いとし子と耐えてゆかん
劇場公開日:1952年7月3日
解説
企画は、「恋風五十三次」を西原孝とともに企画した栄田清一郎で、「風ふたたび」の植草圭之助が脚本を書き、「恋風五十三次」の中川信夫が監督に当たっている。撮影は「醉いどれ歌手」の永塚一栄である。出演者の主なものは、「嵐の中の母」の水谷八重子、「月形半平太(1952)」の山田五十鈴、「西陣の姉妹」の宇野重吉、「右門捕物帖 謎の血文字」の月丘千秋の他、利根はる恵等。
1952年製作/102分/日本
劇場公開日:1952年7月3日
ストーリー
高村節子は喬と昭夫の二児を抱えて、ただひたすら夫俊二の復員を待ちわびていた。その節子の元へある日残酷な俊二戦死の知らせが届けられ、彼女の心を打ち砕いた。この時彼女の心を支えたものは、二人の子供であった。節子は二児を伴って夫の故郷へ帰っていった。夫の家の人々は節子たちに冷たく、彼女たちは再び東京へ舞い戻った。節子の女学校時代の親友矢田千枝子も同じ戦争未亡人であったが、彼女の雄々しい生活ぶりを見て節子も励まされ、日雇い労働者の群れに入ってまで働き続けた。しかしそれでも貧しく恵まれない生活の中にある喬は、ある日ふと級友の給食費に手をつけ、節子の心を暗くした。しかし喬の担任教師竹野先生夫妻は、節子の境遇に同情して喬を引き取ろうと言ってくれた。竹野夫妻の温かい手で喬は日毎に明るくなって、今では二人の母を持つことを誇りにさえ思うようになった。三年後、節子はある保育園の保母となり、ようやく落ち着いた生活に入ったが、戦争で夫を奪われてようやく日本に帰り着いた妹の亮子は、淋しく死んでいった。節子は昭夫をしっかり抱いて、強く耐えていこうと覚悟するのだった。