天国の門 デジタル修復完全版 : 映画評論・批評
2013年10月1日更新
2013年10月5日よりシネマート新宿ほかにてロードショー
“呪われた映画”を体感する意味は、過去よりも現在や未来と結ばれている
「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」脚本の助っ人に駆り出されたオリバー・ストーン。不眠不休で仕事に励むマイケル・チミノを彼が「今までに会ったなかでも最もナポレオン的な監督」(「マイケル・チミノ読本」)と評する言葉にのけぞった。「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(1985年8月米公開)の準備期といえばあの「天国の門」の騒動からせいぜい5年以内のことだから――。
「大駄作」とヒステリックに叩いたニューヨーク・タイムズ紙以下、業界・批評双方からのバッシングで早々に上映打ち切り、膨れ上がった製作費を回収する術もなく名門スタジオを潰して、映画史に“呪われた映画”として、くっきりとその名を刻んだ「天国の門」と監督チミノ。心の傷がじくじくしていてよさそうなその時期に彼はもう完璧主義を全開にして撮りたい映画を撮りたいように撮ることに邁進していたのだ。しかもその新作でみつめたものも、移民のルーツとそれを超えて束ねられた国、二重の国籍に縛られたアメリカとアメリカ人という「天国の門」そのままの主題に他ならない。
そんなふうに懲りない、ぶれないチミノ自らの監修で今、差し出された「天国の門」完全版。30余年を経たことで、初公開時の惨禍の背景がよりくっきりと見えてくる点も感慨深い。ベトナムを糾弾してオスカーに輝いた「ディア・ハンター」から2年、「天国の門」が公開されたのはレーガンが大統領に選ばれた年だった。アメリカは既に、国の成り立ちの根幹を突くような“ジョンソン郡戦争”――19世紀末ワイオミングで起きた富裕階級による移民の粛清の事実を省みるチミノの傑作を受け容れる気風も余地も失ってしまっていたのだ。
今に続くアメリカの誇れない歩みを思うこと。そこにいた人、そこにあった山、雲、風の震えを繊細にすくい、歴史のうねりをフィルムに焼き付けた“呪われた映画”の大きさを体感する意味は、過去より今、はたまた未来と結ばれているだろう。
(川口敦子)