かぐや姫の物語のレビュー・感想・評価
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姫が教えてくれるのは
ずーっと食わず嫌いで観てなかった映画。でも観てよかった。
CMで見てたときに絵がラフすぎて、なんだかなぁと思っていたのだけど、観てみてわかった。
竹取物語だから絵がキレイすぎる方がきっと違和感がある。筆で書いたような絵が、優しい語り口が、この世界観にピッタリなんだって。
この映画を通して、かぐや姫は四季折々に変わっていく草木や生き物のいのちの輝きを教えてくれる。
私達が当たり前に過ごしている世界が、どんなに素晴らしいもので満ちあふれているか、例えば冬に草木が枯れてもまた春に花が咲くこと、もっと言えば冬の次にはまた春が来ること。
周りからすれば当たり前のことに、姫は気づいて心から喜ぶ。
姫と対象的に、人間の浅ましさが浮き彫りになってくる。
皆精一杯色んなこと(保身とか利益とか)を考えながら生きてるけど、ただ桜を見て喜べる人間になりたい、なんて天上人みたいな気持ちになっちゃう一本でした。
やっぱり何事も食わず嫌いは良くないね!
天才の作った誰にも真似できない日本のアニメーション
ちょっと前に映画館でジブリを観まくったので、その勢いで連休中に観ていなかったジブリ作品を観てみよう個人的キャンペーン。というわけで「かぐや姫の物語」を観ました。
高畑勲ってちょっと苦手だったんですよね。「ホタルの墓」とかしんどいですし、やっぱジブリだったら宮崎駿かなっみたいな意識もあって。でも、この「かぐや姫の物語」はとても面白かったです。日本人ならほぼ誰でも知っている物語をこんなに面白くできるって高畑勲ってスゴい❗まさに天才の技です。
元々の「竹取物語」のかぐや姫ってなんと言うか無機質な感じがしてて、あまり好きなお話ではなかったんですよ。そのかぐや姫が本作ではちゃんと魂が吹き込まれてる感じがしました。泣いて、笑って、怒って、時には感情を圧し殺したりして。スゴく生きてる感がありました。最後に月に帰る別れのシーンはグッとくるものがありましたね。
そして絵が素晴らしく綺麗‼️かぐや姫が宴から逃げ出す時の迫力とかもうスゴい事スゴい事。墨で書いたような絵が動くとこんなに迫力のある絵になるって正直驚きました。日本画の力強い事よ‼️もちろん桜の木の下でくるくる舞うシーンもメチャメチャ綺麗ですし、空を飛ぶシーンもゾワゾワして。全体を通して恐ろしくレベルが高いです。
高畑勲ってホントに天才だったんですね。裏テーマとかいっぱいありそうですけど、表層のストーリーだけでも十分面白い。うーん、本作は映画館で観ておきたかったです。今度は本作とかラピュタを含めて「一生に一度は映画館でジブリを」をやってくれないかなぁ。
姫が、可愛くもなく、美しくもない。
かぐや姫というよりも、竹取物語を忠実に下敷きにした作品です。
姫が、ちっとも可愛くもなく美しくもないので、竹取物語ではたしか高貴な衆に求婚されるよな、ストーリーの都合だから仕方ないよな、と、自分に言い聞かせながら観ていました。
最後に出てくる「月の使い」が、思いっきり特定宗教じみていて、ドン引きしてしまいました。
美術という意味で、水墨画のような画像は、日本の文化を強く主張しており、悪くなかったと思います。
なので、美術鑑賞という意味において、なんとか★★点程度かな。
描写は素晴らしいけど・・
高畑監督の作品は、どの作品もすごく細部までこだわっているのが感じられる。そういう意味で、職人気質のある私は共感できるし、丁寧な仕事してるところはすごく尊敬できる。
ただ、作品単体として観た場合、あまり楽しめないことが多い。
この作品も同じ。
まぁ、「かぐや姫」という誰もが知ってる話が題材なので、ストーリーを楽しむ作品じゃない、ってのは観る前からわかってたことだけど。。
表現としては、筆で描いたようなやさしい絵柄は、最後まで穏やかな気持ちで観ることが出来た。あと、かぐや姫が服を脱ぎ捨てながら滑走するシーンは、やはり印象深い。記憶に残る。
小さい女の子なら共感できるのかしら??
近くに母親と座ってた4~5歳くらいの女の子が、最後号泣してたのがすごく印象に残ったので(笑)
もう1回観ようとは思わないけど、観る価値はある作品だなーとは思います。
おじいさんが、都に連れていかなければ、かぐや姫は月 に連れて行かれ...
おじいさんが、都に連れていかなければ、かぐや姫は月
に連れて行かれなかったのに・・・。
天カラフルのさずかりものだといって、そこまでやって、姫にさせる(自分も高い位になる)のは、やりすぎじゃないかと思った。
【疾走感溢れる”日本昔話”】
絵柄とそぐわぬ、かぐや姫の疾走感が印象的だった作品。
姫が美しく成長していく姿。
姫の周囲の人々 捨丸、翁、媼(語りも。宮本信子さんは良いなあ。)
”職人” 高畑勲監督の独特の世界観を堪能した。
<2013年12月7日 劇場にて鑑賞>
バッドエンドではない。
5回くらい観てる。これからも事あるごとにまた観たくなると思う。本当に大好きな映画。
何回も観ていると、登場人物の誰にも感情移入しなくなる。冷静になって観てみると、クズだと思った男性陣の中にも、可哀想だと思ったかぐや姫の中にも、自身の内にある感情を見出すことができて、単純に人を善か悪かで区切る事自体が不自然に思えてくる。
また、登場人物の動作と物事の因果関係が矛盾なく、リアルに描かれていて、誰かを傷つけるという点で「こういった事はしない方が良い」とか、自身を傷つけないという点で「こうありたい」という姿を、この映画は静かに教えてくれる。
「生きているという実感があれば、幸せになれた」
この映画の肝はこの点だと個人的には思う。
大人になって、生きているという実感を得る事は少なくなった。半ば意識的に、半ば結果的に波風立てないように、乱されないように、面倒事に巻き込まれないように、生活している。
言ってしまえば、月の都で生活している。
映画の中で、悲しい場所、場合によってはあの世だと解釈されている月の都は、「無」のメタファーであって、決して遠い所では無くて、今この世界を生きる人々の、心の中の孤独であり、乾きであると思った。
最後の赤ちゃんの描写を観て思うのだけれど、たぶん、かぐや姫は月に行った後も、生きているという実感を思い出せたとしたら、もしくは思い出そうとしたら、いつでも地球に戻ってこれるんじゃないかな。また(月においては)罰として地球に降ろされるのだから。心の乾いた場所からの帰還の可能性を思った。幾ら心が乾いてしまっても、無になっても、いのちの記憶を思い出せば、思い出そうとすれば、いつでも戻って来られる…
「無」の否定は、あらゆる「有」の肯定であって、更にこの映画は、一度無になった心の、有への帰還までも、肯定してくれる。色々なものに感動したい、人の温もりを信じてみたい、と、そっと思わせてくれる。
この映画は決してバッドエンドではない。
日本代表SF
これぞ、日本が世界に誇るSFでしょう。
確かに「ロードオブザリング」とか「ナルニア国物語」とか、
昔話としてのスケールから映像も圧倒的ですが、
日本代表のオールドファンタジーを、
‘これでどうだ!’と世界に発信して欲しい。
実写じゃなくても、アニメだからこそ出来たSFであり、
日本で無理して実写取っちゃうと、
主演沢口靖子的な感じになっちゃうから止めときましょう。
海外に持ち出しても話の解釈次第でとんでもないことになりそうだし、
(ドラゴンボール的な危険性が)
「日本のお家芸=アニメ」しかもジブリという大看板であり、
誰も文句ないであろう。
一番刺さるのは自分たちより上の世代だろうなと思った。
最初から地井さんの声が聞こえたら、そら涙腺緩むでしょ。
他の俳優声優では、ダントツで宮本信子サイコーでした。
高畑淳子も良かったですね。
伊集院光はその絵面がそのままでずるい。笑える。
改めて思ったのが、
月は地球とは真逆の世界、つまりは命の無い世界で、
月からの迎え=死を意味してるんだと。
これは制作側の解釈なのかも知れないが、
竹取物語の中でも、
月からの使者の容姿は如来の様、との記述もあり完全に仏教の世界。
だから最後は、生き別れと解釈して泣きました。
2度とこんな作品には出逢えない。
ついに最後の最後まで、観ている観客に追いつかせることはなかった。誰も追いつけなかった。高畑勲が見ていた景色を眺めていられたのは、宮崎駿だけなのかもしれない。
はじめて観たのは公開して間もなく。誰もが思っただろう。「観たことのないものを観た。」と。そして、「もう2度とこんな作品に出逢えることはないだろう。」と。
制作秘話なんてものを聞かずとも、「色んな意味でやべぇ」と思ったが、色々聞くと想像以上にやばかった。すべて手書き。色の付け方も、線の動かし方も、劇画枚数も、制作時間も、すべてがやべぇ。
高畑勲の飽くなきアニメへの想いを具現化した作品。もう2度とこんな作品は現れない。かくいうぼくも、この作品の凄さは全くもって分からない。
アンデルセン童話を読んでいるよう
アンデルセン童話を読んでいるよう。
柔らかな太陽、緑色の風、木漏れ日、その場にいるように伝わってくる。
古典抜きで泣かせてもらいました。
すばらしいです。
鑑賞日:2015.1.4
泣ける。
純粋な気持ちを忘れ、金儲けに走っていく翁が悲しい。
かぐや姫も、徐々に自由がなくなって。
最後空からお迎えが来て、帰ってしまうけど、
「チャンスは一度しかない」って感じがして、切ないと共に、全ての物事をしっかり受け止めていこうって気持ちになる。
っていうか、こんなすごい話を、昔の誰かがつくったってすごくない?
日本すごいよね。
日本人の誇りや。
昔話を描いてるわけじゃない
毎回緻密な隠しメッセージというか、言われてやっと理路整然としたロジックが見えてくる作品を作り出す高畑監督。
こっちも身構えて視聴。
●作品の物語やメッセージ性について。
【第一層】通常ストーリー
まず、かぐや姫の一般的なストーリーが第一層に流れています。ほぼオリジナルと同じです。
【第二層】アンチ女性差別と見せかけて
女性差別と思える扱いに【怒りを感じるかぐや姫】が描かれてますが、同時に【大喜びするかぐや姫】も描かれています。
その瞬間のかぐや姫は社会に従わなければいけない不満より、目の前の贅沢や特別な扱いに対して ただただ喜びを感じているのです。
そこを見逃してはいけません。
自分に取って得な事であれば女としての特別扱いを受け入れているのです。
女性差別の否定が今作のメインテーマでは無いことが分かります。
【第三層】人間讃歌
おそらくここが高畑監督の今回の落とし所だと思います。
この世の広さ面白さと、自ら手放した自由と可能性、叶わなかった夢への絶望。
人間界はなんと辛いのか、、でもこの世に生まれ落ちなければ、何も感じることすら出来なかった。
人生の失望や希望の全てをひっくるめて人の一生は素晴らしく、何物にも変えがたいものだと訴えてるように感じます。
【第四層】かぐや姫は結局なんなのか
自分が思う月の世界とは
【現代人の末路=自由主義の行きつく先】
として描いたように思います。
その理由としてはかぐや姫が自由主義のメタファーとして登場している節が作品中 いたる所にあるのです。
●まず自由主義とは
1970年中盤よりアメリカから世界中に広まった主義。
『人は皆 平等に価値があり。何にも囚われず自由に生きる権利がある』という主義。
個人の幸せの権利を追求出来る主義とも言われます。
自由主義がもたらした功績
◆社会主義や共産主義等の宗教原理国家や軍事主義、王族政治等の独裁権威からの個人の解放
(地位に関係なく発言、職業、住居を選択できるようになりました)
◆女性差別の打破(女性が政治に参加、結婚相手を選択できるようにもなりました)
自由主義の副産物
◆浮気や不倫、中絶の正当化
(自分の幸せを優先して良い主義なのだから、結婚相手や子供よりも、自分の幸せを追及するという考えの蔓延)
◆自己の幸せの為に他者へかかる不利益と、その責任の放棄。資本主義。
(自由を得る為の行動により、誰かが損をしたとしても責任は無い。という考えの蔓延
例えば、株で自分が儲けるために誰かが損をしたとしてもそれは仕方ない )
荒っぽく言えば 自由主義とは
『自分の自由(幸せ)を得る権利があるなら 何をやって良い』という考え方です。
勘の良い方は既にピンと来てるかも知れませんが
【かぐや姫は自由主義のメタファーだ】と考察する理由はここにあります。
↓
◆翁は成金の金で立派な御殿を立て、都に引っ越します。(住居の自由の権利) 翁を成金として描く所にも意図を感じます
◆かぐや姫は軍人、宗教、王族主義や富豪の全てを拒否し、否定します。
(権威からの解放)
◆社会から受ける女性差別(強制婚)に屈することはありませんでした
(女性の自由の権利)
◆自分が自由でいる為に若い貴族を死なせましたが、お婆さんは『あなたのせいじゃない』と慰めています。
(自由の権利の行使による被害への責任放棄)
◆さらにステマルという既婚者との不倫愛も一瞬の幻とは言え自分の物としています。
(個人の幸せの追及)
上記で書いた、自由主義の功績と副産物の全てをかぐや姫が体現しているのです。
特にステマルのくだりは、あの時点で かぐや姫は月に帰る事が決定していたのだから、ステマルが独身であった方が【掴み損ねた純愛】として効果的に悲恋を描けたはずです。
既婚者にした事により、『え?』と感じる人が増える事も分かっていながら、監督はわざわざステマルを既婚者として描いているのです。
ここからは映画外の話になりますが
現在提唱されている自由主義の行く先
【個人の自由(幸福)と権利を追求しつづけた未来】とは
AI技術や医学の発展により人と人とのコミュニケーションは無くなり、飢えや老いや病や労働からの解放された苦しみの無い分、喜びも無く、資本を持つ物がコントロールしていく世界が人類の行きつく先だと言われています。
子供も生むこともなく、死もなく、ただただ平穏な世界。
それはまさに月の世界と同じではないでしょうか。
つまり高畑監督が今作で仕込んだメッセージは
自由主義者として かぐや姫を描き
自由主義の末路として 完璧な月の世界を描いたのでは無いかと考えます。
『個人は自由に、心のままに、思った通りに生きる』ということが まるで素晴らしい義務のように言われていますが、自分を優先することを第1にした場合、
人間は人と関わる事が最も苦痛だと感じ人との関係を完全に閉ざしていく方向へ進んで行きます。
実際現代は既にそうなりつつあります。
しかし、人との関わりを持たなくなった人間はどうしようもないほど世界や人との繋がりを持ちたくなり、
自分優先の世界を捨てて素朴に生きる事を望むのですが、それでも目の前の贅沢や優越、楽を選んでしまう性を描いているように思えます。
●余談
なぜかぐや姫がアンチ自由主義なのかと考えたのには別の理由もあります。
高畑はアメリカ軍の空襲を受けたことが人生最大のインパクトだと言っていましたし、その後はアメリカとの安保闘争、学生運動が盛んだった世代で、高畑は主戦場となった当時の東大出身でアナーキーな世代です。
宮崎の方もアカデミー賞を取ったのに、日本男児がアメリカで賞を取ったからと行ってノコノコ行ってヘラヘラ出来ない。私はきっとヘラヘラしてしまう。だから行かない!とジョークまじりですが、そういう思想の二人です。
しかし、
彼らが若い頃に抱いた日本という国の理想は実現せず、一番嫌悪していたアメリカの資本主義(自由主義)が日本の政治体制と癒着し
社会主義や共産主義などのメッキも剥がれ幻滅して来た世代です。
余命を感じ取っていた高畑監督は自分が生きて感じてきた日本の問題点を改めて提示し「本当にそれでいいのか?」という問いかけを残したのではないでしょうか?
映像だけなら満点
とにかく高いクオリティの映像を最後まで見せてくれた(^^)b
ただ、宮崎駿との違いは、キャラクターの弱さ。
月からの使者なんかはいくらでも冒険できたのに、遊び心の無いキャラクターで、イマイチ…
その辺がインパクトに欠けるんじゃないかなぁ~?
それにしても、かぐや姫は美しかった。
その美しい映像を見るのだけでも価値のある作品。
高畑勲監督の見事な仕事には脱帽です。
かぐや姫の物語
美しさを涙。 2人の恋人が雑草の上で戯れる場面は単に魔法のようなものです。狂った愛の片面鏡、処女、無実。絵は繊細で想像力を刺激する。私たちは若い年齢からこの映画を発見することができます、喪を学び続ける年齢はありません、この学習は子宮の喪の時から行われます。
生きるというあまりにも残酷な罰
月は母性のメタファーであるだけでなく"死"の象徴でもあります
月(死の世界)の住人にも関わらず、"生"への憧れを抱いてしまったかぐや姫には、その罪を償うため ある罰を与えられます。
劇中、セリフでは説明していませんが、その罰とは“生きる”ことにほかならないのです。
“生” の世界 そこは恍惚と希望に満ち満ちている。しかし同時に不安と絶望が溢れるのも“生”の世界。
かぐや姫は必死に生きようとします。でも、ある時、ほんの一瞬“死にたい”と思ってしまう。
そして天人達はかぐや姫を許し、“生”から開放する。
彼女にとってどちらの世界が幸福なのか、それは分かりませんが少なくとも、かぐや姫は羽衣を纏うあの瞬間まで “生きよう”とした。これこそがこの映画で一番重要なことなのだと思います。
こころの深くに
涙なしでは観られなく、何度みても号泣してしまう映画。
わたしの心を深く深くえぐって、隠していた悲しみの淵へいつも落ちてしまう。
きれいな映像と歌と、、とにかくわたしの心に静かな平穏と悲しみ、優しさ、家族の温かさを運んできてくれる。
わたしはどこから生まれて、どうしてこの世界に来たのだろう。考えてしまい、不思議な夢をみる。
わたしにも、かぐや姫の哀しみがわかる。本当は大好きな祖父母と一緒にいつまでもいたい。でも、大人になると世間がそれを許さない。
戻りたい大切でかけがえのない場所。
そして、いつかこの世を去るとき、記憶をなくしてしまうのかもしれない。
でも、きっと忘れない。
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