ぼくたちの家族 : 映画評論・批評
2014年5月20日更新
2014年5月24日より新宿ピカデリーほかにてロードショー
〈難病もの〉のクリシェから自由なスタイルで描かれる〈家族〉の肖像
「舟を編む」で昨年の映画賞を総なめにした石井裕也監督の新作は、題名通り、〈家族〉という彼の年来のテーマへの回帰である。ある日突然、母(原田美枝子)が脳腫瘍と診断され、余命一週間と宣告される。身重の妻を持つ長男(妻夫木聡)と大学生の次男(池松壮亮)、父親(長塚京三)は激しく動揺する。そして、母の発病をきっかけに、父は多額のローンを抱え、母はサラ金漬けという過酷な現実が次々とあらわになる。
かつて石井監督は、「川の底からこんにちは」「あぜ道のダンディ」において、母親が不在の家庭が抱える問題をポップに、あるいはミュージカルという奇矯な手法を大胆に取り入れて描いた。が、本作ではきわめてオーソドックスな抑制を効かせたスタイルで、この危殆(きたい)に瀕した〈家族〉をみつめている。バラバラであることが露呈した家族が、母の救済という一点で連携を深めていくさまをいかにリアルに描けるか。
たとえば、ここには親子同士が眉間にしわを寄せあい、怒号が飛び交うといったありきたりな愁嘆場はない。石井監督は、そのような噴飯もののクリシェと化した描写を極力排し、突然、訳もなく、朝ジョギングを始める父親と追走する息子たちという具体的なアクションを通して、この家族の微妙な変化のプロセスを見る者に説得力をもって提示するのだ。さりげないディテールを積み重ねることで、〈難病もの〉というジャンルにまつわる紋切り型から限りなく自由であろうとする石井監督の意志が伝わってくる。
ときおり記憶を混濁させ、童女のようなイノセンスを垣間見せる原田美枝子、気丈に振る舞いながらも、脆さと頼りない父性を体現する長塚京三、過去の引きこもりのトラウマを抱える妻夫木聡、軽佻さを身上とする池松壮亮。この四人の演技の絶妙なアンサンブル、そこに生じる親和力を統括する、石井裕也の若さに似合わぬ成熟した演出力が際立った一篇である。
(高崎俊夫)