愛の渦のレビュー・感想・評価
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人間模様
なんか、もっと
エロスがテーマなのかと思いきや
違ってました。
初対面での気まずい探り合い、
致すごとに変わる空気感、
フリーター男が繰り出す男社会の威嚇ポーズ
女同士のディスリ、
下の階にみんなで野次馬、、
参加者同士のコミュニケーションに
妙なリアリティがあって。
裸でセックスのために集まっているのに
ルックスとコミュ力と社会的地位で
品定めし合う生々しさがなんとも滑稽でした
面白いかといわれると…?
キワモノかと思いきや
このメンツでこれだけのことするかという驚きがどうしても先に来てしまうけど。徐々に引き出されてくるものは結構えげつないが、コメディ要素でそこまで辛くならずに済んだ。
最後はまあ苦笑いっす。
カメラワークと編集がなめらかな箱型劇場
乱交パーティという閉じた空間に、約5時間を過ごした男4人、女4人の在り様を描く。演劇型箱型の演出で、まさに観客もそこに居るようなカメラワークは効果的だった。オペラのようなBGMがいかにも人間の在り様を俯瞰、達観しているような印象を感じた。
乱交という、性欲がむき出しになる設定が、人間の生々しさを描くにはもってこいの設定だったのだろうか。ただSEXをするだけではなく、そこに至るまでの互いの距離感を探るところから、SEXをしてから、お互いの負の感情までをぶつける様は、まさに劇場型の演出だったし、落差も感じてよかった。なんといっても、カメラワークが自然で、パンやチルトが少ないので観やすく、編集のつなぎもなめらかで、観るものがそこに居るような感じを得た。
俳優では、門脇麦や中村映里子がヌードで体当たりの演技をしているし、池松壮亮も裸体をさらして役者魂をみせている。とくに、かなり太めの女性に犯されるように上に乗られて、苦悶の表情でSEXしている様はシュールでおもしろかった。
乱交パーティでの自分が、ほんとうの自分だと思う主人公と、そうではないと思う他社との乖離。それぞれ、自分のほんとうの姿をどのようにとらえているのかで、違いが出るのかと思えた。
少し切ない
「乱交パーティ」というテーマがまず面白くて。そして、中味は意外に真面目だった。
もしかしたらリアルからかけ離れた部分もあったのでは?という疑問は少し残ったけれど、凝っていたので興味深く見ることはできた。
最初の緊張やぎこちなさ。明け方近くのダレて疲れてくる頃のイライラ。カーテンが開けられ眩しい光に照らされ瞬間、現実に引き戻される興ざめ感。こういう感覚って共感できる。
常連さんだと皆に思われていた女は実はサクラだった?場を提供する側の現実。
店じまい後、イライラを隠しきれない助手の携帯に、父親になったよ、というメールがくる。生活がかかっている。彼にも現実がある。
夢と現実の間で、つかの間の楽しみを得ようとする参加者たち。商売上の設定の上で転がされているのにすぎないわけだけど。きれいに切り替えて楽しむことはなかなかできない。現代人のどうしようもなさを感じる。
ニートは、その設定の世界にさえ自分らしさを見出そうとする。片や女子大生はその設定の中の自分に嫌気がさす。
少し切ない。
ヤるだけ…なのか?
とあるマンションに集まったセックスがしたい男女8人。
午前0時〜午前5時まで。
ちゃんとゴムを付ける、行為・トイレ後は必ずシャワーを、女性の意思尊重、乱暴はしない
あとはご自由に。
裸で放たれた男と女の欲望に塗れた一夜の物語。
今年は門脇麦の出演作を新旧ともによく観ている。
セックスと会話劇を交互に挟み込み、決してエロだけで終わらせない飽きない作り。
ただし、展開は物凄くゆっくり。
普通なら半分くらいにできるが、あえて思いっきり時間を使ってぎこちない男女の“交渉”を描く。
ドラマ『初情事まであと1時間』でも思ったが、三浦監督はぎこちなさの天才だ。
なかなか言い寄れずにずっと気まずい雰囲気となるあの空間。
物語上、主人公が陰キャの池松壮亮と門脇麦ってのも面白い。
別にハブられてるわけでもないけど、会話に全く参加できない人っているよね。
自分も「〇〇君は?」と聞かれてから話に参加するタイプなので、ずっと黙り込んでる2人は自分を見ているようで苦しい。
気まずい雰囲気→打ち解ける→本音→気まずい雰囲気→新たなる刺客→和解
2時間の会話劇でこの心情変化。
少し打ち解けてもすぐに気まずい雰囲気に戻るような、このダラダラ感が堪らない。
誰とヤるのか問題で現れるそれぞれの本性。
セックスを通して現れる差別や偏見。
顔が良いからヤるのか?
好きな相手だからヤるのか?
乱交パーティーとはいえ、きっと誰でもいいわけではない。
体の相性ってものがある。
平等とか公平とかあるけれど、やっぱり相応の相手とヤるのが一番良いんじゃないだろうか。
セックスで集い、セックスで拒絶して、セックスで分かり合う。
普段の生活にも応用可能な他者とのコミュニケーション。の究極型。
「好きになってんじゃねぇよ」「ここ、風俗だから!」
新井浩文の他愛ないセリフが一番響いてしまうという、なんとも…
【セックスを通して見た人間関係・社会の縮図】
池松壮亮さんが、「Summer of 85」の監督フランソワ・オゾンさんとEテレのSwitchで対談した際、自分はセックス俳優みたいに言われることがあると吐露していて、そのきっかけが、この作品ではなかったのかと思った。
“ここには意味ありげで、かっけーことなんて、ないっすから”
窪塚洋介さん演じる乱行クラブのスタッフがエンディング近くに話す言葉だ。
僕たちの世界に向けた皮肉な言葉のようにも聞こえる。
これは、乱行クラブというシュールな空間で繰り広げられる会話やセックスを通じて、参加者のあいだに生まれる連帯感とか、反目とか、イジメや、嫉妬、ちょっとした恋愛感情まで含めた人間関係や社会を見つめたユニークな作品だと思う。
初対面で恐る恐る紹介し合う場面は、まさにそのものだ。
職業なんかで人物をカテゴリーしようとしてみたり、保育士なんて皆んなセックス好きと謙遜とも卑下とも取れる説明も似たようなものかもしれない。
少しよそよそしくても、セックスをして一気に距離が縮まる感じは、男女関係そっくりだ。
一旦、連帯感が生まれると、今度は連帯感を強めるかのように、臭いとか、年齢とか、体型を取り上げて、他者の悪口を言ったり、攻撃したりするのも、僕たちの社会のまんまだ。
他人のセックスを見ようとするのも、ゴシップ探しをするようでもあり、相対的な自分のランクを探る行為のようにも思える。
ほら、皆んなセックスが好きなんだよとか、
他の人はどんなセックスをするんだろうか、
どの程度感じているんだろうか、
本当にイッてるんだろくかとか。
こんな中で、門脇麦さん演じる女子大生と、池松壮亮さん演じるニートは異質だ。
女子大生は、心の中に巣食うセックスへの渇望を抱え、自分は変なのかと悩む存在のように思える。
ニートは、社会の中で取り残されたような孤独を抱え、ここに来たのは、セックスもそうだが、人間関係を求めているようにも見える。
もしかしたら、ニートに芽生えた感情は、”初めての”好きだったのかもしれない。
女子大生にも似たような感情が芽生えていたようにも感じる。
しかし、思いとどまろうとする気持ちが勝る。
セックスは男女の関係を接近させるけど、セックスがきっかけの恋愛なんてあるんだろうかと、セックスの二面性も示唆しているようだ。
セックスを通して人間関係や社会を見せると同時に、セックスと恋愛の関係性も考えさせられるユニークな作品だった。
でも、思い出して欲しい。
“ここには意味ありげで、かっけーことなんて、ないっすから”
僕達の世界も同じかもしれない。
※ ところで、この作品で初めて門脇麦さんを知ったのだが、最後にファミレスを立ち去ろうとする時に、振り返って立ち止まる場面があって、その時の門脇麦さんはものすごくキレイだと思った。
あと、セックス場面多めの映画は総じてスコアが低めなのは、高スコアにするとエロいとか思われそうだからとかだろうか。
乱交が美化されていない
笑える要素がたくさんあって面白かった。
柄本カップルもうまかった。
麦ちゃんばり可愛い。好きになった。
乱交パーティー興味あるけど、リアルではそんな上手くいかないんだろうなぁって勉強になった(笑)
そりゃあ人間が集まれば、気まずさ、陰口、カースト、色々生まれるわなぁ…
ある種のコメディ
うーん、愛のないセックスって頑張れば頑張るほど滑稽。
タオル一枚巻いている間は理性やプライドや羞恥心が渦巻いているのにタオルを外してからは全てをお互いにさらけ出しその姿をお互いに見物して笑ってみている。
コメディ要素を含みつつも最後まで下を向く池松のニートと門脇の女子大生が重苦しく
3度目のセックスでようやく舌を絡ませ
愛が芽生えたようにみえてもそれは一晩の幻想で
日の光の中素にもどるメンバーが白々しく可笑しい
途中乱入でみんなから疎まれる不細工なカップルと
週に5回来る常連と店長のカップル
そして、下働きで嫌な役目をしながら愛する人との間に子供が産まれたスタッフ
そこに浮かび上がる愛は歪んでいるかもしれないが
本人達にしかわからない愛があるのだろう。
愛と欲望の物語。
これが舞台でやっていたって凄いな〜。
面白い映画だけれどあそこまで濡れ場やるほどの作品ではないよ、麦ちゃん。と思ってしまった親心。
僕は知っている
はっきり言って乱交パーティー経験有ります。だからこの感じジワリます。本能がどうとか作家がどうとか何だかなあ?
製作陣、かなりのリサーチしましたね。あの空間ではやる事は一つなんです。恋愛感情など有るわけ無い!
裸体より裸になる人間の心、入り交じる 欲望の行方と
こういう作品は間違いなくチヤホヤされ、屈折した形で作品が目立つ。しかし、人間の奥深き欲望や心理を深く表現する三浦監督には関係ない…と観た瞬間から感じる。
裸な男女が思うままに交わしていく。そのなかで見えてくる本音や嫌味が、なんとも臭くてたまらない。互いの見栄や維持はあっさりと剥がされ、裸よりも裸になっていく人間味が面白いのだ。名前も知らない彼らは、体だけを知って、あとは会うことがないと思うとまた、可笑しく思える。
営みは生殖のために必要な本能であり、それを分かっていながら仕事をこなす運営、その姿がどこか切ない。卑しく見えるからなのか。まだ、心で笑ってしまう。
清濁の分かち方が恣意的過ぎ
新井浩文、駒木根龍介、中村映里子の3人を悪者にし過ぎてる感じで途中から急激にイヤになる。乱交クラブの運営側なんてどんなヤバい人達かわかったものではないのに、普通一般人があんな風にクレームつけられないと思う。
ア○コが臭い呼ばわりされる三津谷葉子が非常にかわいそうである。
なんでこの3人を悪者にしたか。池松壮亮と門脇麦の恋愛を相対的に美しく見せるためなのだろうけど、作り手の意図が見え過ぎてつらい。そもそも別に悪者にしなくてもこの2人の恋愛はそこそこ煌めいて見えていた。
とは言うものの、恋愛っぽくなる2人の間にそれらしい会話が交わされないのも、いくらこの2人がコミュ障キャラだとしてもどうなんだろうと思う。
結局セックスと恋愛の違いって何?というようなことがテーマになってくる話だと思うのだが、描かれていかないので間延びして感じる。
池松壮亮が別の女とセックスしてしまったという時に門脇麦は彼にどんな言葉をかけたのか?2人はどんなふうにその後再びセックスするに至ったのか?ドラマとして見たいポイントがスルーされてしまうので気持ちが盛り上がって行かない。
女にとってはあの夜は非日常、男にとっては日常。と、すれ違いでオチをつけてあるが、あまりにも普通だ。ドラマの外にそれぞれのキャラクターの日常があるという事も、そんな事描かれなくても分かってるよと思ってしまう。
これはすごい
絶対に忘れられない作品。麦ちゃんの体当たりの演技、すごい。性というものの、それぞれの考え方。命がけな人、遊びの人、趣味の人、傷を癒す人、命を感じる人。行きていく上でセックスは欠かせない。
何も生まれない性交
みんなノリノリの乱交パーティーなのかと思ったら、
始まりはお互い探りの会話から入っていく。
「初めてですか?」「場所分かりましたか?」
合コンと違って一切名乗らないので、会話もぎこちない。
こーゆーところで堰を切るのは女慣れしたフリーター(新井)。
追随するフツーのサラリーマン(滝藤)。
見よう見真似で誘ってみる童貞のデブ(駒木根)。
そしてニート(池松)とブスな女子大生(門脇)が残される。
一戦が終わると、今度は猥談で盛り上がり、
フリーターとリーマンで相手チェンジ。
デブとニートは変わらず2回戦。
3戦目はフリーターが女子大生を指名。
遮るニート。恐らく恋愛感情が芽生えてる。
裸同士の彼らの本音が剥き出しになっていく。
そんなノリノリな乱交パーティーなんてありえないだろう思っていたら、
体をどれだけ重ねても相手のことなんて分からない、という、
この心情描写はかなりリアルだと思う。
途中で変なカップル(チンピラとデブ女)乱入は、
そのカップルの愛の確認とか言ってたけど、
実はニートと女子大生と距離間の確認だったんだろう。
ニートはその後も女子大生とやりまくり終了。
ニートの感情の行く先は・・・、といった感じで、
ロジックもよく出来てると思う。
直前に「愛の流刑地」を見て、あの不自然な関係より、
こっちの方がよっぽどリアル。
「笑うセェルスマン」でも言っていたが、
“人間関係は、浅ければ物足らないし、深ければ煩わしい”
この事が、この映画には集約されている。
しかし、相変わらず池松の役は台詞が少ないなー。
「なんかしゃべれよ」と何度もつぶやいてしまった。
女性陣の裸はスレンダーな方ばかりで、
自分的には50点でした。(デブ女は論外)
門脇のベッドシーンはちょっと不自然。
喘いでるんじゃなくて叫んでる。
地味に役者が豪華なのが面白い。
因みに男性一晩(0時~5時)2万円なら安くないかと、
かといって参加しますかというと、悩むなー。
保育士(中村)とOL(三津谷)くらいが来るなら行くな。
(ハイ、ゲス決定)
乱行という非現実感とリアルな空気感
顔も名前も知らずにとあるマンションの一室に集まり、夜通しの乱行パーティーを繰り広げる10人の男女を描いた作品。
服を着ている時間が18分30秒しかないという斬新なキャッチコピーで公開された今作。
SEXを通して明かされる参加者同士のヒエラルキーや本音など生々しい描写でエロ映画よりも人間ドラマ的な面が強い作品であった。
序盤の気まずい空気の中で徐々に関係を詰めていき、序盤に打ち解け始めた4人の男女と特定の相手とし続ける4人の男女の2グループ間で生まれるどことない不穏感がもう最悪で(褒め言葉)、マウントを取っていたはずの4人の男女も内輪で陰口が囁かされ始め、もう人間ってホントに最低で最悪で面白いと思った(性格が悪い笑)
主演は池松壮亮。
相変わらず俯きがちなニートの役が多すぎる笑
そしてそれがとても似合う笑。
ヒロインは門脇麦。
体も張ってるし、声も張っている。
快感ではなく、苦痛なのではないかと思うほどの喘ぎ声を見事に披露。女優魂や。。
中盤あたりで本来の目的通りに楽しんでいた新井浩文が池松壮亮に放った一言がとてつもなく刺さる。
この一言に大いに凹む笑。参加してたわけでもないのに悲しくなった笑。
さらにラストのシーンで心が失くなる。。
2時間分のドギマギ感を返しておくれ。。
好きだった
欲を前にすると人の本性見えちゃうよね〜という感じ。
最後の女子大生の「あそこにいたのは私じゃない」という台詞から、欲だらけの人間の醜さも美しさもおかしさも全部愛おしいよねと言いたいのかなと思ったし、私はそう受け取った。
行為に至るまでの会話なんて見ていて恥ずかしくなったし笑いが止まらない、不思議な感覚。
生身の人間というか、肌色の人間だからこそ伝わる感覚があって、人間って愛おしいなと思える映画だった。
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