4歳の時に「自ら捨てた」という実の父親ですけれども。
やっぱり血は水よりも濃かったとみえて、それで借金を引き受けた上に、船小屋があると聞いて、はるばる奥能登まで越してきたということなのでしょう。
それまでの生活を引き払い、廃屋同然だったという船小屋を改装してヨダカcoffee開店にこぎつけるまでには相当な費用がかかったことでしょうし、絵里子には金沢のキャバクラ店よりも良い金額の給料を払うためには、それなりの「原資」も必要だったことでしょう。
(ウチは、強盗に入られるほど、儲かっているからと、笑い飛ばす岬ではありましたけれども。)
岬にとって、生き別れた父親が万に一つ、億に一つでも戻って来る可能性のある船小屋に居を定め、そこに生活の基盤を築くことが、それほど必要だったのだと受け止めました。評論子は。
あと、彼女が名付けたコーヒー店の店名から推して、彼女が人間関係か何かで、問題も抱えていたのだろうと推察しました。「謎の男」が押しかけてきたのも、そのことに起因しているのだろうとも思いました。
(観落としたのかも知れませんが、それがどんな問題だったかは、本作には描かれていなかったと思います。)
一度は引き払った船小屋でしたけれども。
戻ってきたのは、父との関係性が築けなかったとしても、今度は絵里子一家との関係性を大切にしたかったら。
その関係性も、やっぱり、水よりも濃かったと言わなければならないのだと思います。
主演の永作博美の好演技もあり、佳作としての評価が適切と思います。評論子は。
(追記)
本作を観るきっかけとなったのは、先月(令和6年4月)に、災害派遣要員として石川県輪島市に派遣になったことでした。
帰道後に、石川県内を舞台にした作品を探したところ、奥能登(珠洲市)を舞台にした本作が見つかったというわけでした。
(追記)
映画作品としては、決して悪い作品ではなかったのですけれども。
しかし、本作は上記のとおりに「舞台が奥能登」ということに着目してチョイスした一本だったので、「舞台が奥能登である必然性」というものが、あまり…というか、ほとんどなかったことが、少しばかり…というか、評論子的にはけっこう残念な一本ではありました。
ヒューマンドラマとしての本作の「出来映え」から言えば、あくまでも評論子の受け止めの問題に過ぎないことなので、映画作品としての減点要素とは、いえないだろうことを、付言しておきたいと思います。