さすらいのカウボーイ<ディレクターズ・カット版>

劇場公開日:

解説

1971年に公開され、興行的にはふるわなかったものの熱狂的なファンを生んだピーター・フォンダの初監督作。デジタルリマスタープリント、ディレクターズカット版(91分)としてリバイバル上映された。

2001年製作/91分/アメリカ
原題または英題:The Hired Hand
配給:クレストインターナショナル
劇場公開日:2002年8月3日

ストーリー

コリングス(ピーター・フォンダ)が年上の妻ハンナ(ヴァーナ・ブルーム)と幼い娘を捨てて荒涼たる放浪の旅に立ってから7年の歳月が流れていた。コリングスはいま、ハリス(ウォーレン・オーツ)とダン(ロバート・プラト)とトリオを組み、夢の国カリフォルニアを目ざして旅を続けていた。しかし、7年間の放浪生活はコリングスを一人前の男に仕立てあげ、彼はようやく、旅の魅惑に疑問を感じ始めていたのだ。すでに40の坂を越したハリスはコリングスの気持ちが理解できたが、若いダンは当然強く反発した。3人が食糧を求めて入ったデル・ノルテという寒村はマクベイ(セヴァーン・ダーデン)の支配下にあったが、3人は久しぶりの歓楽に酔った。ところが、女を求めて夜の街へ飛び出したダンが重傷を負って帰ってきて、すぐにコト切れた。マクべイは、ダンが自分の妻を襲ったので撃ったと明言した。マクベイが、ダンの馬を狙って仕組んだ罠だと察した2人は、マクベイの家を襲ったが致命傷を負わせるには至らず、村を逃げだした。コリングスの気持ちは決まった。今こそ自分の家族のもとへ帰るべきだと悟ったのだ。ハリスも同行を決意した。2人はハンナの農園へたどりついた。娘のジェニーもいた。コリングスは過去を詫びた、がハンナは何よりも現実の厳しさが身にしみていた。コリングスとハリスは雇われ人として納屋をあてがわれた。2人は夢中で働いた。次第にコリングスに心を開くようになったハンナを見て、ハリスは黙って旅立っていった。コリングスはこの生活を守ろうと必死になって働いた。ある日、1人の流れ者が農園を訪れ、ハリスの指が入った包みを渡した。あのマクベイのおびきだしだ。コリングスにとって選ぶベき道は2つに1つだ。コリングスはハリスとの放浪の旅を思い出していた。そして家庭を思いやった。瞬間、コリングスの心は決まった。ハンナの引きとめるのもきかず、コリングスは馬をひき出し、デル・ノルテへ向かった。デル・ノルテで罠を張ったマクベイとの撃ち合いで、コリングスはあっけなく死んだ。何日か経ち、コリングスの帰りを待つハンナは、今日もポーチで豆の皮をむきながら遠くから馬に乗ってくる男の顔にじっと目をこらしていた。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

5.0ディレクターズカット

2022年9月13日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル
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kossy

5.0長い人生で、男の夢よりも仕事よりも大切なものとは一体何だったかを男が知る物語だったのです

2022年1月2日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

素晴らしい名作です
西部劇で一番好きな作品になりました
正に埋もれた傑作でした
もっともっと高く評価されるべきです

ゆったりとした空気感と音楽
なのに冗長さは皆無です

音楽は、ボブ・デュランの不朽の名曲「ミスター・タンブリン・マン」のモデルになった名セッションギタリスト、ブルース・ラングホーン
本作が初めての映画音楽担当だそうです

そして美しいカメラ
冒頭の川面の煌めく水面の光線と色彩はため息が出るほどのものです
月日があっという間に経つほどの放浪の旅の楽しさが上手く表現されています
カメラは後に名撮影監督と呼ばれるヴィルモス・ジグモンド
彼もまた、初めての映画撮影でした
それまでCMの商品撮影しかしたことが無かったそうです

美術と衣装も当時の再現具合も優れています
登場人物の使う拳銃も不揃いという具合に小道具にも細かく神経が払らわれています
そのスタッフ達も後にアカデミー賞を受賞する人達です

21世紀の映画ファンからすれば豪華なスタッフ陣にみえるのですが、公開当時は監督を先頭に駆け出しばかりだったのです

原題の意味は使用人です
邦題の「さすらいのカウボーイ」だと、ガンファイトがメインのように思えますが、そうではなく人間そのものを描いている映画です

その分、俳優はベテランの芸達者を配しています
アーチ役のウォーレン・オーツ、妻のハンナ役はヴェルナ・ブルームの二人は、ピーター・フォンダを食っていて、本当の主演男優と女優はこの二人だったのかも知れないと思うほどです

ピーター・フォンダと言えば、なんと言っても1969年の世界的メガヒット「イージーライダー」です
本作は、その次の主演作品にして初めての監督作品でした

ところが余りに「イージーライダー」のイメージが強すぎて、その次回作は当然そのヒッピー路線の映画であろうと誰もが思い込んでいたのです
だから、彼の次回作初監督作品が西部劇だったのは、意外というよりも内容を観もせずにガッカリとなったようです

映画会社も宣伝や配給に力を入れてくれず、実際、米国では興行スケジュールの穴埋め作品として短期間だけの公開だったとピーター・フォンダ自身がDVDの特典映像のインタビューで述べています

このディレクターズ・カット版は、彼が音楽のヨーロッパ各地を宣伝行脚しながら再編集をいくつか作って上映したりしたものをベースにしたそうです
監督が再編集すると長くなりがちなのに、2分も短くなっています

物語は3人の男が放浪の旅をしているシーンから始まります

一人は20歳そこそこの若者ダン、もう一人はあとで27歳位と分かる主人公ハリー、最後の一人は40歳位の中年男アーチ
この3人は、実はそれぞれ主人公の人生を投影した分身なのです

若者はかっての主人公のような男です
カリフォルニアにでて金鉱やオレンジで一儲けしようと夢を語っています
元気一杯で明日への希望に溢れています

30歳手前の男は今の主人公
妻とまだ生まれたばかりだったであろう娘を捨て、夢を求めて放浪の旅にでた男
7年も放浪した末に、そんな夢などどこにも無いことを知り、旅に疲れ果ててしまった男です

そして、3人目の中年男は、年相応に経験をつみ常識をわきまえた男
しかし、そうなるまでに自分の居場所を見つけらずに、この歳になってしまった男
このまま10年も経てばどうなるのか
どうにもなるまい
一緒に旅をして楽しい気持ちの良い男だが、たぶんその頃には体も動かない老人になり果てているだけだろう
将来自分もきっとこうなってしまうだろうと、主人公がそう考えてしまうような人物

この3人の男が、一人の女のもとに戻り統合される物語です
本当の主人公は捨てられた妻だったのかも知れません
西部劇でこんなに女性が中心になる映画は他には見当たりません

主人公ハリーが妻のもとに帰えろうと決心したところから物語が始まります
かってハリーが見た夢のように若者は呆気なく死にます
そして未来のハリーの行く末を予言していたような中年男は、結局主人公の代わりを果たすことになると、物語の結末で観客は予感して映画は終わるのです
娘のジェイニーがアーチになついていた伏線が生きています
アーチこそ、ハリーに代わってハンナの良き夫になりジェイニーの良き父になるのだとなんの説明もなくても私達観客は分かるのです

物語は西部劇ですが、「イージーライダー」の延長線上にあるテーマだと思います

若者ダンが撃ち殺されて埋葬する時、読み上げる聖書の言葉
最初があるから最後がある
神の国は期待するだけでは来ない
神の国は本当は人の心の中にある
人には見えない
つまり、方々探し求めてもどこにもないということです
自ら心の中に作りあげるものだということです

ヒッピーの夢が消えていく物語です
まさにニューシネマそのものだと思います

それで?
21世紀の私達が半世紀も昔のそんなものを観て何の意味があるの?
そんな疑問があるかも知れません
それでも時代を超えて、21世紀の男女の心にも染みいるものがあると思います

ヒッピーの夢とは、つまるところ自分勝手な男の本質なのかも知れません
ヒッピーではなくとも、会社勤めしかしたことのない男にも当てはまることです

朝はまだ暗い内に家を出て、終電間際に帰る毎日
一時期は月曜日に出張にでて、帰って来るのは金曜日
休日は疲れはてて寝ているだけ
生まれたての乳飲み子を抱えて知らない土地に転勤を繰り返す
知らない土地にいけば、いったでその土地での仕事関係者に馴染むために毎晩飲み歩き午前様
はては単身赴任を数年以上して、妻に連絡するのは用事のある時だけ
ひどいと数ヶ月も音信不通

仕事にかこつけてどれだけ淋しい思いをさせたことか
長い単身赴任が終わって家に戻ったとき本作のハリーのように家庭を修復するためには、努力と長い期間が必要になるのは当然です

本作の主人公ハリーの物語とどこが違うのでしょうか?
そんな男は21世紀にだっているのです
冷や汗がでます

帰る家が有って良かった
そう男がしみじみ思える映画です
待っていてくれた妻がいた幸せ

長い人生で、男の夢よりも仕事よりも大切なものとは一体何だったかを男が知る物語だったのです

ようやく主人公が寝室に受け入れられたシーンに見せる妻役のヴェルナ・ブルームの名演技がそれを見事に表現しています
撮影時33歳の彼女が40歳手前の役に見える、肩や背中の肉、日焼けして化粧のない顔の皺です
その彼女がそのシーンでは、少女のような表情を見せるのです
とにかく彼女の演技はどのシーンでも素晴らしい説得力があり自然なのです

特典映像で、市川崑監督作品のカットワークを勉強したと、ピーター・フォンダが語っていました
後年、日本で市川崑監督に東宝撮影所で話をする機会を得たエピソードも興味深いものでした

市川崑監督から本作を誉められたと実に嬉しそうでした

曰わく
自分は女性を長年映画に撮ってきたのに、ここまでうまく女性を描いた映画を30歳そこそこで撮ったとは!と腰掛けた後ろの噴水に転げ落ちそうになるほど驚かれたと

恐らく1983年の日本映画「だいじょうぶマイ・フレンド」に出演での来日時のこと、市川崑が「細雪」撮影中の出来事のことでしょう

大好きな映画になりました

本作のお話、日本を舞台に簡単に翻案出来ると思います
そもそも演歌みたいなお話です
日本のお話の方がマッチしているかも知れません

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あき240

3.0待つのは辛いさ

2020年8月17日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

知的

幸せ

男はいつも待たせるだけで
女はいつも待ちくたびれてとは松山千春さんの歌詞

待つ女の気持ちがストレートに響いてくる
男がアメリカに生まれたなら思うのは
あの丘の向こうはどんな景色なのか、あの山脈の向こうにはどんな街があるのか
どれだけ走ったら夢のような世界が広がっているのだろうか
そんな事ばかり考えてしまうのでしょうね
分かりますよ、私も一緒です だから育った家を出てずっと離れた街で一人で暮らし始めましたからね
不安に思ったことは一度も無かったな
ただこの先自分はどうなっていくのだろうとぼんやり考えたりした事はあったかな
待たせている女の子も居なかったしあの頃が1番自由に生きてたように思えるけど自分の中じゃ生活することでいっぱいいっぱいで「自由」を満喫した事なんて無かったな
今にして思えばやりたい事はたくさんあったのにめんどくさいとか疲れたとか天気が悪いだとか言って今よりもずっとずっと怠けてたと思う
今からでも遅くないのかも と、ついつい考えてしまうのは昔から変わらないな
あの山や海の先の先へ行ってみたい、ずっとずっと時間をかけて旅をしてみたい
帰る頃にはもうもう待つ人は誰も居なくたって良い
なんて気分になってしまったよ

昨日の8月16日はピーター・フォンダの命日だったのですね、1年前の昨日です。

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カルヴェロ