベである自分が、ゲイの映画を観て熱いものを感じて共感するのはなぜか。
彼らの社会への異議申し立てには味方が期待できない。それでも自らの尊厳を賭けて戦わなければならない。そこに挑戦する勇気。
たまたまマジョリティーの側にいる自分が、なにかの拍子にマイノリティーになることがあるかもしれない。その時に、自分はこの勇気を持つことができるか。戦えるか。その問いを突き付けられている気がする。
涙など流してはいられぬほどの彼らの無念、自らへの厳しい問いを感じた。
ドーナツ食べたい
同性愛者で何がいけないんだろう、知的障害者で何がいけないんだろう、人と違うことが罪なのですか
普通の家族よりも本当の愛に満ち溢れた家族を、ただ「人と違う」、それだけで引き離して何が楽しいのですか
何が正しくて何が不正であるか、勝手な偏見で人の幸せを奪い、不幸へと陥れた罪はとても重い
最近になって受け入れ始めたものの、まだ世の中には多くの偏見、差別が存在しています
私たちはしっかりとその問題に向き合い、解決していかなければならない、そう思いました
決して明るくて楽しい作品ではないです
それでも観た後は心に残る、暖かい家族のストーリーでした
温まる
本当に愛に溢れた人は素晴らしいなぁ。素敵だなぁ。
自分が差別を受ける立場にあったからこそだろうけど、弱者のために奮闘する姿はすごくかっこよかった。
自分にだけは恥じることのないよう生きたいなと思えた映画だった。
目に涙
はじめから終わりまで、ずっとうっすら目に涙が浮かぶような映画でした…
いい映画だった〜と
満腹になるような。
切ない結末なんだけれども、切ない部分は淡々としていて、不思議と見終わった後、ほっこりとしている。
心からの笑顔は人を幸せな気分にさせるね!
途中の幸せな場面は、この幸せはずっとは続かないなと予感させるような雰囲気があって、不思議に思った。
散々、アメリカってまだこんなに偏見あるのかしらね〜と言いながら見て、終わりでタイプライター?が出てきて、映画の舞台が70年代だということに気づくというミス(笑)
物語の読み聞かせが大切だと再認識。
観終わった後も
観終わった後も、ずっと考えてしまった。
どこにもぶつけようのない怒りと悲しみが込み上げてきて切なくなった。
予想を超えたバッドエンドで、
思わずうわって声が出てしまう程だった。
映画の後半部分では、
マルコ達の幸せな日々が描写されない為、
もう一度幸せな生活を覗きたくて、
連続で二回鑑賞してしまった。
この映画は忘れない。
友人に勧めまくっています。
観ない事が偏見かも。
1970年代でマイノリティをテーマにしたヒューマンドラマ。
もう触れ込みはいかにもで、かなり嫌悪感と言うか偏見を持って観ました。
これがどうして久しぶりに心揺さぶらる映画に出会いました。
後から知ったのですが監督が「17歳のカルテ」のトラヴィス・ファインと知って納得。
ポケットに仕舞っておきたい大切な映画になりました。
愛の物語
そこにあるのは深い深い愛。強い魅力的な人間の物語。愛らしいマルコ、愛し合う恋人たち。どうして自分たちと比較して、違いを攻撃したり、蔑んだりしてしまうのか。何が正義で愛なのか、そして家族や幸せについて考えさせられる物語。
ただの家族の話でした。見た後に心が切なくも暖かくなるそんな家族の愛...
ただの家族の話でした。見た後に心が切なくも暖かくなるそんな家族の愛のお話し。
ただ、両性愛者の親でダウン症の子というだけでした。
自分を偽ることなく人を愛せる強さがここにありました。
There is no justice. That don't mean we stop fighting for what's right.
ルディのマルコへの愛情や執着が、どこから来るのだろうと最初は思ったけれど、彼自身がマイノリティで偏見や差別を受けているからこそ、同じくマイノリティであるマルコを放っておけなかったのだろうし、そこからマルコの笑顔や純粋さを見て、本当の愛情を育てたのだと思う。偏見や差別は、している側は、することが正しいと思っていることも多い。後半に弁護士が"There is no justice. That don't mean we stop fighting for what's right."と言った言葉が、全てだと思った。マイノリティへの差別をなくすべきだ、とただ言うのは容易い。けれど、している側にも信じるところがあって、それはそう簡単には変えられない。道義的に正しいのがどちらか、ということだけでは片付かないことばかりだ。それでも、戦うしかないんだ、ということなのだと思う。自分が信じたものを信じて、戦うしかないのだ。また観たくなるかも。
マイノリティについて考える
身近にこういうケースがなかったので
良くわからなかったんだけど
渋谷区でお祭りのようになっていた光景が
やっと理解出来たような?
マイノリティの立場の人間には社会の大きな理解が必要なんだな…
なんの罪でもないのだから
ルディのように男性として生まれてきても
当然な母性を持っている人がいる
マルコは2人にとって天使だった…
なのに無理解な社会的立場の人間によって
孤独の中冷たくなってしまった衝撃に号泣してしまった
ひとりで観てよかった。
哀しいラスト。
場内のあちこちからすすり泣き。
私は泣かなかった。
切なくもならなかった。
あぁやはり、が近いかな。
二人の関係が素敵。
優しさと愛情に溢れてる。
ルディの可愛らしさ。
見た目は無精髭生の中年のおっさんなのに。
人を美しく見せるのは何なのだろうか。
表情なのかな。
パートナーの彼も真の男らしかった。
障害者で赤の他人の子供にあそこまで深く豊かな愛を寄せられるものなのだろうか。昨夜のバリバラに続き考えさせられた、(関西大学で出生前検査についてダウン症の男の子が司会者となっ討論するという、凄い内容だった。)マイノリティ同士のシンパシーというのもあったのだろうか。
感動しきれなかったのはマルコにあまりクローズアップしてなかったために感情移入しきれなかったせいか。
マルコはなぜ女の子の人形がお気に入りだったのだろう。
母親が息子の前で性行為をしようとしなかったのが印象的だった。
麻薬と男に溺れる母親でも大好きなのが切ない。
親と子って?
血の繋がりって?
障害者の存在の是非。
(何が幸せは本人が判断するもの。他人に決めて欲しくない、とある重度障害者が言ってたのを思い出した。)
マルコが探してたのは二人と暮らした家?
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