レフト・アローン 第2部

劇場公開日:

解説

「百年の絶唱」の井土紀州監督が、思想家・[糸圭](スガ)秀実と60年代の学生活動家たちと対話を重ね、ニューレフト運動の歴史を振り返るドキュメンタリーの第一部。DVCAM作品。

2004年製作/94分/日本
原題または英題:Left Alone 2
配給:スローラーナー
劇場公開日:2005年2月26日

ストーリー

「プロローグ」暗く長い廊下をゆっくりとカメラが前進していく映像に、[糸圭](スガ)秀実の著作『複製の廃墟』の書影が幾重にも折り重なる中、監督の井土による「なぜ今、68年革命なのか?」という問いが聞こえ、それに答える声が続く。[糸圭](スガ)の声は次第に多重な響きを放ちつつ、ある独特の晦渋さに包まれていく。「六八年の思想と暴力」戦後の大衆社会の出現やサルトルら実存主義の登場、そしてスターリン批判以後の状況は、1968年におけるニューレフトの運動の中に、「経済学・哲学草稿」を中心とする初期マルクスの人間主義的な疎外論の隆盛をもたらしていた。その一方、初期マルクスの思想を再検討することで、フランスのルイ・アルチュセールや廣松渉は、疎外論批判の地平を切り開いていた。しかし、その疎外論批判が一般的にもニューレフト諸党派においてもまっとうに受容されることはなく、日本のジャーナリズムにおいて疎外論批判が受容されるのは、70年代半ばにおける柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」を待たねばならなかった。その柄谷が、1968年の思想状況を振り返り、廣松やアルチュセールらの諸思想と相克する形で、自身の思索を深めていった過程を語る。同じ頃、戦術思想の領域を模索し、直接行動の道へと突き進みつつあった松田政男は、それまでの活動の延長線上に、ゲバラやファノンの第三世界論を導入する。松田はその立場から、[糸圭](スガ)の言う「68年革命」を、第三世界的な総反乱が西欧資本主義によって沈静化させられてしまった実質的な反革命とする見解を表明し、自身の意識の最深部に潜む暴力の問題を提示する。映画は再び柄谷と[糸圭](スガ)の対話に戻り、暴力という問題を巡って二人の言葉の応酬が続く。1968年を批評家として通過した柄谷行人と、あくまで活動家として通過した松田政男。その思想と暴力における対立点は、[糸圭](スガ)秀実という鏡を通して、全く異なった様相を呈していく。「マイノリティー問題の視点」津村喬を理論的支柱とするノンセクトの活動家たちによって取り組まれていた在日朝鮮人・中国人等に対する反差別闘争は、1970年7月7日の日比谷野音における華僑青年闘争委員会による既成ニューレフトへの告発によって、運動の状況を一変させた。滋賀県草津にある津村喬の自宅を訪ねた[糸圭](スガ)秀実は、津村に対し、当時、7・7集会から決定的な衝撃を受けたことを打ち明ける。津村は、自分がそのマイノリティー的視点を持つに至った経緯を、自身の学生時代における中国滞在での体験をもとに語る。さらに、当時の反差別闘争が代行主義に陥ってしまった点について。二人は議論を重ねていく。「毛沢東と身体性」津村は毛沢東主義の新たな可能性を引き出した日本における唯一人の人物だった、と[糸圭](スガ)は言う。それに対して、津村は毛沢東の「活学活用」という言葉をあげて、当時の自らの姿勢を説明する。毛沢東の死と文革の終焉の後、津村喬はジャーナリズムでの筆を折り、身体性に対する問題意識から、気孔や太極拳の方へシフトしていくことになった。[糸圭](スガ)は、その津村の立場を、オウム真理教の麻原と比較し、やがて二人の対話はオウム真理教や超能力を巡るものになっていく。「大学再編と自治空間の解体」「レフト・アローン」冒頭で描かれた、2001年7月31日の早稲田大学サークルスペース移転阻止闘争から2年の月日が流れた。[糸圭](スガ)秀実は、その早稲田闘争の当事者の一人である花咲政之輔とともに、久しぶりに早稲田を訪れ、その総括をめぐって討議する。現在もビラ撒きや集会の開催という形で闘争を継続する花咲に対し、現在の大学再編における自治空間や自治組織の解体を、受動的革命の一端と位置づける[糸圭](スガ)秀実。一方、花咲は、大学の外では反戦平和を叫ぶ大学教員が学内では闘争破壊の先兵となっている事実から、カルチュラルレフトの問題を指摘し、その批判の矛先は[糸圭](スガ)秀実にまで向けられることになる。

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