チョコレートドーナツのレビュー・感想・評価
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邪魔な偏見。
同性愛に悩むパフォーマーと弁護士の二人と、母親が麻薬依存者でネグレクトされている子供の間に家族としての愛が芽生えるが、世間や常識がそれを許してくれない物語。
時代は1970年代のアメリカともあり偏見や差別が露骨に溢れている。裁判で「同性愛者は異常だ」と平気で発言し、特段問題ないような感じで裁判が続いている。
とはいえ現代でも性差別は無くなっていないし、なんなら自分だって気付いていないだけで差別をしているかもしれない。何十年後かに「こんな差別があったんだ」と思うような時代を生きているのかもしれない。
それでもその時の常識に囚われず、本当に大切なことを見極めなければいけない。難しいけど。
マルコの望んだハッピーエンドを目指して。
チョコレートドーナツを頬張るマルコの満面の笑み
ゲイのカップルがダウン症の子供を育てるという話。
可哀想だなぁなんてつい思ってしまいがちですが、普通と何も変わらない愛の物語です。
そもそも普通って?何?
ゲイのカップルなのに、まるで男女の恋愛を見ているかのようで、むしろ男女の恋愛以上に2人の強い愛を感じました。
そしてマルコの可愛いこと。
ダウン症の子ってなんか可愛いですよね。
アラン・カミングさんやギャレット・ディラハントさんの演技も素晴らしかったですが、マルコ役のアイザック・レイヴァさんも新人とは思えぬ演技力。
彼の他の作品も観てみたいと思いました。
普段、健常者として、性的マジョリティとして、生きている身としてはなかなか知れない彼らの悩みや苦しみを分かりやすく勉強することもできました。
ゲイだというだけで世間から冷たい視線を送られ、裁判でも不条理な証拠を作られてしまう。
ハロウィンは仮装だろ。
そもそも女装しようが、ゲイバーに行こうが何が悪い。
近年はようやくLGBTの考え方が浸透してきましたが、冒頭にも書いたように、最初は誰でも自分や周りと違う人を分けて考えてしまうと思います。
こういう映画がたくさん作られて(勿論、本人たちとの交流が1番ですが)、お互いをよく理解できるような社会になるといいんですが…
ラストは衝撃的でした。
マルコの好きなハッピーエンド。
現実が優しい世界になりますように。
家族の形は…
家族とは、愛するということとは、人が人を裁くということとは、いろいろ考えさせられました。
ルディの歌声がいつまでも耳の奥でこだましています。
法律ってなんなんだろう。
今の日本ではこういった偏見まだまだあるんやろなぁ。
次の人生では幸せになってね。
魔法が使える少年の話の続きは語られない。
あまりにも悲しすぎる結末。それは本編を見ている中でもいくつかの伏線で示されていた。特に一番分かりやすかったのが、魔法が使える少年マルコの話だ。
ハッピーエンドのお話が聞きたいマルコに語りかけるルディが話を始めるシーンが本作で2回ある。ここでルディは話し始めるが、昔々で終わってしまう。なぜならハッピーエンドが待ってるはずがないからだ。あまりにも悲しく切ないエンディング。涙が止まらないに決まってる。何度も見たいが二度と見たくない話。人生で一度は全人類に見て欲しい話。
血のつながりなんて関係ない。
たまたま隣同士に住んでいた、ゲイのルディとダウン症の少年マルコ。
ある日、マルコの母親が薬物所持の罪で連行されてしまいます。
ルディはそんな彼に愛情を持って、家族として一緒に生活をする決断をしますが、
世の中は法律も含め、彼への偏見で二人の関係が悪影響だと保護施設行きが妥当だとします。
この不利な状況で戦うゲイカップルの愛情溢れるお話です。
今でもLGBTQの差別偏見を無くそう。
現在、世間がその垣根が低く感じていて色々な生き方を受け入れようとしているが、
本作品は、1970年代のお話で実話がベースになっています。
この話は色々なメッセージがあると思う。
まず、差別という問題も大きなテーマであると思う。
そして、子供は親を選べないという事。
世の中で苦しんでいる子供が沢山いるんだと思うと辛い。
毎日の様に流れる虐待のニュース、何も罪がない子供が亡くなる現実。
色々と考えさせられる映画だった。
ゲイの映画だとか先入観と偏見を持たずに是非とも見て頂きたい。
悲しすぎる
すごく感動するんだけど、あまりに悲しすぎる。
この作品を見る前と見た後、ものの見方が変わりそうな衝撃を受けた。
テーマとして似ているのは「万引き家族」と「わたしは、はダニエル・ブレイク」だろうか。
法の隙間みたいなとこにいて、いわゆる常識じゃ守れない人たちを描いた作品。
幸せって人それぞれのものだから、
誰かが決めた”普通”じゃ叶えられない人が出てきちゃうわけで。
それって、たとえば法律とか常識とか
そういう巨大な力に踏みつぶされそうになったとき、どうするかっていう。
マルコの“ It's not my home."が、もう涙なしじゃ見てられない。
社会がどうのとか言うつもりは無いけど
家族の幸せ、子供の幸せと、自分の幸せを同じ線上に据えていきたいと強く思った。
最後にもう一度。
作品として素晴らしいのはもう脱帽するしかないくらいなんだけど
もうちょい救いを残してくれても良かったんじゃないの、とは思う。
マルコ~、うますぎるよ!!
マルコ~、演技がうますぎるよ!! 演技じゃないかな。でも、とにかく凄いよ~!!
いやあ、感動した。感動した。感動した。
当時(2012年)は、電通がLGBTという言葉を認知しているかの調査の第1回を行った年。自分は当時、残念ながら自信をもって、LGBTに理解はなかった。まさに無理解。たった8年前なのに。この映画に渦巻く無理解で冷酷な周囲とまったく1mmのズレもない。今だからこそ、こうやって観ているが、当時の俺は、毛嫌いして観なかっただろうし、観たとしても、一言、「気持ち悪い」で終わっていただろう。
そんな俺が今はこうして、観て共感して、感動している。映画のおかげだ。俺へのLGBT教育は、ほんとうに映画がしてくれたと思う。この5年間観てきた映画で、多くの学びを得た。次から次へと映画を観ていくことは、LGBTの理解というか、"差別とはなにか" を俺にわからせてくれたように思う。ゆっくりとだが、確実に。ありがとう、映画。
誰にとっても、「自分のために」観る価値があると思う。差別のない世界をめざすために。
「ある一人の人間について知ったうえで、知恵を絞ってください」(少し意訳)
「家に帰るのなら、道が違うわよ」このセリフが、こうラストにつながるとは…。
子を産んだだけで”親”になるわけではない。だから「子育て」は「(親自身の)個育て」とも書くという。
昔、放送大学で聞いた講義で「子が育つには、母性と父性が必要だ。けれど、母性を男性
が担ってもいいし、父性を女性が担っても問題ないという、(幼児を対象とした)調査結果がある」と聞いた。
そんなことを思い出した。
そんなことを裏付けるように、ルディとポールの表情がどんどん変わってくる。
正直、わざと毛むくじゃらのままにしている?と思いたくなるような、むさいルディ。最初の登場で、女郎蜘蛛かカマキリかという目力の勢いでポールを落とす。それが、ラストのシャウト直前の、鏡の前の表情。ちあきなおみさんか?と目を疑った。酸いも甘いも生き抜きながらも微笑んでみせる深みのある女性にしか見えなかった。うっすら無精ひげは健在だというのに。
はじめは、ルディを遊び用として接近してきたようにみえるポール。マルコに対しても他人事⇒ルディへのご機嫌取り。なのに、いつの間にか”父”そして”人生のパートナー”の顔になっている。
「ゲイカップルが障害児を育てた」という1970年代の実話と、監督カップルが養子を迎えようとした実話をベースにした映画と聞く。
『きのう何食べた?』のシロさんが常に備えているような老後の心配から、養子を迎えようとしているのではない。
ルディがマルコを手元で育てたいと希望する理由は「ひとめぼれ」以外には言葉では語られない。でも、表情で語ってくる。
”世間並”ではないマルコ。常に母から、ぞんざいな扱いを受けて隅にいるマルコ。ルディは自分を重ねたのではないだろうか。自分の性的嗜好をうまく隠し、社会に居場所を作っているポールに比べ、隠せない?ルディ。自分が親からやってもらいたかったことすべてをやってあげたかったのではないか。ありのままを認めることも含めて。
施設。
物語の中の施設で思い出すのは、『赤毛のアン』・『あしながおじさん』・映画『この道は母へと続く』…
今ではそんなに待遇も悪くはあるまい。とは思うものの…。
漫画『凍りついた瞳』にもあるように、児童福祉は、日本なら18歳で打ち切り。自立を求められ、昔の日本なら、住むにも、就職するにも、保証人を求められた。けれど、身寄りのないものは?今でこそ、お金で解決できる保証会社があるけれど。1980年代には、それゆえに日雇い等での稼ぎがありながらも木賃宿や路上で生活せざるをない人々がたくさんいた。
マルコの場合は?成人したら、日本なら、障碍者福祉という行政分野に移って、NPO法人系の人々のお世話になるんだろうな。でも、マルコが生きているこの年代・この土地ではどうなる?福祉的援助が続いたとしても、同じ人に支えられてなんていう望みはあまり考えられない。物流の”物”みたいだ。その時々の制度に合わせて配送先が決まる。
もちろん、ルディ・ポールの方が先に逝く可能性はある。けれど、彼らなら、そのことも見越して、一番負担ないように、マルコの居場所を用意しそうだ。映画『海洋天堂』のように。
親になるということはそういうことだ。自分が寂しいからとか、見栄とかの為じゃなく、子のありのままを認めて、子と一緒に成長して、子が受け入れやすい準備をすること。
雨露がしのげ、衣食住が保障される場所があればいいという問題ではない。勿論それは最低限の必要。
裁判。
ある法学者がその講義の中で「情が切れたときに、法が出てくる」と言った。
法で解決できる・答えを知ることができることもあるけれど、万能じゃない。
最近の、野田の虐待事件の裁判でも、相模原の虐殺事件の裁判でもそうだけれど、「それを法に照らし合わせるとどうなのか」しか論議されない。なぜそんなことが起こったのか、最善の方法は何なのかを調べる場所ではない。
この映画の裁判を見ていると、素人ながら、そこの反論こうすればとかつい口出ししたくなる。「あなたは子どものためにハロウィンで仮装しないのですか?」とか、「この人形をマルコに与えたのは?」とか、8ミリ録画はなぜ証拠として採用されていないとか、診察した医師を証人にしないのかとか。とか、とか、とか。熱くなる。
マクロな視点ではなく、その証拠が法的にどうかというミニマムな視点。痴漢・レイプ・DVの裁判でも、この小さな論点が、被害者に有利になる反面、場合によってはセカンドレイプにもなる。
親権をとるためには、法的な手続きが必要なんだけれど、法律では人生は図れない…。
この映画だけを見ると、麻薬常習者よりもゲイの方が環境に悪いって言っているように見える。けれど、これが、麻薬常習者カップルVS同性愛カップルの親権争いなら、両方却下だろうか。1970年代、今より同性愛へのあたりはきつかった。反対に、ピッピー等の存在により、コカイン・ヘロイン・大麻…麻薬等に対しては今より許容的だった。児童虐待の講義を聞くとほぼ必ずと言ってよいほど最初に説明されるヘンリー・ケンプ医師の『被殴打児症候群』がUSAで報告されたのが1962年。でも、それが一般的に認知されるはもっともっと後の時代…。
法は、私たちを守るもの。だから守らなければいけないと学んできたはずなのに。
ゲイカップルへの差別を描いた映画という人もいる。
でも、私には、目の前の人を大切にするということはどういうことかを、胸に刻む映画だった。
3人の、お互いを必要とし、お互いの幸せを考え喜び合う家族と、法的に”正しい”とされる人々とのズレや、マルコの顛末を、観客の胸に刻むために、あえてそうしたのだと思われるが、
マルコが天使過ぎて、ダウン症特有の子育ての困難さがまったく描かれていない。子育てを描いた映画ではないのでいいのかもしれないが、その困難さがあっても家族となりたい覚悟が描かれていたら、もっと「マルコのことについて考えてください」が地に足ついたのになとも思う。なので、-0.5。
尤も、二兎を追うもの一兎も得ず。配分を間違えると瓦解する。
マルコと過ごした日々をファンタジーとして胸に焼き付けるには、これが一番よかったのだろう。
愛を知りたい人は観てほしい。
(引用セリフは思い出し引用)
何度見ても涙なくしては観れない…
何度見ても、得るものがある作品。
最近やっと、社会が多様性を受け入れようとする動きが出てきてはいるが、
そもそも、「多様性を受け入れる、認める」と表現すること自体が傲慢であると気づかされる作品。
さらには、
「正しさ」とはなんなのか。
「愛情」とはなんなのか。
「法のもとの正義」とは?
「常識」とは?
「誠実さ」とは……?
個人にとっての最善の生き方、幸せは誰にも制限されるべきではないし、当事者以外が個人的な思想や常識を押し付けて型にはめてしまうというのは、どれだけ罪深いのか…
いま一度、これまでの自分の振る舞いを省みるきっかけになれる作品だと思う。
万引き家族で描かれた家族の定義をもう一度考える
個人評価:4.0
自分自身がLGBTの人達に対して、どのような考え方をしているのかを問いかける作品。
自分が判事ならどう判決しただろうと。
実の母親を前にして、マルコを引き取りたい気持ちの根底は、どこから来るモノなのか。
純粋にマルコの為なのか、それとも子供を産めないゲイのカップルの愛の象徴だったのか。どの様にも捉えられ、見る側も判断できない。
しかし、本作で1番伝えたかったテーマは、そんな大人達が集まって考えた決断でも、小さな命を守れなかったという事実。
本当の家族とは?血の繋がりだけが家族?そうじゃない。自分で選ぶ家族もあるはずだ。本当の家族になれるはずだった3人。それを認めない世界。
是枝監督が万引き家族で描いた家族のあり方を、別の角度で描いている。
劇中最後に母親の場所に帰り「自分の家じゃない」と訴えたマルコの言葉が印象的だ。
今の時代に見るからこそ、余計心に刺さる。
「泣ける話」という口コミと、長髪男子が微笑むポスターは知っていたけど。
マイノリティーな感じの話だし、ドーナツがどうしたの?。
と見逃していた自分に、喝!
まずポスターの青年が誰か気づいてませんでした。大好きなアラン・カミンとは。ますます喝!
いろんな人がいろんな生き方で、日々過ごしている今。
当たり前になりつつあるのは、過去にいろんな人が涙してきたからこそなんだな。
弁護士ポールは、最初ゲイであることを職場に隠し。ルディをいとこ扱い。
職場にルディとカップルであることがバレ(ここの上司が嫌味男)、クビに。
「偽りの人生を捨てて本当の自分に。今こそカミングアウトして、世界を変えよう」。
ルディの胸を張っている生き様が、かっこいい。
そんな二人とともに生活し、たくさんの愛情を受けてきたマルコ。
「寝る前にお話しして。ハッピーエンドがいい」。
健気じゃありませんか。
3人で過ごした1年間。多分8ミリで撮った記録が、胸をざわめかす。
「こんな幸せな日々は、そんなに長くは続かないんだろうな」って。
マルコを誰が育てるか。ルディたちなのか、それとも。
裁判の場面が多かったのも、意外な展開。
「深い愛って、なんだ?」。
今の時代に見るからこそ、余計心に刺さる。これを泣かずしてどうする。
実に奥深い作品。是非。
洪水警報な話
今の世の中、TVにフツーにゲイが出ているのに、
この映画の世界の70年代アメリカの容赦無い差別と偏見には、
かなり怒りがこみ上げます。
それでも必死で生きてるルディとポール、そしてマルコ。
マルコが笑ってくれたらそれで良い、そう思える映画です。
この映画、予告編と評判で期待値が高くて、
その期待値超えてきた映画は初めてでした。
話の結論は兎も角、サイコーな映画でした。
良い話じゃないけど、多くの人に観てほしい。
情の厚い主人公の魅力ったらないよ!
凄く良かった。
孤児の少年を必死に助けようとする主人公には頭が下がる。
冤罪に怯えたり世間体を気にしたりして、小さな手助けさえも戸惑ってしまう自分が恥ずかしく思えたね。
赤の他人
常識と非常識、意味合いは立場によって異なる筈で正しいとは多数決で決まるのか?
最悪な結果を招いてしまった後、常識を持った方々はどんな気持ちで手紙を読んでいたのかなぁ。
マルコは最後まで、自分が可哀想で苦しくて理不尽な目に遭っているとか思うことも理解出来ずに、、、。
理不尽で不愉快で常識ヅラして正しさを主張する人間には嫌気がするし、非常識と蔑まされても少数派の側にいたいと思える。
母親側だけは真っ向、反対だけれど。
桜井薬局セントラルホールにて鑑賞。
【余りに切ない物語だが、そこから問いかけてくるものを考えさせられる作品】
-2019年でも続く、児童虐待。-
しかしこの映画ではその問題に対して、マイノリティのカップルが救いの手を差し伸べているところに涙する。
切ない結末が提示されるが、これが現実、スクリーンから"何とかしろよ!"と言われたような記憶がある。
中途半端なハッピーエンドに終わらせなかった所に、この作品を作った方々の矜持を感じた作品。
<2014年10月11日 劇場にて鑑賞>
タイトルなし
新しい机を買ってもらって嬉しいシーン、
DVDをポーズしてしばらく泣いたよ。
感動してむせび泣いてしまいました。
世は 実の親が子供を虐待して殺してしまう時代です。
「親子の愛」は自明のものでも本能でもない事の証明が、毎日のニュースで嫌というほど僕らに突き付けられています。
もしかして
一緒に暮らそう、
愛し合う努力をしよう、
家族として守り合おう。
・・こういう理性の決断の伴わない家族―一般的な無自覚な家族―は、実は本当のところ、血はつながっていてもどこか非常に危うい落とし穴を抱えているのではないかなぁ。
保護の必要なマルコをどこの誰に託すのがベターなのか、この映画を観た各人が自分の答えを出すべきなんだと思います。
それは
「あなたが手を挙げるべきなのかもしれない」
という選択を含めて。
エンディングは
どうして?!
どうしてよぉ・・・涙でした。
僕の映画人生で大切な1本です。
同性愛への差別
1970年代、ゲイのカップルが障害児を育てたという実話を元にして作られた作品。
作品自体も1979年を舞台にしており同性愛者への偏見が根強い。世間の同性愛者への差別とそれによるゲイのカップルがダウン症児を引き取り、育てていくことへの難しさを描いています。
同性愛への理解が示されてきたのはほんとここ最近なような気がします。とはいえまだまだ偏見や差別はあるでしょうが、約40年前となるとさらに世間から同性愛者への眼差しは冷たく扱いも酷いということがよく分かる映画でした。
薬物中毒の実の母親よりも、子どもへの愛情を抱いているはずなのに世の中の同性愛者は異常だ。子どもには悪影響”という偏見によって引き離されていく…
同性愛者だから、本当の親じゃないからという理由で愛情を否定していい理由にはならないと感じました。
最後には号泣です。
愛に溢れる
これは、愛と悔しさで溢れている映画です。
ルディがマルコを見つめる目に、これ以上ない愛を感じます。そこには性とか血縁とか関係なく、純粋に優しい気持ちがあります。
私はこんなに深い愛を誰かに向けたことがあっただろうか?今後あるのだろうか?そんな日がくればいいな。彼らが羨ましくなります。
幸せを具現化したようなホームビデオのシーンは、泣きそうになります。
一方で、3人の間には確かに愛があるのに、それが認められないことがとても悲しくて悔しいです。
差別や偏見の中で「正義」に抗う術がないことが悔しい。
ラストは3人の叫びです。
役者たちの好演にも拍手。マルコ役のアイザック・レイバは彼自身ダウン症なんですね。俳優として活躍している姿に勇気をもらえます。
大いに見る価値のある映画です。
全228件中、41~60件目を表示