青天の霹靂のレビュー・感想・評価
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子供の知らない親の事…気持って…知る必要ないのかもしれないけど…知ったらきっと幸せになれるのかも…
親として…子供として…どちらの目線で見ても何か感じるの事の出来る作品です。出演の皆さんも押し付けることなく自然に作品の中にいて素直に見ることが出来ました。そして…ヤッパリ見てるこちら側も…抑えなれなくなります。嗚咽するほど泣けました…
原作が読みたくなりました。
昨晩、レイトショーで「青天の霹靂」を観て来ました。 これはダメですね。涙が止まりませんでした。 劇団ひとりさんの初監督作品でしたが、笑えて泣けて楽しめました。 爆笑問題の太田さんが、絶賛するのも頷けました。いい映画でした。
一粒以上の涙
劇団ひとり、原作・脚本・監督・出演の作品。一人いったい何役なんだ(笑)。 「笑いと、たぶん一粒の涙の物語」がキャッチコピーのこの作品。涙は一粒じゃないですよ。いや、実際には泣きませんでしたが、少なくとも2回泣きそうになってしまいました。ちょっと冗長だと思うようなカット割りもありますが、初監督作品にしては、中々だと思います。ただ、映像の雰囲気、カット割りから感じるのは、基本的に、劇団ひとり監督は、あまり明るい性格じゃないんじゃ無いかと・・・。何となく、物悲しい映像なんですよね。 それと、大泉洋も良いですね。芸達者です。手品のシーンも、吹き替えなしで大泉洋自身が演じたそうです。撮影の合間にも、だいぶ練習したらしいです。それだけに、見事でしたね。終盤の鳩を出すシーンは、カッコ良かったです。 柴咲コウも素晴らしい。美しく、強い女性を演じています。それと、劇団ひとり監督は、女優になんか必要以上のあこがれが有るんですか?花見の時、悦子が桜を見上げるシーンが、何か少女漫画チック・・・。そう言うところは、直して欲しいですね>劇団ひとり監督。 この作品は、監督がロケにこだわったという事で、全編オールロケ。浅草雷門ホールのシーンは、長野県上田市の劇場を急遽雷門ホールに見立てて(改造して)撮影したそうです。宣伝番組で上田市を訪れるシーンが有ったんですが、その劇場は、雷門ホールの姿のままでした。 いや、それにしても、期待以上の感動。一粒以上の涙。劇団ひとりって、多彩だな。
まさに蛇足!
上映前に中島哲也監督の「渇き。」の予告編を見ました。どうやら、ロクデナシの狂った人間たちが大勢、登場するイカレタ映画で、過激なまでの映像や演出に彩られた映画であるようなのです。余り、観たくない映画です。中島監督には関心があるものの、最近の映画って、殺したり、殺されたり、殴ったり、殴られたり、殺伐としたものばかりだな、と思わず、溜息をついてしまいました。 この映画の監督、劇団ひとりは山田洋次の「男はつらいよ」が大好きとの事だったので、この作品も穏やかな人情劇なのだろうな、と想像しながら、上映に臨みました。大泉洋はなかなかの演技力でしたし、脇を固める柴咲コウや風間杜夫や笹野高史もなかなかでした。しかし、若き日の父親役の劇団ひとりがいけません。昭和48年にあの髪形はないでしょう。まるで、ウスラバカのk-popスターです。当時の若者の髪形は七三分けか、肩まで伸ばした長髪のいずれかが、大半であったと思います(ここで☆半分減る)。そして、なにより失望したのか、エンディングです。現代に戻った大泉洋が警察から携帯にかかってきた電話により、発見されたホームレスの死体が、父親と別人だったことを知らされるのです。すると、そこに、現在、生きている父親(顔はぼかしてありますが、演じているのは劇団ひとりです)が通りかかり、大泉洋とことばを交わすのです。私はあっけにとられました。信じられませんでした。このご都合主義の脚本、一体、何なのでしょう。つい今しがた、この作品を観て、流した涙を返してくれ、と云いたくなりました。まさに蛇足です。(ここで☆2つ減る) 基本的には、劇団ひとりには映画を撮る才能が十分備わっていると思います。その才能を無駄にしないためにも次回作は、脚本を徹底的に練り上げてから、撮影に臨んで欲しいものです。
期待通りに良い作品でした!!
監督が劇団ひとりなだけに笑いあり。また、大泉洋との絡みも抜群にマッチしていて全体的にまとまっていてとても良い出来でした。 ただ、最後の一押しがちょっと弱かったかと…そこさえしっかりしていれば間違いなく名作でした。 まぁ、初監督作品でここまで出来れば十分ですけど、次回作以降に期待を込めて秀作だったと評価します。
臭い
とにかく大泉洋の演技が臭い。彼女のタンポンの匂いみたいに臭い臭い。手ブレ臭い、アングル臭い。脚本臭い。エンドロールでミスチル??臭い臭いよ。劇団ひとりさんのアドリブ芝居の延長のような映画。とにかくみんな臭くて。リアリティが一切なく。誰一人に感情移入できない、ファンタジーだった。
初監督作品としてはまずまず
売れないマジシャンが過去にタイムスリップし、憎しみ続けてきた両親と出会い、自分の出生の秘密を知っていく姿を描くヒューマンドラマ。物語としては感動的だが、映画としての展開がややゆるく感じた。劇団ひとりにとってはこれが初監督作品。これからももっと映画を撮って欲しい。
笑いと感動を同時に味わえる
序盤は晴夫(大泉洋)と正太郎(劇団ひとり)の掛け合い、漫才にたくさん笑わせてもらいました。 そしてクライマックス前の晴夫と悦子(柴咲コウ)の病室でのシーンは涙なしでは見られません。タイムスリップしたことで徐々に判明していく出生の秘密と母の思い。最後の場面にはもう一捻りあってもいいかなとも思ったけど、あの言葉にこの映画のテーマが凝縮されているのではないかな。 育ててもらった親への感謝を再認識する意味で、いろんな人に見てもらいたい映画だなと思いました。
涙が止まらなかった
「青天の霹靂」を鑑賞。惨めな人生を送る主人公が生きる意味を見失い、出生の秘密を知り、父と母の深い愛情に生きる喜びを取り戻す姿に感動しました。この映画に出会って改めて自身の亡くなった父、産んでくれた母に感謝の気持ちでいっぱいです。ミスチルの「放たれる」が感動的な話を盛り上げてます
どうかと思ったけど面白かった
劇団ひとりが初監督ということで正直そんなに期待してなかったが、大泉洋が好きなので見た。見てみたら意外に面白かった。しかも場面の一つ一つがとても綺麗だからDVDやBlu-rayではなく映画館で見るのがお勧め。ラジオで爆笑問題の2人が絶賛していただけのことはあったと思う。
涙をお忘れなくお持ちください。
この、映画には涙は欠かせない。 ラストのジワジワと来る熱いものに筆者もやられてしまった。 1人で、中央の席で試写会を見ていたのにも関わらず、ホロリと一粒の涙が流れてしまった(笑) 途中の流れも良く、面白さも欠かしていないところが良かった。 是非、皆さんも見て見てはいかがでしょうか?
懐かしく温かい
劇団ひとりによる原作、脚本、監督、出演と四役務めた本作品は、昭和版「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と言えるかもしれない。 だから昭和世代である私にとって、この映画は懐かしく、そして描かれた親子のドラマに温もりを感じる。 母に捨てられ、父とは絶縁状態である39歳の売れないマジシャン・轟晴夫に、ある日警察から父の訃報が届く。 妻子も無く、父が死んだことで天涯孤独となり、マジシャンとして今後目が出るとも思えないどん詰まりの彼は生きる意味を見失ってしまう。 そんな絶望の淵にいる彼に青い空から雷が落ちる。 そして気がつけば、そこは40年前の浅草。 タイムスリップした彼は、偶然にも若き父と母に出会う。 ひょうんな事から当時マジシャンだった父とコンビを組まされ、浅草の演芸ホールに出る羽目になる。 若き父と母と接していくうちに、彼は自分の知らなかった両親の姿や思いに触れていく。 そして次第に明らかになる自分自身の出生の秘密。 果たして時を越えて出会った親子はどのような結末を迎えるのか? 映画の中で披露された見事なマジック同様、監督デビュー作とは思えない劇団ひとりの演出や絵作りが冴える。 笑いも一杯の作品だが、終盤に向かうにつれ、胸を熱くするドラマが待っています。 マジックによって紙のバラが本物になった時、あなたの心にも一輪の花が咲くかもしれません。
両親に有難うって感謝できれば、その気づきで人生を変えられる作品となるだろう
劇団ひとりの原作・監督だけにコメディタッチを予想してきたのに、意外とシリアスで、心温まるヒューマンドラマだったのです。映像には、劇団ひとりの性格が滲み出ていて、カット割りが細かく丁寧。テレビで見せるひょうきんさや切れキャラとは違って、内面は、几帳面でナイーブな感性の持ち主なんだろうなと感じました。
全体としては短めで、もう少し主人公の春夫がマジッシャンとして活躍するところを見たかったのですが、最後の春夫が語るひと言がこの作品のテーマだったとしたら、そこでさくっと終わるのが正解だったと思います。
春夫と同じように、人生に行き詰まりを感じている方にはお勧めの作品です。春夫のことをけっして他山の石とせず、ご自身の許せなかった両親と向き合い、春夫のように反省と感謝の思いにつなげることができれば、その気づきで人生を変えられることができるドラマなんだとお勧めしたいですね。
物語は、ホームレスとなって音信不通だった父親・正太郎が荒川の河川敷で病死したとき、その惨めな姿が自身と重なって春夫が号泣したとき、まさに青天の霹靂で、空から巨大な落雷が彼を直撃するのです。気がついたら昭和48年の自分が誕生する直前の時代へタイムスリップしていたのでした。その時代で偶然正太郎と再会するまでが少々長いプロローグとして語られます。
ラストシーンを見る限り、本当にタイムスリップしたのか、それとも幻想か定かではありませんでしたが、確かにいえることは、春夫が父の死をきっかけに、自分の潜在意識に押し込んできた本当の記憶を取り戻すために、心の旅をしたことです。
正太郎と向き合ったときは裁くこころが抑えられず、春夫がことごとく反発するところは爆笑で綴られます。けれどもネタバレが進んで、母親となる悦子から、生まれてくる子供は、どのような子供になるのか未来を予言して欲しいとせがまれたときに、言葉を詰まらせながらも、「きっとその子はあなたを誇りに生きていくことでしょう」と応える春夫の台詞と表情に涙を禁じえませんでした。
春夫の記憶では、正太郎はまともな仕事につかず、春夫の養育すら放置して、姿をくらましたとんでもないバカ親父でした。母親については、正太郎から好きな男ができておまえを置き去りに逃げた酷い母親なんだと聞かされていたのです。だから春夫は両親に裏切られたという強い怒りを持ち続けて、大人に。
マジッシャンとして腕は確かなのに、人前で喋れないという芸人として欠点を持ってしまったのも、両親に愛されていなかったトラウマから、ついつい自分はだめな人間なんだという思いぐせがついてしまったのです。
でも、人は自分がしてあげたことや傷つけられたことは執念深く憶えていますが、人から受けた恩というのは忘れがち。たとえ赤子でも実は誕生時に受けた両親からの深い愛情を強く記憶しているものなのです。その後の子育ての苦労などつぶさに思い起こせば、両親から受けてきた恩とは、どんな深海よりも碧く心に染みいり、どんなに星霜を重ねても尽きることはありません。
タイムスリップした春夫は自分の出生時の秘密を知ります。そして自分がどんなに独りよがりで親を呪い続けてきて、恩知らずだったのか悟るのです。ネタバレを避けますが、少なくとも悦子は、夫と春夫を裏切っていませんでした。そして、春夫の誕生を心から祈っていたのでした。そんな悦子が心を込めて書いた絵馬を見て、春夫は愕然とするわけですね。自分は生まれてこなければよかったんだとさえ思っていた春夫でしたが、こんなにも愛されて、期待して母は自分を産もうとしているのだと思い知らされるのです。
正太郎も自分が生まれることになって責任を感じて、マジッシャンで大成することを諦めて、「定職」に就きます。その動機も春夫にとって意外でした。
但しマジッシャン同志だった正太郎と春夫は、浅草の演芸ホールでコンビを組み、春夫の驚異のスプーン曲げのネタで一世を風靡しそうになっていたところだったのです。そんな春夫に嫉妬して正太郎は逃げ出したのかもしれません。逆に春夫は、苦手だった語りも滑舌になっていき、芸人としての地歩を固めます。
ふたりの芸に対する違いを見ると、未来を知らない正太郎と骨身に沁みるほど味わっている春夫では全くモチベーションが違ってきました。タイムスリップして過去をやり直すとこうことは、それ自体が反省そのものであり、至らないと思ったところを修正していく中で、希望も生まれて、俄然やる気になって、運命が拓かれるものなのではないでしょうか。
惰性に流されるままのダメ男ぶりをまるで充て書きで描かれた春夫役を演じる大泉洋がまさにはまり役でした。タイムスリップ後の春夫には、そんなダメダメな未来から何とか抜け出したいし、自分の父親も救いたいという思いがヒシヒシ伝わってくる演技でした。 春夫よりも刹那に生きている正太郎の性根のなさとすぐ切れる喧嘩っぱやいところを劇団ひとりがよく演じていました。ただ正太郎よりも存在感を見せたのは、悦子のほう。普段は優しく微笑んでいるのに、正太郎が弱音を吐くと、豹変してビンタする柴咲コウらしい気性の強さを見せつけてくれました。
最後に、タイムスリップ後の浅草の歓楽街がまだ賑やかだった頃の描写が凄いのです。あまりCGに頼らず、小道具やら当時の乗り物などかなり細かいところまで揃えて、昭和の雰囲気を醸し出していました。そんなところにも監督のこだわりの強さと東宝映画美術部の意気込みを感じる作品でした。
全241件中、221~240件目を表示