全編を通して心に残るのは、監督でありカメラマンである新田義貴監督の眼差しだった。
その温かな目線と強い意志が、主人公である栄町市場の名もなき小さな人びとの心に響き、そこに結ばれた確かな絆が、この映画の成功に繋がっているのがよくわかる。ややまばらな客席のレイトショーで私はこの映画を観賞する機会を得たが、「スクリーンで見せる」という計算も当初は無かったのではないだろうかと想像する。実際、テレビドキュメンタリーディレクターとしては一流の新田監督も、撮影は下手である。だがしかし、おそらくは慣れないデジタルカメラを手にして通い続けた現場の空気、そして地域の人々の思いはしっかりと確実に記録されている。
沖縄の小さな商店街をおおう問題点が浮かび上がり、そこから前に歩みを進める人々の姿を捉え、それはこの沖縄の小さなコミュニティの中だけではない、この国が越えてゆかねばならない問題点にまでも、さりげなく気付かせてくれる。そして映画を観る者の心をほぐし、笑いを誘い、ひそかに涙を流してしまう。
こうした映像記録も、「小型カメラで(一見、自然に見えるように)撮り(撮れ)ました」ないしは「映っていました」というものではない。この映画に出てくるすべての人々は、「いま新田監督から目の前にカメラを向けられ、撮影されている」と確かに意識している。それでいて、そのままの町の姿が映像に収められているのだ。そこまでの道のりは大変だったと思う。地域に入ったよそ者が、信頼を得、土地に馴染み、根付いたからこそカメラを向け撮影する事が許され、ここまで確かなものをつくりあげることが出来たのだろう。次に取り上げるテーマが気になるドキュメンタリー作家の登場だと思う。
聞くところによると、この映画はいまだに細々と、全国の志し高い映画館を巡回しているようだ。それでも、こうした良品に出会える機会はなかなか訪れないものだろう。DVD化、そしてamazonのような利便性の高い流通経路を獲得した事によって、「歌えマチグヮー」のような良質なドキュメンタリー作品が世に浸透しやすくなるのは喜ばしい事だ。今度は自宅で、オリオンビール片手に観賞してみようと思っている。