君と歩く世界のレビュー・感想・評価
全36件中、1~20件目を表示
私に何ができる❓
過去に、レンタルで観ました💿
事故で両脚を失うことになるステファニーを演じたマリオン・コティヤールの演技が秀逸ですね🙂
動きも違和感なかったですし、病院のベッドで目覚めた時の自分の状態を見た時の取り乱し具合もリアルで。
色々あった後、事故現場に行って区切りをつける感じも雰囲気が出てました😀
アリを演じたマティアス・スーナールツも、不器用ながらも息子を大切に思っている父親を熱演🤔
ラスト近く、息子が危機に陥る場面では己の拳を顧みずに必死に助けようとします💪
色々平気で言ってしまう面もありますが、だからこそステファニーが立ち直るきっかけも作れたのではないでしょうか❓
マリオンのファンの方や、ヒューマンドラマ好きな方は是非🙂
オーディアールの意地悪と優しさが好きだ
見始めて、思っていたより後ろくらく、シーンが急に変わるなと感じていた。
フランス映画はこんなだったかなと考え始めた時、思い出した。ジャック・オーディアール監督作品だった。
オーディアールだから観たかったのだ。オーディアールだから観ているのだった。
オーディアール監督の編集は少々不親切。理解が追い付くギリギリくらいに分かりにくい。しかしそれが良い。
物語が始まって、徐々に沈んでいき、エンディングでふわっと浮かび上がる。これが好きだ。
唐突に優しさで包まれる感じなのだが、そこに至るまでにしっかりと必要な描写を積み重ねているので、完全な理解は出来なくとも納得できる曖昧さも良い。
最初の設定から受ける印象と全然違う方向に物語が進むのも面白い。しかしこれはダメな人も多いだろう。予想を裏切る展開と期待を裏切る展開は同じことだが意味が異なる。
さて本作はどうだろうか。
アリという男は面白いキャラクターだ。単なる粗野な男にも見えるが人並みの優しさも持ち合わせている。
彼にとってはあらゆることが特別ではない。姉、仕事、両足を失ったステファニー。
ステファニーは自分に哀れみを見せないところにひかれていくのだが、逆に言えばアリにとって特別な存在になれないことも意味する。
原題は「錆と骨」
錆は傷という意味合いもあるらしい。多分その解釈でいいだろう。
骨は、エンディングでアリが語る言葉そのままだろう。折れた骨は元通りにはならないが治る。元より強くなることもある。人にも同じことが言える。
自分本位だった二人が傷つくことでお互いの必要性に気付く物語。
オーディアール監督らしく、荒々しい力強さがあるのに繊細で、時々、目を見張るシーンがある。
傑作とまではいかないけれど、良い作品だった。
二時間で人の成長をしっかりと描けるオーディアールはやっぱり好きだ。
好きだと断言できる数少ない映画監督の一人。
【ある男女の再生と希望の物語。心と身体に深い傷を負ったヒロインを演じるマリオン・コティヤールと彼女を不器用に支えアリの姿が印象的な作品。今作には確かなる希望があるのである。】
■シャチ調教師として働くステファニー(マリオン・コティヤール)は、ある日事故で両足を失う大けがを負ってしまう。
過酷なハンディキャップを抱え、生きる希望さえ失っていく日々。
そんな彼女の心を開かせたのは、不器用だが真っ直ぐなシングルファーザー・アリ(マティアス・スーナールツ)だった。
■個人的な話で恐縮であるが、マリオン・コティヤールさんは、ガル・ガドットさんとゴルシフテ・ファラハニさんとともに、とても好きな女優さんである。
それは、外見の美しさだけでなく内面の強さも感じるからである。
◆感想
・今作は、二人の何の所縁もなかった男女の再生の物語である。映画の王道テーマであるが、今作品はそれをてらいなく見せている。
・事故により膝下を失ったステファニーに対し、アリは憐憫の言葉を掛ける訳でもなく、普通に接する。
彼女を、ごく自然に海に誘い、泳がせる。
- これは、身障者の方から良く聞く事だが、”普通に接してくれることが一番嬉しい”という言葉を思い出す。-
・故に、彼女は彼に身体を委ねるのである。
<アリは不器用な性格により、彼を助けた姉の職を失わせるが、彼は自身の格闘技の高いスキルにより、新たなる一歩を踏み出すのである。
勿論、彼の傍にはステファニーが居るのである。
繰り返すが、今作は二人の何の所縁もなかった男女の再生の物語なのである。
今作には確かなる希望があるのである。>
ラース・フォン・トリアーを思い出した
個人評価:4.0
マリオン・コティヤールの静かなる演技に心染みる。
怪我により絶望の淵から、再び生きる活力を得る描写として、殴り合いによる賭博の戦いがある。男達が血を流し合い、暴力の中で歓喜し金を得る。その光景に心動かされ前を向く描写は、ジャック・オーディアールらしいテーマの一つかもしれない。
戦う事。それが人間の本質であり、自由を得る雄一な手段。
ラース・フォン・トリアーが人間の本質は暴力だと言っていたのを思い出し、本質的にテーマが近い監督だと感じた。
イルカの調教師がファイターのマネージャーに
なった。というお話。
しかし、そこには、障害者、父子家庭、仕事が続かないなんて問題がてんこ盛り。
心が飢えて、満たされない女性と愛を知らない男性が出会い、女性は満たされ、男は愛することを知った。
最後、ガラスの拳になった男が息子と手を繋ぎ、その二人の所に悠然と向かう女の姿に涙ちょちょ切れた。
引退後の余生は、農家とかやって自然豊かなところでゆったり暮らしてくれよ!と願う。
少しずつ寄り添う二人
性質も全く違う男女が、いろんな出来事を経てやがて寄り添って行くストーリー。
両足を失ったステファニーが海で泳ぐシーン、ステファニーがシャチとコミュニケーションを取るシーンが秀逸。
無骨で野性的なアリをマティアス・スナールツが
好演。
二人が最後に唯一無二の関係になれてほっとした。
マティアス・スーナールツの演技の幅
これって、カメラ回ってるのか?と思う程の
自然体のアリが良い。堂々としていて大きくて(笑)これだから、
いつも、マティアスはモテる
大怪我を負ったマリオンに対する、アリの態度は憎いほど。
Cafeに置き去りにして泳ぎに行っちゃうし。
アリ独特の優しさが彼女をドンドン解放していくのだろう。
胸のおっきなマリオンを包み込める、アリの背中
大して知らないのに、マリオンも、試合に付いて行って良い?とか
アリは、即答だ。マリオンは嬉しいはず。
アリは、彼女を全く特別視しない。こうなったら、もう、マリオンは
アリの虜だろう。そう納得させてしまうマティアスのスタイルが素晴らしい。
あぁ、ちょっと再た観たくなってしまった。
メソッド皆無。ショック療法の効果、技あり。シャチ可愛くて叫ぶ。
マリオン・コティヤールの
出演作を続けてチョイスしました。
この女(ひと)って、絶体絶命の人生を演らせたら天下一品かも。
「サンドラの週末」も見ものですよ。
それらマリオンの出演作は
仄(ほの)明るい、あるいは仄暗いとも言える独特な“ハッピーエンド・ストーリー”なので。
これはきっと、フランス映画ならではだろうなぁ。
ハリウッドではこの味は出せない。
怪我人のマリオンをば、寄り添うとか理解して励ますとか じゃなくて、ただのセフレとして付き合うアリ。
こういうのアリ?(笑)
粗野で、乱暴で、荒くれ男の
・泳ぐシーン
・ベッドシーン
おいおい!ちょっとちょっとー!
なんともKY で無遠慮なアリの“介護”で、マリオンが俄然息を吹き返していくあの光景は、ちょっと新しい世界を見せてもらえて震えました。僕の体得していた方法とは異次元のものだったからです。
(あそこで流れるアレクサンドル・デスペラとか!反則だ)。
アリが殴れば殴るほど、マリオンは鬱憤を晴らして充電していく。
【一緒に歩くつもりなどない男の無関心が、マリオンを立たせる】。
そこがなんとも面白い。
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「エンドロール」
ん? れれれ?
文字列が変でしょ?
スペルの間隔がおかしいの気付きましたか?
「27個ある人間の手の骨の数」の、「折れて砕けた骨」を表しているね。ハッと気がつきました。
あれは抜群のエンドロールでしたねー。
そういえば原題は「錆と骨」でした。
獣にはならず
大雑把で極めてデリカシーもない、薄情さが逆に正直にも取れる、そんな男の行動が勝手気ままに思えるが、天然な優しさから一人の女性を救う形で、息子に対する気持ち含めて彼の人間性は物語も終盤に連れて理解が出来てくる。
男を必要としながらも微妙な関係性からのパートナーへと恋愛映画とも違う、成り上がり格闘技モノでもありながらリアルな現実の生活や痛々しい暴力の雰囲気も漂う危うさを微妙に散りばめながら。
辺り一面に氷を張った湖での大惨事、氷を殴り叩き割る痛々しい場面と最悪な展開を想像してヒヤヒヤしながらも事なき終えての一安心。
男は単に生活する為に動物的本能のまま生き抜く術を力強く時には逞しく、人間としての当たり前を立派にやり遂げる父親としても。
シャチ
もうシャチは(現在飼育されているシャチ以外の捕漁)飼育禁止になったんだよね…。(水槽の水色から目の前に、突然シャチが現れるシーンは凄い好き。)
海のギャングと人間が訓練を通して、意思疎通できる事も凄い事だと思う。けど、それだと「君と泳ぐ世界。」に、なっちゃうね。
今回は歩けなくなってしまった女性と、無骨なシングルファザーボクサーの物語。
最後が今一つに感じてしまったけど、再び歩き出したヒロインの姿を観れて、ホッとした。
確かにR18な世界
マリオンコティヤールのファンとしては
見ずにはいられない映画だったわけで・・・
しかし、もしかして省略されちゃったのか
このストーリーの重要な起点となる事故の後の再会の場面で
なぜ彼に電話をしたのかが、いまひとつよくわからない・・・
その後、彼の魅力(不器用さ)にハマるのはよくわかる・・・
最後の子供のエピソードはなくても良かった気がする
気遣いが痛い時もある。 そういった意味でこの邦題も痛い。
原題が「De rouille et d'os(錆と骨)」
短絡的に言えば、笑いはないが愛とセックスのある、
「最強のふたり」でしょうか。
わたしは、本作の方が好きです。
ポスターのキャッチコピーに騙されて、感動秘話的に観ると大怪我する。
あくまで「錆」と「骨」なんです。
最高のふたり、の男女バージョン。
障害者に対する余計な気遣いのない彼に好感を抱いたが、女と消えてバーに置き去りにされて腹立つ。でもどっちも彼。本能のままに行動するから、周りは傷つく。
一度壊れたものは、元にはもどらない。強い思いや流れた時間が、前より強くすることがある。両脚、ope?、父子の絆、男女愛、姉弟愛、骨、人生。
信頼が愛に変わる、その時間差
両脚を失い失意の底にあるシャチの調教師ステファニー。
劣悪な環境から息子を救い出し再出発を図ろうとするアリ。
絶望した女が素朴な男と出会い再生していく、そういうステレオタイプな物語を想像して観ると肩透かしと感じるかもしれない。
でも私はその意外な展開が面白かった。
ステファニーは事故以前に恋人と暮らしながらひとりでクラブに出掛けて男をその気にさせて楽しむなど何処か人間関係にドライなところがある。
一方、アリは幼い子どもに麻薬を運ばせるような母親の元に息子を置いておけないと考える良識はあるものの、実際息子にどう接していいのかわからず、乱暴に扱ってしまうこともある。女性関係もその場限りのものばかり。
そういう少々問題を抱えた二人が出会ったのだ。
ステファニーは世話を焼きすぎず、かといって突き放す訳でもなく、“対応可能”な男としてのアリの存在に安らぎを感じ、彼を信頼し、一対一の関係を望み始めるが、彼はまだ彼女の思いについて行くことが出来ない。
二人の信頼から愛情への変化には時間差があるのだ。
この時間差を強調するのが、南仏の眩い光の景色からフランス北部の雪景色への場面転換だったと思う。
前半の主人公がステファニーだとしたら、後半の主人公はアリ。
二人はお互いの存在によって、一歩を踏み出し、強さを獲得していく。
人は支えあわなきゃ^^
いい映画^^
マリオン・コティヤール、相変わらず素敵^^
こういうCGの使い方もあるんだね^^
邦題とイメージショットからは、甘いラブストーリーを想像するけど・・・。
色々と再生の物語。支える事と支えてもらう事は一緒なんだな。一方ばかりだと倒れてしまう。
リアルの世界での感動
のめり込むように見れたわけではないですが、表現の方法が結構衝撃でした。主人公もヒロインも、映画っぽくすごい人物に描かれておらず、弱さやずるさをもった普通の人間として描かれています。観ていてぜんぜん同感できないというのが面白かったです。またそれらの人間としての問題点を克服して真実の愛にたどり着くような創作チックなドラマではないのもよかったです。
一人では生きていけないという、人間としてほんとうの恐れを知ったときに初めてわかる、そばにいてくれる人のありがたみ。それを愛と呼ぶことにするのは、私たちが現実でたどり着く結論に近いとおもいます。
私は結婚して2年以上たちますが、はじめの恋愛感情がなくなってきたとお互いに感じつつも一緒にいようと思うのは、やはりそういうことなんだと思います。
マリオン・コティヤールの演技と美しさに異論は無いが…
「エディット・ピアフ 愛の讃歌」でオスカーを受賞してからハリウッドで活躍していたマリオン・コティヤールが、久々に本国フランスに戻って出演した意欲作。
シャチの調教師のステファニーは、ショーの最中の事故で両脚を失う。絶望するステファニーに再び生きる希望を見出しのは、シングルファーザーのアリとの出会いだった…。
タイトルやあらすじだけ聞くと、感動作のように思えるが(感動作ではあるのだが)、話は意外とシリアスで重い。
また、主人公二人に感情移入出来るかどうかで評価も分かれる。
男手一つで息子を育てているアリだが、職を転々とする風来坊。性格は粗野。殴り合いの試合で金を稼ぐ事も。
息子を愛してはいるが、時に辛く当たる事もあり、あるシーンなど不愉快にすら感じた。
ステファニーも決して好感の持てる人物像ではない。
初めてアリに出会った時は大して相手にしていなかったくせに、両脚を失ってから助けを求める。
どのタイミングで二人が惹かれ合うようになったのか、ちょっと曖昧。
高潔な人物の再起の物語を描くよりかは、少しトゲや陰のある人物の再起の物語を描いた方が、映画としては深みはある。
それは分かるが、今回に限っては、なかなか共感し難かった。
また、フランス映画なので、万人受けする分かり易い内容ではなく、見た人それぞれに感じさせるタイプの映画。
上質なドラマではあるが、これも好き嫌い分かれそう。
だけど、マリオン・コティヤールの熱演と美しさには異論は無い。
彼女も、そして渡辺謙もジャッキー・チェンもそうだが、本国に戻ってこそ、本来の実力を発揮出来る。
共感し安堵し、そして我が身を考える。
人間に対して、別にどーでもいいんじゃねーとぶっきらぼうに接し、自分の表情をずっと出さないで生きてきた人間が最後の最後に慟哭する、それは血を吐くような叫びであり、その時しっかり受けとめる相手が存在する救いに安堵する。そんな相手はなかなか見つからない。
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