オン・ザ・ロードのレビュー・感想・評価
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1950年前後の社会状況を映し出す若者の生き様
モータサイクル・ダイアリーズ、セントラル・ステーションの映画監督であるブラジル人ウォルター・サレス監督の映画だと聞いて早速見に行った。といってもNYやデンバー、サンフランシコなどを巡る青春ロードムービ(一部メキシコ)で基本的に全編英語であった。
原作のジャック・ケルアック1957発表の「路上/オン・ザ・ロード」をホセ・リベーラが脚本。原作は、ヒッピーの聖典となったともいわれ、ミュージシャンやアーティストに多大な影響を与えたという。映画化するのは難しいといわれが、フランシスコ・コッポラがウォルター・サレス監督に依頼し実現した。
1950年前後の社会状況を反映してか、「マッカーサーが東京で路上でのキスを禁止した」「アメリカで共産主義者への弾圧」のメッセージが出てくる。ドラッグ、セックス、盗み、友情、文学、詩、音楽、父、母、妻、恋人、妊娠、子どもなどかなり自由奔放の生き方の中に、ジャズや黒人音楽、即興に恍惚とするシーンが出てくる。ディジー・ガレスピーのSalt Peanutsやビバップ、ソウルなど映像と音楽がとてもスリリングでカッコイイ。調べたら、音楽監督は、Gustavo Santaolalla(アルゼンチン)で、アモーレス・ペロス、21グラム、モーターサイクル・ダイアリーズ、バベル、ビューティフルなどでも担当していた。
ピーター・バカランの番組で、ボブ・ディランの最近の日本公演のライブで、オン・ザ・ロードの詩の朗読が流れたと紹介されていた。
一般受けはしないかもしれないが、とても印象に残った映画である。
20131215@サロンシネマ
「もう流行らない1950年ビートニク映画」
この手の映画がすきなのは「旅」を象徴しているからだ。
記憶にある映画は若いゲバラの「モーターサイクル・ダイアリーズ 」や「イントゥ・ザ・ワイルド」。あるいは「キャメルレディと黒い犬」やちょっと意味がちがうけど「LION ライオン 25年目のただいま」。いまは題名を忘れた映画がもっとあるかもしれない。
明日のない旅の物語がただその時間がながれている。でも、なぜか心惹かれてしまう。
いまはスタートアップ起業が若い人たちの夢になっている。地理的な旅から時代が変わってモノポリーゲームの勝者に夢みているみたいだ。ほとんどが失敗し海岸に打ち上げられる網クズみたいな人生を送るが、いつの時代もおなじだ。
宝くじみたいにまれに当たる若者がいるが、宝くじの確率が0がよくわかる。
思い起こせば「ただ単にここより他のどこかへ行きたい、だけだった」行った先の生活は過去に追いつかれた。
必要なのは今も昔も「覚悟と戦いの場所」だった。
それが「金」や「プライド」、「正義」を得るためなのか、「オンナ」なのか「家族」を守るためなのかが分からなかった。守るものを持ったオトコもオンナもどんな状況にあっても屈しないを知るのはずっと後になる。いつも啓示は遅れてやってくる。
タイトルなし
もう一回!
"ビートニク"
そもそもあの小説を映像化しようってのが無理な話。
悪かったわけじゃないけど、まずあの小説の読後イメージは人によって全く違うので、きちんと解釈できる作品でもないし、エピソードが多すぎるし、映像化しようっていう試み自体が無謀だと思う。(コッポラさんも含め)その気持ちは分かるけど。で、仕方ないから後日談や後になって出版されたスクロール版などと組み合わせてるっぽいんだけど、それもどうなんだろう。何でもアリにするよりはあの小説だけ描いて欲しかったなー。ディーンとカーロのセクシュアリティを掘り下げすぎだったり、忠実さを求めようとするのがかえって小説のリアリティを無くしてる。相当期待して見たけれど。
小説を読んでない人には、ビートニク感が感じられるからおすすめ。あくまでも雰囲気は上手く出てるので。小説を読もうと思ってる人は、映画は後に見た方がいいと思う。自分自身のイメージを持った方が楽しいから。
まあ、何でもいいや、サム・ライリーとギャレット・ヘドランド見れたし。このコンビは良かった。
映画化の高いハードル
フランシス・フォード・コッポラが1979年にジャック・ケルアックの小説『路上』の映画化権を手に入れてから、映画化の計画は何度も頓挫し、ようやく映画化にこぎつけたのが今作。
監督に抜擢されたのは、『モーターサイクル・ダイヤリーズ』のウォルター・サレス。
『モーターサイクル〜』の成功を見ればわかるように、ウォルター・サレスとロード・ムービーの相性はいいはずだ。
しかし、そもそもケルアックの『路上』は映像化するのは難しかったのか、ウォルター・サレスをもってしても、今作を成功に導くことは出来なかった。
ニューヨークのジャズクラブの熱狂や南部の綿花畑、アメリカ各地の風景の切り取り方など、魅力的なシーンは確かにある。
しかし、この映画の肝であるサル、ディーン、メリールウ、この三人のキャスティング(サム・ライリー、ギャレット・ヘドランド、クリステン・スチュワート)の弱さが致命的。
この三人からは、そうせずにはいられないというそれぞれのギリギリの切迫感が感じられないのだ。
特に無軌道で破滅的であるにも拘らず、その悪魔的な魅力で人を惹きつけずにはおかないディーンのキャスティングは説得力に欠けた。
(このキャスティングには、製作費が大幅に削られたことが影響しているのかもしれない)
そもそもケルアック自身、ディーンにはマーロン・ブランドを望んでいたということを考えても、このディーンという役を体現出来る俳優は多くない。
アメリカ版ロマン・ポルノ
つまらないストーリーでもベッドシーン見たさに観客を呼び寄せるロマン・ポルノのアメリカ版。
車に乗ってない時には、いや乗っていても、女でも男でも老人でも乗れるものならなんでも乗ってしまう節操の無いアメ男と、ひと目会ったその場で、もうセックスに走る貞操観念の無いアメ女のよくある退屈な話を延々ダラダラと繰り返す。
ただ、この時代のジャンプ&ジャイヴが流れていたり、スリム・ゲイラードのそっくりさんが見たくて我慢していたが一曲歌ってくれたので星一つ。
ポルノ・ファンに頼ることなく、純粋に映画を愛する人のための映画が作れないのかねアメリカ人て。
四六時中セックスのことばかり考えている国民だということは、もうよくわかったので、どうか家族団らんのお茶の間でも安心して観られるような映画作ってよ。
クリスチャンスチュアート
あてどない旅
1950年代、ビートジェネレーションの時代。
それよりもヒッピーの先駆けといったほうが、なんとなくわかる気がする。
髪こそ長くないが、自由を求めてあてどない旅を繰り返す。
自由とは、はっきりした概念があるわけではない。
だから、時には虚無的になったり、快楽的になったり、
わけもなく衝動的なことを行ったりする。
そんな彼らに、セックスとドラッグはなくてはならないものだった。
ディーンという破天荒な若者と、のちに小説に書くことで救われるセルと、
ディーンの妻にして、理由もなく男たちに抱かれる美しい少女メリールウ。
その3人を中心にあてどない旅が描かれている。
その美しい少女を演じるのが「トワイライト・サーガ」のクリスティン・
スチュアート。結局は別れてしまうディーンの本当の妻役にクリスティン・
ダンスト。先輩作家のちょっといかれた妻にエイミー・アダムス。
全部、僕の好きな女優達がなのだが、いまいち魅力的には写っていなかった。
でも、この映画にでるということに意義を感じているのだろう。
ここに出てくる者たちは自由を求めてはいるが、そんな自分に、相手に、
環境に、いらだち、迷っているのではないか。
セックスやドラッグ、そしてなにかを探す旅。
そこには、いつも実存的な問題を抱えなくている。
ちょっぴり湿ったアメリカン・ロード・ムービー
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